ロックアックス城東棟にある青騎士団長執務室では、先程から終課の儀が執り行われていた。
これは文字通り一日のつとめの終了を宣言する場で、在城する騎士隊長級以上の位階者が招集される。同じ参加者らによる中央会議よりは簡易な閣議となっており、その日の反省や明日以降の任の確認を為す報告会的な意味合いが強い。
幸い領内が平穏に保たれていることもあり、ここ数日は取り立てて沙汰される議案もない。それでも、団長譲りの生真面目気質を持つ青騎士隊長たちは、言葉を尽くし、ささやかな案件を捻り出しては儀礼の場を重々しいものに仕立てようと心を砕く傾向にあった。
城の石垣の僅かな損傷、部隊で新たに購入した訓練用の模擬刀までをも事細かに報告する騎士隊長たち。漸く発言が回ってきたとき、第一隊長メルヴィルはちょうど欠伸を噛み殺したところだった。
隊長職では青騎士団中の最高位、様々な形で青騎士の模範となるべき男は、自然注がれる仲間の緊張の注視を軽い一瞥で往なし、眼差しよりも冷ややかに切り出した。
「第一部隊、本日も平穏無事に任を遂行。明日は非番、明後日三時下をもって任務復帰、以上」
副長ディクレイが微かに首を振る。日毎繰り返される退屈な儀式に、いつかはメルヴィルがキレるだろうと予想していたような面持ちであった。
主君と仰ぐ青騎士団長の日頃の言動で十分過ぎるほど鍛えられている副長の忍耐は、部下の多少の無作法如きで動じるものではないらしい。代わりに小声で進言したのは第二隊長であった。
「メルヴィル殿……そのう、もう少し何かありませんか。それではあまりに……」
「あまりに、……何だ?」
にこやかにメルヴィルは問い返す。だがその笑みは、仲間の騎士隊長らにとっては突き付けられる剣であるかのようだ。たちまち竦む男のうち、一人が意を決したように進み出る。
「つまり、僭越とは存じますが、一日の報告にしては些か簡易に過ぎるような……」
「そうか、簡易か」
勇気を振り絞ったばかりに真正面からメルヴィルに見詰められた気の毒な騎士隊長は、些か硬直気味に背を正した。
「この平時、そうそう報告する事案があると思うか? こうした集まりは手短に済ますに越したことはない。これまで耐えて付き合ってきたが、この調子では、雪が降れば巡回の途中に子供が雪合戦で怪我をしたのを見ただの、春になったら城の軒に燕が巣を作っただの、終課の儀は際限なく間抜けな儀式に成り果てるぞ」
「メルヴィル……幾ら何でも、それはまた大袈裟な」
副長ディクレイが肩を震わせて口を挟んだ。立場上、極論的な暴言を諫めねばならないのだろうが、どうにも笑いが先んじてしまうらしい。
「だが……そうだな、メルヴィルの言にも一理ある。このところ、要報告の域に達していない意見も多いとわたしも感じていた。今後は各人、案件の重要性を鑑み、端的に発言するということで……如何ですかな、マイクロトフ様」
「…………」
「マイクロトフ様?」
本日初めて発言を求められた青騎士団長は、重ねての呼び掛けにも拘らず、何処か遠い目をして考え込んでいる。訝しげ、あるいは心配そうに見詰める騎士たちの瞳の中でメルヴィルだけは愉快の色を隠さなかった。
「マイクロトフ様っ!」
業を煮やした副長が執務机を叩くと、そこで漸く我に返ったという様子で、逞しき青騎士団長は慌てて座り直した。
「あ、ああ。そうだな、長い会議はおれも苦手だ。案件は選んで貰えるとありがたい」
「……一応は聞いておられたようですな。お気持ちは分かりますが、もう少し身を入れて臨んでいただかねば」
副長ディクレイの対・上官への小言は茶飯事だ。そして、申し訳なさそうに頭を掻く青騎士団長の姿も騎士らには見慣れたものである。たちどころに場の空気は和らぎ、その後は滞りなく儀礼を終えた。
次々に退出していく騎士隊長の波に倣おうとしたメルヴィルであるが、ふと起きた背後の慌ただしい気配にゆるゆると足を止めた。肩越しに振り返ると、執務机から解放されたマイクロトフが副長に頭を下げているところだった。
「では、ディクレイ。後を頼むぞ」
「……外出なさるのですか?」
短く問うと、ディクレイが笑いながら頷いた。
「たまには外で、一人で夕食をお取りになりたいそうだ」
それから、はっとして続ける。
「マイクロトフ様……よもや献立に悩んで上の空になっておられたのではないでしょうな?」
「そういう訳では……」
苦笑して、だが気が急いているのか、マイクロトフはそれ以上語らずに机上の書類を隅に寄せている。整理整頓を強要する副官に一応は配慮しているようだが、あまり成功しているとは言い難い片付けぶりだ、メルヴィルはそう評価した。
そのまま執務室を出て、扉の脇に立ち尽くして待つ。程無くして突風のように飛び出してきた青騎士団長に、彼は小声で囁き掛けた。
「着替えくらいはなさるべきですな。それに、佩刀も芳しくない。無用な刺激は避けた方が宜しいかと」
弾かれたように立ち止まったマイクロトフは、唖然とした表情で凝視してきた。
「……え?」
皮肉屋で、たいそう底意地の悪い青騎士団・第一隊長は、珍しいほど明るい笑顔を向けながら後を続けた。
「御存知ないかもしれないが、あのあたりはロックアックスでも稀なる治安の悪さを誇ります。団長お一人で行かせるのは部下として憚られる。謹んで御供致しましょう」
その瞬間、上官の顔に過った動揺と困惑を見たメルヴィルは、退屈な会議に耐えた褒美を貰ったような心地であった。
本日も平穏無事、と報告では言い切ったメルヴィルだが、実はまったく平穏ではなかった。
───赤騎士団長カミューが城下の娘を見染め、連日通い詰めている。
朝の訓練後に配下の青騎士が小声で噂に興じているのを耳聡く聞きつけた彼は、捕虜の尋問も斯くやといった冷徹で全貌を明かすよう強いた。
上官を尊敬してはいるが、同じくらいに恐れている青騎士の陥落はあっという間だった。彼らは半泣きで、『小耳に挟んだだけなのだけれど』と但し書きを付けた上で情報を提供したのである。
数週間前から、殆ど連夜のように赤騎士団長は街で食事を取っているらしい。まあ、これは平時の現在、取り立てて騒ぐことでもない。外に出るのが億劫なだけで、城の食堂に飽き気味なのはメルヴィルも同じだった。
ただ、この行動を快く思わぬ赤騎士がぼやいているのを部下たちが耳にしたようなのだ。即ち、行き付けの店が決まっている、それもカミューに似合わぬ下賤な安酒場で──この一節、赤騎士団長の名には『気高き』や『麗しき』が付属していたと言う──、忌ま忌ましいことに店の酌婦が美しい娘で、これが彼の心を捕えたらしい、噂はそう告げていた。
そこまでくるとメルヴィルは考え込んでしまった。
出所が赤騎士というあたりが穏やかではない。彼らの自団長への傾倒ぶりは、他二騎士団のそれとは若干色合いが異なる。側近く仕える者ならばともかく、末端の平騎士がぼやきに興じている事態は只事とは言えないだろう。
メルヴィルの疑問は、何故それが平騎士間の噂などの形ではなく己の耳に届かなかったのかという点、そして何よりも噂の焦点そのものであった。
他人に関心の薄いメルヴィルにとってさえ、赤騎士団長カミューは一目置かずにはいられぬ人物だ。たとえそれが当人には不本意であろう『男にしておくには勿体無い美人』や『見てくれに騙されたら大火傷する』といった評価であっても。
特に後者は、多くの人間が目を眩まされる優しげな容姿に潜む苛烈を、メルヴィルなりに賛美したものだ。それは同時に、そんなカミューの内面を理解して対等に付き合う自団長マイクロトフへの賞賛も含まれていたかもしれない。
ともあれ、普通ならば聞かなかった振りをするのが騎士の礼節といったところを、彼は情報をマイクロトフの耳に入れるよう部下に命じた。
無論、青騎士らは蒼白になって固辞した。両騎士団長同士の親密は騎士の誰もが知っている。もし噂が真実ならば、カミュー自身がマイクロトフに伝えるのが筋だとでも考えたのだろう。だが、結局は上官の威圧には勝てず、渋々ながらに任を果たしたようだ。
今日一日、青騎士団長は実に分かり易い反応でメルヴィルを楽しませてくれた。一応は普段通りを装おうと努めているようではあるが、何処かそわそわと落ち着かず、考え込む姿が見られたのだ。
そして唐突なる夜間外出。これはもう、あまりにも予想通りの行動で、思わず笑みも零れるメルヴィルなのだった。
「あ、ええと……メルヴィル、それはどういう……」
青くなったり赤くなったり、慌ただしく顔色を変えている青騎士団長にメルヴィルは悠然と応じた。
「場所は調べておきました。ともかく、着替えておいでなさい。出来るだけ目立たぬ貧相な服装が宜しいかと。後程、城門でお会い致しましょう」
「その、おまえは……」
泡を食ったように尚も言い募ろうとする男を軽く制し、青騎士団・第一隊長は満面の笑みを浮かべた。
「そうそう、団長の夜食を用意させておきましょう。御親友の『女』を検分しておられては、とても食事は喉を通らないでしょうからな」
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