十二段舞楽

十二段舞楽


4月の例祭に奉納されます十二段舞楽は昭和57年に国の重要無形文化財に指定されました
《歴史》
 慶雲2年(705年)に勅願による社殿の造営があり、その折、京都から藤原綾足が神官として赴任し、京人に依って奉納舞楽が行われました。
応仁・文明の乱、地方の戦火の時代に神社の祭祀が途絶えましたが、天正18年(1583年)に再開されて以後、明治維新の変換の時代にも耐え、例祭時に連綿と伝承保存されてきました。
《形態》
この舞楽は宮中・伊勢神宮・四天王寺等のものとは異なり、祭りの庭の芸能的な素朴な赴きの特色を有し、他所では見られぬ形態であります。
一宮の小國神社の舞楽と天宮神社の舞楽は、中央の舞楽で言う左方の舞と右方の舞を演目で区別するというよりも、小國神社は赤の衣装を主とし早いテンポで男性的に舞い、、天宮神社は青の衣装でゆったりとしたテンポで優雅に舞う違いを持ちながら、二社一体の関係で
成立しています。
《演目》
 延舞・色香・底胡蝶・鳥名・太平楽・新靺鞨・安摩・二の舞・陵王・抜頭・納曾利・獅子 

 延舞:天地鎮めの舞、色香:菩薩(薬師の脇侍)の出現、底胡蝶と鳥名:極楽浄土に遊ぶ蝶と鳥を表す
 太平楽:戦のない平和な世界を祈願する
 ここまでが、神仏への供養のための舞になっています。

 新靺鞨以降は、入調の舞楽:観衆の娯楽の舞になっています。

 神様や仏様に珍しい御供え物を供し、極楽浄土の様相を舞いに呈して和んでいただき、その後、現世利益(民衆の願い事で
ある無病息災にして、長寿・子孫繁栄・農業豊作・疫病退散など)を演じ、最後に獅子伏せを演じてこの宇宙の悪霊を
退散させて、舞楽は終了します。



乙女・稚児・太刀・浦安


例大祭には毎年舞児として町内の児童に参加いただいています。

舞い屋


舞台は2間四方の高欄付建物で、渡り廊によって楽屋とつながっています。
現在の建物は文政3年(1820年)に改築されたものです。
大正11年に西側に少し移動しています。




獅子
    




田楽系の獅子舞で、現世宇宙のすべてを鎮めることでの
安泰を祈願して舞っています。
獅子が鼻をかんで、舞殿から撒く鼻かみに御利益があるということ
で紙の取り合いになり、舞台下は賑やかくなります。
鼻かみの所作は、【花拝み=神拝】である。


乙女の舞・浦安の舞

神社拝殿・御旅所では、乙女の舞・浦安の舞が奉納されます。

乙女の舞


浦安の舞




拝殿での乙女の舞

例大祭 神輿渡御・行道


祭典時神幸御旅所まで神輿渡御


神幸祭が終わると神宮寺より出てくる楽屋衆が神輿と一緒に神社へ行くことを行道と呼んでいる。
お寺に僧侶が向かうことを行道ということから、お祭りの行列の中に僧侶がいて、
大きな位置を占めていたとされている。
例大祭が”ほうじ”と呼ばれていることから、神仏習合の時代の名残が、この舞楽に投影されている。

舞楽保存会


昭和50年に十二段舞楽の伝承保存を願って氏子有志により、設立された。例祭時には、楽人や衣装方を務め、舞の指南役でもある。
舞の指南は、江戸時代には、一宮小國神社の社家鈴木左近家が当たっていたが、明治以降は氏子に委ねられ、天社轂を退団した
中老、大老が、天社轂の依頼を受け、舞の指南役として楽人に関わり、昭和四十年代までその形態は続いた。
昭和五十年に正式に保存会が設立され現在に至る。

現在、保存会だよりを発行していただき、行事の案内や御説明をいただいています。
保存会員を募集しておりますので、お問い合わせください。

平成24年度例大祭


   
   子供獅子舞               安摩                  安摩                二の舞




    
      二の舞                納曾利                獅子                獅子

【平成24年街並と蔵展展示】

            

                                           江戸時代版木原板 

2013年10月18日 伊勢神宮奉納


式年遷宮を祝い外宮で舞楽奉納。



戻る