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9月24日(日) 快晴

高岡市中田の善興寺(飛鳥寬静住職)で開催された「般若一郎回顧展」へ出向いた。富山市の荘厳寺の阿部住職の車に同乗させてもらった。回顧展といっても、般若氏の作品を持っている人に呼びかけ、参加する人が持ち寄って寺の本堂に展示するというユニークな展覧会であった。

私も一点持参した。了承した記憶がないのに、なぜか案内のチラシに「青木新門、般若一郎を語る」とあった。そのチラシを見たから私の話を聞きたくて来たという人もおられた。面食らったが、画家般若一郎をよく知る人は、ほとんど故人になっていて、生前の般若画伯を知る者は県内で私しかいないのは確かであった。エピソードの二、三を交えて卓話的に30分ほど話した。私の持参した絵の題は「気取った花」という50号の油絵であった。この「気取った」ということをテーマに話した。

この善興寺の昨年亡くなられた飛鳥寛栗師とも親交のあった棟方志功が「おらばゴッボになる」と言って青森から上京し、戦時中ここからほど近い砺波野に疎開していた。その間越中の浄土真宗の他力の土徳に触れ、画業が大きく開花した逸話を話した。しかし、棟方志功は、後に「柵」と題した作品を多く描いた。その「柵」こそが棟方の<気取り>にほかならない。もちろん牧場の柵のような馬以外は誰でも行き来できるスカスカの柵であるが、この柵がなければ、自由奔放な幼児の絵がどんなに素晴らしくても絵画作品として世に認められないように、認められないのである。そのことをゴッホとゴーギャンの「耳切り事件」の例をあげて話した。ゴッホとゴーギャンが共同生活をはじめて間もなく、口論し始める。ゴッホは毎日のように外へ出てスケッチをするためにコーギャンを誘う。ゴーギャンは一、二度見てモチーフを掴んだら、後は頭で再構築して描けばいいのだと言う。しかしゴッホは「ぼくは自然を見ながら、その場でないと描けない」と主張する。それが二人が決裂して耳を切り落とす事件となった。自力と絶対他力の意見の衝突。気取りは作為、即ち自力の観念の柵である。般若一郎が飲み屋で殴り合いの喧嘩をして、首の骨を痛める重傷を負う、その後思想や主義主張にも、生や死にも、美や醜にも、柵(境界)を作らず自由奔放の絵を描き始めた。それは素晴らしい事だが、世間は受け入れない。要するに売れない絵を描き始めたのである。ゴッホの絵は、生前一点の作品も売れなかったのであった。そんな事を思いつくまま話していた。



9月22日(金) 曇り~23日(土) 曇り後晴れ

時々私は、この娑婆で起きる事は成るようにしか成らないのだから、気にしないようにして生きようと思ったりする。しかし気にしないではいられない事態に巻き込まれることがある。

トランプ米大統領は19日、国連総会での初演説で、北朝鮮を「完全破壊」すると警告。金正恩朝鮮労働党委員長を「ロケットマン」とやゆし、同氏が「自殺行為」に及んでいると述べていた。これに対し金氏は21日、トランプ氏を「狂人」と呼び、北朝鮮を破壊すると脅したことに対して「大きな代償」を支払うことになると威嚇し、水爆実験を示唆した。
その両者の言い合いを、ロシアのラブロフ外相は記者会見で、「誰も止められない幼稚園児同士の喧嘩」と言っていた。

確かに幼児の喧嘩にも似た威し合いだが、幼児は水爆など持っていない。安倍総理は「圧力、圧力」と叫んでいるが、昨日も親にゲームのことで注意されただけの「圧力」で切れた少年が親を殺す事件があった。金正恩が切れないか心配である。北朝鮮が太平洋上で水爆実験をすれば、いかに公海とはいえ、核兵器を持たせないことを目的としている日米や国際社会は、北朝鮮を叩く口実にして北朝鮮を徹底的に叩くであろう。そのことは世界中を巻き込んだ戦争へと発展する危険を孕んでいる。人間は愚かである。繰り返しても、繰り返しても、愚行を繰り返す。第二次世界大戦で二千万人もの戦死者を出したロシア(日本は300万人)は、トルストイやドストエフスキーを生み、レーニンやスターリン、プーチンを生んだ。チェノブイリの惨事も体験し、氷河期を生きる<どん底>の生き方も知っている国民である。「幼児の喧嘩」と言いながら、クリミヤやシリアでの西側への怨みもあるだろう。いざとなれば、昭和20年8月15日の終戦一週間前の8月9日に日ソ中立条約を破棄して宣戦布告して参戦したように、漁夫の利を狙っているのが透けて見える。それでも私は、そんな国でも十把一絡げに信用するなとは言わない。ドストエフスキーやパステルナークを生んだ国である。ただ、三毒に覆われた<煩悩障眼雖不見>の人間を悲しむだけである。

親鸞ではないが、「わがこころ良くて殺さずにはあらず」である。虚無が臨界に達すれば、善悪など関係なく、人間は何をするかわからない。「世の中安穏なれ」と口先で言っていても虚しく聞こえるだけである。「親鸞聖人消息」にある「世の中安穏なれ」という言葉の前に「往生を不定におぼしめさんひとは、まずわが身の往生をおぼしめして、お念仏候ふべしわが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩おぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こころにいれて申して、世の中安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべし」と、親鸞は<往生一定>即ち<正定聚>となってはじめて「世の中安穏なれ」と言える資格があると説いておられるのであった。私のような極重悪人は、正定聚はおろか、何事が起きても安穏に生きてゆくことなどできない。法然上人が言われるように「念仏為先」を心がけて日々を生きてゆくしかない、とあらためて思うのだった。

 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見  大悲無倦常照我


9月21日(木) 晴れ

パソコンの操作ミス(?)で、昨日までの日記が全て消えてしまった。一瞬アレ?と思ったが、次の瞬間有り難いことだと思った。最近、何が起きてでも有り難いことだと思えるようになった。実に清々しい。恥も外聞もなく理屈を述べては、忸怩たる思いをしていた日々から解放されたような清々しさ。無慚無愧の自分の過去の悪行も、このようにきれいさっぱりと消せたらどんなに清々しいことだろうと思った。

ソクラテスは「知りもしないことを知ったような顔をして言うのを無知というのだ」と言った。老子は「知るものは言わず。言う者は知らず」と言い残した。
「維摩経」では、分別や理屈を越えた世界、即ち「不二の法門」を説くのに維摩居士は沈黙をもって答えとした。そのことを「維摩の一黙、雷の如し」と菩薩たちは讃えたとある

こうした覚者たちと違って私などは、「ご破算で願いましては」と算盤の珠を度々〇に戻すように、積んだり崩したりして生きている。私にとって日記とは、親鸞が「悪性さらにやめがたし こころは虵蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたると悲嘆述懐されたように、私の行為など虚仮の行にすぎないが黙って微笑んでいることができる日が来るまで書き続けていこうと思っている。良寛が「つきてみよ  ひふみよいむなやここのとを十とをさめて また始まるを」と、鞠を突いて仏道を歩かれたように、「新門日記」を書き続けていようと思うのだった。