白騎士団長ゴルドーは、マチルダ領の統治者である。
右に柔和で麗しい赤騎士団長を侍らせ、左に暑苦しくて可愛げのない青騎士団長を渋々置いて、「色々あるけど、わしが一番」と、更なる虚栄心を満たすために日夜精進している人物だ。
さて彼は、年末から年始にかけて、たっぷり十日の休暇を取った。先月初めにも休んだばかりだが、とにかく最高権力者なので、多少の無理は押し通すのである。
城を出たのは、この数月で底が見えてきてしまった白騎士団運営費の所為だ。やたら腰の低い副官が、ある日、揉み手で「少し茶菓子代を控えられては」などと言い出して、何気なく目にした帳簿の残高に忌ま忌ましい思いをさせられた。
そして考えた。
自身はマチルダ一の存在なのだ。団費から間食代を捻出せずとも、常日頃から護ってやっている自領の民に持て成して貰えば良いのだ、と。
こうして彼は、休暇の初日から、夜会などで面識のある富裕層のロックアックス民の屋敷を順に回り始めたのだった。
年の瀬の時期、突然の訪問を大歓迎する家はない。「どうしてこんな忙しいときに」と囁きながらも、「それでも白騎士団長だし」と泣き笑いで接待に勤しむ、礼節に厚いロックアックスの民。ゴルドーは無銭の料理に嬉々として舌鼓を打った。
夜まで長々居座って、しこたま酒を流し込み、「これでは泊めるしか」と、家人が涙ながらに客間を用意するまで泥酔した振りを通す。こうして宿代を浮かせて、翌日の朝には次の家へと赴き、またもや食を満喫する。
さすがは統治者の威光。訪問する先々は、新年用に準備した食材を──心の中では惜しみながら──白騎士団長の前に並べ立てるのだった。
新しい年を迎える段になっても、ゴルドーの「豊かな領民宅訪問」は続いた。
不運にも年越しの宿に当たったのは、ロックアックスでも有数の名家であった。その末子は先代白騎士団長の甥っ子で、一時期だけ白騎士団に籍を置き、今は赤騎士団所属の正騎士となっている。
息子から「騎士団」という組織について聞かされているのか、この家の者たちは、実に場に合った会話でゴルドーを楽しませ、それは素晴らしい料理を山ほども用意した。
明けて屋敷を後にする際、何故だかひどく腹が痛んだが、よもや悪いものが食事に混ぜられていた筈もなかろうと、彼は「く」の字になって、ふうふう言いながら次の訪問先を目指したのだった。
新年初日を過ごした家では、やや不快を感じさせられた。
着いた早々、子供に「あの太ったおじさん、誰?」と指さされ、「失礼でしょう、これでも白騎士団長様なの!」と母親に追加攻撃を受けたのだ。けれど新年であるし、自らは並ぶもののない統治者なのだからと、寛容に流してやった。
それでも、食後のデザートを奪い取るという報復は忘れず果たす、それがゴルドーという男の真骨頂だ。目の前から消えたケーキに子供は泣き出したが、軽く無視した。
この世は力がすべてなのだ。「悔しかったら白騎士団長になってみよ、わしが居るから無理だがな」と心のうちで嘲笑し、口の周りをクリームだらけにしながら、年の初日を終えたのだった。
そんなこんなで瞬く間に休暇を消化して、昨夜は久々に城の自室で眠った。幾日も過大な食事を取った所為か、腹全体が重く、うっかりすると口から胃が出てきそうな気がするほどだった。
そして、朝。
彼は憂鬱な目覚めを迎えた。今日は全騎士団員を前にしての閲兵式を行わねばならないのだ。本来は年の初日に行うべき行事だが、肝心要の白騎士団長が居ないので、日延べとなったのである。
流石にこれは外せない。何と言っても、指導者の威厳を見せ付ける、年頭最大の場なのだから。
寝台は深く沈み込んでいて、端まで行くのに難儀した。腹を両手で持ち上げていないと立てないような錯覚も覚えた。
やっとのことで箪笥の前まで進んでいって、団長装束の内着を身に付けようとしたゴルドーだったが───
「むっ?」
前ボタンが止まらない。
両側から引っ張り合わせてみるものの、右と左の布の間には拳ほどの隙間があって、それがどうにも縮まらない。十日にも及ぶ暴飲暴食の結果、彼は二回りも成長を遂げてしまっていたのである。
「誰か! 誰かおらぬか!」
声を上げると、従者の少年がすっ飛んで来た。
「服が小さい。代わりはないか」
少年は弱々しく返した。
「すべて同じ寸法でございますので……」
それもそうである。この歳になって、いきなり体躯が育つとは誰も予期していない。
ええい、と腹立たしげに唸ると、彼はボタン掛けを諦めた。どうせ上に何枚も羽織るのだから、しどけなく胸が露出していても構うまいと考えたのだ。
しかし現実は苛酷だった。次に纏う装束は合わせがなく、頭から被るものだったのだが、これが腹の上で止まってしまい、どう引っ張ってもそこから下にいかない。悪戦苦闘する姿を前に、従者が懸命に笑いを堪えているのが、また悔しかった。
「うぬう、これはどうしたものか……」
終に弱音が洩れたとき、コツコツと扉が鳴って、白騎士団副長が顔を覗かせた。
「おはようございます、ゴルドー様。お支度はお済みでしょうか?」
「全然済んでおらぬわ!」
丁重な挨拶に怒鳴り声を返された副長は、仰天して、転げるように入室してきた。
「い……、如何なされましたっ?」
「休日を堪能し過ぎた。少し太ってしまい、この服では入らぬ。仕立屋を呼べ」
「し、しかし」
副長は視線を移ろわせる。
「今から仕立てても、仕上がりは数日後に……」
「では、閲兵の儀は中止だ、中止!」
「ですが、既に全団員、中央広場に集結してゴルドー様をお待ちしております。理由は何とすれば……?」
体調不良、そう言い掛けて、だがゴルドーは唇を噛んだ。統治者ともあろう身が、休暇明けに休みを重ねるというのは何とも間が悪い。日頃から、体調管理も出来ぬようでは騎士は勤まらぬ云々と講釈を垂れているだけに、中止の理由を聞いた部下たちに──特に、あの青騎士団長あたりに──眉を顰められるのは我慢ならない。
「ええい、中止も中止だ! だが、服がなくては人前に出られぬ。ノイズ、貴様も副官なら、何ぞ知恵を出さぬか!」
「そ、そうは申されましても……」
追従に愛想笑いで今の位階に居るような男に「咄嗟の機転」という特技はない。一緒になって唸るばかりであった。
なかなか現れない上官を怪訝に思ったのか、そこへ第一隊長がやって来た。着衣の途中で止まったままの自団長を見て、微かに唇を震わせた騎士は、けれど厳粛なる礼を払う。副長は、天の助けと言わんばかりの顔になった。
「エヴァン、良いところへ! ゴルドー様が御装束を着られず、お困りでいらっしゃるのだ」
はあ、と騎士隊長は頷く。
「……拝見すれば分かります。憚りながら、少々間食を過ごされたのでは? 御身体に障ります、ゴルドー様」
間食どころか、一日中食べ続けるのが十日続いた、とは言えないゴルドーだ。第一、今は身体に障るどころの話ではない。服が入らないのに、どうやって式に臨むかが大問題なのである。
「わしに合う予備の鎧でも、倉庫に眠っておらぬか?」
「記憶の限り、ない気が致します」
「この際、何でも良い。ある程度の格好が付けば、多少の難には目を瞑る。とにかく着るものが要るのだ」
第一隊長は深々と考え込んで、やがてポツと呟いた。
「……確か青騎士団に、たいそう大柄な人物が居たように思います」
「居るのか、わしと似た背格好の者が!」
勢い込んで問われた騎士は、そこでやや怯んだ。主君の焦燥ぶりに急かされ、うっかり口を滑らせたものの、件の青騎士は決して「似た背格好」と言える人物ではなかったと思い至ったからである。
横幅的には、かなり似ている。だが、あちらは主君より頭二つほども背丈が高く、結果、うろ覚えではあるけれど、「丸い」と言うより「巨大」という印象だった。肉質も硬そうで、柔らかく弛んだ感じの主君とは、寧ろ対極にも映る男だったのだ。
今にも青騎士団に使いを送りそうなゴルドーに、白騎士隊長は決死の覚悟で切り出した。
「居る……には居ますが」
ただ、と難しげな顔で言い添える。
「白騎士団長たるゴルドー様が、無位騎士の衣服を纏われるというのは、些か……。それに、彼の者も立場上、「ある程度の格好が付く」鎧装備までは持ち合わせていないでしょうし、かと言って、青騎士団衣を着用なさるのは奇異ですし、私服となると更に───」
淡々と説かれる諸々に、ゴルドーは憤死しそうになった。
「使えぬ案なら、最初から出すな! いったいどうせよと言うのだ!」
ちらついた希望の光を消された怒りは大きい。主君の剣幕に、騎士は陳謝の姿勢を取りながら答えた。
「……然すれば、マントを三枚重ねにして着けられては如何でしょうか。一枚は中央に穴を開けて御首を通し、左右の肩から一枚ずつ羽織られて、合わせを前と後ろで縫い止めてみては?」
何やら妙な彫像もどきの格好だな、と想像せずにはいられない。敷布を巻きつけているだけの裸婦と、あまり変わらいようにも思えた。
とは言え、式の刻限を考えると、背に腹は変えられない。直ちに従者に命じるしかないゴルドーだった。
「マントだ、マントを三枚ここへ持て!」
「どのマントになさいますか?」
「馬鹿者! 「毛皮のマント」など使ったら、クマかタヌキのようではないか! 「闇のマント」だ、あれが一番地味で良い」
「は……拝命致します!」
少年は弾かれたように退出していった。相変わらず、笑いを堪えて呼吸困難に陥りながら。
次いでゴルドーは部下たちに向き直った。
「ハサミだ、ノイズ!」
「はっ、はい! 暫し御待ちを!」
「それから針と糸! ところでおまえたち、裁縫は出来るのであろうなっ?」
えッ、と息を詰める副長の横、第一隊長が無表情に一礼した。
「わたしがつとめさせていただきます」
「うむっ、任せたぞ、エヴァン! 間違っても、わしまで縫うでないぞ。縫ったら降格処分と心得よ!」
「……肝に銘じて、力を尽くします」
斯くしてマチルダ騎士団、今年最初の閲兵の儀式は、真っ黒な白騎士団長の許、厳かに執り行われた。
不測の事態で新年早々ケチがついた、そうゴルドーは嘆息する。布を巻き付けた自身の姿は、何処をどう見ても、晴天を祈って軒先に吊るす人形のように映るだろう。
けれど、騎士団の最高指導者としての威光を陰らせる訳にはいかない。ゴルドーは常以上に尊大に振舞い、騎士たちの忠節を求めたのだった。
しかしながら、実のところ、式典に臨む彼の珍妙な見てくれは、本人が案じるほどには、部下一同に対して悪印象を与えていなかった。
赤騎士団員の目は、ゴルドーのやや後方に立つ優美な自団長に釘付けだったし、片や青騎士団員たちは、魔物狩りのつとめから呼び戻されて、「規定通り、年の初日にやってくれれば良いものを」と、移動時間の無駄を惜しんでいた。
ゴルドー直属の部下たちに至っては、主君の衣装新調にかかる費用をひたすら計算しており、つまり、誰もまともに彼を注視していなかったのである。
白騎士団長ゴルドーは、マチルダ領で最高の立場を有する人物だ。
けれど、力の入れどころという点においては、あまり優れた指導者とは言えない男だったかもしれない。