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七月も月末に差し迫る頃――。
聖がまた仕事で出発してしまう時間ギリギリまで海晴と過ごしている。
仕事先から一度帰宅することは時間がかかるだけなのだが、数少ない時間を有効に使いたかった。
TVのリモコンを取った聖は、番組表を確かめてチャンネルを変える。
すぐに映し出されたのは天気予報だった。
明日の天気は夏には珍しくお昼すぎあたりまで雨予報である。
それを確認し終えると、TVの電源を落とされてしまった。
「海晴」
「ん」
いつもと違う声のトーンに思わずきちんとソファーに座り直してしまう。
「明日は午前中は雨みたいだから、前に宣言したとおり叔父さんのとこに挨拶行くから」
「――えぇ!? 明日……っ!?」
「朝一の仕事、天気次第で伸びるからさ」
だから、さっき真剣に天気予報を見ていたのかと納得する。
「ちょうど日曜だからいいかなって思ったんだけど……。無理かな?」
「たぶん、連絡すれば大丈夫だと思うけど……明日かぁー……」
「何、海晴に用事があるとか?」
「ないない! ――心の準備が……」
「この先、いつ時間作れるかわからないし」
不規則な仕事を持つ身として、このタイミングを逃したくない。
夜に訪問するのも失礼だろうし、聖的にはこれ以上のチャンスはない。
明日、絶対に雨が降るとは確実ではないけど、ここは天気予報を信じるとしよう。
後は、彼女の返事を待つのみだ。
「――うん、わかった」
そんな彼女も聖と同じ様に腹を括ったようだった。

次の日は天気予報通りに雨が降って、集合時間が遅れると連絡が入る。
前日に叔父に連絡を取っていたために、改めて電話をするとすぐに了承が出た。
一般家庭に一人アイドルが紛れて対面している。
「あなた本気で言ってるの!?」
彼女の隣にいた聖に当然のことながら驚いていた。
TVの向こうにいるはずの人間がこうして目の前にいる。
親の世代といえど、聖の存在は知っていたようだ。
和室に招かれた二人は、隣同士で正座をしている。
「はい。真剣にお付き合いをさせてもらってます」
聖のいつになく真剣な顔を横目でチラリと見る。
「別にね、今すぐ結婚したいとかそういうのじゃないの」
「あなたは黙ってなさい」
叔母にそう制されるが、海晴は引き下がらず素直に思っていることをさらけ出す。
「ただ聖と一緒にいたいの。あの家で聖にお帰りって言いたいの。もう一人になりたくない――だから……」
海晴の背中を軽く叩きながら、落ち着いてと小声で話す聖。
そんなみんなのやり取りを叔父は傍観者としてみていたがようやく口を開いた。
「坂上君……だったかな」
「はい」
「――好きにしなさい」
「あなた!?」
いきなり話だしたと思えば、この一言だったために叔母は慌て始める。
「何考えてるの? まだ、海晴は十六なのよ!?」
「いいんだ」

必要最低限の荷物をまとめると、二人は玄関にやってきた。
「海晴を泣かしたらタダじゃおかないわよ」
「十分、承知しております」
大きい荷物を持った聖の後ろから海晴が歩いてくる。
「海晴――あなた本当は髪伸ばすのイヤだったのね」
「――そうでもないよ」
髪をばっさり切っていた娘の姿に言わないわけにはいかなかった。
長くしていた一つの理由は、叔母が長いほうがかわいいと言われ続けていたからだ。
本当の娘も長かったから――海晴にその影を追っていたのだろう。
けれど、それは海晴にとってあくまでも一つの理由だった。
「長かった頃のあたしも好きだったよ」
決して言いなりで伸ばしていたのではないと軽く微笑む海晴に少し安心する。
全ての荷物を聖の車に乗せ終えると、改めて向き直る。
差し出された右手を聖は握り返した。
「坂上君。このコをよろしく頼む」
「はい」
「海晴。たまには顔を見せておくれ」
「うん」
「それでは、失礼します」
ゆっくりと進み始めた車が曲がり、その姿を消すまで二人はたち続けていた。
「あなたどうして止めないの!?」
自分の夫の行動が信じられなくて、問い詰めてしまう。
海晴がまた学校へ通うと言ってくれたときから、また一緒に暮らせると考えていたのだ。
「自業自得だよ」
「え……」
「海晴の安心できる場所は作れなかった私たちのせいだ」
心当たりのある叔母は言葉に詰まる。
そんな様子の妻を肩を掴んで励ます。
「彼の瞳は真剣だ。だから、海晴を任せられる」
「――……」
「でも、ここが帰れる場所になったのは間違いないよ」
「――また、帰ってきてくれるわよね……」
自分のせいで娘がこんなことになったことに落ち込む妻を自宅へと進めた。

「もう、帰りたくなった?」
数年間お世話になった家をミラー越しに見つめているのがばれたらしい。
慌てて海晴は正面を向いて大人しく座っておくことにする。
「今は大丈夫。寂しくなったら帰ってくるかもしれないけど……」

海晴が使っている部屋に抱えてきた荷物がようやく音を立てて降ろされた。
「ゴメンね。重たかったでしょ?」
「何入ってるんだ?」
「女の子にはイロイロと必要なものがあるのよ!」
「要するに、あれもこれも持ってきたってことだろ」
「そうとも言う!」
「よっぽどこっちの方が軽い気がするけどなぁ」
「――きゃっ」
海晴をひょいと抱えあげる。
とりあえず、今の心配事がなくなった二人はにっこりと笑いあう。
「ハール」
「ひーじり」
二人がキスをしようとした瞬間に、お約束のように聖の携帯が鳴り始める。
抱きかかえていた海晴を降ろすと、顔を上に向かせ軽くキスをする。
「タイミング悪いけど――仕事行ってくるよ」
仕事に向かう彼の背中を切なく見つめる。
(最近、なにかと携帯に邪魔されているような気が――)
そして、振り返れば自分の荷物。
「やるかしかないか……」
また使うことになった教科書類。
やめようと決めたあの日に捨てようと思って捨てられなかったもの。
今となっては、本当にそうしなくてよかったと思う。
「結局、あたしはあの家からいなくなりたかっただけなのか」
でも、そう思っていたのも終わった。
互いの気持ちはぶつけ合って、分かり合うことが出来た。
あのまま逃げていたら、ずっと、この先も悩み続けていたに違いない。
自分だけならまだしも、休日になっては探しに出ていたあの二人を思い出すと切なくなった。
今頃になってきちんと大切にされていたっていうことに気付いた。
恋人からも、友人からも、家族からも。
それだけでも、ここに存在する意味はある。
(――もう、逃げたりしない)
現実から逃げていた自分にピリオドをつけた。

朝早く起きた海晴は、いつものようにボーっとしている。
「ほーら、今日から学校だろ? 始業式に遅れるぞ」
「うー……」
「海晴の制服姿をお目にかかりたいけど、そろそろ行かなきゃならないしなぁ……」
実はさっきから聖の携帯は鳴りっぱなしなのだ。
バイブにしているために寝起きの海晴には気づかれていないようだった。
メールから電話に変わったところ、マネージャーがもう下に迎えに来ているに違いない。
それを悟られないように、海晴の横で自分で入れたモーニングコーヒーを飲んでいる。
彼女をこんな状態で放っておくのが心配でならない。
コーヒーのいい香りが部屋中に漂い、彼女はますますしかめっ面になる。
「そんなにコーヒー嫌い?」
「苦いもん。どーせ、おこちゃまです」
「ふーん……」
軽くキスをされ、口の中にほろ苦さが広がる。
「うぅ……」
「ゴメンゴメン。お詫びに目を閉じて」
「えぇ……?」
いつも以上に疑いの眼差しを向ける。
「変なことしないって。でも、寝ちゃダメだよ」
もともと眠たかったためにすぐに目を閉じてしまう。
すると、何かを手に握らされる。
「学生さんに戻れたお祝いのプレゼント。俺が行くまで見ちゃダメだよ」
おでこにキスをされ、仕事に向かう聖。
最後の玄関が閉まる音ではっと我に返り、どうやら半分寝かけていたようだ。
「――……」
聖がいた時と同じ体勢で今何があったのかを思い出す。
やっと、何かを手にしているのに気付き、そっと開ける。
「――指輪」
凝ったデザインの指輪が海晴の手に収まっていた。
(欲しいなんて一言も言っていないのに、先にプレゼントしてくるなんて――憎いヤツ)
そんな幸せに浸っていると、いきなり鳴り出した携帯の着信音にビックリして指輪を飛ばしてしまう。
「もー、朝っぱらから誰なのよ!?」
指輪が転がっていった方向に手を伸ばしながら、携帯を片手にメールをチェックする。
『プレゼントどうだった?一番気に入ってくれると嬉しいけど。なくしたら、俺、泣いちゃうからな。んじゃ、行ってらっしゃい』
今想っていた人からで移動しながらメールを打ってきたのだろう。
ようやくそれを見つけ、ようやくそれを嵌める。
(ぴったり――教えてもないのに)
また、それに少し照れてしまう。
『うん、一番かも?仕事頑張ってきてね』
時間がないために簡単に返事をすると、あわてて支度をする海晴であった。

何ヶ月ぶりかの通学路は少し新鮮で、まるで新入生に戻った気分にもなる。
同じように登校している周囲の生徒たちと違和感がないかチラチラと確かめながら歩く。
自然と溶け込んでいる自分に納得して、第一歩を踏みしめる。