「いったい何故こんなことに……」
今宵の宿を借りた屋敷の一室。何度目か分からない呻きを洩らした男に一同の暗然たる視線が注ぐ。
「ふ、不運でしたね、マイクロトフさん……」
「止めたのに聞かないからだよ、自業自得だね」
主君の慰めも悲しく、魔術師の非難もまた悲しい。
若い身空で総ハゲと化してしまった青騎士団長はツルツルと輝く頭を抱えて唸った。
マイクロトフの悲痛な報告によれば、敵は『ふさふさ』と称される魔物だった。攻撃力は低く、歴戦の勇士たちには所謂雑魚として認識されている魔物である。ただ、通常の数倍はあるかと思われる巨体を持ち、忌まわしくふさふさと揺れながらマイクロトフに向かってきたのだという。
無論、一閃しようと試みたのだが一瞬速く敵は閃光の攻撃を仕掛けてきた。目が眩み、倒れたときには頭髪が消滅していたという訳だった。
「ううむ……何て恐ろしい特殊攻撃だ……」
フリックは腕を組んで嘆息した。
色々な意味で恐ろしい。ただものではない。どうやら今回の事件には、その魔物が大きく関わっている予感があった。
「これからは敵を『ふさふさグレート』と呼ぼう」
「あ、いいですね。それでいきましょう」
ウィンは手を打って、それから義姉に目を向ける。
「ナナミ、いつまでも泣いているんじゃないよ」
「だ、だって……」
端正な赤騎士団長に縋り付いている少女は肩を震わせて首を振った。
「だって、…………」
「分かります、ナナミ殿」
宥めるようにナナミの背を叩いたカミューは引き攣った面持ちでマイクロトフを一瞥した。即座に背けた顔は必死に感情を押さえている。
「あれを見れば誰だって……わたしとて涙が零れそうです」
確かにナナミは泣いていた。可笑しさに耐え切れず、笑いを堪える苦しさのあまり泣き続けているのである。
「それで……これからどうする?」
最もマイクロトフに同情的に今後の方針について切り出したフリックの言葉に、漸く一同は我に返った。
「そ、そうですね。いつまでも泣いたり笑ったりしてる場合じゃない。本題に戻りましょう」
「ウィン殿! お、おれの髪は……おれの髪は元に戻るのでしょうか?」
「落ち着くんだ、マイクロトフ。己の被害のみに拘わってはいけないよ……無理かもしれないけれど」
やんわりとカミューが諌め、冷静な持論を展開し始めた。
「モンスターの特殊攻撃の害というものは、敵を倒すか、あるいは同じ攻撃を再度受ければ消滅するのが凡例だ。つまり……もう一度『ふさふさグレート』と戦えば髪は戻るに違いない」
「そうだね、ぼくも同感だよ」
ルックが応じる。
「でもまあ……別に慌てて攻撃を受けなくても、待ってればそのうち生えてくるんじゃない?」
「いや、毛根そのものを破壊されてる可能性もあるんじゃないか? そうなったら二度と復活しないぞ」
案じながら指摘したフリックだったが、生憎マイクロトフの傷を抉るばかりだった。
「す、すると万一『ふさふさグレート』に遭遇しなければ、おれは生涯このまま……」
両手で頭を押さえ、だが慣れない感触に手は滑るらしく、死を宣告されたような悲痛な表情で男は宙を仰ぐ。その様相を眉を寄せて窺っていたカミューは、すくと立ち上がって彼の正面に立った。
「マイクロトフ……騎士に必要なのは正義と誇り、決して頭髪ではないよ。おまえ自身には何ら変わるものはないんだ、そう悲観的にならずとも……」
「カミュー!」
マイクロトフは険しい形相で愛する青年の腕を鷲掴む。
「おれとて同じ考えだった。男子たるもの、最も大切なのは心根だと常々思っている。だが……実際失くなってみると平静ではいられない。在る筈のものがないというのは落ち着かないものだぞ!」
「マイクロトフ……」
「落ち着かないのはこっちだよ」
ルックがげんなりと口を挟んだ。
「あんたは自分で見えないからいいけどね、こっちは……」
そこまで言い掛けてちらりと視線を向けた彼は、途端に慌てて目を逸らして肩を震わせる。
「───こっちは被害甚大だよ」
まあまあ、と同盟軍の良心・フリックが割って入った。
「マイクロトフの身になって考えようぜ。消えたのが自分の髪だったらどうだ、ルック?」
「…………………………」
「髪はなくてもつとめは果たせるかもしれないが、やはり精神的な失意は戦いにも関わってくると思わないか、カミュー?」
「……周囲にも影響を及ぼしそうですしね」
小声で同意した彼は、そこでマイクロトフが起こした派手なくしゃみに顔を上げた。
「マイクロトフ?」
「い、いや……何やら頭が薄ら寒くて……」
「そうか……。確かに在るものがないというのは困ったものだね……」
言いながら彼はするりと自身のマントを外した。器用にマイクロトフの頭を包み込み、仄かに笑う。
「風邪を引いてはいけない。暫くこうして地肌を保護しておくといい」
それは変だぞ、と突っ込みたい男たちであった。
色艶やかな布に頭部を覆われたマイクロトフ。確かにツルツルの頭は目に入らなくなったが、これはこれで何とも珍妙な格好である。ウィンがおずおずと指摘しようとした刹那、センスとは今一つ無縁であるナナミが弾んだ声を上げた。
「あ、カッコいい! シンさんみたいだよ、マイクロトフさん!」
「そ、そうですか……?」
同じように頭部を布で包んだ仲間の姿を想像したのか、ややマイクロトフが照れたように笑む。
───否、あれとはかなり違う、くるりと頭部を覆い、額のあたりでリボン結びにした様は、どちらかというと湯上がりの御婦人風だ……という感想は一同から葬られることになった。
「何にしても、もう一度あのモンスターに遭遇しないことには……」
「村の男たちの捜索も続行しなきゃならないしな」
だからマイクロトフの外見に構っている暇はない、との総意によって一同は再び詮議に入った。
「一応、防御策は取っておいた方がいいんじゃない? また誰かがハゲたら大事だよ」
ルックの意見に一同はそっと被害者を一瞥して頷いた。
「あ、じゃあじゃあ、サングラスはどう?」
「サングラスって……ああ、『ヒカリ攻撃』用のか」
フリックが首を傾げながら考え込む。
新同盟軍の仲間たちの中には『協力攻撃』と呼ばれる連帯攻撃技を持つグループがある。その中でも様々な物議を醸し出している攻撃技のひとつに『ヒカリ攻撃』があった。
ガンテツ・ボルガン・ロンチャンチャンの三名から繰り出されるこの攻撃は、総員の見事にハゲ上がった頭部を利用して敵に強烈なダメージを与えるという、何とも奇天烈な技だった。その上、発する光線は味方をも攻撃してしまう傍迷惑な面もあり、これを防御するためには黒光りするサングラスが必要なのである。
「……いいかもしれないな。それじゃ、おれが一っ走り用意してくる。ウィン、またたきの手鏡を貸してくれ」
気忙しい様子で進み出たフリックに感謝の目を向ける青騎士団長の姿はやはり珍妙で、この姿を一刻も早く何とかしたいという当人の思惑は感じられていないようであった。
「ああ、ついでに」
ルックが軽い調子で切り出す。
「村人の意見を聞いてきてよ」
「村人の?」
「そう。もし今回の事件が『ふさふさグレート』の影響なら何らかの反応がある筈だよ」
なるほど、とフリックは思った。
「自分たちからは口に出来なくても、こちらから探りを入れてみれば話してくれるかもしれないな」
「そういうこと」
「それともう一つ、……お願いしても宜しいでしょうか」
丁重にカミューが進み出た。
「お手数ですが、ヴァンサン殿にお会いしてきていただけませんか?」
「え?」
意外な言葉に瞬く。それからやや渋い表情になってフリックは首を傾げた。
「あの連中は苦手なんだよな……やたらキラキラしてるし。第一、どうしてだ?」
横目で親友を見遣った彼は嘆息しながら続けた。
「確かにこれまで在った頭髪がないことで落ち着かないという気持ちは分かります。それに風邪を引かないようにとは言え、この格好も変ですし……」
やっぱりおまえも変だと思っていたのかと言い掛けてフリックは堪えた。処置した本人が言うなといった気分である。
「……で、何でヴァンサンなんだ?」
「以前、お話ししたときに仰っていたのを思い出したのです。貴族社会では服装ばかりにとらわれず、時にはカツラなどを用いて自らを飾るときがある、と」
「カツラ……」
「今でも一つや二つ、お持ちではないかと」
「そっか! 風邪防止のため、マイクロトフさんにカツラをつけさせてあげるんだ!」
ナナミがはしゃいだ声で言った。同様に賛同したいのは山々の仲間たちである。
確かに今のリボン包装のマイクロトフは変だ。
哀れにも変わり果てた仲間を最初に見たとき、指導者ウィンは真っ先にヅラ職人を思い浮かべようとして果たせず、フリックは長髪の仲間の髪を分け与えてやれたらと悲嘆に暮れ、ルックは絵の具で頭部を塗ったらどうかと想像したのだ。カツラがあれば越したことはない。
ただ、もし持参しているとしても借りる相手が相手である。今より更に笑いを誘わないとは限らない。よって、慎重にならざるを得ないのだ。
「カミュー、大丈夫だ。先程は油断してくしゃみなどしてしまったが……おれはそう柔ではない」
胸を張る男にカミューはきっぱりと首を振った。
「駄目だよ。確かにおまえは鍛えられた騎士……でも、頭皮は鍛えていないだろう?」
「そ、それはそうだが……」
「昨今の風は冷たい。体調でも崩してつとめを果たせなくなったら……」
───ただのハゲになってしまう。
続きを口にしなかったのは愛ゆえであろう。
「よ、よし、分かった。とにかくヴァンサンのところにも寄ってくる。じゃあ……おまえたちは休んでいてくれ」
「行ってらっしゃい、フリックさん」
「宜しくお願いしますね」
「くれぐれも他のものに事情を悟られないようにしていただけるとありがたい……です」
最後に小声で付け加えたのはマイクロトフである。誇り高き騎士団長として、やはり敵にしてやられたことは屈辱なのだ───そして、その結果も。
フリックが去った後、一同には非常に重い沈黙が下りた。確かにここで和やかな会話など出来そうにない。カミューが静かに言う。
「フリック殿のお言葉に甘えて……少し休みましょうか」
「う、うん……そうだね。寝室は幾つかあったけど、いつものようにお二人は同室で構いませんね?」
ウィンが言うなりカミューは僅かに怯んだ。それから一度だけきつく目を閉じると、優美なる笑みで首肯する。
「勿論です。では……マイクロトフ、行こうか」
「う、うむ。それでは失礼します」
リボン包装の頭がぺこりと下がるのに少年少女たちは危うく息を詰まらせ、かろうじて吹き出すのを堪えた。
二人が部屋を出ていった後、再びナナミが涙を零し始めた。
「か、可哀想……だけど、可笑しい……」
「駄目だよ、ナナミ。マイクロトフさんの気持ちを考えなよ」
「そうは言うけど、ウィンだって肩震えてたよ?」
「髪の毛って偉大なんだなあ……印象に大きく関わるよ」
あまりの衝撃に、既に以前のマイクロトフを思い出すことが難しくなってきている。三人は暫し無言で頭髪在りし日の青騎士団長を思い浮かべようと苦心した。
ふと、ナナミが呟く。
「ねえ……そう言えばさ」
「何だよ」
「協力攻撃で思い出したんだけど、あれで『美青年攻撃』は出来るのかな?」
ルックがうんざりした口調で一蹴する。
「別に関係ないと思うね、協力攻撃の名前は周囲が適当につけたものだし……」
自らも『美少年攻撃』などと妖しげな命名を受けた協力攻撃のメンバーであるため、憮然とした様子である。ナナミが納得したように引き攣り笑いを浮かべた。
「そ、そうだよね。それに髪がなくなっただけで顔は同じだし、幸い眉毛は残ってるし」
「いや、そう簡単にはいかないかもしれないよ」
新同盟軍の指導者は重々しく義姉の言葉を遮った。不可解の視線を向ける二人に彼は深刻な表情で説く。
「ほら、攻撃をする前に姿勢を正して息を合わせるじゃないか」
姿勢を正すというより、単にポーズを決めているだけではないかとルックは思う。
「あのとき……どうしたって笑っちゃうと思うんだよね、フリックさんもカミューさんも。力が抜けたら攻撃力は落ちるよ。そういう意味では三人の協力攻撃は期待出来ないと思う」
なるほどと納得せざるを得ないところが物悲しい。
彼らの協力攻撃は非常に威力があるので戦闘では頼りになった。しかし、今回はそういう訳にいかない。攻撃する前に仲間が戦闘不能に陥りかける危険性がある。
「……やっぱり早く何とかしないと今後の戦いには不利かもね」
一応は彼らの戦力を認めているルックが珍しく誠意ある言葉を吐く傍ら、姉弟は額を突き合わせていた。
「ねえねえ、新・ヒカリ攻撃ってのはどう?」
「四人の協力攻撃か……凄そうだね、一度見てみたいなあ……」
───どうして自分はこんな連中と行動を共にせねばならないのか。
魔術師の少年は自身を送り込んだレックナートをほんの少しだけ恨んだのだった。
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