かえるの子守歌


ドクダミの茂み。夜、月明りで白い花が目立つ

「もうだめ、我慢できない」
「もう少しだから待って。ほら、水のにおいがしてきたじゃない」
「うそ。あなたなんて大っ嫌い! もう歩かないっ!」

森の中にいるはずのモリアオガエルの若夫婦が、卵を産む場所を探して団地の中をさまよっていました。
なぜこんな事になったのでしょう。

悔やんでも仕方のないことですが、二人がまだオタマジャクシだった去年の夏休み、小学生に捕まるまでは、静かな森の小さな池でのんびり暮らせる筈でした。

オタマジャクシの時はかわいがってもらえました。でも夏も終りになって、カエルに変身した時から 苦労 が始まったのです。

目をつぶって一息ついていた奥さんガエルは、オタマジャクシだった昔のことを思い出していました。

池に張り出した木の枝にお父さんとお母さんが作ってくれたゆりかご、
大きな真っ白な泡のかたまりの中の居心地の良かったこと。
そこから池に跳び込む時、下で待ちかまえている真っ赤なおなかのイモリの恐ろしかったこと。
ミジンコやボウフラを追っかけて食べたこと。
池に沈んだ枯葉のベッドや水草のハンモックで休みながら聞いたお父さんの歌の素敵だったこと。「 コカカカッ、 コカカカッ 」。
「お父さん--------」

「コカカカッ、こっちだよー、 コカカカッ 、水があったよー」

「あら、あなただったの?」

涙をぬぐって、奥さんガエルは声のする方へ素直に歩いて行きました。そこは、アジサイが茂りドクダミの花が夜目にも白く庭一面に咲いている小さな家の玄関先でした。

「どこなの?」
「ここだよ、上がっておいで」

見上げると、今どき珍しい瀬戸物の大きな水がめの上で、得意そうにほゝを白くふくらませた夫の姿が見えました。間に合わずに仲間が卵を産んでしまった道路の向こうのコンクリートの溝のことを思えば、そこは素敵な場所でした。

木の枝こそ垂れ下がってはいませんでしたが、差しかけてあった杉の板を使って、なんとか卵を産みました。
成ったばかりのお父さんガエルも、泡のボール作りを一生懸命手伝ってくれました。やがて生まれてくるオタマジャクシ達も、水が無くなることを心配しなくてよさそうです。

「お月様みたいに白くて丸いね!」
壁に張り付いて声を掛けたのはヤモリの坊やでした。

「ありがとう。がんばったからね。ところで君はなにしてるの?」
「あかりに集まってくる虫を食べてんの」
「ここは虫が多いかい?」
「庭で生ごみを処理するようになってから増えたよ」

モリアオガエルの夫婦はこのアジサイの庭がいよいよ好きになりました。

「鉢植えのアジサイには近付かない方がいいよ」
「どうして?」
「あしたどこかの池のそばに植えに行くって言ってたよ」
「ありがとう」

そのあと、お父さんガエルが考え事を始めたので、お母さんガエルはアジサイの葉陰で眠ってしまいました。

「そうだ! もしかしたら、溝の卵、助けられるぞ」
そうつぶやくとお父さんガエルも眠りにつきました。

朝早くアジサイの鉢を車に積もうとしていたお家の人は、モリアオガエルのいつもより大きな鳴き声に誘われて、道の向こうを覗きに行きました。
溝で卵の塊が見つかりました。

「ここじゃ乾いちゃうな。呉羽山の自然観察の池に持って行こう」

お父さんガエルは運ばれて行く卵の塊を見送りながら、
「あの子たちにも子守歌を聞かせてやりたかったな」
などと考えごとをしながら道を渡り始めました。

ここは団地です。通勤の 自動車 が通りすぎました。

お父さんガエルは、アジサイの庭へ二度と戻っては来ませんでした。

 

コウホネの黄色い花が咲く自然観察の池では、小さな風がそっと吹き抜けては、ガマやショウブの葉を鳴らしています。

「 コカカカッ、 コカカカッ 」

なぜかオタマジャクシたちには、それが子守歌に聞こえるのでした。

                         お し まい



産卵と卵塊作製作業。雌のお腹の大きさに注目。1993-6-11、18:57


一泳ぎし汚れを落として水からあがる雌ガエルと側で休む雄ガエル


昼は寝ている雄ガエル1993-6-13

.

【作者の観察と事例的調査による註】
 モリアオガエルの雄は六、七月頃良く響く大きな声で、水辺で雌を呼びます。富山のモリアオガエルは白いお腹にうすい灰色の斑点がありますが、背中はきれいな緑一色です。夜行性なので目がとても大きく、昼は木の枝にへばり付いて眠ります。雌は体長六、七センチ、雄はその半分ぐらいです。
 産卵は共同作業で行なわれますが、雌は数分置きの産卵の度に大きな長い後足で泡をかき混ぜ、最終的にソフトボール大の白い卵塊を作り上げます。雄は身体が小さくて、授精するだけが仕事のようです。事典にあるように卵塊作りを手伝っている様子は見えません。観察例では、夕刻5時頃から夜中の十一時頃まで掛かって産卵。雄雌の順に半時間程の時間差で水に跳び込み身体に付いた泡をとります。雌の皮膚は収縮し黒緑色に変っています。そのままどこかに行ってしまいます。雄はいかにも卵塊を守っているような雰囲気で数日間周辺に居ます。実は別の雌ガエルを待っているのだと推測できます。
 産卵後硬変していたボールは、表面の一部が数日後に溶け、中から体長1センチ強のスマートなオタマジャクシが跳ね落ち、滑り落ちてきます。カエルになれば水辺から離れて、森や林や草叢で暮らします。ここの団地では水辺を離れ5軒程離れた庭に移動しているのが一ケ月後に見つかりました。産卵時期になると、もよりの池や水溜りを探すようです。
1992年初夏 あなやまつとむ