2012年元旦 「新門日記」再出発にあたって


 目出度さもちう位也おらが春

この句は、小林一茶が五十七歳の文政二年の正月を迎えた時のものである。この句を理解するには、まず〈ちう位〉という信濃の方言を知らねばならない。あやふやとか、いい加減とか、どっちもつかず、という意味である。しかしこの方言の意味を知るだけでは十分でない。この句の前にある文を読む必要がある。

 から風の吹けばとぶ屑家は屑屋のあるべきように、門松たてず煤はかず、雪の山路の曲がり形りに、ことしの春もあなた任せになんむかへける

 こんな文がこの句の前に書かれてあって、この文の〈あなた任せ〉という意味が重要なのである。ここでのあなた任せとは、阿弥陀如来にお任せするという意味で使われている。要するに、弥陀任せの身であるから、掃除もしないし、門松も立てないで、ありのままでの正月を迎える。だから目出度いのかどうかあやふやな自分の正月であると言っているのである。しかし一茶の生き様を見る限り、あなた任せに生きたとはとても思えない節がある。俳諧師として生涯、地位と名誉に拘ったところがあった。当時俳諧師として越後で名をなしていた良寛の父親(以南)に挑戦状を送り、「慈悲」をテーマに開いた句会で生まれたのが「やれ打つな、蠅が手をすり足をする」であった。その時の以南の句は「そこ踏むな、昨夜蛍が居たところ」であった。句作品だけを取り上げるなら、二人とも大したものだと感心してしまう。しかし私は、この二作品とも、あなた任せどころか慈悲をもてあそぶ句会での優劣を競う観念の作品であると云いたい。芸術家や文学者によく見られる<生死の現場のない>才能が生んだ空虚な観念作品といえるだろう。

無常迅速なり 生死事大なりしばらく存命の際(あいだ)、業を修し学を好まば只仏道を行じ 仏法を学ぶべきなり文筆詩歌など
 其の詮なき事なれば捨つるべき道理なり
         −道元『正法眼蔵随聞記』

以南の息子良寛は、もちろんこの道元の言葉を知っていたであろう。だから良寛は文筆詩歌を照れくさそうに書いている。その無垢なはにかみがいい。三毒の臭いがしない。一切の我執がない。「天上大風」ーこの歴史に残る名品も、子供に頼まれて凧に書いたとされる書である。

私は今年で75歳になる。そろそろ詮なき文筆詩歌など捨てて着陸態勢に入るべきだと思った。 生にのみ価値を置いて水平飛行を続けるパラダイムになじめない。秋の紅葉は気温変化に対応するから美しいのだ。昨年の暮れに期するところがあって、のんびり余生を過ごす生き方、即ち安心して死ねる生き方に移行しようと、講演も極力お断りし、社会との接触を少なくしようとホームページも解約閉鎖したところ、「どうして辞めるのか」とか「毎日楽しみにしていた」とかといったメールや手紙が多く舞い込み、中には「体調を崩されたのか」など、心配なのか、ざま見ろなのか、出版社や新聞社を通じてまで、そんな声が届いた。
自分もなんだか寂しくなり、未練がましくやはり日記は続けようと思い直した。考えてみれば、二十歳頃から日記を付けだし、手帳に書いたり、日記帳に書いたり、大学ノートに書いたりしていたわけで、HPに公開日記としたのは最近で、日記は五十年間以上の癖になっている。私の日記は、その日のあった事やその時思ったことなどを思いつくまま書いているだけのことだが、そんな日記から生まれたのが『納棺夫日記』であった。だから『納棺夫日記』は小説でもなければ、エッセイでもなければ、哲学書でもなければ、宗教書でもない、上梓した時本屋がどこに置いていいのかわからない本だと云っていた。以来私は本らしい本を出していない。だから作家とは言えない。ところがマスコミや世間はレッテルを張りたがる。本人が作家だと思っていないのに、勝手に「作家」と肩書を書いたりする。良寛は書道家とも詩人とも言われたくなかったと思う。宗教に関しても同じことが言える。『納棺夫日記』に畏敬する親鸞を取り上げて書いたら、浄土真宗の門信徒のようなレッテルを張られる。私は親鸞聖人は尊敬してやまないが、親鸞や浄土真宗の宗門を信仰しているのではない。namo amitaabha(帰命尽十方無碍光如来)とamitaabha(無碍光)を信じて疑わないだけである。
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あなた任せ>に生きるとは、永遠の今を生きることに他ならない。こうなればどこまで無心に生きれるか、良寛が鞠をついて春の日長を無為に過ごしたように、死ぬまで無為なる日記を書き続けてみようと思った。
                                   2012年元旦  namo amitaabha 合掌 青木新門