最後の王・61


ゲオルグ・プライムに連れられてデュナン湖の周辺各国を渡り歩くようになった頃、最初に覚えた戸惑いは、グラスランドでは当たり前だった精霊信仰の欠如だった。
「闇」が落とした「涙」から生まれた兄弟、「剣」と「盾」。両者の争いによって空と大地と星が現れ出た。「剣」と「盾」を飾っていた宝石が二十七の真の紋章となり、この世界を動かしている───耳に馴染んだ創世の伝承。
グラスランドの民は、これに精霊の存在を加味して独自の信仰心を育てている。対して、デュナン各国が崇めるのはかつて実在した英雄、多くの恩恵をもたらした偉人たちだ。真の紋章への畏怖は浸透しているが、それを信仰と呼ぶには違和感があった。
ここマチルダでも、皇王家の祖とその友を「聖人」と名付けて、堂を建てて奉っているが、彼らへの心酔は所謂「宗教」とは差異がある。「聖人」の末裔が現存しているという点が最たる要因かもしれない。マティスとアルダの存在は、ハイランドの圧政から民を救った英雄という確かな現実味をもってマチルダに息衝いているのである。
城から真っ直ぐに伸びた道の中途に忽然と現れる巨大な礼拝堂。
通常「礼拝堂」とは城や砦などの建物に付設するものを指す。だからこれは、厳密には「聖堂」と称すべきなのだと、いつであったか、皇子が語ったときがあった。
王城が築かれた際、二人の英雄を忍ぶために敷地内に小さな礼拝堂が造られた。その後、民に広く開かれた場にしようと、城壁の外に築き直されたのが今の建物なのだという。
移設前の呼び名が残ってしまい、正されることもないまま、そこは礼拝堂と呼ばれ続けて今日に至る。信仰的な説教や儀式が行われている訳でもなく、国を挙げての祭事に用いられる他は、マチルダの成り立ちに関する遺物を納めた資料館といった趣きで捉える民も多いらしい。
ロックアックス城同様、石造りの、多くの尖塔を備えた完全なる左右対象の構えが美しい。
広大な広場から望む正面扉の両側には、交差する羽筆と剣が刻まれている。これが独立を果たした当時からのマチルダの印だったのかもしれない。
そして後に、三つに分かれた騎士団の色彩を加えて現在の旗となったのだろう───カミューは、文と武を示すと言われる文様を見詰めた後、なだらかな石段を上った。
扉を開けると、初めて見るような世界が広がっていた。草原育ちの身には、石の建造物というだけでも圧倒を誘われる。故郷を離れて久しく、デュナンの地に慣れた今であっても、この礼拝堂は別格だった。
どのような技で築かれたのか、推察するのも困難な、高い半円状の天井。それを支える多くの石柱の一本一本にも細かな彫刻が施されている。窓に埋め込まれた色硝子が午後の陽光を浴びて鮮やかに輝き、各所に置かれた巨大な燭台の灯と共に堂内を明るく照らす。
幅広い通路の左右に設えられた長い木椅子の無尽、その最奥、ひときわ高い壇上に掲げられた一枚の絵図───
カミューはゆっくりと正面通路を進み始めた。隠しから取り出した冊子状の紙、新皇王即位式典の警備案を握り締めたまま。
石柱の位置、扉から最初の席までの歩数を脳裏に焼き付けるカミューの耳に、数人いた先客の話し声が聞こえてくる。商いの調子がどうの、知人の伝で即位式典の椅子が取れただの、話題は様々だ。やはり信仰のよすがではなく、民の憩いの場といった色合いが強いようである。
壁際に置かれた陳列台に見入る民の姿も見受けられた。事前に入手した知識によると、この礼拝堂には「聖人」ゆかりの品々も安置されているらしい。
指導者マティスが領内各村の長に宛てて送った蜂起を促す親書、その友アルダが記したとされる、前線兵士を鼓舞する檄文の草稿等々。
遺品の数は豊富で、民にとって彼らが如何に大切な存在であったかを物語っているかのようだった。
重い靴音を響かせる通路の横、最前列の長椅子。即位式典では、ここに各国代表の参席者が並ぶ。そこから壇上までの僅かな距離が、警備上で最も重要ながら、控え目にせざるを得ない部分だろう。
そのため、警備案を作った赤・青騎士団副長らは、長椅子から壁までの空間に精鋭騎士を多数配備していた。更に、席の二列目には騎士装束を解いて政策議員を装う騎士を座らせることで、壇上と各国要人に対する左右・後方からの襲撃に備える心積もりらしい。
ゴルドーが、何としても式典前に皇子を葬ろうとしてきた理由が察せられるようだった。この場での暗殺は困難を極める。
無論、なりふり構わず襲えば、壇上の皇子は殺せるかもしれない。しかし、各国要人の見守る中でそれを実行するのは愚行でしかない。
暗殺者と自身との繋がりを少しでも暴かれれば、ゴルドーも終わりだ。彼にとっての最善は、式典に持ち込ませないこと───最後の手段として、式典で皇子もろとも暗殺者が消えることなのである。
最前の椅子の脇に立ち、カミューは壇上を見上げた。
広い壁を覆うような大きな一枚絵には、聖なる建物を飾るにはやや相応しからぬ血生臭い闘争の図が描かれている。
武装した民と、彼らの先頭に立つ二人の男。その一方が皇王家の祖マティスであるのは、高々と掲げ持った剣で分かる。魔の支配を解いて、使い手の前途を祝福するようになった大剣ダンスニーが、清廉たる煌めきを克明に映し取られていた。
ハイランドより一応の権威を約束されていた一領主───安穏とした立場に甘んじても良かった筈の人物は、しかし抑圧された民の怨嗟に応えんと志した。当時、如何なる国にも抵抗は不可能と思われた強国に立ち向かい、解放へと民を導いた英雄がそこにいる。

 

「……似ておられるでしょう」
不意に掛かった声に振り向くと、一人の男が笑んでいた。何処となく気弱げな風貌であるが、くるぶしまで隠す長い装束が穏やかな威風を醸している。
「これは失礼を」
訝しげなカミューの眼差しに一礼すると、男は背を正した。
「この礼拝堂の管理を与っております、司祭長マカイと申します」
ああ、とカミューは納得した。昨夜皇子が、礼拝堂には司祭が常駐していると言っていたが、この人物がそうなのだ。礼を返した青年に、マカイは改めて微笑んだ。
「違っていたら恐縮ですが、カミュー殿、……では?」
「わたしをご存知ですか?」
意表を衝かれて戸惑っていると、司祭は続けた。
「ああ、やはり……。失礼致しました、かねてより宰相グランマイヤー殿からお話を伺っていたものですから」
マカイは隣まで足を進めて小声で付け加える。
「殿下の護衛筆頭でおられるとか。今日は式典の場の検分でしょうか?」
「ええ、……そんなところです」
成程、この男も皇子側の人間なのかと心中に納めながらカミューは微笑んだ。その眼差しが再び絵に向かうのを見てマカイは話を戻した。
「似ておいででしょう、現皇太子殿下に」
司祭の言う通りだった。短い黒髪と強固な意志を現したかの如き眉、厳しく整った顔立ちは、カミューの良く知る男を思わせる。
否、酷似していると言った方が良いかもしれない。絵図のマティスは三十後半から四十前半といった年格好と見えるが、マイクロトフがその年頃になったとき、両者は恐ろしいほど重なり合うだろうとカミューは思う。
「先祖返り……とでも言うのでしょうか、殿下は聖マティスを彷彿とさせる強く正しき輝きに満ちた御方。そんな御方が国の頂きに立たれる瞬間に立ち会える身を、わたしは誇らしく思います」
そこでカミューは初めて真っ直ぐにマカイに向き直った。
「司祭殿が皇子にダンスニーと冠を授ける、それが即位の印でしたか」
ええ、と司祭は頷く。
「異国の出自でおられるなら感じられたでしょう。この国ではマティスとアルダを聖人として奉っていますが、御二人は余所で言われるような「神」ではなく「英雄」です。故にわたしも、司祭などとは呼ばれていても、文字通り祭事を司るのが役目です。新皇王の御即位などは生涯に有るか否かの一大慶事なのです」
そこでマカイは苦笑した。
「儀式そのものは非常に簡略なものですが、品々をお渡しする手が震えるのではないかと、今から落ち着かぬ心地です」
カミューも薄い笑みを洩らして壇上を見詰める。満座の見守る中で新たなる統治者に王権を与える役目とあっては、司祭の緊張と高揚は無理からぬものだろう。
「マカイ殿は、ここをお一人で管理なさっておいでなのですか?」
何気なく問うと、即座の否定が為された。
「わたしの他に、十二名が役職に就いております。尤も、この十二名は若い者ばかりですが」
マチルダの歴史と伝統を守るつとめなのだという。厳性な審査で選ばれたものだけが礼拝堂建物内の小部屋に寝起きすることを許され、その中から代々の司祭長が任ぜられてきたのだった。
「彼らも式典では様々な役目を担うのですが、やはり緊張しておりますよ。何せ、前回の即位式典を見た人間の方が少ないくらいですから」
前皇王が即位して今日まで、長い歳月が流れた。司祭長であるマカイですら、前回の式典では壇上の隅に控えるだけの存在だったというのだから、その日に向けて国が騒がしいのも道理というものだ。
「その上、御婚儀まで執り行わせていただくとあっては……歴代の司祭長に妬まれそうな光栄ですとも」
興奮が身を占めたのか、紅潮して声を震わせる司祭。刹那、カミューは目を伏せた。
新皇王の正妃として輿入れの日を待つばかりのグリンヒル公女───実際には、その道中で愛する男と逃げる筈だったテレーズ・ワイズメル。
カラヤ族長暗殺の確証を掴んだ暁には、仇の血を根絶やしにするとルシアは語っていた。マイクロトフはテレーズの人柄を称えていたし、おそらく彼女は父の企みとは無縁なのだろう。罪なく消えることとなるのかもしれない命が、間近のマチルダ皇太子と重なって、束の間の痛みを掻き立てた。
ふと、マカイの語調が変わった。
「グランマイヤー殿が仰っていました。カミュー殿は、殿下にとって聖アルダのような存在でいらっしゃると」
司祭の目は絵図の中のいま一人に注いでいる。マティスのすぐ後ろ、倒れた民の一人を抱えるようにして膝を折る人物。およそ戦場に立つには似合わぬ穏やかな表情は、死にゆく同朋を悼んでいるのか、哀しげにも見える。以前フリード・Yがカミューにそうしたように、闇色の布を肩に纏ったアルダの視線は、主君とは違う彼方を向いているようだった。
「アルダは今の騎士団の基盤を作られた御方です。だからでしょうか、直面した敵を見据えるマティスに対して、更なる先……国の未来を見渡すように描かれたのだと聞いています」
マカイは説いた。
「マティスの武勇とアルダの英知、いずれが欠けてもマチルダの今はなかったでしょう。アルダの血脈が絶えていなければ、皇王家同様に尊ばれた筈です」
これも世の無常というものでしょうか───そんなふうに語る司祭に、カミューは微かに目を細めた。
「皇王家とて無常のさだめから逃れることは出来ない……司祭殿は、そう思われたことはありませんか?」
するとマカイは意外にも笑い出した。
「物騒なことを仰いますな」
軽く言い置いて、真っ直ぐに絵図を見上げる。
「マティスの直系血族がマイクロトフ殿下お一人になってしまった今、皇王家は常に断絶の危機に瀕しています。しかし、憂いていても責務は果たせません。わたしの役目は、マティスとアルダがこの地をハイランドから解放しようと尽力した事実を伝え残すこと……それ以上でも、以下でもないのです」
未来を憂うよりも、今あるものを護ろうとする強い意志。宰相以下、騎士たちと同じ心を思わせる調子であった。
「失礼を申し上げました、お忘れください」
丁重に詫びたカミューにマカイは微笑んだ。
「それより、宜しければ内部を御案内致しましょう。と言っても、式典に使われる部分はここと、奥の控え室くらいのものなのですが」
言われて見れば、壇の左右に扉がある。外観上からも、この建物にはかなりの部屋数がありそうだった。
しかしカミューは静かに首を振った。
「ありがとうございます。ですが……そろそろ城に戻らねばなりませんので」
「然様ですか」
マカイは首を傾げ、思い直したように首肯する。
「式典の前には予行もありますし、必要でしたら、そのときにでも仰っていただければ……」
「そうさせていただきます」
───機会があれば、だが。
胸の奥でそう呟き、カミューは一礼して踵を返した。
マチルダ皇王家の最後の血を絶つには最高の舞台だが、襲撃者は即座に警備に居並ぶ騎士の刃の前に取り押さえられるだろう。
逃亡は果たし得ぬ、閉ざされた空間。カミューは重々しい軋みを上げる扉をゆっくりと押した。

 

 

 

 

 

かなりの人員が帰参したためか、ロックアックス城内に行き来する騎士の数は確実に増している。自身へと向けられる視線に逐一礼を返し、人影が途切れるたびに少しずつ移動を重ね、やがてカミューは城壁の西の外れ、墓地へと続く鉄門の前に立った。
日は大きく傾き、門の向こうに広がる木々が色濃い影を落としている。先日は白騎士が退屈そうに張り番を勤めていたが、既に拘束の時間は過ぎたのか、周囲にそれらしい人物は見当たらなかった。
鉄門は、死者の安息を脅かす存在の侵入を拒むかのように固く閉ざされていたが、施錠されていなかった。一度だけ背後を振り返って人目がないのを確かめた後、カミューはそっと門のうちへ滑り込んだ。
鬱蒼とした森の奥へと続く、人ひとりほどの幅しかない小路。一歩、また一歩と足を進めるたびに、様々な葛藤に揺れていた心が凪いでいく。
木々の間から零れ入る心許ない明かりに浮かぶ白い貌に感情は見えない。ただ、琥珀色の瞳だけが、カミューの奥底に潜む情念を映して薄暗く燃えていた。
どれほど進んだ頃か、不意に密集した木々が切れた。樹木の葉で上方を覆われ、相変わらず辺りは暗いが、四方が開けて広場のようになっている。そこに立ち尽くす男を認めて、カミューは愉悦の笑みを滲ませた。
「お待たせしましたか、申し訳ありません」
先んじて森に踏み込んでいたのは、白騎士団の第二隊長である。瞳を斜めて招待主を確かめた男は怪訝を隠そうともしなかった。
「貴様は皇子の───」
そう言ったきり、後が続かない。白騎士の手には文が握られていた。受け取ってから今まで幾度となく読み返したのだろう、くしゃくしゃに皺の寄った紙面が男の並ならぬ動揺を窺わせる。
どう切り出したものかと迷っているらしい騎士に歩み寄ったカミューは、立ち合いの間合いほどの距離を残して足を止めた。
「先ずはその認識を捨てていただきましょう。わたしはあなたが思っているような……皇子の味方といった立場の人間ではありません」
騎士は一瞬だけ呆気に取られたように瞬いたが、すぐに納得したように表情を引き締めた。
「そうか……張り番の話では、おまえはゴルドー様の命を受けているという話だったが、そういう意味か」
独言のように呟く男に、間髪入れずにカミューは言った。
「非番のところをお運びいただき、恐縮です。しかし……、わたしとて、こうしてあなたとお会いするのは非常に芳しくないのです。内密を守っていただけましたでしょうか?」
「う、うむ。誰にも告げず、人目を避けて来たが───」
虚ろに言い差した次には、激しい感情の波に飲まれたが如き声が唸った。
「この書状、これは何だ? ゴルドー様がわたしの命を狙っているとは、まことなのか?」

───貴殿は白騎士団長の不興を被った。このままでは命も危うい。今ならまだ行き違いを正せるかもしれないので、憚りながら進言させていただく。ついては、人目につかぬ場での会談を求める───

ゴルドーの性格からして、周囲の人間であっても心底からその庇護を信じられぬであろうと推測した。言葉少なに要点のみを綴った文は、まんまと白騎士の驚愕を誘ったようだ。指定した刻限よりも相当前から待っていたらしい男の焦燥は、深まりこそすれ、薄れる気配を見せない。
「一体どうなっているのだ、わたしはゴルドー様の側近中の側近だぞ! こんなにも忠実にお仕えしてきたのに……わたしの何が御不満だと仰るのか」
悲痛な様相で頭を抱える騎士を冷えた目で見守りながら、小さく言った。
「案じられる必要はありません。それは、こちらへ来ていただくための偽りでしたので」
「えっ?」
冷水を浴びせられたような面持ちの白騎士隊長にカミューは淡々と告げた。
「わたしは皇子の味方ではありません。けれど、ゴルドーの味方でもない」
かつて皇太子の従者が「死の神」と呼んだ冷然たる笑みが、その美しい貌を埋め尽くそうとしていた。
「改めて御挨拶致しましょう。久方振りです、……と申し上げたところで、お分かりにならないでしょうが」
「……?」
眉間に深い皺を刻んで騎士は思案に暮れる。まじまじと見詰める眼差しに理解の様子はない。カミューの口元に自嘲が洩れた。
「無理もありません。五年という歳月は短くない。まして、あなたには……殺す側だったあなたには、振り下ろす剣の先にいた人間の顔など記憶に留まろう筈もない」
五年、と復唱した直後、男の顔が著しい変貌を遂げた。愕然の次に得体の知れぬ生きものを見るような困惑が浮かび、終には怯えが取って代わった。
「貴様……、貴様は、まさか……」
喘ぎ混じりに呻き、白騎士は数歩、後退る。
「まさか、あの紋章持ちの───」
「良かった、覚えていていただけましたか。ならば、わたしがここに居る理由も御理解いただけましょう」
穏やかに笑み掛ける青年を窺いつつ、騎士は素早く剣の柄に手を伸ばした。それを見届けながらカミューは言った。
「ああ……、動かれませんように」
この上もなく優美な仕草で、「烈火」の宿る右手を翳す。
「あのとき以来、この焔を人に向けまいと己に課してきました。けれど、残念ながらあなたは自戒の枠内に存在していない。騎士を称する身で、剣も交えず焼き殺されるのは恥辱ではありませんか?」
「う……」
騎士は蒼白になって考え始めた。狼狽を隠そうと試み、努めて泰然を装おうとしている。
そんな男の姿を眺めるうちに、記憶を覆っていた歳月という名の幕がひとつ、緩やかに失われていった。カミューは自失気味に呟いた。
「……思い出した」

 

五年前の夜、踊り狂う炎が作る影の中で、襲撃者・総勢二十四人の名を記憶に刻み入れた。
彼らの名だけを頼りにロックアックスに乗り込んだ。幸い、同名者に惑わされることもなく、生き残った最後の騎士との対峙に至った。
カミューの素性を悟ったらしい男が、あの襲撃者の中の一人であるのは間違いない────けれど。
けれどもし、男の反応が違っていても確信しただろう。
思い出そうと努めなかったから、記憶の隅に埋没したままだった。だが、眼裏に焼き付いた一幕の中に男の顔があったのだ。忘れようにも忘れられぬ、悲嘆と絶望の光景に。

 

「思い出した……あれは、あなただ」
カミューが見守る中、短剣を手にして騎士たちに向かって行った少年。敵う筈もないと知っていただろうに、親の亡骸を前に、我を忘れて飛び出さずにはいられなかった「弟」。
気付いた騎士が少年を一閃した。利き手を裂かれて武器を手放した少年は、そのまま他の騎士に囲まれ、斬殺されていった。
「……あなたは、あの子に最初に剣を入れた」
どのみち生かすつもりなどなかった筈だ。ならば一撃で楽にすることも出来ただろうに、男は嬲るかのように武器だけを落とさせた。結果、少年は無用な刃を受け、苦鳴の果てに死んだのだ。
カミューの白い顔から表情らしいものが残らず消え失せたのを見て、白騎士隊長は身を震わせ始めた。
よろめくように後退した足元にピシリと炸裂音が走る。ぎくりと身を竦ませる騎士の目に映ったのは、地面に生じた小さな亀裂と、そこに立ち昇る細い煙だ。
陽が落ちたのか、各段と暗くなった森の中、ひっそりと屹立する青年の体躯の周囲が薄紅く染まっている。高まった感情が炎となって体外に放出されたのだと、騎士は悟った。
男は五年前、カミューが詠唱もなく攻撃魔法を炸裂させた場に立ち合ったのだ。その恐ろしさは骨身に染みている。生きたまま焼かれる我が身を思ったのか、今や男は完全に五体を震わせていた。
「た、助けてくれ」
両の膝を折り、白騎士隊長は懇願する。
「何でも言うことを聞く、だから……」
カミューを取り巻いていた真紅の覇気が、ほんの僅かだけ衰えた。眼光の冷酷はそのままに、形良い唇だけが笑みを作った。
「あなたには聞きたいことがある。先ずは正直に答えていただきましょう」

 

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これより後半最初の山に入ります。
赤が怖い女王様と化してる最中ですが、
一旦、青の方へカメラ(←笑)は移動。
震えながら出番を待つ白騎士……ちと哀れ。

 

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