饒舌な軍師より新同盟軍の現状について長々と説明を受け、ようやく解放されたのは夜も更けてからのことだった。
                本日より新たな住処となった部屋に戻った元・青騎士団長マイクロトフは、改めて感慨を込めて年上の友人を窺う。
                共に古巣・マチルダ騎士団を離脱してくれた元・赤騎士団長カミュー。尽くマイクロトフとは対を為す理性的な彼が、よもやこうして離反行動に賛同してくれようとは。今更ながらに彼と思いを同じくすることに胸の奥が熱くなる。
                装備を外した軽装で狭い室内をあれこれと物色している美貌の青年は、そんなマイクロトフの密やかな情念に気付かぬかのように常と変わらぬ飄々とした様子を崩そうとはしなかった。
                 
                ───何しろ、十年越しの恋である。
                周囲の誰もが二人を心許し合った親友と認め、それはカミュー自身も同様であるようだ。
                けれどマイクロトフは、カミューを掛け替えのない友であると同時に、仄かな恋情の対象としても見てきたのである。
                騎士団入団試験時に一目惚れしてより早幾年。
                端麗な容貌のみならず、見事な剣捌きや聡く鋭い政治的感性、挙げ句は柔らかで気品溢れる物腰や話術、どれを取ってもマイクロトフを陶然とさせずにはおかないカミュー。
                マチルダに在った頃には所属の違いもあって、友人としてであってさえ間近で時を過ごすこともままならなかった。
                けれどこうして新しい環境に飛び込んだ今、マイクロトフの胸に燃えるものは平和への戦いに向ける崇高なる情熱、そしてカミューとの関係を一気に奥深いものにしたいという願望である。
                一度に二兎を追うにはあまりに不器用な己を顧みず、彼は眼光鋭き狩人の心地であった。
                 
                「それにしても……」
                ふと、カミューが呟いた。はっと注視を向けると、彼は設えられたベッドを睨みつけていた。
                新同盟軍・指導者の少年に案内された瞬間からマイクロトフの思考を幸福で満たしていた、たった一つしかないベッド。少年は要人を迎えるにはあまりに粗末な待遇を幾度も詫びていたが、彼にとっては手を握って感謝したいばかりの処遇であった。
                「……本当に貧乏所帯なんだね。まあ、大部屋で雑魚寝している部下を思えば贅沢も言えないだろうが」
                しみじみと頷いているカミューに歩み寄ると、ほっそりした肩に手を回したい思いで胸を一杯にしながら重く言う。
                「そうだな……だ、だが……一つあれば十分なのではないだろうか……」
                「まあね」
                笑いながらくるりと振り向いた白い顔にどきりとする間もなく、邪気の無い問いが迫る。
                「どちらがベッドを使うか、アミダで決めようか?」
                「い、いや」
                何故妙なところで公平であろうとする、と心中叫びながら彼は慌てて首を振った。
                「つ……詰めれば二人でも眠れるのではないか?」
                標準よりも相当大きな身体を縮ませながら言うと、カミューは困ったように微笑んだ。
                「そうかい? じゃあ……わたしが壁側で構わないかな」
                出来ることなら重なって眠りたい男にとって、どちらが壁側を取ろうとたいした問題ではなかった。鷹揚に頷いてみせるとカミューは補足するように付け加えた。
                「どうせおまえはここでも早朝訓練を行うんだろう? 飛び出していくおまえに蹴飛ばされるのは遠慮したいからね。じゃあ……壁側を貰うよ」
                 
                マイクロトフは密かに嘆息した。
                もし、もし二人の関係が進んだなら、せめて最初の朝くらいは訓練を休止しても構わないのだが。
                 
                そんな男の一途な純情に気付かず、カミューは愛用している真紅のマントを掴んで捩り始めた。
                「……?」
                怪訝に思いながら見守っていると、彼は紐状にしたマントをベッドの中央に置いてにっこりする。
                「境界線だよ、超えたら罰として夕食のワインを奢ること」
                 
                ───ああ、何と無邪気な一面もあることだろう。
                マイクロトフは感動に胸を震わせた。
                ついでに懐具合をも少々考えてみる。これからは酒豪の想い人に毎夜酒を振舞わねばならなくなる……なら嬉しいのだが。
                 
                「それより、カミュー……その、風呂に行ってみないか?」
                本拠地の城を案内された時から何度も反復した台詞は、自分でも感心するほど滑らかに零れ出た。ここで妙な緊張を窺わせてしまえば、カミューに無用な警戒を与えてしまうだろう。
                ───もっとも、非常に唐突な話題の変換は十分に違和感があったことには気付かぬマイクロトフであった。
                「風呂……?」
                カミューは瞬いた。
                「ああ、そういえば……案内された中にあったね、大浴場が。でも……、こんな時間だし」
                軍師に解放された時点ですでに丑三つ時。大所帯の城にあってさえ、すでに静寂が支配している刻限なのだ。
                「い、いや……こんな時間だからいいのではないか」
                務めて何気なく言い募りながら、表情は必死のあまり引き攣っていた。
                「静かにゆっくりと入れるし、やはり身奇麗にしてからの方が心地良く眠れるのではないかと……」
                別に身奇麗でなくても、ここで一気に関係を詰められるなら全く問題はない。
                けれど長年親友として過ごしてきたカミューは、マイクロトフの向ける想いに限っては悲しいほどに鈍感な青年であったのだ。
                 
                好きだ、と告白はした。
                『今時、友人にそんなことを面と向かって言えるなんておまえは凄い』と感心されるだけで終わった。
                手を握ったこともある。
                カミューが出陣する直前だったという状況が悪かったのか、『ありがとう』と握り返されて終わりだった。
                一念発起して抱き寄せたこともあった。
                しかしそれも戦場から帰還したときだったので、『心配させて悪かった』で済まされてしまった。
                 
                ───何から何まで要領の悪い恋愛初心者、マイクロトフ。
                だが、これからは違う。新しい環境と確認し合った価値観の一致が二人の関係を大きく前進させてくれる筈だと彼は頑なに信じていた。
                そこで風呂というのは、『一つのベッドで裸体を堪能するにはまだまだ相当時間が掛かりそうだから、取り敢えずは風呂場で鑑賞くらいしておきたいものだ』という、マイクロトフなりの知恵だったのである。
                無論、人気のない真夜中であるから、それ以上の期待も無意識にはたらいていたけれど。
                 
                「……そうだね、まあ……折角の設備だし、試しておくのも悪くないか……」
                ようやくその気になったらしいカミューに、思わず拳を握りそうになる。いそいそとタオルを二つ引っ掴み、気が変わらぬうちにと背を押す男にカミューは苦笑するばかりだった。
                 
                 
                 
                 
                さて。
                寝静まった城内を進み、浴場に辿り着いた二人であるが、昼間案内されたときに迎えてくれた男の姿は見えなかった。
                城の風呂作りを任され、常は番頭としてほかほかになった仲間を嬉しそうに見送る男の名はテツという。頑固一徹な職人であるが、風呂に懸ける情熱と信念は住人たちの敬意を集めているらしい。
                「おかしいね、テツ殿がいらっしゃらないけれど……そうなると風呂の時間は終わってしまったのかな、この時間だし……」
                ここまで来てそれはない、とマイクロトフが脱衣場を窺うと、ちゃんと明かりが点いている。
                「席を外されただけのようだな」
                「……勝手に入ってしまっていいのかな」
                「構わんだろう。昼間も仰っておられたではないか、『いつでも来てくれ』と」
                「まあ……それもそうだね」
                納得したように衣服をずらし始めたカミューに、マイクロトフは慌てて背を向けた。鑑賞願望に燃えている割には純情な我が身が恨めしい。衣擦れの音がなまめいて耳を打ち、初っ端から動悸でよろめきそうである。
                「どうしたんだい、先に入るよ?」
                背後から聞こえる笑い声。振り向けば焦がれ続けた白い肌が……と思いつつ、焦るなと自らに言い聞かす。震える手で衣服を落とし、脳裏でこの先の動向を思い描いた。
                やはり必要以上に眺めてはいけないだろう。口惜しくも今のところは二人は友人同士の域を出ないのだから、鼻の下を伸ばす様を見せてはならない。
                これはいずれ訪れる──といいな、と思っている──夜のための予行練習、カミューの裸身を目にしたときに血圧を上げないための準備運動なのである。
                昼間、風呂職人も言っていた。風呂は裸の付き合いで親交を深める素晴らしい場所なのだと。
                あくまでもその領分を弁えて、尚且つ背中など流してやれたら初回としては大成功だろう。思いがけず手が滑って肌に直接触れられたらいっそう嬉しい、などといった仄かな野望が兆したとき。
                 
                「……マイクロトフ、ちょっと来てくれ」
                浴室内に先行していたカミューが困惑した調子で呼び掛けてきた。何事かと急ぎ追い掛けた彼は、そこで呆然と立ち尽くした。
                タオルで腰元だけを覆った想い人の半裸姿に感動したのもあるが、それ以上にカミューの指す先にあるものに我が目を疑ったのである。
                浴室自体は多くの住人をまかなう一軍の憩いの場として十分な広さを持っていた。だがしかし、その中に鎮座する湯船とも呼ぶべきものが、さしものマイクロトフをも絶句させたのである。
                 
                ───広い浴室内にドラム缶がひとつ。
                 
                魅惑のひとときとなる筈が、いきなりの挫折を迎える。
                マイクロトフは思い描いた淡い願望が崩れ落ちていく音をはっきりと聞いたような気がした。
                 
                 
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