7-10



ずっとあれから考えていた。
誰も、何も、問い詰めてこないのだ。
しかし、そのことは忘れられた出来事ではなかった。
言いにくそうな正人を見たら、すぐにどこにいるのかがわかってしまった。
聖があそこに呼ばれたことはきっとあの件なんだろう。
きっと、みんなこの時を待っていたに違いない。
全てが無事に終えて、一段落してからじっくりと話したかったのかもしれない。
――今後も含めて。
自分のあの一言のせいでみんなに迷惑をかけてしまった。
それがなによりも悔しくて、その失態を責めた。
自分の小さなわがままから始まった今回の事件。
『会いたい』の短い一言がこんなに重くのしかかるなんて思いもよらなかった。
あの後は一切聖とは連絡も取らなかったし、再会してからも表面上は何もなかったように振舞い合った。
改めて聖と再会した時、正直どうしたらいいかわからなくて、キス一つにも躊躇いが隠せない。
たくさんの不安にエレベーターの待ち時間がとても長く感じた。
社長室のある階について、奥の方にあるその部屋へ走り出す。
ノックもせずに勢いよくドアを開けると、想像通りの三人がこちらを見ていた。
「どうしてここが……?」
「……いないから、きっと……ここだろうと思って……」
「ちょうど、当事者も来たくれたことだし――そこに座りなさい」
海晴の姿を見た聖は動揺の色を隠せない。
あまり見せない表情に海晴はここに来たのは失敗なのかと思ってしまう。
軽く息を切らせながら、促された場所に座り込む。
「……大丈夫か?」
呼吸を整えている海晴はただ頷いた。
「――……ということで。聖。あんたまだ伝えてないようね?」
「……」
「とっくに言ってると思ったら、全然知らないじゃないの」
「――そのつもりだったんですけど。やっぱ言い出せなくて」
「はぁ……。だから、ややこしくなるでしょうが」
「……」
「あの……、何の話してるんですか?」
話の方向に全然ついていけなくて、思い切って聞いてみることにした。
しかし、周りの雰囲気は何故か重く、誰も話そうとしない。
人の良さそうな顔をしている社長は、相変わらず一人のんびりとコーヒーをたしなんでいる。
こういう話は三上の役割になっているようだった。
(マズったコト聞いた……?)
冷や汗をたっぷりと掻きながら、横にいる聖を見るが目を合わそうとしない。
「――あなたのことよ」
「……はぃ?」

次の週のバイト日。
(はぁ……。今日、だよね……?)
いつもと違って気が重い海晴は足取りが遅くなってしまう。
聖が内緒で家に戻ってきた後のバイトも気が気じゃなかったが、それ並にへこんでしまう。
いつ話すんだろうと様子を窺っていると、なかなかそのチャンスにも恵まれないまま、夜を迎えてしまう。
(このまま終わってしまえばいいのに)
いつかは話さなければいけないことでも、なかなか覚悟を決めれない海晴はズルズルと先延ばしにしてしまいたい気持ちになっていた。
そろそろバイトの時間も終わりに近づき、後は帰宅するだけになった頃。
「あら? 戻ってきてると思ったのに」
一番に部屋に現れたのは、マネージャーの翠だった。
聖たちの姿が見当たらないので、踵を返そうとした時にどうやら戻ってきたらしい。
「翠さん、足速いですね」
「どうせ寄り道してたんでしょうが」
「まぁ……そんなトコです。――アレ? みんないないの?」
一人残っている海晴に対して聖は話しかけると、ただ頷く。
聖相手だとつい気が緩むために、そこは気をつけていることだった。
「へぇ……」
その言葉にはある思いが込められていて、海晴に合図ということでもあった。
(やっぱり、言うんだぁー……)
それは海晴にとって残念なことでもあって、視線を合わされて頷かれた。
「ちょうどいいや。……翠さん。お話があるんですけど」
「え?」
「なかなか話す勇気がなくて、黙っていたんですけど……」
「何?」
「実は――……。……今、彼女いるんです」
「……はぁ。やっぱりそうだったのね。薄々はそうじゃないかなとは思ってたんだけど」
対して驚きもしなかったことに聖はホッと胸をなでおろした。
あれやこれやと雷が落ちると想像していたのが、予想外でじゃついでに、と――。
「詳しく言えば――」
「……っ!?」
気を落ち着かせるためにと飲み物を入れていた海晴を聖は指差した。
聖と海晴を交互に見やりながら、しかめっ面を見せられる。
「――あなた、バイトのコに手を出したワケ?」
「ち……違いますよっ!! 俺がここに引っ張ってきたんです」
「――……ということは、三上さんたちも了承済みということ?」
「そう……なります」
「私だけが――知らなかったということね」
顔をそらし、ショックを隠しきれない様子を見た聖は海晴をソファーへと呼ぶ。
嫌な顔を見せたが、聖の真面目な表情に渋々隣に座る。
「あとは……。その……一緒に暮らしてます」
「何ですってーーーっ!?」
これでもかというくらいに叫ばれて、聖はつい耳を塞いでしまう。
「一体、何考えてんのよ!? 自分の置かれている状況知らないわけないでしょ!?」
「……」
「付き合ってるならまだしも、一緒に暮らしてるだなんて……。表沙汰になったらどうなるかわかってるでしょ?」
「それは承知の上です。三上さんにも釘を刺されてますし。……生半可な気持ちでこんなことしませんよ」
「――……」
真剣な眼差しで見つめられて、翠は言葉を失ってしまう。
海晴にも顔を向けるが、すぐに視線をそらされる。
その手にいつも嵌められていた指輪が目に入り、またため息が無意識に出てしまった。
「いつも家に送り届けるときに、聖の近所だったのもそういう理由だったのね」
「……はい」
海晴に投げかけられた問いに、小さく返事する。
「前に家に訪問したときに待たされたのも――」
「そうです」
「じゃ……、今回のも?」
「――はい」
「それは――!」
「言わなくていい」
それだけはちゃんと言いたくて口を挟もうとするが、聖に制される。
堂々巡りにしかならないこともいい加減わかってきたため、それ以上は何も口に出来ない。
衝撃的な事実に頭を悩ませているのか、翠は立ち上がり窓際に歩み寄った。
その沈黙が息苦しくて海晴は小さくため息をついてしまう。
それが聞こえていたのか、テーブルの死角から聖が手を握ってくる。
顔は合わせてないけれど、そうしてくれたことが嬉しかった。
三上に報告したときも聖はこんな気持ちになっていたんだろう。
そう考えれば自分一人ではなく、こうして聖がいてくれることを感謝する。
「たぶん、三上さんからたっぷりとお説教されてるだろうから、ここは抑えとく。――……でも、私がマネージャーである限り『変なコト』はさせないからね」
「……はい」
「――他の二人を待たせてるから、先に行くわ。今日はアッシー君なしね」
翠は顔も合わさないまま、少し低めのトーンでそう告げた。
部屋に取り残された二人は、しばらく会話もせずに時が過ぎていく。
急に聖が横になってきて、海晴の顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「……うん、平気だよ」
「完璧に怒ってたのに――スゴイな」
「そだね……」
「マネージャー、俺が寝坊したとしか上に報告してなかったんだってさ」
「え……」
「だけど、勘の鋭い三上さんが察知して呼び出されたってオチ」
てっきり二人とも翠が報告したと思い込んでいたが、全く違っていたことに面食らった。
「ねぇ……変なコトって何?」
「わかんない? ――……ま、俺が気をつければいいことだし」
「それってどういう――」
「疲れたぁっ! 今日も一日お疲れ――……ってちょっとっ!?」
一人でもにぎやかな悠美が戻ってきて騒ぎ出す。
パソコンの隙間からでも十分二人の姿が見えていたからだ。
「神聖な場所でイチャつくのはやめてよねっ!!」
「別に何もしてないですよ?」
「あーもうっ! 今日はあたしが鍵締めなんだから、とっとと帰りなさい」
起き上がった聖がひょこっと顔を覗かす。
帰り支度をしている悠美はプンプンと怒りながら、パソコンの電源も落とす。
「油断も隙もないんだから……」
「ホント、何もしてないのになぁーハル?」
「う、うん」
「しっしっ!! バカップルの相手してる暇はないのよっ」
「はいはい。お疲れ様でしたー」

タクシーを時間差で海晴が追う形で、事務所を後にした。
通り過ぎる夜景を目にしながら、今回のことを振り返る。
大事にはならなかったものの、三上たちに対してはいい印象ではないだろう。
特に、マネージャーの翠は逃走劇のうえに明かされた彼女の存在。
これで隠すことはなくなったけども、また違う障害が出てくるのかもしれない。
(なんとか収まったけど――もう少し、気を引き締めないとな……)
自宅周辺に近づくと、夜遅くに人が歩いているのが見え、さりげなく確認しながら横を通り過ぎていく。
「ここかい?」
「そうです。ありがとうございました」
マンション前で降ろしてもらい、エントランスのセキュリティを越えてエレベーター待ちをする。
しばらくすると、ドアが開いてエレベーターが着いたことを知らせてくる。
少し躊躇いながら、ゆっくりと乗り振り返った瞬間に、エントランスのドアが開いて人が小走りで入ってきた。
「ギリギリセーフ」
「ごめんね、楽させてもらって」
先にマンション手前で降りた聖がようやく海晴に追いついたのだ。
マネージャーの時は横付けでささっと降りているものの、タクシーだと料金払ったりだとかで停車の時間がある。
一緒に帰ることを前提にして聖が考え出した方法だった。
「じゃー変わるっ?」
「えー……やだっ」
「――なーんて。女の子に夜道を歩かせたくないし」
「もぅ……」
そう言いながらエレーベーターを降り、海晴が着ているコートのフードをわざと被せて先を歩いていく。
聖が玄関のドアを開けて、海晴を優先させる。
「ただいまー」
ほぼ同時に帰宅の挨拶をしてしまい、顔を合わせてしまう。
「二人で言ったらダメじゃんー」
「あたしが先に言ったも……っ!」
「いいや、俺」
ブーツを履いていた海晴は壁に手をつきながら、フードを被ったままの視界の状態のまま片方ずつ脱いでいく。
(以外にフードって取れにくいのね……!)
軽く勢いをつけて頭を振って、覆いかぶさってたものを取り払う。
「やっぱりボクの勝ち」
「えっ、あぁー! 負けた……っ」
「ホラホラ」
「ぅーーー」
その隙に、身軽な聖が先に家にあがってしまい、勝敗はついてしまう。
片方しか脱いでいない状態で催促をしてくる。
「おかえり」
聖がしゃがみこんで顔を差し出してくれてたおかげで、いとも簡単におかえりのキスが出来てしまう。
ようやく、海晴もその後に続いてリビングへと向かう途中でふと首を傾げる。
「え、今のってさ――変じゃない?」
「んー、何が?」
「だって、逆でしょ!?」
「そうだっけ?」
「ホラ、またそうやって笑顔で誤魔化すー」
そうして、今日という長い一日が終わりへと近づいていった。