パンドラの蒼き箱・2


───ふざけるな。

 

内心吐き捨てたい気分だった。

 

誰が誰に懐いている? おれがカミューに?
───冗談じゃない。
傍目にはそう見えるのか、事実はまったく逆だというのに。
こんな不条理があるものか。

 

 

 

遅れがちになる足を意識しつつ、思わずにはいられなかった。ひょっとすると、いつもこうして足取りが重い所為でカミューの後ろをついて歩く結果となり、それがあんな噂を呼ぶのかもしれない。反省はしてみるものの、隣を歩くのはまっぴらだった。
白い横顔が目に入る。
眼差しから逃げようがない。
気安く肩にでも触れられようものなら、手を払い除けてしまうかもしれない。
周囲の目には二人は親友として映っているかもしれないが、迷惑きわまりないことだった。彼は一度としてカミューと親しくなりたいなどと思わなかったし、現在の関係を苦々しく感じているのだ。
他人に負の感情を抱かず、大抵の人間は好ましく思うマイクロトフにとって、カミューは唯一の例外だった。自分でも不思議に思うほど、カミューに馴染めない。
別に異邦出身であることへの差別感情や、自分を追い越した成績への嫉みというものがあるわけでもない。ただもう、生理的に好めないといったあたりが本音だろうか。

 

仄白い肌は見ているだけで不快をもよおす。
こんな生っ白い男と剣の腕が互角であるのに釈然としない。

仲間うちでは聡いと評されながら、傍にいる自分の感情に気付かない意外な鈍さ。

柔和な美貌も腹立たしい。
容貌など無意味な騎士の世界にあって、華やいだ笑顔を振りまくのを見ていると、胸にどす黒いものが沸き起こってくる。
そう───
元はと言えば、その容姿がすべてだったのだ。こんな忌ま忌ましい関係が出来上がってしまったのは。

 

 

あれは三カ月前のこと、まだ騎士士官学校中が眠りについている早朝に、マイクロトフは自主訓練のために敷地内の広場へ向かっていた。
そのとき耳にした争いの物音に導かれて厩舎の裏手を覗いた彼は、そこで揉み合う人影に出会った。
片や馬術指導に訪れる白騎士、もう片方は中途入学で話題になっているひとつ年上のグラスランドの少年だった。
普通の喧嘩でないことは少年の引き裂かれた衣服や異様に赤らんだ白騎士の表情から察せられた。呆気に取られるマイクロトフの目前で、押し倒された少年が両手を戒められ、唇を奪われようとしていた。
反射的に走り寄り、非難の声を上げたマイクロトフに、少年を撫で回していた白騎士は慌てて身を起こした。そして相手が騎士団の上官にも目を掛けられている従騎士であるのを悟ると、口汚い捨て台詞を残して逃げ去っていったのだ。
漸く半身を起こした少年は微かに震えているようだった。戦慄く唇や青ざめた頬が痛々しく、破れた衣服の代わりに上着を脱いで差し出したことが始まりだったのかもしれない。
そのときカミューが浮かべた笑みは、それまでマイクロトフが遠目に見ていたものとは異なった。どこか幼く感じる無防備な笑顔に面食らい、横に腰を落としてぽつぽつと話し掛けた。
それは衝撃を受けているであろう相手に対するごく普通の配慮であり、決してそれ以上のものではなかった。寧ろマイクロトフは、同性の欲望の対象とされたカミューを不快に感じたくらいなのだ。
不自然な感情には、それなりの理由がある筈だ。誰にでもにこやかに応じるカミューに白騎士が勘違いしても無理ないかもしれない。突き詰めれば自業自得と言えないこともない───そうも考えた。
詳しく事情を聞いてみれば、ますます非難はカミューに向いた。あの白騎士の母はグラスランドの出身だったらしい。彼の地の話でもしよう───そう誘い出されたというのだ。
早朝に、こんな人目のない場所。
そこで妙に思わないとは、抜けているにも程がある。呆れ果てたマイクロトフは、二度と関り合うまいと密かに決意したのだが。

 

『本当にありがとう。これから友人として付き合って貰えないだろうか?』

 

甘い声に潜んだ縋るような調子に引き摺られて頷いたのは不覚としか言いようがなかった。
以来、彼はさながら番犬の如くマイクロトフを傍に置いて身を護ることに徹したのだ。つまり、必要としているのはカミューの方なのである。
それであの噂ではまったく見合わない。
憮然としつつ、気付かれないように溜め息をついた。

 

 

 

「中途入学で一年遅れているから、慣例では来月の試験は受けられないという話でね。校長を丸め込むのに苦労したよ」

そうだ、おまえはそうやって人を取り込むのは得意だものな。

「実力的には問題ないと思うんだ。こう言っては何だけれど、他の従騎士は敵じゃないし」

そうやって他人を見下げているくせに、綺麗に笑ってみせる上辺の技術はたいしたものだ。

「『騎士団では実力がすべてではないか』、そう押し切った。つまらない慣例に拘わるなんて、古臭い体質だと思わないかい?」

……どうだか。ならば精々出世でもして、おまえが体質改善に勤しめばいいことだろう。

「……おまえと一緒に騎士に叙位されたかったし」

───おい、騎士になってからもおれを番犬に使うつもりか? 冗談じゃないぞ、勘弁してくれ。

 

 

次々と飛び出す否定的な思考は自分でも唾棄したいほどに陰欝なものであり、それがいっそうマイクロトフを苛立たせた。
カミューとの会話はいつもこんな調子で、一方的に展開される話題に適当に相槌を打っているのが実情だ。そんな対応をどう思っているのか、カミューはいっこうに気にするふうでもなく、楽しげに声を弾ませる。
あるいは無口で無愛想な質ではあるが、心は親愛に満ち溢れているとでも誤解されているのだろうか。
思い至ると、憂鬱に拍車が掛かる。

 

「実技試験は勝ち抜き方式だったね。多分決勝はわたしたちの対戦になる。楽しみだな」
日頃カミューと交える剣は訓練の域を出ない。真剣を使う勝負は、文字通り初めての本気の戦いとなるだろう。
学問では先んじられたが、剣技で首位を譲るつもりは毛頭なかった。それは騎士一族に生まれたマイクロトフの矜持であり、今後の騎士人生における勲章ともなる。
士官学校の人間どころか、騎士団の要人も見守る勝負にて完膚なきまでにカミューを打ち破り、この面倒で厄介な友情芝居に終止符を打つ。
そして以後は、本当に気の置けない友たちと肩を並べて崇高な騎士道を歩むのだ。

 

マイクロトフは終に一度も真面にカミューを見ぬまま、その日も夕食までの長い時間を共に過ごしたのだった。

 

 

← BEFORE               NEXT →


うじ男・青。

 

課題の間に戻る / TOPへ戻る