3-6



「な――っ!?」
武人の唇が離れた自分の口を覆う。
「俺のファーストキスは海晴にやる」
「――」
「俳優をやるからにはこの先、こういうシーンもあるだろうし。その前に――海晴としたかったんだ」
「あたしとしても、もったいないだけだって。そうで――」
「そんなことない」
顔がまともに見れなくなった海晴は顔をそらそうとするが、武人がそのまま腕を引き寄せる。
もう一度、さっきより深いキスをされてしまい、海晴は目を見開いたまま動けなくなった。
右手に握っていたままだたシャーペンが力が抜けた海晴の手から離れ、ゆっくり転がりながら床の上に落ちる。
その音で我に返った海晴は無理矢理離れると、そのまま教室を飛び出していく。
「海晴……」
その姿を見つめながら、武人は小さく呟く。
海晴は無我夢中に駆け抜ける階段は下駄箱に向かういつもの通り道だ。
何も考えなくても慣れた道を勝手に走ってきたらしい。
――鏡を見なくてもわかる。
今の自分が赤面しているに違いない。
こうやって、学校生活をしていると、聖とのことが夢のように思えてしまう時がある。
そんな時は形である指輪を見て大丈夫なんだと思っていた。
しかし、こんな日に限ってそれを忘れてしまった。
自分の右手を見ても、そこには何もない。
ポケットに忍ばせていた携帯のストラップが軽い音を立てた。
表向きは携帯持ち込み禁止なために念のために周囲を確認する。
もっともこんな時間のため、今のところ誰一人すれ違っていない。
それを取り出して、着信履歴から今求めている人の番号を押す。
仕事中なのは当然知っている。
――今、声が聞きたい。

「おーい。鳴ってるぞー」
「わかってるって」
荷物と一緒にテーブルの上に出していた、自分の携帯が振動で震えている。
相手を確認すると、みんなから少し離れたところで電話を取った。
「もしもし?」
「聖――……よかった」
間接的にだが、聖の声が聞けて安心する。
「ん? なんかあったのか?」
「――……なんもない」
優しく気に掛けてくれる聖のその声に思わず涙ぐんでしまう。
それを我慢するために少し間が開いてしまった。
「聖の声が――聞きたかっただけ。ゴメン、仕事中なのに。もう電話しないようにするから」
「ダメだ。また『なにか』あったら、こうしてもいいから」
何て返事をしたらいいかわからず、無言になってしまう。
「それでも無理なら……」
「無理なら?」
「今すぐに海晴のところに行くよ」
「ダメだよ、HIJIRIがそんなことしちゃ……」
「そんなの関係ないさ。そして、海晴のところに辿り着いたら――」
電話越しに学校のチャイムが聞こえ、それが鳴り止むまで待つ。
「俺は海晴を抱きしめてこう囁く――『愛してる』。これでハルの悩みもイチコロだな」
「――そうかも」
予想外の反応に聖が喜んだのもつかの間――。
「オイ! 聖! いつまでしゃべってんだよ! イチャつくのもたいがいにしろっ!」
「今の声――魁?」
「悪ぃ。あいつの顔と口のギャップには驚くだろ? 時間なくてゴメンな」
魁がいるであろう場所から背を向けて、もう一度海晴に聞く。
「本当になにもないんだな?」
「うん、大丈夫だよ――ありがと。バイバイ」
携帯を抱きしめ、聖が言ってくれた言葉を胸に刻む。

「はぁー……」
カバンを教室に置いてきたままを後悔する。
戻るということは、そこに武人がいるということであり――。
階段に座り込み悩む。
誰かが降りてきたので、邪魔にならないように隅によける。
視界の中に自分がつけているお気に入りのマスコット付きカバンが急に現れた。
「たけ――……」
「今頃、困ってるだろうなぁ……と思ってさ」
(図星です……)
「俺――悪いことしちゃったな。ゴメン」
「そんな、悪いことなんて……」
「え?」
「いや、あの――」
海晴の言葉に目を光らすが、最後の言葉が小さくて聞き取れない。
差し出されたままのカバンをようやく受け取る。
「あたしとたけは『友達』同士なんだから、こういうコトは『ナシ』にしよう――ね?」
仕切り直しの台詞は二人の関係を示唆するものだった。
ちらりと武人を見ると、険しい顔をしている。
「ああ、そうだな」
坂上聖――か。
武人はそのまま海晴を素通りして、下に降りて行く。
「じゃ、俺、先に帰るから」

聖は仕事が終わって携帯を見ると、メールが入っていた。
「あ、ハルからだー――」
喜んだのもつかの間、手にしていたものを落とす。
「聖、どうしたんだよ。落ちたぞ」
すぐ近くにいた魁がわざわざ拾って渡してくれる。
「わーーん。魁ぃー……」
「わっ! なにすんだよ!?」
海晴と背丈があまり違わない魁にしがみつく。
「ハルが家を出た……」
「実家に帰りますってやつか?」
「魁のバカヤロー!」
冗談で言ったつもりが聖には痛かったらしい。
両肩を掴んで揺さぶり暴れている。
「珍しく聖さんと魁さんがじゃれあってる」
「――いいの? 朔馬さん。止めなくて?」
周りのスタッフが心配して朔馬に相談する。
「だーじょうぶ」
タバコをふかしながら、二人を眺めていた。
「お前、なんかしたんだろ」
あんなことやこんなこと――。
「なんもしてないって。魁も見てただろ? 電話あったの」
「その時に変なコト言ったんだろ」
「愛の告白しただけだ!」
また、そのセリフに周りが朔馬を見る。
「愛の告白だって」
「え? そうなの!? あの二人ー?」
女性スタッフたちが期待の眼差しで見つめていた。
違う方向に話が飛んでいることに朔馬は苦笑しながら、タバコの灰を払い落とす。
海晴からのメールを開いたまま携帯を魁に渡す。
「なんか――魁が海晴に思えてくる。肉付きが違うけど、この腕の回り具合といい……」
「――オイ」
魁はメールをスクロールしながら突っ込みを入れた。
全部読み終えると、聖に携帯の画面を押し付ける。
「ここにちゃんと、『テストが終わったら帰ってくるね』ってあるだろうが!」
「昨日はあんなに愛し合ったのに……。ということで、今日は魁、付き合えよな。ヤケ酒」
「嘘だろー……」
「えぇー? 愛し合っただって」
「今日も付き合うみたいよ」
都合のいいところしか聞き取れていない彼女たちは妄想を膨らます。
「朔馬さん、本当に大丈夫なんですかぁ?」
素敵な勘違い振りに壁に頭をぶつけてしまった朔馬だった。

海晴の実家もとい、叔父の家に急遽帰ってきた。
二人には、テスト期間だからと適当にごまかす。
――嘘はついてない。
本腰入れていつも以上に勉強しないと進級に響くのだ。
聖のことは考えたらいけない。
問題を解いていた手を止める。
でも、本当にそれだけなのか……。
その時の海晴の頭の中には、聖ではなく武人を思い浮かべていた。