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2月22日(水)

明日上京するネットで予約したチケットを富山駅まで受け取りに行って、スパーへ寄り食材を仕入れてくる。
それから食事の用意をしたり、洗濯をしたりしながら、依頼された原稿の構想を考えていた。こうした雑用をしながら著述をすることに何の抵抗もなくなってしまった。以前はそれが出来なかった。雑務を完全に絶たないと著筆活動などできないと思っていた。それが妻が脳内出血で半身不随になったのをきっかけに間違いであることに気づいた。
丸山真男はその著『日本の思想』の中で「我が国の知識人にはアキレス筋がある。それは庶民の感覚の欠如である」と言っていた。もし親鸞が流罪の身とならなかったら、庶民の感覚の欠如のままであったかもしれない。


2月21日(火)

妻に朝食を食べさせ、ディケアサービスに送り出した後、依頼されている原稿3本に取りかからねばと思うのだが、その気になれない。人によるのだろうが、私の場合、締日が近づき追い詰められないと書く気になれない。
テレビをつけたら坂妻の「無法松の一生」(監督・稲垣浩)が放映されていた。途中からだったが最後まで観ていた。何度も観た映画だったが、脚本が伊丹万作だったことを初めて知った。万作は映画「お葬式」の監督伊丹十三の父で、作家大江健三郎は娘婿である。松山市の郊外にある久万美術館で倉庫の奥に秘蔵品のように仕舞ってあった万作の絵を見せてもらったことがあって、伊丹万作といえば、その絵を思い出す。桜の樹の下で芸者に囲まれて鉢巻をして踊っている自画像ともいえる小品である。それが妙に印象に残っている。また伊丹万作の「戦争責任の問題」と題された小論にある「
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」という言葉が、私の脳裏に焼き付いいる。


2月20日(月)

朝、昨日会えなかった杉山義伸さんがホテルまで訪ねて来られた。杉山君は永い春に終止符をうって結婚するのだという。
藤井章乗さんの車で姫路駅へ。折角、新大阪乗り換えのサンダバードのグリーン席を購入したのに、姫路駅で乗る列車を間違えたのか、新大阪駅へ着いたら乗るべき列車は出発した後だった。次のサンダーバードの自由席で帰ってきた。富山は晴れていて、積雪も低くなり、道には雪がなくなっていた。
「雪が融けると春になる」−これは雪国に住む人が体(五感)で実感することだが、頭(理性)で考える人は「雪が溶けると水になる」と理解する。この思考の違いは、やがて科学と宗教の大きな溝となってゆく・・・・・そんなことを考えながら、昨日手に持って歩いたキャリーバッグを転がして歩ける喜びを感じていた。他愛ない喜びだが、転がる音が春の足音のように聞こえた。



2月19日(日)

朝6時に積雪90pの雪道を富山駅へ向かった。サンダーバードで新大阪乗り換えで姫路へ着いたのは11時
迎えの車で播州・山崎町へ。山崎町仏教会主催の公開講演。控室にいたら一人の女性が現れた。昨年20キロ先にある町のへ講演に行った時の聴衆の一人で今日ここで私の講演があると聞いてやってきたのだという。「そうですか、ありがとう」と握手したとたん涙を流して私を見つめておられた。重いものを背負って必死に生きておられる美しい眼であった。
講演終了後、打ち上げ会があり出席した。20年近く親交のある村上義円(西光寺)さんや藤井章乗(願寿寺)さん等と久しぶりにお会いしたので話が弾み、四時間も飲食談笑していた。10時にホテルへ。


2月18日(土)

その日の内に日記を付けなかったら、何をしていたのか忘れてしまった


2月17日(金)

積雪90p。なお降り続いていて、予報では明日朝まで70p積もるという。一日中家に閉じこもって原稿を書いていた。
福島県郡山の「薄皮饅頭」の柏屋の社長本名幹司氏から「五代目善兵衛」を襲名したとの手紙を頂いた。故四代目善兵衛さんには生前お世話になった。詩人の故佐藤浩さんを紹介していただいたのも四代目であった。出遇いほど不思議で有難いものはない。もし「青い窓の街」の佐藤浩さんに遇わなかったら、この詩に出遇うことは無かったであろう。

 ぼくは今日
 学校の帰りにトンボをつかまえて家に帰ったら
 おかあさんがかわいそうだからはなしてあげなさいといった
 ぼくはトンボをはなしてやった
 トンボはうれしそうに空高くとんでいった

 それからぼくは台所へいくと
 おかあさんがゴキブリをほうきでたたきころしていた
 トンボもゴキブリもこんちゅうなのに


少年の眼に差別はない。郡山の小学校四年生の詩である。この詩に出遇った時、納棺夫になって世間からゴキブリか蛆虫かのように差別された日々の記憶がよみがえった。私は今も講演の時、この郡山の少年の詩を使わさせてもらっている


2月16日(木)

年頭に「禁煙」と「深酒」と「一日一万歩」を厳守することを決意したはずであった。
「禁煙」は12月1日から70日間続いていたが、愛用していた銀のZIPPOのライターをはじめ煙草を思い出させるものを家の中から一掃したにもかかわらず、長く着用していなかった洋服のポケットにあった煙草を吸ってしまった。
「一日一万歩」は雪が降れば止め、雨が降れば止め、うっかりしていたりで、頓挫している。
あの年頭の決意は何だったのだろう。我ながらあきれてしまう。思えば挫折の人生だった! 

今日は久しぶりに晴れ間が出たので、思い出したように家を出て歩いた。郵便局へ行って、スーパーへ寄って、本屋へ寄って帰ってきたら8000歩になった。


2月15日(水)

原稿用紙4〜5枚の原稿依頼が2件あった。雑誌社と仏教の宗門誌。双方とも東日本大震災から1年経った今、どう思っておられるか書いてほしいというものだった。私は今日主流をなしている価値観と異なる立場にある。そのことを正直に書けば、角が立つ文になって編集者が困ることになる。そうかといって妥協して書く気もしない。どうしようか迷っているうちに、「可具問仏」という無量壽経にある言葉が浮かんだ。迷ったら<すべからく仏に問え>ということである。仏に問うてから書くことにしよう


2月14日(火)

朝、娘からバレンタインのチョコレートを貰った。夕方、息子の嫁が孫たちを連れてやってきてチョコレートをくれた。外は寒いが、心温まる一日になった。たかがチョコレート、されどチョコレート。



2月13日(月)

氷点下の朝6:30分、ゴミを出しての帰り道、息苦しく胸が圧迫されるような症状に襲われ、しばらく立ち止まっていた。
ゆっくり歩いて部屋へ戻り、友人にもらった心臓病貼り薬「フランドルテープ」を胸に張って静かにしていたら楽になった。
テレビで天皇が心臓の冠動脈バイパス手術を受けるニュースが流れていた。
天皇が手術をなさることには何も言うことはないが、宮内庁のコメントが気になった。「今後も元気に公務を続けていただくためにも云々・・」という言葉。天皇は79歳である。79歳の老人にまだ働けというのだろうか、そんなことを思っているうちに、上野動物園の元園長の中川志郎氏の「地球はまあるい動物園」という本の中の言葉を思い出した。
「自然界は常に生き生きしている。なぜなら動物の世界などは、その動物の持つ寿命の50%余力を残して死んでいるからである。アフリカの自然界などては、シマウマが足を挫くと一瞬のうちに姿が消える。ライオンに食べられ、ハイエナに骨まで処理される。ところが動物園では、足を挫いても人間の科学的治療で寿命一杯生かしてゆく。今日自然のままの世界など地球上に見当たらなくなった。まさに「地球はまあるい動物園」になってしまった」と。
NHKドラマの平清盛。坂本竜馬等が活躍した明治維新。あの時代は生き生きとしていた。生き生きしているのは50歳以上の老人は後ろに下がり20代の若者が表に出て活躍しているからである
人生50年と言われた時代があった。インドでは孫の顔を見る50代になると、出家して二度と戻らぬ旅に出て、死に場所を見つけてどこかで死ぬ。それが理想的な生き方として説くのがバラモン教の聖典『マヌ法典』(人生を四つの時期、学習期、家住期、林住期、遊行期と分けて説いている)
中国や日本では、隠居という制度があった。50歳前後で引退して智慧は出すけど口は出さないと若者に託す制度があった。
世界一の高齢化社会となった我が国。年金問題や医療費問題に苦しんでいる。大自然の摂理に反した生き方をしているのだから当然の結果であろう。



2月12日(日)

寒い。氷点下、時々小雪がちらついている。
今まで日記の日付の後に「富山」とか「東京」とか書き入れていたが、やめることにした。なぜなら以前はあちこち出かけていて富山に居ない方が多かったからであった。やめるのは、めっきり講演依頼が少なくなったことによる。有難いことである。
ふと、昨年10月に56歳の若さで亡くなったアップルの創業者・スティーブ・ジョブズが米国スタンフォード大学の卒業式での祝賀スピーチが浮かんだ。世界でも屈指のエリート校の卒業式で<中退のすすめ>のような話をして1500人の卒業生を煙に巻いた有名なスピーチ。
何かを信じていたら、やがて点と点は繋がる。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない
なんだか禅語のようでもあり、老子の「道は無いーそれが道だ」と言っているようでもある。
講演依頼が少なくなったことを有難いと思うのは、私が何かを信じているからである。
ジョブズのスピーチの中にこんな言葉もあった。
来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」
このジョブスの指摘は、まさに仏教の説く生き方である



2月11日(土)富山・晴れ

久しぶりに晴れ間が出る日を迎えた。隣家のこぶしの木の芽が膨らんでいるのに気づいた。
郵便物の中に大阪の森正隆師からの手紙があった。「続・いのちの旅」をお送りした礼状であった。
「懐かしいです。うれしいです。いつのまにやら年齢をかさねて86歳。トンチンカンが増えました。家族の笑い者になっています」
とあった。大阪の真宗本願寺派蓮光寺の住職で、仏教音楽の作曲家でもある。十数年前に自坊を訪れたことがあった。出雲崎にある良寛像と見間違うほどそっくりの方である。父親が出雲崎から大阪の寺へ養子に来られていて、おそらく良寛とDNAが同じなのだろう。良寛の本も多数出しておられる。「友達に読んで貰いたく、サイン入り20冊をお送りください」と添えられていた。愛媛の画家松田一さんからも60冊の依頼があった。こうした名利に迷うことのない本物の方の有縁の方も本物の方のはずだから、そうした方に読んでいただけると思うだけでもうれしくなる。有難いことである。



2月10日(金)富山〜奈良〜富山

6時半に吹雪の中を家を出る。雪でサンダーバードの運行に不安を感じ、「しらさぎ」で米原経由で新幹線に乗り換えて京都へ。
京都から迎えの車で奈良・大和郡山市へ。豊臣秀長や柳沢吉保などの居城でもあった大和郡山城の前にある立派なホールが会場。浄土宗奈良県婦人会主催の仏教講演会。600席のホールが満席であった。手土産に菊屋の「御城の口餅」という和菓子を頂いた。餡を餅で包みきな粉をまぶしたものだが、実にうまかった。秀吉が秀長を訪ねてきた時、菊屋に命じて作らした菓子で、秀吉が大変ほめたという由緒ある菓子だと添え書きがあった。
帰路はサンダーバードで富山着22時。雪は小降りになっていた。


2月9日(木)富山・雪

雪は止む気配もない。雪が降ってもあまり驚かないが、本や雑誌を読んでいてドキッとする言葉に出遇うことがある。
ある雑誌の東日本大震災の「被災地レポート」なる記事を読んでいたら被災地で
「心のケアお断り」という張り紙を目にしたとあった。「押し売りお断り」というのはよく見かけるが、「心のケアお断り」とは・・・・善意の押し売りとしか思えないボランティアにうんざりしたのであろう。
また、東京大学東洋文化研究所の安富歩教授の書物の中に
「神抜きのキリスト教、阿弥陀抜きの浄土真宗」という言葉があった。これもまた今日の宗教界の現状を見事に言い当てている痛烈な「蜂の一刺し」といえよう。「自信教人信」という言葉が浮かんだ。



2月8日(水)富山・雪

少し暖かくなったと思ったら、また寒気が戻った。雪も降り続く。私は雪を厭わない、むしろ好きである。雪を見ると詩が生まれる

 雪国に生まれ
 雪国で育って
 雪道を歩いていると
 人の通った跡もない道なき道を
 俺が俺がとかき分けて進むことも
 多くの人に踏み固め理れた雪道を
 盲目的に歩くことも
 やめようと思った

 雪道を行くには
 よき人の足跡をたどって
 歩いて行くことだと気づいた


また、こんな詩も生まれた

 
雪が降ると
 風景が丸くなるのです
 あんなにいろいろ形があったのに
 山も木々も家々も 人の心も
 みんな丸くなるのです

 丸くなった雪の下では
 すべてをあるがままに
 まるごと認め合うのです

 


2月7日(火)富山・曇り時々晴れ

5日前から書き始めた<桜>の原稿を脱稿した。まだ推敲を続けたかったのだが、昨日6日が締日であった。添削加筆をしているうちに20枚になった文章を10枚に削った。木の彫刻家のように削ったほうが締まった作品になる。編集者から2日ほど猶予するから増やせないかと言ってきた。増やせないと断った。



2月6日(月)富山・晴れ

三日間留守の間に届いた郵便物を整理していたら、知らない人からの手紙があった。奈良での講演を聴きに来ていた人からだった。重い内容の手紙であった。
「突然のお手紙を差し上げます。・・・私ごとですが、この十年間に母を亡くし、父を亡くし、親友を亡くし、何よりも辛かったのは、娘が結婚をして妊娠、あと一週間で予定日という日に娘の体調がおかしくなり、「早期胎盤剥離」と診断され、お腹の中で死んでいた児を帝王切開で取り出し、小さな棺に用意していたドライミルクや初着やおもちゃを入れて弔ったことでした。世間で死産は戸籍にも入れず、この世に存在しなかった児として葬られる。斎場でお骨を集めた時の汚れの無い真っ白な骨がとてもまぶしく悲しみを何倍にも感じさせられました。娘は大量の輸血で助けてもらいましたが、張ってくる母乳を飲ませる児もなく、その姿は痛々しく私には慰める言葉もありませんでした。何か声をかけると「健康な子供を産んだお母さんには、私の気持ちはわからない」と泣きじゃくる娘をどうしてやることもできない自分が情けないだけでした。もう二度と自分の子供を抱くことができない体になった娘は、自分の意志で離婚してしまいました・・・・・(中略)・・・・仏教の講演会などへ出向いたことがなかった私がたまたま友人に誘われて先生のお話を聴き、心が安らぎました。次はどこで講演があるのでしょうか」
こんな内容の手紙であった。最近講演後にこうした手紙を頂くことが多くなった。しかし滅多に返信したことがなかったが、野口雨情が生まれて直ぐに亡くなった我が児を想って作った「シャボン玉とんだ」が浮かび、返信した。「あなたの孫は死産で生まれて、<屋根までも飛ばなかった>けど、あなたを仏の道へ導かれたのだと思います」と。
こんな手紙を受け取ると、やはり講演は続けようかと思ってしまう


2月5日(日)東京〜富山

帰路の電車の中でも桜の原稿を推敲していた。やはり桜は西行だと、ずーっと西行のことを想い続けていたからか、帰宅してからも西行のことを考えていた。NHKテレビの「平清盛」を観ていても西行のことを想っていた。
西行は1118年生まれで平清盛と同年で、しかも北面の武士として同僚で、武勇に秀で歌をよくした西行の名は、御所の中央まで聞こえていた。文武両道で美形。華やかな未来は約束されていた。しかし、西行は「北面」というエリート・コースを捨て、1140年、22歳の若さで妻子を捨てて出家する。阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから「西行」を法号とした。

西行は出家を前にこんな歌を詠んでいる。
<世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ>
(出家した人も何かを求めており本当に世を捨てたとは言えない。出家しない人こそ自分を捨てているのだ)

当時出家と言えば、比叡山など大寺院の山門をくぐることであった。しかしどの特定の宗派にも属さず地位や名声も求めず、ただ山里の庵で自己と向き合い、和歌を通して悟りに至ろうとしたのである。しかしなかなか悟りなどに至らない。そのことを正直に歌っている

<花に染む心のいかで残りけん 捨て果ててきと思ふわが身に>
(この世を捨てたはずなのに、なぜこんなにも桜の花に心奪われるのだろう)

そして有名な辞世の句<願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃>の通りに1190年の旧暦2月16日(現在の3月末)に往生する。ちなみに如月の望月は2月15日で釈迦の命日である。

芭蕉は西行を崇敬してやまなかった。「奥の細道」は西行追慕の巡礼の旅であった。



2月4日(土)東京・快晴

浅草ビューホテルで昨日から書き始めた<桜>の原稿をあらあら書き上げて、浅草ロックへ向かった。最近浅草に関心を抱くようになったのは、今月発刊される予定の西舘好子さんの新著「かもじやのよしこちゃん」の「あとがき」を引き受けて書いたことに起因している。内容は浅草でかもじや(カツラ専門店)の娘として生れ育った西舘さんの少女時代がいきいきと描かれたものだが、昭和30年代の浅草を彷彿とさる作品である。私が昭和33年に上京した頃は、映画が全盛の時代で当時の浅草の熱気あふれる光景が思い出された。目的もなく歩いていると、「虎姫一座のエノケン、笠置しず子のヒットソングレビュー」
という看板が目に止まった。衝動的に入場した。今日的にアレンジされた昭和歌謡ショウは、実に楽しかった。観劇して浅草寺周辺をぶらぶらしていた。浅草寺の仲見世などは歩けないほどの人混みで、スカイタワー効果なのか、活気に満ちている。私は浅草寺の境内を場所を変えては腰を下ろし通り過ぎる参拝者を眺めていた。
日本中の寺院が寺へ人が来ないと嘆いているのに、年間何千万という参拝者が訪れる不思議を思った。長野の善光寺もそうだが、浅草寺のご本尊は秘仏とされている。そして両寺ともその本尊は、川で拾われた仏像である。善光寺の仏像は淀川で拾われた阿弥陀如来像であり、浅草寺の仏像は浅草湾で拾われた聖観音菩薩像である。しかし参拝者のほとんどは何が本尊なのか知らないまま霊験あらたかな仏として手を合わせている。庶民は難解な仏教理論を説く宗教より、漠然と有難い秘仏とした方がよいのだろうかと思ってしまう。そのことはインドを旅した時のヒンズー教の寺院などでも見られる光景であった。
6時に、北海道・知床から帰ってこられた西舘好子さんと落ち合い仲見世の裏の「今半」で食事をしながら、今月26日に富山で開催される「子守唄フェステバル」の打ち合わせをして別れた。


2月3日(金)東京

コンビニでパン、牛乳など食料を仕入れてきて、ホテルに閉じこもって原稿を書いて一日を過ごす。<桜>特集を企画した雑誌の原稿。桜はただ咲いているだけなのに、人間はその時代の人間の生き様に基づいて勝手に解釈して桜をイメージしている。そのことが面白く思ったので引き受けたのであった。西行、梶井基次郎、萩原朔太郎、西条八十、坂口安吾などなど、桜を扱った詩や作品は多く、その生と死のとらえ方はまちまちで、実に深く哲学的である。だが、やはり芭蕉が敬慕してやまなかった西行がいいと思いながら書いていた。


2月2日(木)富山〜東京

富山大雪警報。降り続く雪の中で慌ただしく所用を済まし、1時の「はくたか」に飛び乗って上京。19:00から新宿・紀伊国屋ホールである《第208回新宿セミナー@Kinokuniya》 今こそ「祈りの心」を考える 山折哲雄(宗教学者)× 木下晋(画家)トーク
に駆けつけるためだった。予定では2時間前に着くはずだったが、雪のため越後湯沢で2時間遅れとなり、紀伊国屋へ着いた時は19:30分となっていた。木下くんが電話で前売り券が少ないと心配していたが200人は入っていた。二人のトークは格調高く素晴らしいものだった。来てよかったと思った。案内した平野俊興氏や、藤木雅雄氏や毎日の城島氏にも会えた。終了後山折哲雄氏と木下晋氏を囲んで関係者10人ほどで会食歓談して、宿泊先のホテルへ。


2月1日(水)富山・雪


オークス2月度出発式。出席して会長に新刊「続・いのちの旅」を渡す。

1月の新門日記


「新門日記」再出発にあたって

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