決戦前夜
軍師が定めた時間まで、幾らも残っていなかった。
今宵、同盟軍の運命は決まる。万一この期をしくじれば、おそらく次はないだろう。
そろそろ所定の位置に向かうべく、カミューは自室を出て隣の部屋をノックした。
「マイクロトフ、時間だ。行くぞ」
声を掛けながら扉を開くと、男はベッドに深々と腰を下ろしたままゆっくりと顔を上げた。精悍な顔立ちがやや曇り、どこか苦しげにさえ見える。カミューは眉を寄せて歩み寄った。
「……どうした? 気分でも悪いか……?」
すると彼は微かに首を振った。
二人は指導者である少年と共に、ルカ・ブライトを仕留めるパーティーに属している。僅かな体調の狂いで任を果たせぬ危険を恐れ、カミューは男の横に腰を落とした。
「マイクロトフ」
そっと呼び掛けると、やっと男は彼に向き直った。
「カミュー……おれたちはとんでもない罠にかかろうとしているのではないだろうか……」
ルカ・ブライトを包囲して、一気に決着をつけるはずだった戦略。
しかし、ルカの恐るべき力の前に、敢え無く策は破られた。
ところが、敗走に近い形で本拠地まで戻り、歯噛みする同盟軍にひとつの情報がもたらされた。
今夜、ルカの率いる白狼軍がこの城に夜襲をかけるというのだ。
ただちに軍師は迎え撃つための策を講じた。同盟の精鋭を三つのパーティーに分け、ルカを追い込み仕留めるというものである。
だが、情報の出所が問題だった。
ハイランド側から密告されたこの夜襲に、仲間たちも微かな不安を覚えている。もし罠であったなら、戦力的に傷ついている現在、一網打尽にされてしまうだろう。
マイクロトフの懸念はもっともだったが、カミューは静かに微笑んだ。
「……どうした? 今更臆したわけでもあるまい?」
「必要とあらば、いつでも死地に赴く覚悟はある。だが……犬死には御免だ。おまえはこの策をどう思う?」
必死に見詰めてくる男の心は理解できた。
ルカとの戦いの最中、敗走する同盟軍の寄せ集めの兵士を守りながらのしんがりを勤めたのは、マイクロトフの部下である青騎士団だった。決して少なくはなかった部下の犠牲を前に、初めて軍師への信頼が揺らいでいるのだろう。
「確かに……胡散臭いのは事実だな。だが、軍師殿が言われたように、これだけ絶対的な優位にありながら、小細工をする必要が王国にあるとは思えない。あるいは……王国内部にも我らの感知し得ない思惑が働いているのだろう」
「そうか……そうなのだろうか……」
「……青騎士たちのことは……残念に思うよ、マイクロトフ。けれど、おまえが揺らいではならない。我ら同盟軍にはルカ・ブライトのような圧倒的な力はないかもしれない。唯一、勝機があるとしたら、互いを信じる強い心を持って多くの仲間が集っていることだ。その意志の下に戦うなら、犬死になど有り得ない。おまえがそう信じてやらねば、死んでいった青騎士は浮かばれないよ」
ふと、マイクロトフは瞬いてカミューを見詰めた。それから苦笑めいたものが浮かぶ。
「……おまえの言う通りだ。おれは……おれについてきてくれたばかりに部下を死なせた、そう考えていた。だが、彼らもまた自らの信じるもののために剣を振るい、そして同盟の勝利を信じて逝ったんだな……」
「そうだ。彼らの死を悼むなら、その意志を継ごう。我らの手でルカ・ブライトを倒し、この戦いを終わらせるんだ」
憔悴していたような表情が次第に生気を取り戻すのを見て、カミューはにっこりした。そのまま男の肩に手を掛けて、優しく引き寄せる。マイクロトフは抵抗もなくカミューの胸に抱き込まれた。
「……カミュー……?」
恋人の胸に頭を抱かれ、怪訝そうにマイクロトフは声を上げた。愛しげに黒髪を弄ぶ指先が、男の強張りを解いていく。
「大丈夫だ、マイクロトフ」
カミューは柔らかく囁いた。
「……ルカ・ブライトを倒そう。あの男の狂気を押しとどめ、我らの指導者に勝利を捧げよう。それが宿星の命ずる、わたしたちの役割なのだから」
耳に響く恋人の鼓動に、マイクロトフは安心したように目を閉じた。
そうだ。この恋人と並んで戦う以上、迷いも後悔も有り得ない。
彼と同じものを目指し、同じものを手に入れる……。
微笑んで顔を上げたマイクロトフは、すでに戦う剣士の眼差しに戻っていた。その大きな手がカミューの首筋を掴み、唇を寄せようとする。
しかしカミューは笑いながら男の唇に指先を当てて、やんわりとくちづけを拒んだ。
「……刻限だ。この続きは戦いの後で」
苦笑いながらマイクロトフが頷く。
「……きっとだな? 逃がさないからな」
カミューは羽根のように立ち上がった。
「おまえこそ勝利の美酒に酔い痴れて、高鼾をかいて寝こけないように気をつけろよ」
二人は微笑み合い、集結場所へと歩き出した。
戦いによって積み上げられる多くの犠牲。けれど、彼らの意志は確かに残された仲間の中に生きている。
振るう剣の先に、新たな希望に漲る未来があらんことを。
目指すはただ一つ、ルカ・ブライトの首級のみ。
集まったどの顔にも、決意が宿っていた。
ちょっと余裕のある赤様書いてみました。
そうしたら、そこはかとなく赤青の香りがしました(死)
気のせいですね、きっと。あ、それと今気づいた……
前夜じゃなくて「当日の夜」ですね(笑)
「直前の夜の一幕」ってことで見逃してください(爆笑)