IMENEZ 


凍てついた小さな唇が、初めて笑みを浮かべたあの日から────

彼の笑顔を守ることだけを願っていた筈なのに。

 

 

 

ロックアックスでも有数の名家の出であるマイクロトフが、父と共に幼いカミューを見つけたのは十二年前のことだった。
そこに何が起きたのか、多くを語らぬカミューからは知る由もなかった。ただ、血溜まりの中に倒れていた小さな子供の鮮烈な記憶は、マイクロトフにひとつの信念を植え付けた。

────傷つけまい、脅かすまい。

幼い心に深い傷を残したであろうカミュー。
寝食を忘れ、言葉さえ失っていた彼が初めて心開いて笑顔を見せたときから、それはマイクロトフにとっての聖域にとなった。
やがて成長した彼が過去の傷を乗り越え、マチルダ騎士として上り詰めて横に並ぶようになり────それが庇護という感情ではなくなってからも、ずっと。
カミューは侵し難い透明な存在だった。
心に沈む重く激しい感情に気づくことなく、傍に存在する彼に、日々苦悩は積み重なった。

触れてみたい熱情に、抱き締めたい渇望に。

────それを押し殺し続けたのは、ただ彼が大切だったからなのに。

 

わかっていた。
溢れ返る想いの泉が、すでに限界を越えようとしていること、守るべき笑顔を壊してでも────醜い願望に流されようとしている自分をも。
どれほど彼から目を逸らし、差し伸べようとする手を戻しても、彼へと向かう止まらぬ望みを。
そして────

 

その果てにくる痛みさえ。

 

 

 

 

「マイクロトフ、私だ────入るぞ?」
ノックと共に扉を開けたカミューは、すぐに怪訝な声で呟いた。
「なんだ、明かりも点けていないのか?」
ソファに沈み込んだマイクロトフは無言のまま彼を迎えた。カミューは手にしていたトレイを置きながら揶揄する。
「下で皆が心配していたぞ。何があったか知らないが、折角三月ぶりの里帰りなんだから……」

 

そう────お前は知るまい。
薄暗く澱む俺の想いなど。

 

昼間、屋敷の庭の巨木の下で、眠るカミューを見つけた。屋敷内で見失ったときは、大概そこを探せば彼はいた。
マイクロトフの知らない記憶がそうさせるのか、カミューにとってその場は心安らぐ一角であるようだった。
書物を胸に乗せたまま無防備に寝息を吐く彼を、昔ならば心穏やかに見守れた。痛ましい過去に苛まれることなく、静かな眠りに包まれるカミューを、心底愛おしく見詰められた。
だが、次第に想いは変質した。
無垢な寝顔を晒す彼に、疑いも不安も持たずに平安に身を委ねるカミューに、焦燥にも等しい胸苦しさを誘われるようになったのだ。
今日もまた、気づけば柔らかな髪に触れていた。指の隙間をさらりとすべる絹の手触り、閉ざした睫毛が作る陰影。微かに開かれた唇から零れる吐息に引き寄せられ、くちづけようとしている自分がいた。
殆ど触れ合うほどに唇が近づいたとき、マイクロトフを引き止めたのは一片の理性。
『家族』として過ごした長い年月、今はもうただ一人そう呼べるカミュー。その想いもまた嘘ではないのに、いつしかそれを凌駕した暗い感情。
温かい情愛も、煮え滾る激情も、共に『愛』であるには変わりがないのに────

 

おそらく閉じこもったマイクロトフを案じて、様子を窺う役を担ったのであろうカミューは、黙し続ける彼にゆっくりと歩み寄ってきた。
「お前……本当にどこか具合が悪いのか?」
忍び込むような慰撫の響きとともに差し伸べられた掌を、咄嗟に弾いていた。その反応に戸惑い、幼げに瞬くカミューに均衡が崩れた。
マイクロトフは彼の腕を掴み、手荒にならぬよう引き寄せる。
「え?」
寄せられた唇に、清潔な瞳が見開いた。

 

────遠くで警鐘が鳴っていた。
傷つけてしまう、引き返せなくなる────

 

触れた唇は甘く、顔を埋めた胸の鼓動は温かかった。
「マイクロトフ……?」
そのくちづけが家族の親愛を超えたものであることは察しただろうが、未だにマイクロトフの行動を把握しきれずにいるような困惑した声が問う。
「カミュー……」
マイクロトフはシャツの裾から忍ばせた掌を肌に伝わせることで己の意思を告げた。刹那、はっきりと強張る彼に、祈りにも似た言葉を与える。
「頼むから……逃げてくれ」
はだけた袷から覗いた鎖骨にくちづけた。
「自分ではもう────止められないから……」

 

想いを止めるには、あまりに彼は愛しすぎて。

 

カミューがどんな顔をしているのか、マイクロトフにはわからなかった。ただ、長い沈黙の後、彼のしなやかな両腕は胸元のマイクロトフをきつく抱き締めた。
「カミュー?」
思いがけない反応に呆然としていると、唇が頬をかすめた。
「────おまえの思う様にするといい。私はおまえのものだから」

 

穏やかに、だが凛として言い切った声。
────血が沸き立った。
まるで何でもないことのように身体を差し出そうとするカミューに対して。そして、それでも彼を抱こうとしている自分に対して。
ゆっくり抱き倒したカミューの眼差しには、マイクロトフを責め立てるような一切が感じられなかった。
血溜まりから救い出された恩を、傷を癒した優しい日々を、カミューが忘れようはずもない。その負い目に付け込む真似をしている自分の醜さ。厭いながらなお止められないこの感情を、恋と呼ぶことすら躊躇われる。
カミューの胸に深々と刻まれた痛ましい傷跡にくちづけた。この傷から流れた血が幼い肉体から体温を奪い、ゆっくりと命が失われようとしていた長い時間に、彼は何を思っただろう。
恐怖か、あるいは哀しみか。
彼が生き延び、ここに在ることに祝福を込め、マイクロトフは幾度もそこに唇を落とした。カミューはその心を察しているのか、微かに震える腕でしっかりとマイクロトフを抱き返しながら、くぐもる喘ぎを押し殺す。
「カミュー……」
やがて伸びやかな下肢を抱え上げ、封印してきた想いのすべてを捧げたとき、カミューは声にならない悲鳴を上げた。それまでよりも、いっそう強く縋り付く腕に悔恨混じりの愉悦を覚え、マイクロトフもまたしっかりと彼を抱き返す。
束の間の情熱は炎となって吹き荒れて、静かに薄闇に溶けていった────

 

 

 

 

軽く衣服を纏い、ベッドの端に腰を落としたマイクロトフは、眠るカミューに目を落とした。
────そっと胸の傷に触れてみる。カミューの目許にはまだ涙が流れていた。
「逃げてくれればよかったんだ……」
彼は自分を差し出してまでマイクロトフの心を宥めようとした。だが、そんな優しい慰撫を与えられてなお、醜い欲望が止まらない。
多くを望んだつもりなどなかった。
ただ────傍にいて、笑っていて欲しかっただけなのに。
「カミュー……」
眠るカミューにくちづけ、そのまま冷えた頬を包みながら額を重ねる。
どんなことをしても許されまい。
彼を傷つけ、裏切った罪は────

 

「────何を泣いている……マイクロトフ?」
ふと。
静かな声が囁いて、マイクロトフは己の頬に当てられたカミューの両手に支え上げられた。
そのとき、初めて彼は自らが涙していることを知った。見下ろす白い貌に雫が落ち、すべらかな頬を流れ落ちてゆく。
「……好きなんだ、カミューのことが」
この世の誰よりも。
────何よりも大切だったのに。
欠片だって傷つけたくはなかった、それが真実でもあったのに。
「なのに、俺は────」
胸を突き破る痛みに耐えかねて、それでも救いを求められるのは傷つけた相手しかいない。マイクロトフはカミューに覆い被さった。
────けれど。
「私も……お前が好きなんだよ?」
押し退けられることを覚悟していた彼は、そっと背に回された腕の優しさを感じる間もなく紡がれた言葉に息を止め、即座に顔を上げた。
「え……?」
男らしい双眸から溢れる涙を見上げるカミューは、これまでと変わらぬ優しい笑みをたたえていた。

 

「言ったろう? 私のすべてはお前のものだと」

 

それは────
救われた負い目ではなく、感謝や慰撫でもなく……?
幼い頃に繋がれた手は、時を経て、かたちを変えながらも離れることなく育まれたのだろうか?
短い言葉に宿る意味を、静かなばかりの綺麗な微笑みを────信じてもいいのだろうか。

 

この感情は恋と呼ぶには激しすぎる。
けれど、飢える程の激情もまた恋なのだ。
信じてもいいだろうか、カミュー……?
多分、きっと────

 

ここからまた始められる────と。

 

END


人様の設定(しかも視覚から入るもの)を
SSにするというのは新鮮な楽しみです。
ちと真面目な話をするならば、
文字で延々と描写しても
ひとつの絵の表情に遠く及ばないと
思うことが多々あります。
よって、奥江は漫画描き様を
非常に尊敬しているのです。
出来るなら漫画を描きたかったくらいに。

漫画の持つ独特の『間』とか『空気』というものは、
余程熟練された筆でなければ再現など
不可能だとわかってはいるのですが、
敢えて無謀に挑戦。
だって楽しいんだもん(笑)
奥江がいただいたイラストに駄文をつける衝動も
絵への憧れからきているものなのですv

滅多にない機会を与えてくださった
森北里様とサークルメンバーの皆様には
改めて感謝致します〜。

 

続いて
原作者・森様の御言葉(原文通り)。

この度はわたしのつたないまんがを、
奥江さまの手によって
見違えるようなうっとり青赤v話に大変身させて頂き、
ありがたすぎて罰があたりそうです。
真面目に牛乳パックをリサイクルにだしていたら
ご褒美に再生紙で家一軒建ててもらった心境
とでも言いましょうか…(意味不明)

これからも今回の身に余る光栄に奢ることなく、
日々奥江さまのおっかけに磨きをかけ、
奥江さまの青赤に踊らされたりする所存です。
本当にこの度は、ありがとうございます〜〜
(感涙むせび泣き)

 

何か、『牛乳パック』あたりに
関西人の真髄が感じられました(爆笑)
ノミもどき青のGifアニメ、見たかったです〜(笑)
ついでに、お話の続き描いてください(鬼)
お怪我療養中にコメントお願いして
すみませんでした〜+ありがとうございました!
聖母(注・マドンナと読んではいけない)な赤が
書けるとは……もう二度となさそうです(笑)
ところで。
……最後まで伺えなかったんですが……
タイトルの意味ぷりーず(爆笑)

 

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