激しかった情交の余韻冷めやらず、褥に伏したまま混濁する熱の中にさ迷っていたカミューは、背を伝う指先の感触に意識を引き戻された。
火照る肌が未だ疼き続けている。辺りを漂う冷えた空気に幾分宥められつつも、そうして再び熱を揺り動かすように触れられては穏やかな眠りに飛び込むことも出来ない。
「マイクロトフ……」
掠れ切った声で幾許かの抗議を含んだ呼び掛けを果たしたが、半身を起こして被さる男は無言のまま薄い背にくちづけるばかりだった。
情愛溢れる所作に身体の奥で灯る快楽。たまらず洩れた弱い吐息が促したのか、マイクロトフは片手で彼の脇腹を擦り、いっそう情熱的に舌を這わせ始めた。
肌に浮かんだ愉悦の汗を獣の如くしたたかに舐め取る仕種に、今度こそ深いところから迫り上がってくる渇きに耐え兼ねたカミューは、啜り泣きにも似た呼気を繰り返しながら身じろいだ。
ふと、背後で笑む気配がして、唇が遠のく。それから逞しい腕が首の下を回ってカミューの身体を傾けた。
ぴったりと背に密着する男の厚い胸。両腕で抱き締められ、カミューの情感はなお震えたが、先程よりは余程静かな接触に、やがて息は納まっていく。
「何だい……?」
耳元で再び微笑う気配に問うたが、マイクロトフは項に唇を寄せたまま低く答えた。
「……何でもない」
「何でもないということはないだろう?」
だが彼は密やかに首を振ると、そのまま沈黙した。
マイクロトフは肌を合わせた後、よくこうして背後から彼を抱き締める。関係を持ったばかりの頃は行為直後の潤んだ瞳や欲情に染まった頬を見られたくなくて、顔の見えない抱擁をありがたく思ったカミューだった。
それは同時に毅き力で背を護られているようで、四肢を絡め合う行為以上に胸を温め、安堵と慕情を掻き立てる所作でもあったのだ。
けれど、こんなふうに執拗に背を弄り、挙げ句意味深に含み笑う男は初めてだ。ようやく回り始めた思考を励まし、カミューは追求を試みた。
「隠し事はしないと誓っただろう? いいから言ってみろ」
「たいしたことではないんだ」
そう前置きした上でマイクロトフは彼の髪を撫でた。
「ただ、……綺麗な背だと思って」
「───何?」
僅かに眉を寄せて背後を窺おうとするが、すっぽりと抱き竦める腕は身動きを許そうとしなかった。
「何を基準にそう思うのか知らないが……、騎士としてこの歳まで生きていれば、傷の一つや二つ残っていると思うけれど?」
「……まあな」
珍しく男が何を考えているのか読み切れない。曖昧に応じる口調も何処か上の空である。
カミューは思案して記憶を掘り起こし始めた。
マチルダ領に在ったときはいざ知らず、騎士団を離反して新同盟軍に参入した後は傷を受ける機会も増えた。
厳しい鍛練によって得た規律と判断力を持つ騎士を率いて臨んできた数々の戦い。だが、希望と誇りだけを道連れに飛び込んだ新たな世界は、決して熟練された兵ばかりが集う場ではなかった。
指導者が年若い少年であるのはさて置き、年端も行かぬ子供や女性までもが武器を取って戦う姿に、当初マイクロトフは己の価値観の大きな修正を迫られて悩んでいた。
しかしやがて、護るべきものと見做していた存在が同じ未来を求める同志であることを理解するようになった。マチルダに在った頃ならば到底認めなかったであろう婦女子との行軍さえも、彼は受容するようになったのだ。
それはカミューにとっても同じだった。
マイクロトフほどではないけれど、彼も騎士としての薫陶は身に染みている。武力を駆使する人間とそうでないものは本能的に分けて考えてきた。
しかし、新同盟軍にはそうした一切の区別がない。順応性では尽くマイクロトフを上回る彼は、殆ど参入と同時に同盟軍の在り方に馴染んだものだ。
その結果、身に負う痛みは増えた。
練度の低い兵を率いての戦い、指導者の少年に同行しての都市間の行き来───彼らは我が身を以て仲間を庇い、様々な窮地を乗り越えてきたのである。
騎士団在籍時代を遥かに上回る、生傷の絶えない日々。
回復魔法の術者や優れた医師が在るからこそ無事とも言える毎日。
ロックアックスでならば三度は死んでいる、そう笑い合ったこともある。少なくともカミューは医術や回復魔法で完全に癒せなかった己の傷跡を複数思い出すことが出来た。
「……おまえの言う『綺麗』は良く分からないよ」
溜め息混じりに呟いた彼に、再びマイクロトフは低く笑った。
「分からなくていい。多分、基準などないから」
「……おかしな奴だ」
最後まで男の思考を覗くことも叶わぬまま、次第に身を占める気怠さに負けて目蓋が落ちる。背を包む温かな体温に抱かれたカミューは安息の中にすべてを沈めた。
元マチルダ騎士団長として、二人には種々の役割が与えられていた。寄せ集めの集団に、強大な軍事力を誇るハイランド王国軍に対抗出来るだけの力量を持たせるための訓練指導もその一つである。
こうした訓練は新同盟軍の要人が率先して当たっていた。コボルトの将軍は歩兵訓練、驚異的な魔力を持つ少年は──甚だ迷惑そうに──魔法兵の指導。そして二人は騎馬兵の鍛練といったように、役割は適度に分担されていた。
その一方で、二人はよく指導者ウィンの供に駆り出された。戦の合間、軍師が次なる策を弄したり情報を集めている時間をぬって、少年はあちこちの都市を飛び回っているのだ。
大所帯になった新同盟軍。人々の衣食を賄うため、また、次第に過酷になる戦いに備えて装備を充実させるために資金は幾らあっても足りない。
モンスター狩りやアイテム捜索はそれを補うための重要な任である───不承不承口にしたのは軍師である。実際のところでは、ウィンの気分転換に等しい行為を敢えて認める心理は複雑であったに違いない。
指導者の少年は若さに余る重責を負っている。まして、かつての親友を敵に回してのつらい戦いだ。彼は何時、心情的に追い詰められても不思議のない立場にある。僅かに生じる戦いの狭間に同世代の仲間たちとささやかな冒険に出たいという少年の望みを、軍師は一蹴し切れなかったのだろう。
しかし、万が一にも彼が負傷するようなことがあってはならない。彼は同盟軍の希望であり、人々を結び合わせる絆の礎なのだ。
そこで軍師はマチルダの元騎士団長らに白羽の矢を立てた。いにしえより『護るため』に剣を取り続けてきた集団の末裔。誇り高く忠節に厚い騎士ほど指導者の護衛に相応しい人物はない。
マイクロトフはさて置き、カミューは軍師の言葉の裏に隠された真意を感じ取っていた。
本当に軍資金に不足しているのであれば、それこそ離反したマチルダ騎士が総出で周辺のモンスター掃討に励めば良いことだ。一軍の指導者である少年が臨まねばならない理由は一つ、それがウィンにとって『必要なこと』なのだろう、と。
斯くて二人は交互に任に当たるようになった。
大概同行するウィンの義姉、彼を慕う少女や戦力として期待出来ないような子供連中。
保護者の気分だ、そうマイクロトフは幾度かぼやいたが、元々頼られれば奮い立つ男だ。呼ばれれば即座に愛剣ダンスニーを鷲掴んで飛び出していくのをカミューは苦笑混じりに見送ってきたものだった。
さて、その日は随行にカミューが求められた。
優美な仕種で装備を確かめ、最後に純白の手袋をはめた彼を、マイクロトフが座り込んだ寝台から物憂げに見上げる。
「気をつけて行ってこい」
「今日のパーティーは凄いよ。ウィン殿とナナミ殿───はともかく、トウタ君にガボチャ君、ゲンゲン隊長殿だからね」
途端にマイクロトフは渋い顔になった。
「……大丈夫なのか、それは」
「さあ、どうだろうね」
ふわりと微笑んだカミューは軽く肩を竦めてみせた。
「風の洞窟で取り忘れたアイテムを見つけて……その後は外でランチを取るそうだ」
「弁当持参か。何と言うか、ますます……」
遠足だな、とマイクロトフは溜め息を洩らした。
「まあ、時間の許すときに仲間の戦力向上に努めるのも指導者のつとめだろうからね。ウィン殿は間違っておられないと思うよ」
「外でのんびり弁当を食うのも戦力向上に繋がると?」
「勿論」
カミューは腰を屈めて座る男と視線を揃えた。
「仲間の結束は多大な戦力だ。おまえもそれを知っている筈だろう?」
暫し真剣な表情を作るカミューだが、その肩が僅かに震えているのをマイクロトフは見逃さなかった。
「……敷物を忘れずに持って行くといい」
憮然としたまま呟くと、美貌の騎士団長は吹き出した。
「それは思いつかなかった。早速、ナナミ殿にお伺いしてみよう。それじゃ……行ってくるよ、マイクロトフ」
軽く手を挙げて部屋を出ていくカミューを見遣り、マイクロトフはもう一度息を吐いた。
どう理由をつけようと、これはやはり息抜きだろう。
騎士団に籍を置いていた頃なら到底納得しかねる現実を、それでも笑いながら認めている。それは、ここが戦うのみならず、人々の生きる場所であると理解しているからだ。
カミューの語った面子をもう一度思い返し、マイクロトフは諦め顔で剣を鞘に納めた。風の洞窟近辺のモンスターにカミューが手子摺ることもなかろう。
それでも案じてしまうのは想いの深さ故なのだ、そう結論づけながら、彼は束の間の休息のために寝台に身を横たえた。
事態が急変したのは午後遅くなってからのことである。
寝台に四肢を伸ばして惰眠を貪っていたマイクロトフは、転げるように駆け込んできたコボルトの戦士に叩き起こされた。明るく元気な笑顔で常に仲間を励まし続ける心優しきゲンゲンが、珍しく悄然と耳を垂れている。
「マイクロトフ、カミューが怪我した」
「何ですって?」
慌てて飛び起きた彼は、知らず詰問口調でコボルトに対峙していた。
「いったい何があったのです、ゲンゲン殿!」
「うん……でも、早くマイクロトフを呼んでこいってウィンが言ったぞ」
「そ、そうですな。ホウアン殿のところですか?」
すっかり打ち菱がれたようにこっくり頷くゲンゲンを残し、さっさと医師の元へ向かおうとしたマイクロトフだったが、背後から聞こえてきた悲しげな響きに思わず足を止めた。
「ゲンゲン、カミューを守れなかった……」
気持ちは前進を命じたが、マイクロトフは踵を返して項垂れているコボルトに向き直った。現実問題としての力量はともかく、彼が仲間を守りたいと日頃から切望しているのを承知しているからだった。
「事情は判りかねますが……ゲンゲン殿、そう御自分を責めずとも……」
「血がいっぱい出た」
ぎくりと強張る。
「ど、何処を……カミューは何処を怪我したのです?」
「背中」
今度こそマイクロトフは目の前が赤く染まるような気がした。何かゲンゲンを励ますような言葉を口にした気がしたが、自分でも何を言ったのか覚えていない。そのまま脱兎の如く部屋を飛び出し、一気に医務室まで突き進んだ。
そこには本日カミューと行動を共にしていた仲間一同がしょんぼりとたむろしていた。マイクロトフに気づくなり、ナナミが泣き出しそうに叫ぶ。
「マイクロトフさん! ごめんね、私の所為なの!」
「違うよ、皆の所為だよ……ごめんなさいっ」
トウタが鼻を啜り、マイクロトフの後に続くゲンゲンを見た途端ガボチャが盛大に顔を歪めた。
「ゲンゲン隊長、マイクロトフさん、ごめんなさい……」
それぞれが自責を負っているようだが、取り囲まれて口々に謝られてもさっぱり要領を得ない。途方に暮れて見遣る先で、新同盟軍の指導者が溜め息を吐いた。
「もとは、ウサギなんです」
「…………は?」
予定通りアイテムの回収任務を終えた後、一行は穏やかな陽光の下に敷物を広げて遅めの昼食を取っていた。
風の洞窟内部での戦いは適度に苦労した。
珍しいものを見つけると関心を示さずにいられないゲンゲンは、眠っているモンスターを片っ端から起こしてしまったし、戦力的にまるで当てにならないトウタは、転んで膝を擦りむいたガボチャの手当に四半時もかける有り様。
その間、ウィンやカミューは無防備になっている仲間を護り、四方に注意を払わねばならなかった。
そんなこんなで迎えた休息時、ナナミが草むらを闊歩している仔ウサギを見つけたのだ。
少女らしく、可憐なものに目が無いナナミは早速仔ウサギを抱いてきて一同の笑みを誘った。おどおどした仕種が可愛らしく、子供たちは奪い合うようにしてウサギを弄り回した。
やがて人間の相手に飽きて逃げ出したウサギを少女たちは笑いながら追い掛け始めた。無論、苛めているつもりなどなく、和やかに遊んでいるつもりだったのだ。
カミューは茶を啜りながらそんな光景を眺め、一方で周囲に気を配っていたのだが、そのうちに表情を固くした。嬌声を上げている一同の背後に不穏な集団を発見したのである。
それは『ころしやウサギ』という物騒な呼び名を持つ、この辺りでは見掛けないモンスターの群れだった。
現在少女たちに追い回されているのはモンスターと通常種との混血であったらしく、見た目には普通のウサギだが、一応は群れに属するものであったらしい。
モンスターたちは人間にいたぶられている──としか見えない──仲間を奪還するために襲い掛かってきたのである。
「だいたい、そこでナナミがウサギを離せば良かったんだよ」
ウィンが憮然と呟くと、少女は真っ赤になった。
「だってだって、あんまりびっくりしちゃって……動けなかったんだもん!」
慌てて飛び出したウィンとカミューだったが、飛来するのは危険窮まりない斧の群れ。子供たちに降り注ぐ凶器をカミューが紋章で焼き、その間に後方に下がるよう命じたウィンの命にゲンゲンらは慌てて従った。が、最後までその場に射竦められていたのがナナミだったのだ。
少女は未だ仔ウサギを抱いていた。ここで離せば仔ウサギも危険であると思ってしまっていたからだ。
両腕が塞がって武器を取れない。一際力強く襲い来た斧に悲鳴を上げ、ウサギを抱えたまま踞ったが、そこへ覆い被さったカミューが我が身をもってナナミを庇った。
斧は背中を掠めたが、微かに顔をしかめただけで彼はナナミの腕から仔ウサギを受け取り、モンスターらに向けて放った。すると攻撃は途端に静まり、ウィンが撃退する間も無く視界から消え去っていったのだった───。
何とはなしに力の抜けるような顛末ではあったが、マイクロトフは気になっていたことを問うてみた。
「出血が多かったと聞きましたが……」
斧が彼の背中を裂いたという事実は己の肌が切られるよりも痛む気がする。マイクロトフの深刻な表情にウィンは改めて嘆息した。
「そうなんです。本当にすみません」
「ああ、いや、おれに頭など下げないでください」
丁重に詫びる指導者に困惑し、ちらちらと医務室を窺う。
「もう、こんなことはやめようと思ったんです」
ぽつりと少年が言う。
「皆で出かけるのが楽しくて……でも、そのために怪我をさせてしまうなんて。それでカミューさんにも謝ったんです、二度とこんなことに連れ回しませんからって。でも……」
そこでゲンゲンがピンと耳を立てた。
「カミュー、言ってた。『今度はもう少し周りに注意を払いましょう』って。あと、『レディがウサギを抱くのは絵になるけれど、魔物はいけません』とも言ってたぞ。怪我してるのに、にこにこ笑ってた。凄いな、カミューは……。ゲンゲン、感動したぞ!」
瞬いたマイクロトフは、次第に苦笑が込み上げてくるのを止められなかった。
───そういう男だ。
指導者の心情を慮り、愚痴一つ零さずに子供たちの引率に励み、自らが傷ついても笑って周囲を気遣って。
「……次はおれが御供します」
言った男に一同は顔を見合わせ、赦されているのだと悟ったらしい。ぱっと表情を明るくした。
「それでは、おれはカミューの様子を見たいので……」
「そうですね、じゃ……ぼくらは戻った報告をしに行ってきます。本当にごめんなさいって伝えておいてください」
「ぼく、もっともっと医術の勉強をして、役に立つようになりますから!」
「後でお詫びとお見舞いに、プリンを作って持っていくね!」
「……それは止めた方がいいんじゃ……」
子供は無邪気で常に未来への希望に溢れている。自責などよりも明るい笑顔こそを傷ついた青年も欲するだろうとマイクロトフは確信した。
再び明るさを取り戻した一同に微笑み掛けてから、マイクロトフは一礼して医務室の扉を開けた。中ではちょうどホウアン医師がカミューの上半身に包帯を巻き終えたところだった。来訪者に気づいた医師は温厚な声で言う。
「おや、マイクロトフさん……今、手当が終わったところですよ」
医師の呼び掛けで顔を上げたカミューと目が合う。出血の所為か、やや顔色は悪いが口元には照れたような笑みが浮かんでいた。
「ホウアン殿、傷は……」
「背中がぱっくり、でしたよ」
ぎょっとして強張ったマイクロトフだが、ホウアンは揶揄するような顔つきで付け加えた。
「ですが、『輝く盾の紋章』で応急処置もしてありましたからね。少々の傷は残るかもしれませんが、そう目立つものにはならないでしょう」
「傷が……残る……」
呆然と呟いたマイクロトフにカミューがやや眉を寄せた。口調に気づいたのか、ホウアンは宥めるように言い募った。
「今もカミューさんと話していたんですよ。剣士たるもの、背中の傷はあまり名誉なものではないが、乙女を庇った傷ならば勲章だろうと」
「……他にやりようはなかったのか?」
「咄嗟だったしね」
肩を竦め、その動きで傷が痛んだのか、カミューは渋い顔になる。
「わたしは他の怪我人の様態を診に行きますが……当分は毎日包帯を取り替えますから、きちんと通ってください。無理をなさってはいけませんよ」
「お手数をお掛けしました」
丁寧に礼を取るカミューに笑み返しながら医師は部屋を出ていった。
途端に沈黙が降りる。身繕いするカミューを無言で手伝うマイクロトフは、だが強張った顔を緩められずにいた。やがて静けさに焦れたカミューが息を吐く。
「……そう怒らないでくれ、今回のことは不可抗力だ。油断したわけではないが、何しろ……」
「───怒ってなどいない」
「その不貞腐れた顔の何処が怒っていないんだ?」
今は視界から隠された、上体を覆う痛々しい包帯。マイクロトフは深い溜め息を洩らした。
「……背を傷つけるなんて……」
そこでカミューはマイクロトフに向き直った。怪訝な琥珀が真っ直ぐに当てられ、容赦ない追求の気配が漂う。
「この前から聞きたかったんだけれどね。おまえは何故、そうもわたしの背中に拘わる?」
「背中に拘わっている訳では……」
「ならば背中の傷、かい? 何なんだ、いったい……傷物は嫌だとでも?」
「き……、傷物? 馬鹿な、そのようなことは考えたこともないぞ!」
カミューは両腰に手を当てて小首を傾げた。無言の促しに耐え切れず、マイクロトフはぽつりぽつりと述懐を始めた。
「おまえの背は特別だからな」
「……背中好き…………なのか?」
変わっているな、と小さく呟かれて苦笑する。
「かつておれは誓いを立てた。おまえの背を守って生きる剣士となる、並んで戦う男になると。だが、実際は思うようにはならなかった。騎士団の所属が違えば、同じ戦場で並んで戦うことも背を合わせて戦うことも出来ない」
「それは……まあ……」
「新同盟軍に参加してからは、おまえと並んで戦場を駆け、隣り合って剣を振るい───焦がれ続けた夢がようやく現実のものとなった」
とつとつと語っていた生真面目な表情が微かに歪む。
「確かにおまえが言ったように、騎士に傷跡は勲章のようなものかもしれない。だが、この同盟軍でおまえが負う傷は、せめておれの目の前で受けたものであって欲しい」
傲慢だとは思うが、と締め括った男に柔らかな視線が注いだ。
「つまり……、おまえの知らないところで勝手に怪我をするな、と……そういう意味なのかな?」
「ああ」
「おまけに、おまえが守る筈の背中を勝手に傷つけるなど許し難い、と?」
「………………」
黙して答えない男にカミューはくすりと笑った。
「───とんだ背中愛好者だ」
揶揄しながらも、その心情は痛いほど理解出来るカミューだった。
最愛の存在が、自らの与り知らぬ場所で痛みを負う。それを厭うのは決してマイクロトフばかりではなかったから。
「おまえの知る傷で埋め尽くされているなら、それでもわたしの背は『綺麗』ということか」
「そんなに負傷させるつもりはないぞ、おまえの背はおれが守るのだから」
憮然と言い返すのに甘く微笑み、カミューはしなやかな両腕を伸ばした。引かれて抱き返すマイクロトフが、おずおずと薄い背に触れながら目を閉じる。
「わかった、今後は精々気をつけることにするよ」
静かな声が続く。
「それから……当分は控えて貰わないと。傷が痛むからね」
示唆された行為を悟り、マイクロトフはにやりとした。
「傷に障らぬ手法もあるだろう?」
「そういうところは利己的で貪欲だね」
ぷっと吹き出す青年を優しく抱き締めつつ、彼は慈しみを込め、そして細心の注意を払いながら背を撫で続けた。
「それからカミュー、ひとつ訂正しておく。おれは別に背中好きな訳ではないぞ」
「……?」
「『おれだけに無防備に曝されるおまえの背中』が愛しくて大切なのだ。そこのところの認識を修正しておいて貰えるとありがたい」