美しき思い出


グラスランド領、ミリトの村。
騒動の渦中に投げ込まれたこの村で、数人の仲間と共に戦ったのは数日前のことである。
青騎士団長マイクロトフは深い溜め息をつきながら窓の外に広がるのどかな眺めから目を逸らした。
騎士団を離反して新同盟軍に参加し、デュナン大戦を勝利したことを誇らしく思ってきた。けれどその一方で、戦いは暗部をも生み出したのだ。
マチルダを脱出した白騎士が盗賊団を率いて起こした騒動を納めたものの、感謝どころか冷淡な眼差ししか与えられない村。それでもここに今も留まっているのは、ひとえに負傷した赤騎士団長カミューを慮ってのことだった。
二人を招き入れたのはカミューの幼馴染みという可憐な乙女。マキという彼女こそがマイクロトフを気鬱にさせているのである。
カミューはマキを庇って負傷した。それは騎士として、まして乙女を格別気遣う質である彼からすれば当然の行動であった。もし逆の立場なら、マイクロトフもマキを救うために自らを盾にしたに違いない。
ただ、彼の本能に警鐘が鳴っているのだ。
久々に再会した幼馴染み、それも清楚で可憐な乙女。
マキを見詰めるカミューの眼差しには紛れもない好意があるし、マキは言うに及ばない。献身的な看護、熱っぽい瞳を見ていれば、幾ら機微に疎いマイクロトフであっても瞭然である。
カミューと情を交わしてから幾年になるか、その情愛は疑うべくもない。けれど、やはり恋人として二者択一すれば男よりは女、天の摂理を思えば気鬱は進む。
この家で過ごすうちに二人の親密ぶりは増すばかりである。最初は余所行きだったカミューの口調もだいぶ砕け、ここ数日は夜遅くまで居間で語らう二人の姿があった。
当たり前の配慮として寝室は分けられているし、変わらぬ想いを確かめ合うすべもない。マイクロトフは再度重い溜め息を洩らして黒髪を掻き毟った。
そろそろ二人が村の医師の許から辞してくる刻限である。診察で問題がなければ、すぐにでもロックアックスに向けて出立したい、そう彼は考えていた。
やがて玄関口で物音がし、扉は開かれた。カミューは自らの寝所にあてられた部屋に忍んでいたマイクロトフにやや怪訝そうな顔を見せたものの、すぐに艶やかに微笑んだ。
「どうしたんだい? ぼんやりして」
何気ない響き、そこには何ら変わるものはない。馴染んだ情愛の気配が窺える。安堵している己を恥じながらマイクロトフは切り出した。
「加減はどうだ?」
「順調だよ」
カミューは上着を脱いで向き直る。
「そろそろロックアックスが恋しくなったかい?」
軽い揶揄に神妙に頷く。
「出来ることなら早々に戻りたい」
すると彼はいよいよ驚いたように目を見開いた。
「……本当に里心がついているのか? 意外だな」
マイクロトフは目を伏せて、幾度も躊躇しながら零した。
「おまえとマキ殿を見ているのが、どうにも……」
「マキ?」
「愚かしいと思うし、恥ずべき感情だとも思う。だが……、正直に言おう。おれはおまえたちが親密にしているのを見るのが辛い」
意表を衝かれたようにカミューは瞬き、着替えの手を止めた。
「マイクロトフ……?」
「マキ殿はおまえにとって大切な人なのだろう?」
「幼馴染みみたいなものだからね」
「マキ殿にとってもそうなのだと思う。村中を敵に回すのを覚悟でおれたちを家に招いてくれた。何もかもおまえのために違いない」
カミューが首を傾げるのを見てマイクロトフは嘆息した。女性から好意を寄せられることの多い男は、かえってそれに気づかないこともあるのだろうか、と。
「おれは浅ましい懊悩を……。もし……もし、おまえがマキ殿に心を移したら………そう思うと……」
そこでカミューは吹き出した。深刻な心情の吐露には不似合いな朗らかな笑いに、一瞬むっとして睨み付ける。
「何が可笑しい? おれが嫉妬したら変か?」
「変、というより……」
くすくすと笑い続けながらカミューは言った。
「いいかい、マイクロトフ? 分かっているとは思うが、わたしは好んで男を愛する人間ではない。それは今でも言えることだ」
ぐっさりと突き刺さる言葉の刃に放心しかけたマイクロトフだったが、彼は明るく言い募る。
「選んだ相手がたまたまおまえだっただけ……生涯の選択をやり直そうとは思わないよ。まして続けて男なんて……冗談も休み休みに言ってくれ」
「…………………………?」
前半の主張には感激を掻き立てられたが、後半がいまひとつ理解出来ずに眉を寄せる。
「続けて……男?」
カミューはふと小首を傾げ、それから思い至ったように掌を打った。
「そう、男。……ああ、そうか。そういうことだったんだね」
「だから何の話だ?」
「マキは男性だよ」

 

 

それは天地が逆転するほどの衝撃だった。
いっそ心変わりしたと告白された方が納得出来たかもしれない。丘に上がった魚の如くパクパクと口を開閉する男にカミューは更に付け加えた。
「気づかなかったのか。確かにマキの女装は堂に入っているし、無理もないかな……。時々、胸の詰めものがズレていたんだけれどね」
「詰めもの───」
無意識に復唱して必死に思い出そうと努めるが、如何せん想像どころか思考が麻痺してしまっている。それでも何とか搾り出した声は掠れていた。
「だ、だが……おまえはマキ殿を女性として遇していたぞ? 『彼女』とも呼んでいた!」
「だってしょうがないだろう?」
彼は肩を竦めて苦笑した。
「昔からそうだったんだ。男扱いすると蹴りが飛んでくる。恐ろしくて、とてもじゃないが言いなりになるしかなかったよ。そのうちに慣れてしまって……女性として見た方がずっと楽だし」
そういう問題か、と言い掛けて口籠る。
「し、しかし……そのように複雑な人物と……おまえは夜毎楽しげに語らっていたではないか」
まあね、とカミューはしどけない吐息を洩らす。
「語らっていたというか、詰問を受けていたというか……」
「詰問?」
そのときだ。
恐ろしい勢いで扉が開いて、くだんの乙女もどきが乱入してきた。
「カミュー! あなた、やっぱり……バラしたわね〜!」
声音といい、容貌といい、やはり女性にしか見えない。マイクロトフは混乱の境地に立たされた。
「ひどいわ! マイクロトフさんには旅の中で出会った乙女として、美しい記憶に残る筈だったのに……裏切者〜!」
「いいじゃないか、別に……」
うんざりした調子で首を振ると、カミューは苦笑った。
「たとえ性別は男でもマキは美人で可愛いと思わないか、マイクロトフ?」
やんわりと場を納めに掛かる彼に乗る以外にマイクロトフの取る道などなかった。
「そ、そう思います……マキ殿」
「あら、……嬉しい」
可憐に頬に手を当ててマキは微笑んだ。
「でも、わたしはよりいっそう綺麗になりたいんです。だからこの機にあれこれ教えてもらおうと思ったのに……カミューったらまるで不真面目なんですもの」
「あ、あれこれ……?」
そう、とマキは恥じらいながら答える。
「どんな銘柄の石鹸を使ったらそんなに肌が艶やかになるのか、とか……何だか良い香りがするけれど香水は何を愛用しているのか、とか」
「使っている石鹸は城の備品だよ、そこらに出回っている安い品。香水など買うくらいなら、毎食のデザートにプリンをつける方が良い」
丁重に答えるカミューにマキは大きく首を振る。
「……と、この調子なんです。卑怯でしょう、カミューは美貌の秘訣を他人に分かつのが嫌なんだわ。マイクロトフさん、ご存知ありません?」
すっかり魂を抜かれているマイクロトフは虚ろに返した。
「確かに城に置いてある石鹸は安物ですし、カミューは香水よりもプリンを好む男です……」
するとマキは悔しげに唇を噛んだ。
「そうすると……食事かしら、それとも適度な運動……? いいわ、カミュー。見てらっしゃい、次に会うときは絶対にあなたの肌を超えてみせるわ!」
鼻息も荒くズンズンと部屋を出ていく姿に、ほんの少しだけ同性の匂いを感じるマイクロトフだった。

 

彼は思う。
最愛の想い人の故郷グラスランド。
都市同盟領内では未だ知られざる神秘の草原と囁かれる土地には、斯くも不可解な嗜好が蔓延っているのか。
ならば、たとえ男二人で睦まじく暮らそうと奇異の眼差しを向けられることもないかもしれない。
騎士団での役割を果たし終えたあかつきには、この地に住まうのも悪くない───ような気もするが、やはりマキのような正体不明の人物が大勢存在するとなると、幾許かの不安が残る未来設計でもある。
思案に暮れて頭を抱える彼の横、意外な大らかさを発覚させた美貌の人は、さっさと健やかな眠りに落ちていた。

 


外伝2プレイ中、
「何か胸がズレてないか?」と
思ってしまっただけの話。

 

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