自然災害直後の障害物移動法
Methods for removing obstacls just after a disaster
(修正2024年2月29日、初稿2022年10月26日)



ご覧いただいたのは 昭和初期までは伝統的に使われていた掛け縄縄テコと呼ぶ重量物運搬技術の一つの内縄テコによる引きずりと持ち上げの例である。掛け縄について農文協の「小さな林業で稼ぐコツ」という本に「掛け縄方式」という名称で紹介されているのでここでは詳しくは言及しない。丸太に縄を二本かけて、ブリッジを掛けた軽四トラックに転がして省力で運び上げる技術である。

災害直後には重量物の緊急移動が必要だが重機は期待できない。人命救助や物流の早急な回復のため、縄を併用する長さ2メートル程の二又に組めるテコ棒2本と8メートルほどの麻縄をセット(著者はこれを 二又縄テコセット と呼ぶ)が備蓄してあれば一人或いは数人で用いて、道路も早めに片付けられるかもしれない。
二又テコ棒と縄があれば、クレーンに似た省力運搬が可能。100キロ程度の荷重ならば一人で引きずれる。柱の持ち上げには二又テコ棒を一対使用すれば動滑車の原理も働き更に省力できる。

テコ棒代わりに脚立やハシゴを用いても良い。二又テコ棒は安定して立つので使い易い。二又は材木を組み合わせたが、縄文遺跡からは巨大なY字材がペアで出土しており、テコ棒として使った可能性もかすかにある。

防災に自助努力は必要だが、土木作業に慣れない人はやらない方が良い。人によって得意不得意があることと、現場は恐らく足場が悪いこと、作業の動線に人が入ってくることなど不測の事態も起こる可能性もある。また縄が外れると自分の方にテコ棒が倒れてくる可能性や、横向きに倒れることもある。かく言う私も、テコ棒として使った木製のハシゴが倒れかかってきて、頭に六時間で引っ込むたん瘤ができたこともある。実践には訓練が必要かもしれない。

100〜200キロ程度の荷重ならば、使う縄は0.6センチほどの麻縄で良い。吊り縄は全荷重を吊るので切れそうならば二筋にして使えば良い。クレモナsロープも使ってみたが、伸縮性が高いので縄テコには不向きである。またプラスチック製品は風化する恐れがある。実験に使った麻縄は100年ほど保存されていた古いものである。縄テコの作用点はジブ・クレーンの支柱と同様、見えない位置にある。作用点が見えないためクレーンの支柱はテコ棒として知られていない。

テコ効果で省力された荷重は、力点で支点側に配分されているために、曳き手が曳く曳き縄側には残りの荷重しか配分されない。そのため省力感が得られているだけで、荷重がテコで消滅したわけではない。力点から支点側と曳き手側に配分されているだけである。配分量は引き起こし始めのテコ棒の垂直からの傾斜角で決まる。傾斜角が小さいほど大きなテコ効果が得られ、得られた効果の分は支点側が支えるため曳き手小さな力でテコ棒を支えあるいは曳くことができる。見えない作用点は、力点からの鉛直線と支点からの水平線の交点である。吊り縄の上端は吊り縄に掛かる全荷重を吊ったまま力点にぶら下がっているだけである。クレーンで吊り荷を軽く上下運動させているのは巻き上げ機と複合滑車であり、荷重の全ては最初から最後まで変わらず力点にぶら下がっている。テコ棒を伏せ過ぎると、支点に配分されていた荷重が曳き縄側の曳く力の限度を超えることになる。人ならば引き倒され、モバイル・クレーンなら転倒事故の知られざる一因になる。クレーンの支柱を伏せて持ち上げた位置より遠くに吊り荷を降ろそうとしてはならない。引きずるだけなら問題ないので人力だけの縄テコでは使って欲しい技術である。上記は工学系でない著者の発言であるが、昭和初期には運搬に関わった人は伝統的に省力運搬技術を見聞き体験して知っていた。

閑話休題、以下は大東亜戦争時の疎開先の田舎で見た伝統の技術や少年たちの遊びの話である。
田舎では大人の色々な技術を見たりやらせて貰えたり仲間と遊べて幸せだった。
炭焼き小屋で俵に詰めた木炭を人力で木馬(きんま)という橇で運ぶ若い衆一人にゾロゾロ付いて桟道をヒョイヒョイと伝って歩いて、誰一人足を踏み外さずに山を降りたことが何度かある。「きーんまーだあ、ホイやーれーー(ラーラソミ、ラララーラー)」と木馬を曳きながら黒い油を桟木の凹みにペタペタ塗ったり、スピードを落としたりしながら若い衆は歌っていた。下につくと、色んな話をしてくれた。
仲間たちからも古い少年文化を教わった。南瓜の花に潜り込んだミツバチやクマンバチを捕まえてお腹の蜜袋を取り上げて舐めてしまうとか(◯した筈の蜂の胸部の足が指に抱き付きお尻の針で天罰を喰らったこともある。膨らんでいない蜜袋を見て反省して血生臭くない殺戮は5~6匹目でやめた)、エノコログサで縛ったミミズでズガニをおびき出して捕まえるとか、小春日和に鉄棒の付近で戯れているアシナガバチ(通称フタマタ。だから刺せない)を刺されずに素手で捕まえるとか、釣って弱ってきた魚に人工呼吸をするお呪いとか「生き生きゴンボ、ゴンボ-食って、シャーンとせー(ラソラソラララー、ラララソ、ラーソミー)と唱えながら魚の尻尾を持って4拍子で前後に八回揺すって人工呼吸?をして突き放すと元気になって逃げて行く)」とか、どうしてもできなかったのが麦の穂を噛みまくって黄緑のゴミだけ吐き出しているうちに口の中で鳥餅(取り餅)が出来るという遊び。大学生になって麦の勉強をして初めて解った。小麦の穂じゃないと駄目で私が噛んだのは大麦の穂だったw。

最後に身投げ話。トムソーヤーの冒険だかハックルベリ・フィンの冒険(著者は1910年沒)だかに書かれていた記憶があるが、西洋には「困った」の表現に「切り株の上に腰をかける。Sit on the stump」と言うのがあった。今はstumpは別の意味(断端、医学用語で義足や義手を付ける部位)を指すが、昔はstumpは切り株を意味していて困った状態を指していた。田舎の山道で膝よりやや高い位置で切られたお尻より小さな直径の切り株にヒョイと腰をかけると、いざ降りようとしても足は立たず、手も入らず、指だけでは体が持ち上がらず、木綿のズボンが全く滑らずでお手上げになった。それこそ自助努力でモタモタして居る間に、仲間が山道を下って見えなくなっていた。本当に困った。「山の日はつるべ落とし」山では日が突然暮れて真っ暗になる。結局わざと身投げして(怖いぞーw)転がり落ちて仲間を追いかけて事無きを得た。 ホームページへ