年越えの鐘


例年、マイクロトフの年末は山のように積もった書類の処理に追われることで暮れていく。
特に今年は映えある青騎士団の第一部隊長に任ぜられたこともあり、さばく書類の数は去年とは比較にならない。
もともとそうした作業の苦手な男である。生来の生真面目さからお座成りな仕事をすることもできず、日がな書類を捲っては溜め息混じりの決裁を施す日々が続いていた。
ふと、一足先に赤騎士団の地位を上り詰めた友を思う。
何事にも万事そつなく対応し、傍目にはさしたる苦労も見せずに日々を過ごしている友。恐らく彼は年内のつとめを全て終え、優雅に年の瀬を迎えているはずだった。
そういえば、いつから彼と顔を合わせていないだろう? 
所属が異なる上に、数日前から自分は部隊長執務室に籠もりっぱなしである。多分、現在の自分の状況を慮って気を利かせているのだろう、赤騎士団長が顔を覗かせたことはない。見慣れた美貌が目の前にないことで、改めてマイクロトフは寂しさを感じていた。
何としてもあと数十分のうちに残務を終えて、友を捜しに行かねばならない。何故なら彼は、今宵小さな望みを持っていたのである。
気を取り直して再度書類に目を戻し、頭を悩ませながら決裁のサインを繰り返しているときだった。軽やかなノックと共に、誰よりも慕わしい白い顔が扉から覗いた。
「お邪魔かい?」
真紅の騎士服に包まれた友は、穏やかに声を掛けてきた。
「カミュー……」
我知らず弾む声を抑え切れず、マイクロトフは机から立ち上がった。
「ああ、いいよ。続けてくれ」
赤騎士団長カミューはさらりと言うと、そのまま椅子の一つを引き寄せてマイクロトフの机の前に腰を下ろした。
「おまえが書類整理に追われていると聞いたので、しばらく遠慮していたんだが……本当だったんだな」
可笑しそうに処理済みの書類を摘まみ上げ、それから首を傾げる。
「……これは先月の日付だぞ? 随分溜め込んだな」
「う…… 。し、仕方がないだろう? 隊長に就任して忙しかったんだ」
「訓練は他の部隊以上にこなしていたようだけれどな」
カミューは苦笑をこらえるような表情で返すと、やや落胆した調子で呟いた。
「……やはり抜けられないか、これでは ……」
「抜ける? 何処か行くのか?」
「ずっと執務室に籠もっていると聞いたから、気晴らしでも……と思って誘いに来たんだが」
マイクロトフは即座に大きく首を振った。
「ま、待っていてくれ! 終わる、終わらせる。おれもおまえを捜しに行こうと思っていたんだ」
「……終わるのか、これは?」
「終わらせてみせる! すまないが、しばらくそこで待っていてくれ」
カミューはその勢いに驚いたように目を見開いたが、すぐにマイクロトフの愛してやまない綺麗な笑顔で頷いた。
「わかった。それではここで応援させていただくよ」
『手伝う』と言わないところが自分への誠意なのだと分かっている。マイクロトフは急いで書類に向き直り、これまで以上に必死に処理を開始した。
カミューはしばらくその様を見守っていたが、やがて防具屋が置いていった新しい武具のリストを見つけ、ぱらぱらと捲り始めた。
室内には静寂が訪れた。時折紙の立てる微かな音がする。言葉もなく、ただ同じ空間に存在するだけで満たされる幸福を噛み締めながら、マイクロトフはひたすらつとめに励んだ。
どのくらい経っただろうか、決裁済みの書類の山を眺めてマイクロトフが大きく息を吐くと、カミューは柔らかく声を掛けてきた。
「終了かい?」
「ああ。我ながら頑張ったと感心しているところだ」
「これからは溜めずに、こまめに処理することをお勧めするよ」
「……進言、耳に痛いな」
マイクロトフは苦笑った。どうしても好きになれない任務が後回しになるのは悪い癖だ。だが、毎年こうして年末に残務に追われているのでは堪らない。いずれ友と肩を並べて団長の座に上ることを目指すなら、この悪癖はどうにかしなければならないだろう。
ともかく、一年のつとめは終了した。マイクロトフはちらりと壁に設えられた時計を一瞥し、それからカミューに目を戻した。
「それで? 何処に行く?」
「期待させてすまないが ……、中庭だよ」
「中庭?」
「机上任務で身体がなまっているのではないかと思ってね」
そう笑って彼は腰に下げた細身の剣の柄を引き上げた。マイクロトフは満面の笑みで答えた。
「……最高の年越しだな、カミュー」
ゆっくりと立ち上がってみると、さながら椅子に貼り付いたように足腰が重かった。友の小さな気配りを心からありがたく思いながら、彼は先になって歩き出す青年騎士団長を追い掛けた。

 

 

勇壮なるロックアックス城も今宵は閑散としていた。
現在残っているのはごく小数の警備の騎士たちだけである。警備に任ぜられなかった部隊の騎士たちは帰省を果たし、家族のもとで、あるいは恋人と共に新たな年を迎えようとしているはずだ。
人気の絶えた城内の一角、よく待ち合わせに利用する中庭で、二人は剣を交えていた。凍てつく冷気の中、冴えざえとした金属音が静けさを破る。
吐く息は白い。それでもマイクロトフは長いこと机に縛られていた日々を払拭するかのごとく奔放に剣を振るった。互いの力量を知り尽くしているだけに、それは勝負と言うよりは心地良い戯れのようであり、また会話のようでもあった。
振り下ろす剣から無邪気に逃げるかのようなカミューの防御。そして予期せぬ位置から繰り出される彼の攻撃を、紙一重で受け止めるマイクロトフの剣腕。決して本気で相手を傷つけようとは思っていないが、それでいて僅かに緊張の走る絶妙のひととき。
凝り固まった身体が解され、次第に気分が高揚してくるのをマイクロトフは感じていた。閉ざされた薄闇の中、生涯唯一と決めた相手と向かい合い、剣によって心を交わす時間。自分を見詰める琥珀の瞳が、穏やかだが熱を孕んでいる。

ふと、激しい感情が沸き起こった。
日頃カミューと隣り合って生きているつもりだった。
だが今、どんなときよりも彼の意識が自分だけに迸っているように感じる。彼の瞳は自分の行動の一切を逃さぬよう、真っ直ぐに自分だけを追っている。それはマイクロトフを感動させるとともに、どうあっても独占することのできない相手への渇望を認識させる事実だった。
唐突に自分を支配した感情のまま、マイクロトフは大きく剣を跳ね上げた。その拍子にカミューの手からユーライアが弾かれた。白光を煌めかせた剣は大地に突き刺さり、ゆったりと揺れた。
「……ひどいな、急に」
カミューは苦笑して肩を竦めた。マイクロトフは慌てて剣を納めると、友の剣を引き抜いて、剣先についた土を拭った。
「す、すまない……つい……」
「いいさ、丁度息が切れてきたところだ。休まないか?」
手渡されたユーライアを鞘に戻し、カミューは艶然と申し出た。
無論、否はない。
中庭に設えられたベンチに並んで腰を落とすと、改めてカミューが口を開いた。
「わたしを探そうとしていたと言っていたな。何か用だったのか?」
「あ、ああ」
マイクロトフは微かに弾んでいる友の息遣いに胸をときめかせながら頷いた。
「実は……部下の一人に聞いたのだが……『年越えの鐘』の伝説を聞いたことがあるか?」
「ファイス寺院の鐘のことか? そう言えば、もうそろそろ鳴り始める時間じゃないかな」
ロックアックスで最も古いこの寺院は巨大な鐘を持っている。だが、その鐘が鳴らされるのはごく限られたときだけで、マチルダ騎士団領がハイランド王国から領土を奪回した記念日と、年末年始にかけての二度が有名であった。
「その鐘の音を、その…… た、大切な相手と共に聞くと、次の年も幸福に過ごすことが出来るという話で……」
戦っているときよりも更に紅潮しながらやっとのことでマイクロトフが呟くと、カミューは一瞬虚を突かれたような顔になり、それからにっこりした。
「へえ……おまえがそうしたことを意識するようになったとはね」
「か、揶わないでくれ、カミュー……おれはこれでも真剣で……それで何としても残務を終わらせて、おまえと一緒に、と……」
「揶ってなどいないさ」
カミューはひょいとマイクロトフの顔を覗き込んだ。相手の顔が真っ赤に染まっているのを見るなり、困ったように笑う。
そこで、最初の鐘の音が鳴り響いた。重々しく、厳粛な響きがロックアックス城を駆け抜けてゆく。
「……何処にでもあるんだな、そうした逸話は」
カミューは笑みながら呟くと、不意に大きく両手を広げてマイクロトフの首に回した。思いがけない突然の接触に狼狽え、じんわりと汗が滲んでくる。
「カ、ミュー ……?」
「グラスランドにも似たような話はたくさんある」
静寂を裂いて耳に届く鐘の音。
「年の変わり目を……大切な相手とくちづけて迎えると、二人は次の年も離れずに傍にいられるそうだ」
マイクロトフはほのかな相手の香りに目眩を起こしながら、目を見開いた。間近の青年は揶揄するような表情で自分を窺い見ている。
「どうだろう、 グラスランドの逸話は……?」
「おれは生粋のマチルダ生まれ、マチルダ育ちだが……カミュー」
彼は疼くような喜びに満たされた。
「今宵は……グラスランド式を実践してみたい気がするんだが」
「奇遇だな、わたしもだよ」

 

冷え始めた身体を引き寄せ、しっかりと両手を重ね合わせた。
この街で同じように視線を交わしながら新たな年を迎えようとしているあまたの恋人たちと同様に、二人は飽くことなく互いを見詰める。それからゆっくりと閉じられた琥珀が合図となり、彼らは遠い西の国の幸福な慣習に身を任せた。
鐘のひとつひとつに祈りを込め、額に、頬に、握った指先にくちづけていったマイクロトフは、最後に温かく濡れた形良い唇に己のそれを合わせた。
次第に深くなる交わりに過ぎ行く年への惜別を乗せ、更に燃え上がる情熱に未来への希望を呼びながら。
尾を引くように最後の鐘が鳴り終えたとき、二人は剣を交えていたときよりも息を切らせていた。
弾む呼気の合間にカミューが囁いた。
「……だいぶ冷えてしまったな……」
それがひどく婉曲な誘いであることにマイクロトフが気づくまで、さほど時間はかからなかった。


 

今頃年越しネタです(苦笑)
本当は更新してから帰省を果たしたかった、と。
今年最初のSSなので、
如何にも小話〜って感じですが……
こんなものでしょう、初っ端ですし。

 

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