小さな奇跡
ロックアックス────初夏。
ジョウストン都市同盟に参加するマチルダ騎士団領は、デュナン湖の遥か北方に位置する。よって、この季節であっても風はやや冷気を含み、年間を通じて一番過ごし易い時期と言えた。
木々はいよいよ青味を増して街中を輝かせ、日差しは濃い影を落とす。春に生まれ出た命が燃え上がるように存在を主張する光の季節である。
さて、この一帯を統治するマチルダ騎士団の居城であるロックアックス城では、そんな街の煌めきとは無縁の、近頃議案となっているハイランド王国の同盟侵攻についての論議が戦っていた。
中央会議と呼ばれる議会に参列しているのは、三つに分かれる騎士団の団長及び副長の6名。そのいずれもがマチルダを代表とする『顔』である。
事実上の最高権力者である白騎士団長ゴルドーは、ハイランド側からの冤罪説を取る方向に話を進めているが、赤・青両騎士団はその報告に深い疑惑を持っている。為ろうことなら出兵し、自らの目で事の真意を確かめたいのだが、ゴルドーが首を縦に振らないのでは話は平行線のままだった。
結局議会は然したる進展もなく終了し、懸案は次回に持ち越されることとなった。
疲れ果てた一同が次々と会議室を後にする。誰よりも苦渋を浮かべた顔で立ち上がり、扉に向かった青騎士団長の背に、ふと触れる指先。
背後に立った赤騎士団長の表情を窺い見ることも出来ぬまま、青騎士団長は背に添えられた指先が密やかな合図を記すのを感じた。
彼は微かに頬を染め、誰にもわからないようにひっそりと頷く。────人目を忍んで交わされるそれは、二人だけの秘密の約束。
「…………遅くなったな」
マイクロトフが一日の任務をすべて終えて赤騎士団長の部屋を訪ねたのは、夜も更けてからのことだった。
迎える表情はどこまでも穏やかである。
「いいさ、夜更かしは得意だ」
「────たまには早寝・早起きもいいものだぞ?」
揶揄した彼に、カミューは微笑んで首を振る。
「食事は?」
「済ませた。それより……どうした? おまえから呼んでくれるのは珍しいが…………」
室内を横切ったマイクロトフは、すでに着替えを済ませてソファで寛ぐカミューの横に座り、そっと肩を引き寄せる。
公然と出来ない秘められた関係────逢瀬の約束さえままならない。
二人だけに分かる合図を決めたのはカミューの方だ。だが彼の方からそれを使うのは、およそマイクロトフが覚えている限り初めてのことだった。
真面目な表情で尋ねた彼に、カミューはやや苦笑した。
「────やはり、ね」
「…………何が? ああ、…………もしかして、昼間の会議のことか? 確かにゴルドー様のお考えには納得出来ないが、おれは────」
「それもないと言えば嘘になるが────今夜は違う」
「………………?」
あくまでも相手の意図がわからず困惑するマイクロトフに、カミューは終にくすくすと声を殺して笑い出した。
「……覚えていないんだな、おまえ」
「────何を?」
「────…………26歳、おめでとう」
マイクロトフは一瞬呆然として、それから真剣に考え込んだ。
「そうか…………今日は…………おれの────」
「よくもまあ、綺麗さっぱり忘れられるものだな」
溜め息混じりに呟くと、カミューは優雅に立ち上がり、キャビネットからグラスとワインを持ってきた。
「……実を言うと、わたしも今日は戻ってから時間がなかったんだ。本当は準備を済ませておまえを迎えるのが礼儀というものだろうが、その辺は勘弁してくれ」
「そんな……カミュー……」
美しい茜色の液体が磨き抜かれたグラスに注がれる様を見詰めながら、マイクロトフは心底驚いていた。
二人の交友はすでに10年以上にも及ぶが、互いの誕生日など祝い合った記憶などない。勿論、誕生日は知っているし、その日が来れば祝辞の一言も告げてはいたけれど、こうして改めて祝いの席など設けられるのは意外だったし、何やらくすぐったいものがある。
「何故────急に……?」
「……どうしてだろうな」
うっすらと微笑みながらカミューはグラスの一つをマイクロトフに向かって滑らせた。
「何となく────今年はおまえにとって大きな変動の年になるような……そんな気がしたからかも────しれない」
「変動?」
「何となく……、だよ。気にしないでくれ」
そう言われて気にしない方が無理だ、マイクロトフが思ったのも束の間。目前に掲げられたグラスに思考が止まる。
「────この一年、おまえにとって良き日々であるように」
深い情を感じずにはいられない響きを秘めた言葉が彼の耳を柔らかく打つ。マイクロトフは頷いて、グラスを取り上げた。
「ありがとう────カミュー」
鈴を鳴らすような耳障りの良い音を立てたグラス、揺れる液体は目を奪われるほど荘厳な色合い。そして向かいに微笑む大切なひと────
胸を突かれるような至福に包まれ、マイクロトフは一気にグラスを干す。心地良い風味がもたらすだけではない、熱い酔いに捕らわれそうだ。
「……悪くないだろう? 極上の秘蔵品だぞ」
茶目っ気を含んだカミューの問いに、彼はゆっくり頷いた。
「────酔いそうだ」愛しい相手に生を祝福されるという事実に。
彼が傍らにいるという幸福に────「それで────巷ではこういうとき、贈り物のひとつも用意するらしいんだが……」
ふとカミューはそんなことを切り出した。
「……どうもわたしはおまえが何を欲しがるか、皆目見当がつかなかったよ。おかしいな、こんなに長く一緒にいるのに────すまない」
マイクロトフは苦笑した。
女性相手にならばいざ知らず、男に贈る品を思いつかないのは当然だろう。自分とて、カミューに何か物品を与えたいと思っても、物欲のない彼が何を望むかなど到底量りかねる。真剣な表情で陳謝を述べる彼に、マイクロトフは静かに囁いた。
「────わからないか、本当に?」
「……欲しいものがあったかい?」
いよいよ困惑して幼げに顔を曇らせるカミュー。
────こいつは意外にわかっていない。
マイクロトフは優越感を込めて告げた。
「おれが心底望むものはひとつだけ。この一年、おまえがおれと共にあってくれること────それだけだ」
はたと瞬いたカミューは、年下の恋人にしてやられたことに苦笑して、それから窺うように返した。
「……一年間だけで構わないのかい?」
「ああ」
マイクロトフは彼の肩を抱き寄せ、衣服から覗くなめらかな首筋にくちづけを落とした。それから優しく耳朶を噛み、忍び込むように囁いた。
「────また来年……同じ事を望むから」
毎年、生まれ出た日が来るたびに。
それによってもたらされた奇跡に感謝する。
騎士として生きること、そして彼と出会えたこと────
マイクロトフにとって、己の誕生日とはそうした感謝の日となるのだ。
────二度と忘れることはないだろう。
「…………欲がなさすぎるな、おまえは」
やがて弾み出す吐息の合い間に、カミューが夢見るように呟いた。
「────そうか? おれは十分、欲深いぞ…………?」
笑いながら返すなり、マイクロトフはその事実をカミューに確かめさせる行為に没頭し始めた。
窓の外には大きな月。
小さな奇跡を感謝する二人を優しく照らす蒼光が揺れていた────
騎士オンリー時に配布したばかりの品ですが、
事情は配布物の注意書きの通りです(笑)本日、(めでたい年でもないけど)誕生日なので
『あー、そういや誕生日話があったや』と……。配布本では若干修正を入れたのですが、
修正原稿を保存しなかった上に
ブツも手元になかったため、
元を直せなかった……(苦笑)
このあたりもちょっとお間抜け。
お粗末様でした〜。