戻る場所
マチルダ騎士団がハイランドに降伏した────
グリンヒル攻略を果たし、帰還した一同にもたらされた報は、かつてそこに籍を置いていた二人の青年の耳を残酷に貫いた。
いずれは避けて通れぬ道だったかもしれない。
多少の覚悟はあった。
あのゴルドーならば、そうした保身を選んでも何ら不思議はない。
それでも────かつて一度だけ王国の支配に屈しながら、不屈の精神で領土を取り戻した誇りある騎士団領が、一人の男の指導のもと、またも敵に膝を折った。しかも、戦わずして。
それは二人の心に大きな喪失をもたらす痛みであった。
青騎士団長マイクロトフは怒りを隠さなかったが、赤騎士団長カミューはその場での発言を控えた。アップルの提言でミューズ進撃の考慮に入った指導者に一応の散会を促され、二人は重い足を引き摺るように自室へと戻ってきた。
「──それじゃ、少し休むことにするよ」
低く洩れたカミューの声に、マイクロトフはふと眉を寄せた。そのまま自室の扉に消えようとする彼を追って、するりと室内に侵入する。
「マイクロトフ…………?」
「話してくれ、カミュー。おまえの思い、考えを。迷わず、おれに正直に」
彼は強い眼差しでカミューを射竦めた。美しい瞳がついと逸らされるのに微かな焦燥を覚える。
彼はいつもそうだ。涼やかな笑みで周囲を紛らわせ、己の本心を曝そうとはしない。
おそらく今、その胸の中には多くの葛藤が蟠っているだろうに、マイクロトフにさえそれを隠し通して微笑もうとする。
ひとたび黙したカミューだったが、真剣な男の瞳に負けたように、やがて窓辺まで進むとぽつりと切り出した。それは内心の躊躇を窺わせる細い声だった。
「──────わたしは…………執着の薄い人間だ──」
マイクロトフも同様に歩を進め、僅かに離れたところで足を止めた。見詰める白い面には目立った感情は現れていない。彼は辛抱強く待った。
「子供の頃から────多くを望んだ記憶はない。剣と、その日を過ごせるだけの糧と…………自分を守るだけの強さと。それ以外に欲しいものはなかった」
マイクロトフは小さく頷いた。
「……生まれて初めて心から望んだのは───騎士として生きることだった」
カミューは窓の外、何処か遠くを見遣っているようだった。心の声に耳を澄ませながら言葉を繋いでいるのだろう。美辞麗句ならば幾らでも流暢に操るが、己の心情を吐露するときにはひどく苦労するらしい。
そんな彼を知るマイクロトフは、敢えて口を挟まなかった。
「──騎士となり、命をも賭けられる信念のもとに過ごしたい、生きるためではなく誇るために剣を取りたい────それが初めての切望で」
「カミュー…………」
「願い通り騎士となり、地位を極めて…………それでも、地位や栄誉に執着を覚えたことはない。こうして何もかも捨てて信念に殉ずることを誇りに思っている。同盟参加は確かにわたしの中で唯一正しい道だったし、おまえや部下とここにいることを幸せに思ってもいる────」
しかし次の瞬間、その貌は痛々しく歪んだ。
「────────騎士団、が…………」
彼は窓枠を掴み締め、目を伏せた。白い手袋が激しく震えている。
「………………わたしの誇りを育ててくれた騎士団が──────」
マイクロトフは声にならなかった言葉をはっきりと察した。
執着の薄い青年が、それでも大切に胸に温めてきたもの。
剣と誇り、忠誠のすべてを捧げてきた騎士団が、戦うことなく敵に屈した。
すでに出奔を果たしたとは言え、どうして傷つかずにいられるだろう。
マイクロトフのように即座に怒りが爆発しない分、傷を胸の中で育ててしまう。見た目の穏やかさとは異なり、自分と同様、あるいはそれ以上に熱く燃えている騎士団への想いを認め、マイクロトフは胸を突かれた。
多くを望まぬ彼だからこそ、想いは深い。
謀反したと言えども、騎士団の存在そのものを否定するわけではないのだ。
ハイランドに吸収されたマチルダ騎士団領は、今度こそ『戻る場所』では有り得なくなる──────
マイクロトフはしばらく無言でカミューを見守り続けた。
言葉を掛けるのは容易い。しかし自分が同じ想いを抱える以上、今は傷の舐め合いになる。そんな真似はしたくない。たとえどんなことがあろうとも。
──カミューもそれを望むまい。
長い長い沈黙の後、美貌の赤騎士団長は顔を上げた。
「──────取り戻す」
凛とした声が宣言する。
「必ず……ゴルドーの手から、ハイランドの枷から……騎士団を解放してみせる────我が騎士の誇りにかけて」
マイクロトフは息を吐いた。そして力強く笑んで頷く。
儚げに見えるカミューの芯の強さ、それは自分が知るより遥かに激しく彼を支配しているに違いない。その熱に触れるたび、マイクロトフは目眩を伴う感動に打ち震えるのだ。
「──やろう、カミュー。おれたちの手で騎士団を正しき道に導こう」
「マイクロトフ…………」
カミューは真っ直ぐにマイクロトフを見詰め、それからやや照れたように苦笑した。
「…………おまえに救われたな」
「おれは何もしていない」
「一人で考えていたなら…………わたしは何処までも落ちていたよ」
マイクロトフは肩を竦めた。
「……お互い様だ。おれだって、いつもおまえに救われている」
「────それもそうだな」
あっさり言われ、マイクロトフは憮然とした。だが、ひとり切なげに悩み込むカミューより、こうして軽い揶揄を飛ばす方がずっと間近に感じる。
彼はゆっくり腕を伸ばし、カミューを胸に誘った。安らいだように腕に納まる身体をきつく拘束し、耳元に低く囁いた。
「──何しろ魂の片割れだからな、これは互いに与えられた役目と言うものだろう」
「救い合うことが?」
「………………確かめ合うことだ」
同じ価値観を分けている。
同じ未来を見詰めている──────
「では、マイクロトフ」
見上げたカミューは淡い笑みを浮かべていた。
「……ついでにお互いの想いも確かめ合わないか?」
「────魅力的な申し出だな」
マイクロトフは低く笑って、恋人に唇を寄せた。
「晩秋の湖畔」と逆パターンをしてしまいました。
やっぱり悩むのは赤の方がやり易い……。
でもすぐ立ち直らせてしまいました(笑)
ホントは凛々しい赤が好きだし〜って。何だか最近あまりにも作った品が多い所為か、
印象がバラバラですね〜、困ったものです。
ノンポリの見本のような感じです。トホホ。