の後先 11


「コレット───コレット」
ラスタは膝に突っ伏して泣き伏す少女の髪を優しく撫で、静かに諭し始めた。
「君がエレンを思ってくれるのは嬉しい。親として、こんなにありがたいことはない。だが……君は間違っている」
「どうして? 叔父様だってご存知でしょう? お姉様はカミュー様を心から愛していらしたのよ、結婚出来る日を心待ちにしていらしたのに……」
室内には幼い嗚咽が響いていた。
「……カミューはエレンを裏切ったりなどしていない、誠実に断りを入れてくれた。彼の中でどんな葛藤があったか、それは他人には計り知れぬことだ。恋愛や結婚というものは、当事者だけにしか重みはわからない」
それから、とラスタは静かに続けた。
「カミューが迷いをもってエレンを娶っていたら……それこそ不幸だっただろう。白状するよ、わたしもあの結婚は正直纏まると思っていた。カミューがエレンに好意を持ってくれていると信じていたし、実際そうだったことは間違いないと……今でも思っている」
同意を求める視線に、カミューは深く頭を垂れた。マイクロトフの存在さえなかったなら、乙女は生涯を捧げるに何の問題もない女性であったことは事実なのだ。
「だが、カミューはそうしなかった。それが安易な決断であったとは思わない。コレット……彼の選択を非難する権利は誰にもないよ」

 

今ならば分かる───少女はそれを認めた。
この世では祝福を受け難い恋を抱えていたカミュー、あえて茨の道を選んだ彼を詰るのは誤りだ。それでも涙の滲んだエレンの手紙は、二年にも渡って少女の胸に痛みとなって燻り続けていたのだ。
グリンヒルに来たことは好機となった。従姉妹を捨てた男の顔を一目見て、その誠実を自身の目で確かめる。そうでなければ、終了させることが出来なかったのである。

ひどい男だったら良かった。
そうしたら諦めもついた。上辺だけの礼節に従姉妹が騙され、不幸な結婚をしなくて良かったと笑うことも出来たのだ。
だが、彼の本質を垣間見るたびに失意は募った。
───何故、と。

あんなかたちで事情が明らかとなり、少女なりに決着はついた。
カミューは決してエレンを裏切ったわけではなかった。彼女を大切に思っていたというのも本当だろう。ただ、それ以上に愛しい相手を選び取っただけなのだ。
カミューは間違っていなかった───それはひどい自責を伴った結末であったけれど。

 

「コレット……丁度良かった。実はエレンの結婚が決まってね、ミューズに書状を出したところだったのだ」
「えっ?」
「エレンの君への書状も同封してあった。入れ違いになってしまったようだな」
少女は呆然と叔父を見た。温かな微笑みが頷く。
「カミューほど端正ではないし、カミューほど地位があるわけでもないが……誠実では負けていない騎士団の文官の子息だ。二人は心から愛し合っている。わかるだろう? エレンにとって、カミューは運命の相手ではなかった……ただ、それだけのことなのだ」
初めて聞いた新たな事実に、ずっと胸に残っていた痛みが溶けていくのをカミューは感じた。終焉を告げたときに乙女が零した涙の重み、それは二年を経ても未だ疼く傷だったのだ。
「それは……おめでとうございます」
「ありがとう。正式に婚約するのは来月だ。それから君にも一報しようかと思っていたところだよ」
騎士たちも口々に祝辞を述べた。ラスタは赤騎士団長であった頃よりも幸福そうな笑顔を見せていた。
「お姉様が……結婚を…………」
「そうだ、良い考えがある。君の小遣いをはたいた贈り物をカミューに買い取ってもらいなさい。そしてまた、別の品をあの娘のために選んでやってもらえないか?」
悪戯を思いついたようにラスタが言うと、少女は泣き笑った。
「そう……そうですわね、それがいいかもしれない……」
「どうだね、カミュー?」
笑いながら問うた先代騎士団長に、カミューは穏やかに笑み返した。
「異存はありません」
「よし」
ラスタは大きく溜め息を吐くと、改めて一同に頭を下げた。
「姪がたいそう迷惑をかけた。わたしに免じて、許してやって欲しい」
「いいえ、ラスタ様」
騎士隊長らは即座に首を振った。
「今となっては思い詰めたコレット嬢の気持ちは理解出来ます。お顔をお上げ下さい」
「左様、確かに肝は冷えましたが」
「しかし利発な姪御殿ですな。しかも、カミュー様の落とし胤を名乗るとは……豪胆だ。男子だったら、是非にも騎士団に欲しい人材ですぞ」
「そのことだが……」
副長ランドはずっと不思議に思っていたことを口にした。
「君は何故、歌姫リデアのことを知っていたのかね? 生まれる前の、カミュー様との親密な関係を……」
コレットは小さく肩を竦めて隣に座る叔父を窺いながら白状した。
「二年前、叔父様のお屋敷に遊びに行った際に……書斎で覗き見てしまいましたの。その……カミュー様の女性遍歴に関する報告書を」
するとラスタは仰天して姪を凝視した。
「な……何だって?!」
「ごめんなさい、叔父様。気になったけれど、当時はよく分からない文字もあって……あれ、わたくしがミューズに持ち帰ってしまいましたの」
「ないと思ったら、君が犯人だったのだね! 何ということだ」
頭を抱えるラスタに、一同は首を傾げる。
「すまない、カミュー……身辺を探るような真似を……その、君はとにかく女性に人気があったからね、娘のために間違いがないよう、あれこれと調べて……エレンが後で泣くようなことがあってはいけないと……」
カミューは苦笑した。まあ、当時の自分を振り返れば、入り婿に迎える男の過去を熟知したいという親心は当然のことと納得出来る。
「それはもう、綿密に記されておりましたわ。わたくし、カミュー様が何年何月に何という方とお付き合いしていらしたか、そらで言えますもの」
「それは勘弁して欲しいな……」
ぽつりと呟いたカミューだが、周囲の部下が興味津々な表情なのを見て更に続けた。
「隠匿を希望するよ、レディ」
「……そのつもりです」
頷いて、少女は言った。
「年齢的に合致するのはリデアさんだけでしたの。グラスランドに旅立ってからの消息は不明でしたし、娘を語るにはこれ以上ない女性でした。カミュー様は彼女のことをお聞きにはならなかったけれど……これでも色々と作り話は考えておりましたのよ。もっとも、ボロが出てはいけないと『亡き母の話はつらくて出来ない』という線で押し切るつもりでしたけど」
「偽名を使ったのは、レディ・エレンが君の名をわたしに洩らしている場合を想定して……かい?」
「ええ。ニューリーフ学院で知り合ったお友達の名前をお借りしました」
「やはり策士だね、本当に文官に欲しいよ」
少女は柔らかな声に微かな親愛が戻るのを感じた。
「本当に色々とすまなかった、カミュー」
「いいえ、ラスタ様……お呼び立てするようなことになってしまい、申し訳ございませんでした」
「……こう言っては何だが……当時のわたしの選択も間違ってはいなかったようだ」
「…………?」
「君のため、無償の忠義を守る部下たち───まさに君は選ばれた騎士団長だ。カミュー、いつまでもそのままの君であるがいい。剣と誇り、そして彼らが常に君と共にあることを遠くから祈っている」

 

 

部下たちは椅子から立ち上がり、再度姿勢を正した。カミューもまた、腰を上げた前・赤騎士団長の足元に膝を折り、忠節の礼を取る。
「わたしはもう君の上官ではないのだ。頭を上げなさい」
「いいえ」

もしかしたら、義父と呼んだかもしれなかった男。
彼は凛とした声で言う。

「たとえ任を降りられても……ラスタ様は生涯わたしの上官でおられます。お言葉、ありがたく頂戴致しました。どうかお伝えください、『お幸せをお祈りします』と」

一度は交わりかけ、結局は離れる運命に終った乙女に。
いつの日にも、遠くから幸福を願っている───

 

「ありがとう、カミュー……必ず伝えるよ。さあ、コレット。皆様にお詫びとご挨拶を。一度わたしの屋敷へおいで、エレンと積もる話もあるだろう。それからグリンヒルに送ろう」
「お待ちになって、叔父様」
少女は決然として叔父の前に立った。
「わたくし……もう少しだけカミュー様とお話したいことがありますの。後でお屋敷に伺いますから、どうぞ先にお戻りになって」
「コレット、まだそんなことを……。騎士団長は閑職ではないのだよ、まして今は特に……」
青騎士団が新しい団長を迎えることはラスタも知っていた。それがカミューの無二の親友であることを心から喜ばしく思ってもいる。そんな多忙な時期に姪が引き起こした事態を憂慮すると同時に、頭の良い姪が未だにわだかまりを引き摺っているのかと怪訝に思ったようだ。
「お願い、叔父様……皆様も。とてもとても大事なことですの」
縋るような視線を向けられると、男たちは弱かった。もともと可憐な美少女なのだ。険高い姿勢を崩されると、庇護欲が増す。彼らの視線は一様にカミューに向かった。
「……後ほど、お屋敷まで送り届けましょう。それに」
彼は目を細めた。
「───着替えも必要ですし」
男装したままの姪を一瞥し、ラスタは複雑な顔を見せた。それから何度も念を押すように言う。
「この上、横事を言ったりしたら……尻のひとつも叩いてやってくれ」
「レディの教育には相応しくない気が致しますが」
「なに、独りで騎士団に乗り込んだり、叔父の書斎に忍び込んで報告書を掠め取っていくような勇敢な子だ、レディ扱いなどしなくて構わんよ。それに今はどう見ても娘というよりは少年だし」
嘆息しながらぼやく彼に空気が和む。団長職の器ではないと自嘲し続けた男の、これが真の価値だったのだとカミューは思った。
「それではポーリーン……いや、レディ・コレット。わたしの部屋で話そうか」
「ええ、カミュー様」
命じられた第七隊長がラスタを送り出すのを見送ってから、カミューは静かに少女を促した。

 

コレットの話の予測は当然ついていた。

 

 

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青を除いて円満解決。
お嬢はその後ニューリーフ学院で、
邪ニナあたりと出会ってたら
学院生活バラ色でしょう(笑)

次で(一応)最終回です。
青の行動を予想しながらお待ちをv

 

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