私たちが、ビデオ機材と出会ったのは、1979年
当時は、まだ小型映画と言われていた8ミリ映画機材での自主映像制作が
主流でした。8ミリフィルムでも、シングルエイト、スーパーエイトとの
二つの規格があり、フィルムを繋ぐのにフィルムセメントを使うか、接着テープ
を使うかで、その規格の違いが現れていました。
シングルエイトで8ミリカメラの、「フジカZC-1000」 このカメラはCマウントの
レンズ交換式のカメラ。本格的な撮影機材を思わせるスタイリングは、
自主制作の撮影では、、ステイタスシンボルのカメラでした。
一方、この頃から徐々に、ホームビデオという形で、ビデオカメラも出現してきました。
テレビ局では、ビデオはスタジオでの収録が中心で、2インチのビデオが
主流でしたが、この頃から、BVH1000などの1インチビデオが出始め、
それに伴い、スタジオ以外でもビデオ収録をという流れが起き
ENGやEFPという言葉が現れはじめ、16ミリフィルムカメラを使ってニュース取材を
してきた時代から、ビデオカメラを使って、ニュース取材をするという、
丁度狭間の時期でした。
ENGではソニーのBVP300シリーズ、EFPでは池上のHL-79E、といったカメラが
名機と言われ、ENGの収録機材ではBVUシリーズの3/4インチテープのポータブルVTR、
EFPではBVH-500のポータブル1インチVTRでの収録が主流でした。
ビデオは放送局ですら十分には浸透されていなかった時代でもありました。
そのような中、ホームビデオという民生用のビデオ機材が現れ、
「放送局で使われているコンセプトの機材が現れた」という喜びを
感じたものでした。
光学式のビューファインダー、マニュアルでホワイトバランスをとって撮影した、ソニーの
HVC-1100電子式ビューファインダーを持ち、ショルダータイプにデザインされたHVC-80
最初に手にしたカメラでした。当時はカメラと収録機材はセパレートになっていましたので、
収録用のVTRが必要になります。放送局のポータブルVTRを思わせるような1/2の
VTRデッキが、ソニーのSL-3100でした。
VTRの編集は、テープ対テープのダビング作業。、家庭用VTRが普及するに連れて、
編集を意識したデッキが現れてきました。SL-J 9などを使って編集した記憶があります。
業務用では、1/2規格でも、ベータ1規格のSLOシリーズのポータブルVTRで収録し
据え置き型デッキで編集するという方法もありました。
いずれにせよ、VTR編集はダビング作業、オーバーラップやワイプなどの特殊効果の編集
は、放送局でなければできない時代でした。
ポストプロダクションという言葉が現れ、編集専門のスタジオが出来るようになったのは
80年代半ばだったと思います。
79年か80年頃、放送の世界では、デジタルビデオエフェクター(DVE)が
現れ、オーバーラップやワイプによるエフィクトに次ぐ第3の効果として賞賛されました。
映像の革命とさえ言われました。実に、このデジタルという言葉が、今日の映像を予言
していたのかもしれません。当時は、映像を蓄積して、それを特殊効果として表現する
技術でしたが、それが発展し、80年代初めからイベント会場で見られるようになった、
マルチビジョン(モニターを何台も並べて映像を映し出す機材)になりましたし。今日
のようにパソコンで編集ができるようになったのも、この技術があったからです。

デジタル技術の歴史を肌で感じているのが、私たちシーアイアルファのメンバーなのかも
しれません。



撮影機材 回顧録

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