記念日


静寂に包まれた赤騎士団長自室にて、向かい合う青年騎士が二人。
間に挟まれたテーブルには蜜を溶かしたような色のワインで満たされたグラスが置かれ、周囲を照らす燭台の炎に柔らかく輝いていた。
酒を持ち寄ったのは青騎士団の第一部隊を与るマイクロトフである。先ほどからずっと黙りこくったままで、声を掛けてもまともな答えが返ってこない。赤騎士団長カミューは、やむなくワインを味わうことに専念していた。
沈黙は、だが重苦しくはない。
心を許し合った者だけが醸し出す独特の空気は、心地良くカミューを満たしてくれる。ただ無言で向き合うだけで、穏やかで温かなもので心が埋め尽くされていくのだ。
ひっそりした静けさを肴に芳醇な酒を楽しむ。
目前にはこの世で唯一の愛しい相手。
平凡で、尚且つ贅沢な時間────
ふと沈黙を破ったのはマイクロトフだった。

 

「カミュー……今日が何の日か、覚えているか……?」

 

俯きがちに、照れたような、怒ったような表情で口にした男にカミューは瞬いた。
「今日……?」
はて、とカミューは眉を寄せて小首を傾げた。さっきからのマイクロトフの態度、ワインの差し入れ。想像出来るのは何か特別な日であるが、生憎カミューには思い当たる節がなかった。
「……騎士団領解放記念日……の六日前……?」
「────違う」
「…………そうだ、厩舎で子馬が生まれたと言っていた」
「……めでたいことだが、違う」
「えーと、えーと……食堂で焼肉が出されるようになった日か……?」
「────ふざけているのか、カミュー?」
「い、いや……そういう訳では……」
「おれたちにとって大切な日を忘れるなんて……酷いぞ」
不機嫌極まりない声で責められて、カミューは素直に頭を下げた。
「すまない……どうもわたしはそういうことに疎いらしい。それで、何の日だったかな?」
「今日は………………………………だ」
途端にマイクロトフの勢いは失速した。何やらもじもじと縮こまり、低い声を更に低くさせるものだから聞き取り難く、カミューは身を乗り出した。
「え、何だって? すまない、よく聞こえなくて……」
「だから、今日は」
膝の上で拳を握った男は、頬を染めながら真っ直ぐにカミューを見詰め、生真面目に言い放った。
「今日は……おれたちが初めてむ、む、結ばれて一年目の記念日ではないか!!!」

 

────沈黙。
『結ばれた』というのは、所謂身体の繋がりが出来た日のことを指しているのだろう。マイクロトフの様子から見て、それは間違いない。
だが────

 

「そ……そうだったかな…………?」
「えっ?!」
マイクロトフは眉を寄せ、呆然と呟いた。
「お……覚えていないのか?」
「えーと……いや、その……」
「覚えていないんだな、カミュー!!!」
わなわなと震え出した恋人に、カミューは些かまずいと反省した。
若き頃より多彩な恋愛事情を楽しんできたカミューには、そんな情緒は無縁だった。
流石に初めて肌を合わせた乙女のことは覚えているが、それに至った日付となるとお手上げである。おまけにその後の遍歴と入り混じって、ひょっとするととんでもない記憶違いをしている可能性があるほどだ。
どうやら憤慨しているらしいマイクロトフをそっと見遣ると、彼は拳を震わせながら訴えた。
「あんまりだぞ、カミュー……初めて出会った日、初めて諍いを起こした日、おまえに想いを告げ、初めてくちづけた日……おれはすべて覚えているぞ! なのに……」
ドンと拳で膝を多叩き、首を振るマイクロトフ。
「数々の苦難を乗り越えて、晴れて結ばれた記念すべき日を! おまえは覚えていないのか?!!」
「う…………す、すまない……」
珍しく立場が逆転して勘が掴めず、身を縮こまらせて詫びるカミューに、マイクロトフは口調を緩めた。
「……あ、いや……すまない。そうだな、こんなことを求めても仕方ないことだ……」
「そ、そんなことはないよ」
寂しげに項垂れた男にいっそう焦り、カミューは必死に言い募った。
「……おまえと出会った日のことは、わたしも覚えている」
「騎士試験の日だったからだろう?」
────図星である。
今の自分となる礎となった人生における重大な日を、カミューも忘れることはなかった。だが、その付録であるように聞こえたのだろう、マイクロトフの視線は恨めしげだった。
「あ…………、こ、告白された日も覚えているぞ?」
「────決闘の日だったからな」
「う……………………」
かつてマイクロトフが起こした二代前の赤騎士団長との決闘騒ぎは、騎士団の長い歴史の中でも稀なる事件だった。長らく行われなかった古来よりのしきたりに則り、適した日時を決定する会議には騎士団の要人が総出で臨んだ。
当時赤騎士団の第一部隊長であったカミューも、副長の補佐として作業に加わった。よって、決闘当日の日付は忘れようにも忘れられない。
その夜、初めて想いを打ち明けられて、くちづけどころか、はるか先まで進んでしまったことを思い出し、今更のようにカミューは嘆息した。
あんなムードも何もない、勢いばかりの始まりだったというのに、何故今になってそんな情緒を求めるのだろう。釈然としない。
それはさて置いて、やはりカミューはマイクロトフを愛していた。
二人で歩んだ歴史を、それほどまでに彼が愛おしんでいるのなら、自分も倣おう。肌を合わせた日から一年────

 

────……一年。

 

そこでカミューははっとした。
「……マイクロトフ!」
「な、何だ?」
突然明るい声を上げたカミューに、マイクロトフは驚いたように目を見張る。」
「聞いてくれ! わたしは……これまで一人の人間と一年関係が続いたことがなかった! これは驚いた、正に記念日だよ」
輝くばかりの笑顔で言った恋人に、つられて笑いかけたマイクロトフだったが、すぐに難しい顔になる。
「………………その程度なのか……」
「え……? い、いや……その」
これまで物事に大雑把なのはマイクロトフの方だと信じていた。だが、恋愛に関してはむしろ自身の方が粗雑な考えを持っているかもしれない────カミューは更に猛省した。
「わたしにとって……おまえが特別であることは充分に感じたよ。もう決して忘れはしない、これからは共に記念日を慈しんでいこう」
「カミュー……」
やっとマイクロトフは微笑みを返し、横へやってきて腰を落とした。大きな掌に引き寄せられ、幅広い肩にもたれかかったカミューは、心地良い安堵と満ち足りた幸福に包まれたのだが。

 

「それでは……始めよう」
もたらされた一言に困惑する。視線を巡らせると、男らしい顔が満面の笑みを浮かべていた。
「…………始めるって……何を?」
「それは……無論、一年を振り返る作業に決まっている」
となると、延々と反省会じみた論議を戦わせねばならないのかと思った刹那。
「この一年で会得したものを、すべて試してみようと思う。さあ、カミュー」
「さあ、……って────???」
心底戸惑っている彼に、マイクロトフはにこやかに頷いた。その指先が指し示す先は────

 

────寝台。

 

「ち……ちょっと待て! すべて試すって……おまえ……?!」
「この一年、おれが如何に進歩したか……その身で評価してくれ、カミュー!!!」

 

評価も何も、たいして進歩などしてなかろう───などという抗議をする間もなく、カミューは両脇に手を差し入れられてずるずると室内を引き摺られていく。
「待て……待ってくれ、マイクロトフ!」
「やはり記念すべき日には過去を省みることが必要だと思わないか、カミュー!」
「お……思わない!」
「何を今更……照れなくていいんだぞ!」
「照れているわけじゃない! 待て……おい!!」
「これからの一年のためにも! おれは精一杯に励むぞ!!!」
ただでさえ行為に意欲を示す男が精一杯頑張ってしまったりしたらどうなるか────それは考えるだに恐ろしい。
蒼白になったカミューは身悶え、必死に抗った。だが、マイクロトフはそれをカミューの恥じらいとしか受け取っていないらしい。
「馬鹿だな、恥ずかしがることなど何もない!」
「ち、違………………………………」

 

絨毯に二本の足が引き摺られる跡が残る。カミューは呆然とそれを見遣りながら密かに思った。
確かに自分は初めて肌を重ねた記念日も覚えていない不調法者かもしれない。だが、絶対にこの男よりはマシな筈だ。
────否、誰でもいいから、そうであると言って欲しい。

 

「頼む、助けてくれ〜〜………………」
弱々しい声を上げる赤騎士団長には、この男に惚れてしまった我が身を恨むこととなる記念すべき夜であった。

 


サブちゃんに、
「姐さんらしい一周年話だね★」と言われて
がびーん(死語)。
そ、そうか……やっぱそうか……。

ちらほら自分設定入ってますが
初心に戻ってみただけです。
いや、初心がバカップルというわけでは……
(エンドレス混乱中)

 

企画の間へ / TOPへ