常に彼を包むもの


騎士の誓いを捧げた日より十数年。
胸に燃える火の指し示すまま、誓いを捨てて同盟へと走った。
住処を変えても間近に微笑む顔は変わらなかった。その事実を噛み締める間もないほど、新しい生活は慌しく、そして満ち足りていた。
本拠地である古城は活気に漲り、行き交う人々の表情は戦いの最中にあってなお、輝いている。
何処から流れてきたのであろうか、城には多くの非戦闘員が住み着いている。おそらくはハイランド軍に村を焼かれた流民であろうが、そうした行き場のない無力な民を厭うことなく迎え入れる指導者の気質こそ、剣を捧ぐに相応しい真の王者たるに相応しいものだ。
任を終えて久々に帰城を果たした赤騎士団長は、暮れゆく最後の陽に炎の色に染まった本拠地を眺め上げ、満足を込めて目を細めた。
同行していたフリックが軍師への報告を申し出てくれたので、遠慮なく自室で休ませてもらうことにした────そこには魂の片割れが、自分を案じながら無聊を持て余しているはずなのだ。
考えてみれば同盟に参加して以来、ずっとすれ違いが続いている。彼が任務に駆り出され、ようやく戻ると次は相棒というように、常に別々の役を割り振られている気がする。
まあ、二人が同時に必要とされるような大仰な動きがないこと自体、むしろ喜ばしいことなのかもしれないが。
いずれ、嫌でも同じ戦場に向かうときが来るだろう。
それまでは、とカミューは思う。
────それまでは、我が剣の主人の意思の赴くまま、何処へでも行くさ────。

 

 

「帰ったよ、マイクロトフ」
そう声を掛けながらドアを開けると、すでに早々に寝支度を整えた青騎士団長がベッドから跳ね上がるようにして彼を迎えた。
「カミュー……! 早かったな、戻りは明日だとばかり……」
「ああ、思ったよりも交渉が捗ったのでね」
彼はフリックらと共に、サウスウィンドウの街まで武具の調達に出かけていたのだ。
この城に集う多くの兵士は、まさに寄せ集めといった者ばかり。この先、熾烈になることは必死の戦闘において、身を守るための防具やアイテムの確保は現在の最優先課題とも言える。
大きな戦火の予感がないうちに、出来得る限りの武具の確保をと目論んだ軍師の命に応えるべく、選ばれた数人がもっとも近郊の商業都市であるサウスウィンドウに派遣された訳である。
「……モンスターに襲われはしなかったか?」
歩み寄って真っ直ぐな目で問われ、カミューは苦笑した。
「出たよ、ムササビやウサギがごろごろと」
このあたりのモンスターはマチルダあたりに出没するものに比べれば格段にランクが低い。今更怪我を案じる訳でもないのだろうが、それでも生真面目に確認しようとするマイクロトフの気質は常に変わらない。
「……それより、マイクロトフ────」
カミューは声を潜めて微笑んだ。甘やかな笑みとともに、匂い立つような魅惑が生じてマイクロトフを一気に紅潮させる。
「あ、ああ…………えーと」
彼は無理な咳払いをひとつして、姿勢を正すとゆっくりと手を伸ばしてきた。太く逞しい剣士の腕が、一回り細身の肢体を抱き寄せる。久しぶりに味わう体温は、帰途に疲れたカミューの心を柔らかく蕩かしてくれた。
「……お帰り、カミュー……」
どうも照れ臭いのか、殆ど聞き取れないほどの声で耳元に呟くと、マイクロトフは片腕で彼を拘束したまま、硬い手の平でそっと頬を撫でた。さながら壊れものを手にした振舞いで、滑らせた手を繊細な頤に掛け、静かに覆い被さってくる。
挨拶のような触れ合いの後、唇は燃え上がる情熱のままに激しい交接を繰り返した。息をするのももどかしいほど荒々しく求められ、切なく求め返し、互いの存在を確かめ合う。
「────ん……っ」
洩れた吐息に煽られたのか、マイクロトフは今度はその手の平でカミューの肉体を確かめ始めた。男の手が行き交うたびに、きつく戒められたままの肢体が震える。
だが、カミューもまた突き上げる愛おしさに駆られ、回した両手で男の背を掻き抱いた。引き締まった身体が歓喜に満ち溢れているのが夜着の上からも感じられる。

────どうしてこれほどまでに。禁忌も忘れ去るほどに────

マイクロトフのくちづけが、頬から首筋へと降りるに至って、だがカミューの意識に理性が戻った。
「……待ってくれ」
「────待てない」
「いいから」
身を捩って唇から逃れると、予想通り不満そうな顔をしてマイクロトフは拘束を緩めた。
「…………何故だ?」
「何故って…………」
こんなことを言わすな、と内心深く困惑しながら彼は首を振る。
「わたしは……帰還して真っ直ぐにここへ来た」
「────ああ、だから?」
「……だから…………」
次第に俯きがちになりながら、カミューは消え入る声で続けた。
「っ………………湯を……」
「ゆ?」
「…………湯を使ってくるから」
こんな台詞を口にしている自分も苛立たしいし、察しない男も腹立たしい。これではまるで、情事の前に身だしなみを整えたいと願う乙女そのものではないか。
それでも、幾日もの道程を野宿しながら戻って来た身で、しかも身体の何処かにムササビの体毛がへばりついているような状況でベッドに沈むのは彼としては非常に不本意なのだ。
「……別にいいではないか。おまえの匂いは好きだが?」
平然とそんなことを口にした男に、我知らず頬が熱くなる。
「ば……馬鹿なことを言ってないで、離せ。とにかく、わたしは風呂に行ってくる」
ぐいと力任せに押し遣る彼に、マイクロトフは不承不承といった様子で従った。カミューの機微を怪訝に思っているようだ。やや首を傾げ、それから諦めたように口元を緩めた。
「わかった。それではベッドの中で待っている」
「…………そういうことを当たり前のように言うな、馬鹿」
最後の言葉を口の中で呟くと、カミューはキャビネットから着替え一式を取り出した。
さすがに女性も多い本拠地内を、夜着のままふらふらするのは騎士として見栄えの良いものではない。簡易ではあるが、一応は衆目に耐えられる衣服を小脇に抱え、カミューは部屋を出ようとした。
最後にちらりと振り返ると、嬉々とした様子のマイクロトフがベッドに潜り込もうとしているところだった。久々の恋人との夜への期待に激しく燃え上がっているようだ。
だが、同様に風呂へと向かう自分の足が知らぬ間に早まっていることには気づいていない赤騎士団長であった。

 

 

旅の疲れを流して戻ったカミューは、その部屋が空になっていることに小首を傾げた。
恋人が待っている筈だったベッドの上に、乱雑に投げ捨てられた夜着一式。目線を巡らせると壁にかかっていた彼の騎士服と常に手元から離さない愛剣が消えている。
最初はマイクロトフが夜食でも得に行ったのかと思ったが、粗末なテーブルに乗った一枚の走り書きに気づいた。それは殴り書きのような文字で、短くこう書かれていた。

『ビクトール殿らと風の洞窟にあるアイテムを取りに行くことになった。戻りは不明』

呆然として幾度も読み返しているうちに、おぼろげながらにカミューは察した。
────これは主人の思い遣りなのだ。
名のある身である騎士団長二人に一部屋しか与えられなかったことへの、精一杯の配慮。
おそらくベッドが一つしかないために不自由な眠りしか得られないであろうと慮って、その結果、こうして二人を交互に連れ出しているのだろう。
その証拠に隣室のビクトールとフリックも、常にいずれかが彼らと同行している。同じ理由からだろう。
「……まいったな……」
苦笑混じりに濡れた髪を掻き上げて呟く。新しい主人の心配りを嬉しく思うのと同時に、やや恨めしい気持ちも残るカミューだった。
出来得る限りに急いで戻った自分が愚かしく思え、それでも脱ぎ捨てられた夜着を見れば切なさが募る。ほんの僅かでも触れ合い、互いの温もりを確かめられたことをありがたく思うべきなのだと自分を納得させると、彼はのろのろと着替えを始めた。
マイクロトフの夜着を畳んでやろうと手にすると、それは微かにだが温みを持っていた。本当に入れ違いだったのだ。
不意に衝動に駆られ、愛する男の抜け殻を抱き締める。
仄かに匂い立つマイクロトフの香り────
日差しに洗われたように清潔なそれは、常にカミューを懐かしい苦しさに誘い込む。遠い故郷を流れる風に似た、日向を思わせる乾いた匂い。
抜け出たままに乱れた寝具に触れてみると、そこもまた、どことなく温かみを保っている。
溜め息を吐いて、彼はベッドに潜り込んだ。我ながら笑わずにはいられなかったが、胸にしっかりと男の夜着を抱き締めたまま。

────マイクロトフ……

次に彼が戻ってきたら、そのときは────
今度こそ彼自身の体温で、生じた切なさを埋めてもらおう。
カミューは男の香りに包まれたまま、静かに眠りに落ちていった。

 

 

 

ふと。
人の気配に目が覚めた。
それが慣れた気配であるが故、騎士として培われた自衛の本能が働かない。朦朧とする意識のまま、開かない目を無理に抉じ開けると、目前に一番会いたかった顔が待っていた。
「…………マイクロトフ…………?」
「ああ」

────これは夢、だろうか?
マイクロトフの衣服を胸に、残り香に抱かれて眠っていたことが、都合の良い夢を運んできたのだろうか。

「……おまえ、何故……?」
「────ビクトール殿が、な」
張りのあるバリトンが柔らかに答える。
「……腹痛を起こされたので、戻ってきたんだ。どうやら夜食を取り過ぎたらしい」
「…………………………」
必死に頭を働かせようとするが、一度深い眠りに入ったカミューの覚醒は鈍い。ましてどうやら幸せな夢であれば、醒めたくない無意識の願望が支配する。
「………………会いたかったよ、マイクロトフ」

────どうせ夢なのだ。いつも照れ臭くて言えないことも、口にしても構わないだろう────カミューはうっすらと微笑んで愛しい幻にしがみついた。

「…………おれもだ」
前よりもいっそう強く香る風の匂いに満足して、カミューは再びゆっくりと目を閉じた。そっと抱き寄せられるのを意識の何処かが感じたが、そのときにはもう何も考えられなかった。
苦笑を浮かべたマイクロトフが自らの額に優しくくちづけたのも、彼にとっては夢の中の出来事だった。

 

 

カミューは知らない。
帰還が決まって大慌てで戻ったマイクロトフが、ベッドで彼の夜着を抱き締めて眠りを貪っていた姿に、どれほど胸を突かれたか。
誘惑に耐え切れず、思わず横に潜り込んだものの、半覚醒の無垢な笑みで擦り寄ったカミューに、懊悩を殺すどれだけの労力を要したか。

「────まあ、いいか…………こういうのも」

 

耳元に甘く吹き込まれた響きは、カミューにとって優しい子守唄にしかならなかった。
唯一、何の気構えもなく自らを曝け出せる相手の体臭と体温に抱かれて、赤騎士団長の夜は更けていった────。

 


ある夜、チャットにて
『一人寝の寂しさを紛らわす青赤』という話題が出て、
「書く!!」と宣言なさった夢幻宮のいつき様。
何時の間にか逆パターン二作を
二人で上げることになりました。

いつきさんに止められたので(笑)
一応企画名は「Scent」になりましたが、
心の呼び名は
『匂い嗅ぎ企画』
「一人寝」と「匂い」を盛り込む、とあっては
色物にならないように必死。
途中、独りえっち萌えが通り過ぎたりしましたが(苦笑)
ともあれリリカルに落ち着きました。
ごめんなさい、いつきさん……
あんなに鬼のように「えっちぷりーず!!」って要求しておいて、
奥江は清らかに逃げちゃった……。

という訳で、いつきさんが逆パターンを書かれておいでです。
こちらはとっても素晴らしく萌えます! 凄いです!!

 

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