恥辱まみれの赤騎士団長
赤騎士団長の様子がおかしい。
それがここ数日のマチルダ騎士の最大の関心事だった。
柔らかな物腰と華麗な美貌で騎士たちの目をひきつける彼が、常に噂の中心になることは当然のことと言えたが、今回の噂は何処となく暗いものだった。
あの優美な笑みが消えた。陰鬱な影を引き摺り、重く沈んだ表情で何事かを考え込んでいる。悩み事でもあるのだろうかと周囲は案じたが、彼がそうした機微を第三者に洩らすことは決してない。
誰よりも胸を裂かれる思いで彼を見詰めていたのは、やはり青騎士団長だった。恋仲となってから数年、こんな彼を見たことはない。昨夜も何とか話を引き出そうと深夜に部屋を訪ねたが、恋人はほんの僅かに開かれたドアの隙間から哀しげな顔を見せ、疲れているから一人になりたい、そう答えた。
このままではいけない。そう思いつつ、会話の切っ掛けが掴めない。どうにかして恋人の悩みの根源を見つけられないものかと焦る彼に耳寄りな情報が寄せられたのは、夕暮れも迫った頃だった。
「馬小屋?」
問い返すと、赤騎士は小さく頷いた。
「三日前の夜のことだとか。おれの友人が深夜巡回の途中でお見掛けしたのです……」
赤騎士の話はこうだった。
三日前の深夜、当直の赤騎士が城の見回りをしていると、厩舎からほっそりした影が現れた。曲者かと緊張して目を凝らすと、それは慕わしい騎士団長その人だった。どうしてこんな時間に、と赤騎士が足を止めて見守っていたところ、カミューはいつものような颯爽とした歩みではなく、ほとんど倒れそうなほどによろめきながら、逃げるように自室へと戻っていったというのである。
「何しろ、馬小屋でしょう? おおっぴらな噂にすることも憚られると、内密に相談を受けたのです」
「……何故、馬小屋ではいかんのだ?」
「────それは、マイクロトフ団長……」
ふと頬を染めた赤騎士が、口元を手で覆い、マイクロトフの耳元に何事か囁いた。
「な────!! で、では、カミューが不埒な輩に……ッ?!」
「そ、そうは思いたくはないのですが」
慌てて赤騎士はぶんぶんと首を振った。
「しかし、辻褄が合うのです。カミュー様が沈んだご様子になられたのも、その夜からですし……マイクロトフ団長こそ、何か聞いておられないのでしょうか?」
聞くも何も、話す機会さえ与えてもらっていないのだ。マイクロトフは固く唇を噛んだ。
「いずれにしても、そのような噂は望ましくない。他言するなよ」
「勿論です。そんな事態でないことを望んでいるのは、おれとて同じです」
マイクロトフは赤騎士に礼を言うのも忘れ、そのまま踵を返した。向かう先はひとつだった。
「────すまない、一人にしてくれないか……」
またもカミューは薄く開けたドアの向こうから消え入るような声で呟いた。伏せられた目はマイクロトフを見ようとしない。目許にうっすらと影が落ちているのは眠れぬ所為であろうか。
そのまま閉じられようとしたドアの隙間に爪先を差し入れ、彼は無理矢理ドアをこじ開けた。多少強引であろうと、このまま放置しておくことなど出来なかった。
「マイクロトフ……!」
驚いたように目を見開いたカミューは、男の手が頬に触れる前に激しく戦いたように後退った。やはり尋常ではない。まるで怯えているような反応に、マイクロトフは後手でドアを閉め、静かに歩み寄った。
「カミュー……何を悩んでいるんだ?」
「──────悩んでなど……」
「隠さないでくれ」
彼は強く言い放った。
「……おれはそれほど頼りにならないか? そんなおまえの顔を見て、何もせずに平気でいられる男だと思うのか」
「──マイクロトフ……」
マイクロトフは手を伸ばし、カミューの両肩を掴もうとした。すると彼は強張りながら、なおも身を退いた。
「………………触らないでくれ……」
いったい何があったというのだろう。よもや赤騎士が案じていたように、馬小屋で彼を傷つける事件でもあったというのか。
だとしたら、何としても彼を支えねばならない。こんなふうに一人で苦しませてなるものか。喜びも痛みも分かち合う、そう剣と誇りにかけて誓ったのだから。
「カミュー……」
彼は一気に距離を詰めると、逞しい腕にカミューを抱き込んだ。しなやかな肉体が微かに震えている。
「────駄目だよ、マイクロトフ」
掠れた声が弱々しく訴える。
「……離してくれ、わたしは汚れているから──……」
殴られたような衝撃を覚えた。では、やはりカミューは────
「カミュー……頼む、正直に話してくれ。何があっても驚かない。おれはいつでもおまえの味方だし、如何なることがあろうと気持ちは変わらない。だから、どんなことでも話して欲しい」
「──────言えない……」
「そんなにおれが信じられないか?」
「そうではない、そうではないが────」
カミューは逃れようと身悶えたが、がっしりした腕の拘束に望みが叶わず、力なく項垂れた。
「言ったら…………、おまえはわたしを軽蔑するよ……」
「そんなことは──」
「己の身もろくに守れず、何が騎士団長だと──」
「カミュー…………」
「わたし……わたし──は…………」
肩を震わせて嗚咽を堪えているようなカミューに、マイクロトフは切なさでいっぱいになった。これほど傷つきながら、あくまで頼ろうとしない彼の意地を愛しく思うと同時に、もどかしくてたまらなかった。
「──言ってくれ、カミュー……もし、おまえが今でもおれを想ってくれているのなら。おれはどんなことでも受け止める自信がある。おれを信じて、おまえの苦しみを分けてくれ」
真摯な口調に、カミューが潤んだ目を上げた。まだ僅かに逡巡しているような表情に、力強く頷いてみせる。
カミューは目を伏せ、ぽつりぽつりと語り始めた。
「三日前……、昼の騎馬訓練のときに、わたしの馬が脚を痛めたんだ……。獣医師はたいしたことはないと診断してくれたのだが────心配で」
言葉を切った彼に、マイクロトフは励ますように背を撫でた。
「────それで、夜中に様子を見にいったんだ…………そうしたら……」
そのときのことを思い出したのか、激しく震えた細い身体を、しっかりと抱き締める。
「…………この歳まで生きてきて……あ、あんな……あんな恥辱は初めてだった────」
その先を聞くのはマイクロトフにもつらかった。それでも恋人の重荷を少しでも軽くできるのなら、と痛ましい決意で先を促す。
「──何があったんだ、カミュー……」
「薄暗くて────、周囲には十分に気をつけていたつもりだったのに……」
カミューは縋るようにマイクロトフの胸に顔を埋めた。
「────────……」
「何? 何と言ったんだ? 聞こえなかった、カミュー」
「────……だんだ」
それでも聞き取れず、身を屈めて耳を寄せる。カミューは三度呟いた。
「わたしは………………馬糞を踏んでしまったんだ…………」
「?!?!?」
マイクロトフはぱっちり目を見開いて恋人を見下ろした。
「す──すまない、カミュー……も、もう一度言ってくれるか?」
「何度も言わせないでくれ!」
半ば泣きそうな顔つきでカミューはマイクロトフを見上げた。その表情は必死そのもの、唇は戦慄いている。
「だから! あまり暗かったので馬糞を踏んでしまったんだ! 思い切り!! しっかりと!!!」
「馬…………糞…………?」
馬小屋に連れ込まれて××されたとか、馬と同じスタイルで××されたとか、あれこれ心の準備をしていたマイクロトフだったが、さすがに馬糞は予想外だった。
それよりも、気が抜けて崩れそうになる足元が不安である。
「馬糞……ごときのせいで、そんなに悩んでいたというのか……?」
「ごとき…………って、馬糞だぞ?! 誇り高き騎士に、これほどの恥辱があるか?!」
「………………………………」
「幾度思い返しても、夢であって欲しいと願っても、やはり現実だった。わたしのブーツには、しっかりと夢でない痕跡が…………」
「────洗えばいいんじゃないか?」
「捨てたよ!!」
カミューは睨みつけるように叫んだ。
「馬糞付きのブーツなど、二度と履けるか! ああ、わたしはあの馬を愛しているさ、けれど馬糞まで愛せるほど人間が出来てはいないんだ。わたしは何て卑小な人間なのだろう、それを考えると居たたまれなくて……」
────何か違うような気がする。
だが、マイクロトフはそれを口に出来なかった。拳を握り締めてふるふると震えているカミューをぼんやり見詰めるばかりだ。
「……それに、どうしてもあの感触が消えないんだ。未だに足が汚れているような気がして…………」
「────直に踏んだわけではないだろうに」
するとカミューは卒倒しそうなほど青褪めた。
「直っ?!」
どうやら直に馬糞を踏む想像をしてしまったらしい。ふらりと倒れ掛ける彼を、慌ててマイクロトフは抱き止めた。
「カミュー、落ち着け。おまえは汚れてなどいないぞ。その証拠に、おれはおまえの足にくちづけることができる」
────さすがに馬糞がついていたら少しは悩むかもしれないが。
直に踏んだわけでもないのに、ここまで落ち込めるカミューの潔癖さ。
それはそれで可愛い、そう変換されてしまうマイクロトフの思考回路は実に潔く、豪快だった。
カミューは怯んだようにマイクロトフを見詰めた。
「…………本当に? わたしを汚れた男だと思わないでくれるのか……?」
「──────ならば、今から試してみるか?」
マイクロトフは微笑みながらカミューの頬を挟み、唇を寄せた。
そして心でちらりと思う。
考えてみれば、この城の中で彼に対してそのような不埒な真似をする男がいるはずがない。(白いブタを除けば。)
万一いたとしても、彼が容易く毒牙にかかろうはずもない。
彼に情欲を抱くかもしれない男共よりも、馬糞は強いということか────。何となくこの世の力関係の不思議さを感じてしまう事件であった。
終わり
あきか師匠の為に書いた
恥辱ネタ(死)。
すでに「奥江の書くもの」とお客様に免疫がついていたのか、
いぢめられなかったので晴れて
更新情報から引越しさせました(笑)しかし、ここで改めてブーイング来たら
どうしよう……(苦笑)
いぢめる? いぢめる??