2-8



「あの人、かっこよくない?」
「えー? どこどこ?」
何かを聞きながらたたずんでいる聖を指差す女子高生。
さり気なくたっているだけでも、人の目を引いているようだ。
少し周りが落ち着きをなくし始めた頃、ようやく聖が目の届く範囲へたどり着いた。
いつもなら海晴に気づく距離も、うつむき加減でいるためにわからないようだ。
「そうだなー……サングラス外したら、かっこいいかも?」
「ひ――」
(――ここで名前で呼んだらマズイか)
危なく、その名を呼びかけた海晴は小走りで駆け寄ると、視界に入るように少しかがむ。
「――お」
「――バカ……」
愛しの彼女が来たことに気がつくと、すぐ近くにあるその頭を撫でる。
そうされたことに一瞬喜んでしまった海晴だが、すぐにその腕を取り場所を移動しようとした。
「なーんだ、彼女待ってたのか」
「いいなー。あんな彼氏欲しいね」
後ろでうらやむ声が聞こえていた。
ある程度人通りが変わった辺りで、ようやくその腕を放す。
「もう! なんで来たのよ!?」
「今朝、ツラそうだったから心配で……」
「な――」
すぐにその意味を汲み取った海晴は瞬時に頬を染める。
「――なんて言ってみたり。本音は学園生活が気になったのさ」
冗談を真に受けられて、お得意の猫パンチが飛んできそうだったのですぐに訂正する。
「もう少し、場所を選ぶとかあるでしょ」
「あー、なんか囁いてたね、彼女たち。はっきりと聞こえなかったけど」
「バレたらどーすんの!?」
「そんな注目の彼を攫った海晴チャンの感想は?」
「ちょっと、だけ優越感」
「ちょっとだけ?」
「そう、ほんの少しだけー」
いままで羨望の眼差しを浴びる機会などなかった海晴には、あの一瞬だけでも優越感を感じてしまった。
しかし、こんな秘密の付き合いにそんなものを得られる時間はあってはならない。
注目される張本人がこうしてわざわざ街を出歩いているほうが珍しいのだ。
いつも最悪の状況を想像してしまう海晴にとっては、彼が何かをするたびに寿命が縮まる感覚に襲われる。
(実は何も考えてないんじゃないの……?)
疑いの眼差しを向けると、素知らぬ顔でにっこりと微笑み手を握られてしまう。
「明日は土曜だし、帰るの遅くなってもいい?」
「――えぇ!?」
その台詞を聞くと、海晴の足は止まってしまい、手だけは繋いだまま聖との距離が開いてしまう。
「今、えっちぃコト想像しただろ」
ぐっとその手を引き寄せられてそう囁かれる。
それが図星だったために、目を合わせることが出来ない。
「やらしー。――それもいつかしたいけど、今日は全然逆。会社に行かないか?」
「……」
(よく考えたら、普通のカップルみたいに夜デートとか出来るわけないよね)
ついついあらぬ方向に考えが飛んでいってしまった自分を情けなく思ってしまった。
「大丈夫。今日はちゃんといるから」
前科持ちな聖は自分でフォローを入れている。
「なんで、あたしが……」
「いいじゃん、いいじゃんー」
「ちょっと――この格好はマズイと思うんですけど!?」
学校帰りの海晴はもちろん制服のままだ。
言われて気付いた聖は少し考えると、何かを思いついたかのように手を叩く。
「そうだ――あそこに行こう」
道順を考えた結果、初めて二人で行った店に立ち寄ることに決めた。
「――ねぇ? 聖の事務所の名前なんだったっけ?」
「T-Gプロダクションだよ」
(なんか、聞き覚えが……)
つい最近聞いたようで引っかかりを覚えるが、どこで聞いたのか思い出せない。
忘れるということはそれほど重要でもないかと記憶を辿るのをやめる。
手を繋いだままの二人は次第に互いの手の大きさについて楽しんでいた。

「あら、今日は早いわね――そういうこと」
仕事の拠点である部屋に着くと、さっそく三上に出迎えられる。
聖の影から現れた海晴の存在に納得した。
「お久しぶりね」
「……どうも」
海晴はぎこちないながらも、軽く挨拶をする。
三上の視線が二人を交互に見やり、静かにため息をついた。
「もう連れて来なかったんじゃないの?」
「前みたいな形なら――という意味ですよ」
部屋の中は、珍しく三上と悠美しかいない。
前にここへきたときは幾度となく人が出入りしていた印象があり、二人だけだと異様に不自然だった。
面識のある人たちのみといえどそう簡単に緊張は取れない。
「そういえば、社長が顔出しに来いって言ってたわよ」
「なんだろ? ハル、ちょっとここで待ってな」
「――でも」
「大丈夫だって。三上さんたちは何も海晴を手に取って食おうっていう訳じゃないんだから」
「聞こえてるわよ、聖」
全く声を潜めて話そうとしない台詞は、十分に彼女たちに聞こえていた。
「ゴメンな。すぐ戻ってこれると思うから」
さっきの約束があるので今度は小声で話し終わるのと同時に社長室へと向かう。
一人と取り残された海晴は、この状況にいたたまれない気持ちになったままドアを見ていた。
「――さてと!」
その言葉と同時に海晴があからさまに身体を震わせて驚いているのを三上は気づかれないように苦笑する。
「そんなに身構えなくてもいいじゃない? ――私のせいか」
すぐ後ろにある窓の下を眺めると、若い女性たちが群がっているのを確認できる。
週末だけあって出待ちが多いわねぇと小声で独り言を言う。
そんな三上の様子に悠美が何かをひらめき表情が明るくなる。
「えーっと、海晴ちゃんには一仕事してもらいまーす!」
「一仕事!?」
「ここに来て何もしないは通じないわよ。聖もそれを知ってか知らずかあなたを一人にさせたしね」

結局、話の流れで手伝うことになった一仕事とは、手書きで書かれた書類をパソコンに入力することだった。
一人一人、独特なクセのある字で書かれてあり、四苦八苦しながらも少しずつ進めている。
「ゴメンなさいね。本当はあたしのやる仕事なんだけど、今日は立て込んでて……」
横にいる悠美が心配して、手を休めることなく声を掛けてきた。
「いいえ、そんなことないですよ。ぼーっとしていても、仕方ないし」
「そう言ってくれると助かるわ」
本当に忙しいようで、すぐに自分の席に戻っていろんな写真を眺めていた。
そんな中、ドアが開く音が聞こえ、顔を上げて確かめるが見知らぬ人だったのですぐにパソコンに向き直る。
「カワイコちゃん発ー見!」
「手を出したら、聖にシバかれるわよ」
「ま……まさかうわさの彼女!? でも、なんで仕事やらしてんのさ、悠美ちゃん」
「あー、邪魔だからそこら辺においといて!」
何気なく悠美の席の近くに指定された衣装を差し出す。
質問もそれも簡単にあしらわれ、渋々応接椅子に皺にならないようにそっと置く。
もう片方の手にはなんらかの買い物袋を提げていた。
「まだ、あなたに紹介してなかったわよね。彼は、笹倉正人、二十七歳。見ての通り、主に重労働やってもらってるわ」
「またぁ、勝手に重労働とかで広めないでくださいよ。一応、企画担当の肩書きがあるんです!」
「だって、その仕事してるところ見たことないわよ?」
「あなたたちがそうさせているんです! ――前の時は、用事頼まれててココにいなかったんだ。ヨロシク」
「天咲海晴といいます」
さわやかに微笑まれ、海晴も思わず微笑み返してしまう。
その後、買い物袋を両手で広げ中が見えるように差し出してくる。
「ハルっち、どれ飲む?」
「あっ、気にしなくていいです」
「いいっていいって。遠慮しなくても」
いきなりのあだ名で少し戸惑いながら、受け取らないと引き下がらない雰囲気に申し訳なさげに適当に選び出した。
そして、三上や悠美に希望されていたものを渡して、また海晴の横を通り過ぎていく。
「聖は――もう少しで戻ってくると思うよ」
「そう……ですか」
それを聞いて安堵の表情をつい見せてしまう。
それにしても、そんなにあからさまな態度を取ってしまっていただろうかと思ってしまう。
(だって大人ばっかりで落ち着かないんだもん……)
「なんかわかんないことあったら、俺になんでも聞いてね。あの二人じゃ怖くて聞けないだろうし」
と同時に、三上と悠美から手元にあった空のペットボトルが正人に向けて飛んできた。
「あ、ゴミですか」
悪びれもなく軽々とそれをキャッチすると、隣の部屋に入っていった。
すぐに黙々と仕事が始まると、しばらくして海晴の手が止まってしまう。
(――う、コレなんて書いてあるんだろ?)
周りを見ると、手を休めることなく仕事をしている二人に聞くには気が引ける。
書類をにらめっこしていると、隣の部屋から正人が出てくる、
「あ、コレ全部飲んだ? じゃ、持って行くね」
空になったペットボトルをささっと持っていくと正人は部屋を出て行った。
その行動に頭をかしげながらも、そこに立ち止まって数分後――。
また誰かが戻ってきていたらしく、三上たちが声を掛けて何かを話している。
窮地に追い込まれている海晴はそんなことを盗み聞きする余裕はない。
すると、後ろからいきなり抱きつかれてしまい悲鳴を上げた。
「――聖っ!?」
「ゴメンなー。こんなことやらさせて。ん? 読めないトコある?」
「――うん」
その体勢のまま、ついついいつものように返事をしてしまう。
指差してその場所を教えるが、瞬時に答えられないあたり聖も読み取れないようだ。
「こりゃ――読めないよな」
勢いよくと彼女の手から紙を取り上げると、少し離れた場所に座っている悠美にすすっと滑らせてそれを差し出す。
「悠美ちゃん、これ、読めないんだけど……」
「どれ? ――確かにわっかんないわ。ちょっと待って」
机の上にあった電話を取り、内線電話で書類の差出人と話し出す。
「あ、そうですか。はい。あまりにも達筆すぎて私たちにはわからなかったもので……。このお話以前にもした気がしますね――はい、失礼します」
ちょっと皮肉を込めながら電話をガチャリと音を立てて切ると、書類に正しく書き直している。
「海晴ちゃーん。また、こんなのあったらどんどん聞いてきていいわよ。あたしが書いた本人、バッサリと成敗してやるから」
「……はい。わかりました」
椅子ごと動いてきた悠美がそれを戻しにやってくる。
(気を遣ってくれたんだろうなぁ……)
なんとなくだが、周りの心遣いをところどころ感じ取れてきた。
ようやく今頃になって、隣の部屋にいた人物が文句を言いながら現れる。
「ったく、正にぃ俺のだけ買い損ねるなんて」
「そう言いながら、俺の分までガツガツ食べてたじゃないか」
ずっと隣の部屋にいたのは、朔馬と魁のようであった。
二人が近寄ってくると、ふんわりとタバコの臭いがする。
この部屋では、禁煙のために向こうの部屋で吸っていたようだ。
「ん!?」
「あ、海晴ちゃん、来てたんだー。久しぶり」
聖の陰になっていたので、近くに来てようやく気付かれる。
「なにやってんの? ああ、この字はあの人の――せめて、読み取れる字を書いて欲しいよなぁ」
また、その書類を朔馬に取り上げられると、その隣で顔を出して見ている魁も頷いている。
「あー、あのおっさん。企画書とか全然読めないんだよな」
「コラ、そんな言い方するんじゃない」
(あのー、さっきから仕事が進んでないんだけど……)
聖が来てからというもの、謎は解けたものの前には進んでなかった。
カーソルの点滅が海晴に早くしろと訴える。
「――朔馬」
「あー、ゴメン!」
聖の一言で通じたのか、すぐに元あった場所へと戻した。
「魁ー。買って来たぞ」
「待ってたぞ!」
二度目の買出しから正人が魁に手渡しているものをみて、危うく海晴は声を出しそうになる。
(あれは――あたしがもらったものと同じ)
動揺している海晴に、正人は魁に気付かれないようにウインクをする。
もちろん、聖は見逃していない。
「魁、なんだそれ?」
「これか? 新製品のジュース。前から気になってたんだよなぁ」
もらった途端にキャップを開けて、ゴクゴクと飲みだす。
「お、結構イケるじゃん」
「ふーん……」
聖はすぐ横にいる海晴を見ると、不思議そうに見つめ返されてしまった。
「そりゃ、よかった。わざわざ、買いに行ってよかったよ」
「今度からは、忘れないように紙にでも書いとかなきゃな」
「はは。そうだな」

「悠美、そろそろ終わる?」
「あ、ハイ。あと少しで……」
もう少しで八時を回る時間になって、ようやく一段落つく。
「今日は、彼女も手伝ってくれたことだし、夕食は豪華にいきましょうか! 正人」
「待ってました!」
すぐにテイクアウト用のメニューを手にする。
「そんな、悪いですよ」
「いいのよ。あなたに関係ないことさせたのに、ちゃんと最後までしてくれたお礼」
「でも――」
「もう、正人も注文しちゃってるしね」
ものの数秒しか経っていないのに、正人は既に電話を取ってあれやこれやと嬉しそうに頼んでいた。
「あ……っ!」
電話を切った後に思い出したかのように声を上げると、つかつかと三上に近寄る。
「これって、もちろん三上さんもちですよね?」
「は? 何言ってんの?」
「ええぇーーー!?」
「注文した人が払うのよ」
「そんなぁー。てっきりそうだと思って、奮発したのに……」
正人はがっくりと肩を落としながら、メニュー表を元の場所に戻す。
そんな様子を見て堪えきれずに吹き出して笑ってしまう。
「ウソよウソ! あたしがちゃんと払うわよ」
「待ってました! その言葉」
机の上を綺麗に整頓している頃に、仕事が終わったearlも戻ってきた。
そんな部屋の雰囲気に魁は目を輝かせる。
「正にぃ――もしかして」
「喜べ! 今日は三上さんもちだぁー!」
男らしい抱き合いをして、以前から目に付けていた豪華な食事に歓喜を露にする二人だった。