依然、全情報を分け合ったとは言い難く、解決の糸口が見えた訳でもないが、一先ず中断のはこびとなった。
青騎士団副長には、議員閣議が始まる前に宰相に皇王印の製作元を質すという役目があった。未だグランマイヤーが知らぬグリンヒル公主暗殺という事実を得てしまった男の緊張は相当なものだ。誠実な性情に加えて、相手に敬意を抱くだけに、隠し通すという行為に後ろめたさを感じるのである。
それでも彼は、自らに檄を入れるように両手を打ち合わせて退室していった。「何気なく、何気なく」と無意識に唱えていたのが残された面々に届き、思いがけぬ和やかを誘った。
一方、カミューの消失に対処する必要もあった。
あれだけ目立つ青年だ。まして昨夜、追跡のために騎士を動員した。その後を気にしているものもあるだろう。
要人らで捻り出した「別任で城を離れた」という説を、ごく自然に広めねばならない。これには赤騎士団・第一隊長と、部下の若者が臨むことになった。
情報操作は赤騎士団員の得意とする分野である。しかも、青騎士団員のようにカミューと直に接する機会が少なかったのもあってか、赤騎士たちは噂話の収集に非常に熱心だ。ほんの少し話を落としてやれば──それが内密を要さぬ情報ならば──瞬く間に行き渡っていくだろう。
残る一同に礼を取った後、二人も部屋を出て行った。先行きは暗いままだが、先ずは動く、といった気負いが後ろ姿に見て取れた。
フリード・Yは食堂へと向かった。
兎にも角にも遣り取りが一段落したので、朝食を取ろうという話になったのだ。いざそうなってみると、予め用意した料理が少ないように思えてしまい、追加を取ってくる旨を申し出たのだった。
人が減り、だいぶ部屋が広々と感じられるようになった。
ゲオルグは椅子の背に片腕を回し、寛いだ姿勢で足を組み、ちらとマイクロトフに窺いの目を向ける。
「それにしても、おまえさんは妙な王族だな。いや……、おまえさんだけじゃない、ここに居た連中は全員変わっている」
「……そうでしょうか?」
マイクロトフが首を捻ると、ゲオルグは相好を緩めた。
「自覚も無しか。王族なら、何処の馬の骨だか分からない男相手に、敬語なんぞ使わないのが普通じゃないのか? 逆に、おれは一国の皇太子に対して碌に礼も払っていない。側近なら、諌言の一つも言わないか?」
マイクロトフと赤騎士団副長、そして青騎士隊長は顔を見合わせた。そのうちに三者とも、同様の笑みを零した。
「カミューも同じようなことを口にしていました。おれを見ていると今までの認識が崩れる、と。自然に振舞っているつもりなのですが」
「殿下は御性情的に、権威を振り翳す御方ではありませぬから」
「飾らぬ物言いを快く感じられるという、王族にしては独特の嗜好もお持ちですな」
「……待て。その言いようは少し引っ掛かるぞ」
「実に気安い、稀有な御人柄───そう讃美したつもりですが」
騎士隊長と皇子の遣り取りに吹き出し、ゲオルグは言う。
「青いの、おまえさんも査察帰りの行列にいたな。皇子は青騎士団長を兼任していて、最近は警邏にも出るようになったと街で聞いたが……査察も仕事の一環だったのか?」
はあ、と頷いた青騎士隊長は、次の問いに幾分表情を堅くした。
「これからも今まで通り、皇子は団長としての職務を執るのか?」
「それは───」
するとマイクロトフが、騎士の答えを遮るようにして乗り出した。
「おれは続けたいのです。父に汚名が着せられている今、呑気に騎士の真似事などしている場合ではないと言われるのは承知しています。おれが街に出れば、周囲にも余計な労力を払わせてしまう。けれど……やっと騎士たちと同じ目線で国を見るという感覚が分かり始めてきたのです。投げ出してしまいたくない」
熱弁を振るうマイクロトフを横目で見遣り、青騎士隊長は肩を竦める。
「……と、仰せです。先王陛下の件については、今のところ団長に動いていただく見通しも立ちませんし、個人的には意向を尊重して差し上げたいのですが」
ふむ、と考え込むゲオルグの傍ら、赤騎士団副長も賛同を示した。
「他の騎士団員たちには詳細を伏せておりますし、ここで急に殿下が城に籠もられるようになっては、怪訝に思うものも出てくるでしょう。殿下の御身が安全であるという前提に立った意見ではあるのですが……」
ゲオルグ・プライムはにんまりと笑んだ。
「つまり、護衛の腕に掛かっているという訳か。良いだろう、おまえさんたちの考えが一致しているなら、異存はない。警邏でも査察でも、好きにするがいい」
「ゲオルグ殿!」
感激のあまり、マイクロトフは立ち上がって深々と一礼した。目を丸くしている男に構わず、切々と言う。
「恩に着ます。己の身は己で護る心積もりでいますが、及ばない部分を助けていただけたらと思います」
「ああ、まあ……な。どうでも良いが、もう少し力を抜けないものか? 堅苦しくて堪らん」
「分かりました、精一杯つとめます」
何とも言えぬ渋面で青騎士隊長が外方を向く。当のゲオルグも、呆れを通り越してしまい、微笑むしかなかった。
「じきに王になる男が、こんな調子ではな。マチルダはおおらかな国になりそうだ」
それを聞いて、マイクロトフは眦を緩めた。
「おれは即位して程無く、一国民に戻ります」
「……どういうことだ?」
「殿下は御自身の代で皇王制を廃されるおつもりなのです」
代わりに答えた赤騎士団副長に目を向けて、ゲオルグは唖然とした。
「おいおい、そいつは……驚いたな、一大事だ」
「はい。グラスランド侵攻の真相を明かしてカミュー殿の誤解を解き、白騎士団長ゴルドーを表舞台から退場させた後、皇王制を廃止する。それが殿下以下、今の我々に課せられたつとめです」
「一つ忘れているぞ。最後にカミューを騎士団に迎え入れねば」
ポソと補足したマイクロトフに破顔して、彼は頷いた。
「然様、洩らしてはならぬ目標でございましたな。皇王位を退かれた後の殿下と共に、将来の騎士団を背負ってくれれば最良です」
「騎士団を、……か」
ゲオルグはひっそりと口元を綻ばせていた。自らと離れた後、カミューがロックアックスで過ごした日々が浮かぶようだ。
策謀によって皇子や騎士に近付いたにしろ、相手の心からの親愛を受けたカミューの胸には様々な葛藤が揺れたに違いない。皇子に手を掛けられぬまま逃げたのは、邪魔が入ったからばかりではないだろう。復讐心と兆した情、相反する思いの戦いに苦慮して刃を抜けなかったのだ。
「……見た目は育っても、手が掛かるところはまだまだ青い」
独言に一同が首を傾げたところでフリード・Yが戻ってきた。両手に大きなトレイを抱えている。
「遅くなって申し訳ありません」
卓に皿を移しながら、ゲオルグに頭を下げた。
「そのう……料理長に、朝から菓子は用意していないと言われてしまいまして」
虚を衝かれて瞬いて、ゲオルグは笑い出す。真っ先に皿に手を伸ばして明るく言った。
「それは残念だ。では、ひとつ夜にでも期待させて貰おうか」
食事の手を進める間、暫くは何気ない会話が続いた。
無論、騎士たちにはゲオルグにカミューの出方を計って欲しい意図があったので、話題の殆どはカミューが城でどのように過ごし、どんなふうに騎士たちを動かしていたのかに終始した。
その逐一を胸に止めつつ、ゲオルグは聞き役に徹していたが、話が途切れたところで、ふと口を開いた。
「それにしても、騎士団の情報網とは見事なものだ。まだ正式な知らせは届いていないのだろう? ワイズメルの死亡をこうも早く掴むとはな、周辺各国に間諜を入れているのか?」
これには赤騎士団副長が答えた。
「友好国に対して、諜報活動を専門に行う騎士を常駐させる慣習はありません。きな臭い噂は交易商人などから充分に入手出来ますので、そうしたときのみ、例外がはたらきますが」
「だが、今回は騎士からの連絡だろう。「例外」とやらが発動していたのか?」
騎士は少し考えた。食器を置いて水で喉を潤してから居住まいを正す。
エミリアの護衛として自団騎士をグリンヒルへ送った云々を短く説いて、やや表情を堅くした。
「少し調べたいことがありまして、そのまま騎士を留め置いていたのです」
「成程、その騎士たちがワイズメル暗殺の情報を寄越したのか。で、調べたいというのは?」
「……飽く迄も、個人的な懸念と関心の域を出ないのですが」
彼は一瞬マイクロトフを気遣うような視線を投げた。
「以前、カミュー殿と私的に会話を交わした際、先王崩御が話題に上りまして……おそらく彼は、仇と信じる陛下がお亡くなりになった経緯を確かめたかったのでしょうが」
「病没だろう? 予兆もなかったと耳にした。あまりにも急な死に、国中が嘆き哀しんだと」
はい、と騎士は頷く。微かに鋭さを増した瞳が、温厚な顔立ちの中に異彩を放った。
「予兆どころか、ご健勝そのものでした。健康な人間が突然倒れるのは、そう珍しい事ではありません。ただ、やはり陛下と病による死を結び付けるのは困難で……殿下の御前で申し訳なくはございますが、当時は毒殺説も囁かれたものです」
「構わない、その話ならおれも聞いている。だが、そうではないと判明したのだろう?」
マイクロトフが問うと、男は目を細めた。
「……はい。陛下は不要と仰せでしたが、食事には常に毒見が施されておりました。最も疑わしかったのは、寝酒に召されたワインでしたが、これは陛下が倒れられたときに初めて封が切られた品。何者かが侵入して毒を混入したとも考えられず、最終的には侍医長が毒物投与自体を否定する見解を出したので、そこで毒殺の線は立ち消えたのです」
ひとたび騎士は言葉を切って、じっとマイクロトフを見詰めた。父王の死にまつわる話を続けることを詫びる配慮と同時に、平静を促されているのだと感じて、マイクロトフは強く頷いた。
「ですがあの折、カミュー殿も真っ先に毒殺を考えたようでした。マチルダ外から来た人間にも、やはり疑わしいのかと……何故か妙に心が騒いだのです。侍医長らの見解を否定するつもりはありません。けれど、もしも彼らの知らない未知なる毒物が使われたとしたら……そして開封前の酒瓶に予め毒物が仕込まれていたとしたら。そんな考えが過ったのです。仮に懸念が現実だったとしても、もはや毒の正体を明らかにするのは不可能です。ですから、せめてワインがマチルダへ届いた経路だけでも掴んでおきたいと思いまして」
そこで赤騎士団副長は苦笑った。照れたように額を撫で、息をつく。
「杞憂に過ぎませぬな……、何と申しましても、ゴルドーが殿下の御命を狙っていると聞いた直後だったのもあって、新品の酒類に細工する手段があるなら、知っておいて損はないかと……」
笑み混じりに締めようとした副長だが、ふと、真摯な瞳と出会って眉を顰める。
「ゲオルグ殿、何か?」
「……グリンヒルに調べに出したというからには、酒の出所はグリンヒルなのか」
「はい。公主ワイズメル殿からの贈呈品です」
「ワイズメルだと?」
低くなった声に副長は頷き、やはり身を乗り出している青騎士隊長には一瞥を与える。
「今となっては、それも面白からぬ展開です。先程お話ししました通り、カミュー殿は殿下の護衛としてマチルダ入りする以前に、ゴルドーと契約を結んでいたようです。グリンヒル内にゴルドーと通じる人物がいるらしく、宰相グランマイヤー様の武人推挙の要請に応じるかたちでカミュー殿が送り込まれてきた───お分かりになりましょうか?」
「……ああ」
「グリンヒルにおけるゴルドーの協力者は明らかになっておりませぬが、仮定上、ワイズメル公の名も挙がっておりまして……」
「待て、まさかそれではワイズメル公が父上を?」
息急き切って割り込むマイクロトフに、騎士はそっと首を振った。
「いいえ、殿下。国主同士が自国の特産品を贈り合う……友好の証として、過去から頻繁に行われてきた行為です。当時、先王陛下とワイズメル公は良好な関係を結んでおられましたし、マチルダに仇為したところで、グリンヒルに利があるとも思えませぬ。ですから、そこは置いて御考えいただいた方が宜しいかと」
「…………」
「次に、ワイズメル公がゴルドーと結んでいたとする説ですが、これも公の暗殺という事態が絡んでくるとなると……」
「今少しゴルドーの身辺が騒がしくなっていても良さそうなものですな」
腕を組んで青騎士隊長が後を引き取った。
「ゴルドーが企みの露見を恐れて、協力者であるワイズメル公を抹殺した───というのも、説得力に欠ける。そうなると、ワイズメル公に手を下したものたちとも通じていなければならなくなる」
「……そうなのだよ。カミュー殿の援護に回り、騒ぎに乗じて殿下を襲わせようとしたとも考えづらい。既に彼は殿下の間近に在るのだから、最大の助力者を失ってまで事を急ぐ必要もなかろう」
つまり、と赤騎士団副長は諸手を挙げて嘆息した。それからゲオルグに向き直る。
「またもや行き止まりです。一度すべてを捨て置いて考える必要があるやもしれませぬな。話が逸れてしまいました、申し訳ございません。そんな訳で、正規の使者が着くよりも先に暗殺の報を入手したのです」
何時の間にか全員の食事の手が止まっていた。
しかし、再開を切り出すものはなかった。剣豪ゲオルグ・プライムの恐ろしいまでに強張った表情が、徒ならぬ緊張を一同に強いたからだ。
生来の厳つい顔立ちは、だがそれまで不思議と険しいとは取れなかった。温かな気配、すべてを悟り切ったような、飄々とした風情と物言いが彼を包んでいたからかもしれない。
初めて見せる剣呑は、彼が「二刀要らず」と呼ばれる真骨頂とも感じられる。マイクロトフ以下、息を詰めて男の次なる動向を見守るしかなかった。
「……今より、一切を白紙に戻して聞いてくれ」
そんなふうに前置いて、ゲオルグは腕を組んだ。
「不必要だと考えていたから出さなかった札だ。おれの今知るすべてを話そう」
得も言われぬ緊迫が、窓から差し込む午前の柔らかな日差しを陰らせた。
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