或る青騎士の恋


六年もの間、何の接近も出来なかったのは、やはりわたしの要領が悪かったからかもしれない。
既に第三隊長にまで進んでいたメルヴィルは『六年あれば亀とてロックアックスを横断する』と言うが、報われなかった少年時代の恋愛事情を思うとどうしても積極的になれなかったのだ。
ましてマイクロトフ様は恋愛沙汰には無縁の堅物との評価が高く、その上所属も違えば言葉を交わす機会もあろう筈もなく。
だから彼の配下となってからのわたしは幸福だった。以前メルヴィルが口にしていた『心に決めた相手』の影は窺えず、予想通り、否、予想を上回って雄々しく歳を重ねた彼に改めて慕情が募るばかりであった。

 

あの逞しい腕に、砕けるほど強く抱かれてみたい。
太く豊かな声を耳元に聞いてみたい。
広い胸に顔を埋め、睦言を交わしながら喰らい尽くされたい───

 

思うたびに胸が裂けるようで、そんなわたしにメルヴィルは日々呆れたように首を振るばかりだった。
彼もわたし同様、後輩騎士である男に位階を上回られた訳だが、マイクロトフ様の実力や求心力は認めているようで、そうした点には頓着していない。
ただ、わたしの片恋の聞き役であることには辟易していたらしい。今日も今日とて兵舎の一角で苦しい胸のうちを吐露していると、彼は厳しい顔で一喝してきた。
「いい加減にしろ、男のくせにうじうじめそめそ……そんなに惚れているなら、おれに訴えてる間に告白でもしたらどうだ! ああ、行ってこい。行って速やかに玉砕して来い!」
確かにわたしの恋愛は報われないことが殆どだった。しかし、告白と玉砕を同一線上に並べるとはあんまりだ。
「何もそんな言い方をしなくてもいいじゃないか」
「玉砕が不満なら粉砕だ。大昔に言っただろう、彼には決めた相手がいると」
「そんなもの、影も形も見えないが」
「抜け作。いったいおまえの目は何をどう見ているんだ」
そう言われてわたしは深々と考え込んだ。

 

何をどう見ているか。
───決まっている。
マイクロトフ様だけを見詰めているのだ。

 

「頬を染めるな、薄気味悪い! いいか、彼の相手は赤騎士団のカミュー団長だぞ。おまえがひっくり返って一回転して、更に逆立ちしたところでどうにもなる相手じゃない」
怒鳴られて束の間怯んだものの、次には愕然とした。

 

赤騎士団長カミュー様、それは男所帯の騎士団に咲いた一輪の花と称される御方。
他団に属していても憧れる男は引きも切らず、配下の赤騎士たちは恋慕めいた忠誠を捧げ、その一挙手一投足に瞳を輝かせるという伝説の麗人。
マイクロトフ様の親友でおられるとは知っていたが、それ以上の関係だなどとは───信じられない。

 

「……嘘だろう?」
「何を根拠に否定する」
冷たく一蹴されて思わず声が震えた。
「君だって何を根拠にそんなことを言うんだ! マイクロトフ様は清廉な御方だ、男相手に欲情するような浅ましい御方ではない!」
「馬鹿か、貴様。彼が男相手に欲情する人間でなければ困るのはおまえだろうが」
「うっ」
そこでメルヴィルは憐れむようにわたしを見た。
「ま、あの通り鈍いお人だ。何処まで関係が進んでいるかは知らんが……彼がカミュー団長に惚れているのは間違いなかろう。何なら告白ついでに聞いてみればいい。おまえが本気だと認めれば、彼も本気で答えるだろうからな」
それだけ言い置くと彼はさっさと踵を返していた。残されたわたしは呆然とするばかりである。
ただでさえ禁断の想い。今となっては御側で見詰めるだけでもと思い始めていたけれど、マイクロトフ様が同好の士であると知った瞬間から、燻っていた我欲の炎が広がるようだった。
もし、本当に彼がカミュー様と恋仲、あるいは恋仲未満だったとしても。
わたしの六年にも及ぶ片恋を認めてはもらえまいか。せめて一度でもいい、強い腕で一夜の忘我を与えてはくださらないだろうか。
そこまで至ってしまうと、もはや引き返すことなど出来なかった。わたしの足は恋しい自部隊長の姿を求め、走り出していたのだった。

 

 

 

 

夕暮れ刻、城の東棟にある鍛練場にて剣を振るうマイクロトフ様を見つけたものの、恥じらいが勝ってなかなか踏み入ることが出来ない。鍛練場の入り口からそっと盗み見る我が想い人は、初めて出会ったときよりも遥かに増した精悍さ、屈強の雄々しさでわたしを魅了する。
やがて気配に気づいた彼は愛してやまない豊かな笑顔でこちらを一瞥してきた。そこで精一杯の決意を掻き立てて、息を弾ませるマイクロトフ様に歩み寄った。
「どうした? おまえも鍛練に?」
「い、いえ……」
もじもじと俯いていると、彼は怪訝そうに眉を寄せた。
「相談事か? 言ってみろ、力になるぞ」

 

ああ、何とお優しい方なのだろう。
わたしのような一騎士にまで惜しみない誠実を差し伸べてくださるマイクロトフ様。
長い片恋は一気に自制の箍を弾き飛ばした。

 

「お……、お慕い申し上げております、マイクロトフ様!」
「……? あ、ああ。ありがとう」
きょとんと瞬いて彼は丁寧に礼など仰せになる。これはメルヴィルの言う通り、相当に鈍くておられるのだろう。そんな無器用さまでもが恋しくて、片膝を折って項垂れた。
「わたくしが申し上げているのは部下としてではなく一人の人間として、でございます」
顔中から火が出そうだったが、今しかないと己を奮い立たせて切々と告げる。
「……お許しください、わたくしはマイクロトフ様に乙女のように焦がれているのでございます!」

 

 

 

静まり返った鍛練場、我が想い人は長いこと無言で立ち尽くしていた。やがて洩れた声は掠れていた。
「え、ええと……その……」
「わたくしを如何思われますか」
「い、如何と問われても……」
「確かにわたくしはマイクロトフ様より地位も劣る上に三歳年長……、年上は好まれませぬか」
するとマイクロトフ様は妙に動揺なさって声を弾ませた。
「い、いや、年上というのは気にならない。寧ろ好きだ」

 

ぬ、とわたしは心中で情報を吟味した。
赤騎士団長カミュー様───確か彼はマイクロトフ様より一つ年上でおられた筈。

 

「その……もしや赤騎士団長カミュー様を想われておいでですか、マイクロトフ様?」
もはや言葉を選ぶ余裕もなく、胸を切られるような痛みを抱えながら問うと、誠実で正直な我が上官は耳まで紅く染めながらぶんぶんと頷いた。
わたしの本気に応じて、本心を曝け出す。けれどそれは何の喜びにもなりはしなかった。
お美しいカミュー様、賢しく風雅で誰よりも優れた騎士の中の騎士。
最初から勝負になどならない。マイクロトフ様のお心を、あの方からわたしに向けられよう筈もない。
けれどそのまま引き下がるには、あまりに切ない恋だった。だからわたしは必死に彼を見上げ、縋るように懇願したのだ。
「多くは望みませぬ、わたくしを哀れと思し召しなら、せめて一度だけ……それで十分にございます。再び、ただ誠実に忠節を捧げる部下と戻りましょう。マイクロトフ様、一度だけ……わたくしを抱いてくださいませ」
額を床に擦りつけんばかりに訴えるわたしを、彼は再び長いこと黙して見詰めていた。やがて鍛練場に響いたのは、マイクロトフ様とも思えぬ静かな声だった。
「おれはこの世でただ一人、カミューだけを想っている。たとえ如何なるときも、他のものを抱き締める腕は持たない」
不意に煮えるような嫉妬が込み上げた。マイクロトフ様の腕を独占する美貌の赤騎士団長への羨望に疼いた胸が、恥ずべき言葉を吐き出す。
「お……、お二方のことが騎士団中に知れたら如何なさいます?」
卑劣な脅迫に、だがマイクロトフ様は泰然と言い切られた。
「構わない。おれは、おれたちの絆を恥じてはいない。ただ……、詰まらぬ風評がカミューを傷つけるならば、おれは命を懸けて戦うぞ。それだけの覚悟はしている」
誇らかな宣言。
もうわたしには何もすべがない。それよりも、愛する方に脅しまでかけて関係を強要しようとした我が身を恥じるばかりで、嗚咽を堪えながら肩を震わせるしかなかった。
そんなわたしにマイクロトフ様は穏やかに微笑まれた。
「おまえがそのような人間でないことは良く知っている。気持ちは嬉しかったぞ。……すまない」
「マイクロトフ様…………」
泣き濡れるわたしの肩をポンと叩いて、彼はゆっくりと歩み去っていった。その雄々しい後ろ姿を見送りながら、想った相手が彼であったことを幸福に感じるわたしだった。
「済んだか?」
そこで鍛練場のもう一つの入り口からメルヴィルが入ってきた。踞るわたしの横に立ち、感心したようにマイクロトフ様が消えた扉を見詰めている。
「朴念仁かと思ったら、意外と情熱家だったんだな、第一隊長殿は」
「メルヴィル……」
鼻を啜りながら友を見上げる。
「やはり駄目だったよ。わたしの恋は終わってしまった」
「ああ、実に見事な玉砕ぶりだった」
淡々と頷く姿を初めて訝しく思う。どうやら彼は一部始終を見守っていたらしい。
「心配して様子を見にきてくれたのかい?」
「いや、面白そうだったから」
相変わらず皮肉で答えてくる。けれど、悲しい失恋を訴えられることで少しは救われる気がしたので、彼が居てくれることに感謝した。
「カミュー様が相手ではね……儚い恋だったよ」
「……というより、おまえの場合は他にも問題があるんじゃないか? もう少し、自分と周囲というものを見詰め直した方がいいと思うがな」

 

はっとした。
恋愛小説なら、ここは新たな恋の始まる場面だ。
一人の男に心奪われて、間近で見守ってくれる誠実な男の存在に気づかない。報われぬ恋に破れて傷ついたとき、初めて傍らの男の温かさに気づく───

 

「メルヴィル、も、もしかして君は……?」
だが、長い付き合いである友はわたしの思考を読んでいたようだ。ひらひらと片手を振り、わたしの期待と疑問を打ち消した。
「いいや、全然その気はない。綺麗さっぱり皆無だ」
「そ、そう……」
「それより、おまえ……その嗜好は何とかならんのか?」
「駄目だよ、小さい頃から女性には関心が持てなかった。筋金入りの男好きなんだ」
「筋金はどうでもいい、おれが言っているのはおまえの受け身願望の方だ」
今更何を言うのだろうと不思議に思っていると、彼は大袈裟な溜め息をついた。
「おれは別に同性愛者をどうこう思わんが……、たとえおれがマイクロトフ殿で、フリーで同じ趣味を持っていても、自分よりも遥かにでかくてごつい大男を抱きたいとは思わんぞ」

 

 

 

 

───神よ。
何故わたしを斯様に大きく逞しくお作りになられたのか。
確かにメルヴィルが言うように、わたしは大柄な男子が集う騎士団の中でも頭抜けて長身だった。その上、がっしりとした筋肉質で、先般行われた青騎士団内の怪力大会でもマイクロトフ様を差し置いて優勝したほどの腕力を持つ。
おとなしく人形遊びをして育ったわたしなのに、これはやはり姉たちと人形の奪い合いをしたことで鍛えられてしまったのだろうか。
わたしに抱かれたいと希望してくれた同好の士は幾人もいた。
けれどわたしを抱いて甘えさせてくれる男には巡り会えずに今日まで来た。これもみんな、わたしの逞しい肉体の所為なのかもしれない。

 

 

「聞いた話じゃ、ごつい男が趣味という奴もいるがな、そういう連中は中身も男臭いのを好むらしい。おまえみたいに中身は乙女で外見が岩、というのは不利だぞ」
「ひ、ひどい……岩はないだろう」
「じゃ、壁だ」
───壁。
それは少年時代のわたしの仇名だった。傷を抉られてさめざめと泣くわたしにメルヴィルは静かに言い添えた。
「マイクロトフ殿はいずれ我が青騎士団の長となるだろう。剣技、信念共に後々までうたわれる立派な騎士団長にな。たとえ恋愛で報われずとも、忠誠という名でおまえのすべてを捧げればいい」
思いがけない優しい言葉に、わたしは再び涙した。
「メルヴィル、君は……口は悪いけれど優しい男だね、そんなにもわたしを案じてくれるなんて……」
本当に彼はわたしに気がないのだろうか?
こんなに気遣ってくれながら、その友情は清らかなばかりなのだろうか。
けれど友は腕を組んで淡々と答えた。
「まあな。面白いから」

 

 

今日限りで終わる恋、けれど結ばれることだけが想いの終着ではないのかもしれない。
騎士の頂点となったマイクロトフ様の御側で剣を振るい、いつの日か、彼の『壁』となって生涯を終えることが出来るなら。
それもまた幸福と言えるかもしれない。

 

 

先に立って鍛練場を出る友を小走りに追う。
───あたりには新しい季節の気配が忍び寄っていた。

 

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小走りに駆けても
足音はドスン、ドスン。
乙女な壁騎士は今日も行く。
めでたし、めでたし。

 

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