近世キンセイにおける奄美大島アマミオオシマ在島ザイトウ役人ヤクニンおよび島役シマヤク一覧表イチランヒョウ
モリ ヒロシミチ(2010.10.01)
 近世キンセイ島津氏シマズシ奄美アマミ支配シハイにおいて、与人ヨヒト以下イカ島役シマヤクニンたした役割ヤクワリ看過カンカできないものがある。この一覧表イチランヒョウは、それら島役シマヤクニン研究ケンキュウ一助イチジョにもればとオモ作成サクセイしたものである。ナオ一覧表イチランヒョウ作成サクセイにおいては、○同一ドウイツ役柄ヤクガラナイにおいては、ヤクジョウヤク定役ジョウヤク区別クベツられるが、定役ジョウヤクについてはトク区別クベツする必要ヒツヨウのないカギり、タトえば「○○定役ジョウヤク」とすことはしていない。○与人ヨヒトについては「○○与人ヨヒト」・「△△間切マギリ与人ヨヒト」、間切マギリ横目ヨコメについても「△△間切マギリ横目ヨコメ」・「○○ホウ間切マギリ横目ヨコメ」と両様リョウヨウ記述キジュツられるが、一応イチオウ参考サンコウ文献ブンケンのままに記載キサイした。勿論モチロンこの一覧表イチランヒョウはまだまだ不完全フカンゼンなものであり、今後コンゴ調査チョウサ研究ケンキュウによって、より完成カンセイしたものにしていきたいとオモう。奄美アマミ歴史レキシ研究ケンキュウ関心カンシンのある方々カタガタにご協力キョウリョクをいただければサイワいである。
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            *なお、近世の奄美における島役人については、下記のサイトもご覧いただければ幸いです。
近世キンセイミチシマシマ役人ヤクニン群像グンゾウ http://www.geocities.jp/simayakuningunzo/simayakuningunzo.htm
シマ役人ヤクニン研究ケンキュウ現状ゲンジョウ課題カダイ http://www.geocities.jp/simayakuninkenkyu/simqyakuninkenkyu.htm
参考サンコウ文献ブンケン
大島オオシマ代官ダイカン集成シュウセイ」 野見山ノミヤマアツシヘン 福岡フクオカ大学ダイガク研究所ケンキュウジョカン
奄美大島アマミオオシマ諸家ショカ系譜ケイフシュウ」 亀井カメイ勝信カツノブヘン 国書コクショ刊行会カンコウカイカン
笠利カサリ」 田畑タバタユウヒロシチョ 奄美アマミ郷土キョウド研究会ケンキュウカイ所収ショシュウ
                         
名前 役職 在任西暦 在任 和暦 備考 間切とホウ 任地ニンチ不明フメイ 島役シマヤクニン
笠利カサリ間切マギリ 古見コミ間切マギリ 名瀬ナゼ間切マギリ 住用スミヨウ間切マギリ 西ニシ間切マギ ヒガシ間切マギ 焼打間切ヤキウチマギ
法元仁右衛門 奉行 1613 慶長18 仮屋は笠利 思太良肥(1613 宿シュク与人ヨヒト              
川越将監 奉行 1615 元和01                  
川上彦左衛門 奉行 1617 元和03                  
黒葛原筑後 奉行 1619 元和05                  
鮫島孝左衛門 奉行 1621 元和07                  
町田勘解由 奉行 1623 元和09                  
是枝仲存坊 奉行 1625 寛永02 是枝は修験者?                
野元源左衛門 奉行 1627 寛永04                  
関戸左衛門 奉行 1629 寛永06                  
山田内蔵之助 奉行 1631 寛永08                  
野津安右衛門 奉行 1633 寛永10                  
吉岡宮内左衛門 奉行 1635 寛永12                  
有馬丹後 奉行 1637 寛永14                  
有馬治右衛門 代官 1639 寛永16                  
中里刑部左衛門 附衆 1639 寛永16                  
木藤九右衛門 附衆 1639 寛永16                  
石塚七左衛門 附衆 1639 寛永16                  
有川五左衛門 代官 1641 寛永18 この代より附役5人づつ                
上原仲左衛門 附役 1641 寛永18                  
木佐貫万兵衛 附役 1641 寛永18                  
平田傳兵衛 附役 1641 寛永18                  
松崎善左衛門 附役 1641 寛永18                  
緒方島右衛門 附役 1641 寛永18                  
田中善兵衛 代官 1643 寛永20                  
岡元主計 附役 1643 寛永20                  
篠崎新左衛門 附役 1643 寛永20                  
中村権右衛門 附役 1643 寛永20                  
森田慶左衛門 附役 1643 寛永20                  
谷山角左衛門 附役 1643 寛永20                  
猿渡喜之助 代官 1645 正保02                  
山城新助 附役 1645 正保02                  
中条権兵衛 附役 1645 正保02                  
田貫九右衛門 附役 1645 正保02                  
牧野田與左衛門 附役 1645 正保02                  
折田甚左衛門 附役 1645 正保02                  
黒葛原周右衛門 代官 1647 正保04                  
東郷宗兵衛 附役 1647 正保04                  
友野左近允 附役 1647 正保04                  
坂元孫右衛門 附役 1647 正保04                  
松崎采女 附役 1647 正保04                  
伊集院養心 附役 1647 正保04                  
中村主計 代官 1649 慶安02                  
野元種子右衛門 附役 1649 慶安02                  
長倉伊織 附役 1649 慶安02                  
山之内七郎左衛門 附役 1649 慶安02                  
岩元新左衛門 附役 1649 慶安02                  
徳持市兵衛 附役 1649 慶安02                  
伊集院左京 代官 1651 慶安04                  
大重仲兵衛 附役 1651 慶安04                  
本田仲左衛門 附役 1651 慶安04                  
山口興三兵衛 附役 1651 慶安04                  
三原宗兵衛 附役 1651 慶安04                  
山下十兵衛 附役 1651 慶安04                  
上原小助 代官 1653 承応02 仮屋は赤木名                
上原小右衛門 附役 1653 承応02                  
蓑田喜左衛門 附役 1653 承応02                  
大迫源左衛門 附役 1653 承応02                  
中村七郎左衛門 附役 1653 承応02                  
久木田孝左衛門 附役 1653 承応02                  
岡元千右衛門 附役 1653 承応02                  
南郷仲兵衛 代官 1655 明暦01                  
肥後周兵衛 附役 1655 明暦01                  
薗田與七左衛門 附役 1655 明暦01                  
岩切利左衛門 附役 1655 明暦01                  
岡元千右衛門 附役 1655 明暦01                  
宮原六兵衛 附役 1655 明暦01                  
川上左京 代官 1657 明暦03 大島検地奉行となり、万治3年上国                
上部早左衛門 附役 1657 明暦03 病気のため任期途中で上国                
野元種子右衛門 附役 1657 明暦03                  
梁瀬善兵衛 附役 1657 明暦03                  
神田九右衛門 附役 1657 明暦03                  
関曽兵衛 附役 1657 明暦03                  
中村源右衛門 附役 1657 明暦03                  
有馬七左衛門 附役 1657 明暦03                  
永吉嘉左衛門 附役 1657 明暦03 上部氏の後任として下島                
肝付三郎兵衛 代官 1659 万治02 喜界島・大島の検地奉行となり、万治3年上国                
肥後三左衛門 附役 1659 万治02                  
宮里村右衛門 附役 1659 万治02                  
中馬紹宅 附役 1659 万治02                  
吉元八右衛門 附役 1659 万治02                  
赤塚権右衛門 附役 1659 万治02                  
川越新左衛門 代官 1660 万治03                  
永田藤左衛門 附役 1660 万治03                  
八代権右衛門 附役 1660 万治03                  
肝付嘉右衛門 附役 1660 万治03 町田嘉右衛門のことか?                
吉井喜右衛門 附役 1660 万治03                  
鮫島利右衛門 附役 1660 万治03                  
富山九右衛門 代官 1662 寛文02 仮屋、名瀬に移る                
肝付彦兵衛 附役 1662 寛文02                  
橋口治兵衛 附役 1662 寛文02                  
種子田市兵衛 附役 1662 寛文02                  
小牧孝右衛門 附役 1662 寛文02 娘が田畑佐郁の妻となる?                
梁瀬藤左衛門 附役 1662 寛文02                  
鎌田五太夫 代官 1664 寛文04                  
與尾為右衛門 附役 1664 寛文04 喜界島湾村にて死去                
川崎新兵衛 附役 1664 寛文04 喜界島湾村にて死去                
樋渡清右衛門 附役 1664 寛文04                  
山口半平 附役 1664 寛文04 與尾為右衛門の後任として下島                
野村藤左衛門 附役 1664 寛文04 川崎新兵衛の後任として下島?                
鎌田吉兵衛 附役 1664 寛文04                  
横山慶左衛門 附役 1664 寛文04                  
鎌田勘兵衛 代官 1666 寛文06                  
村田諸右衛門 附役 1666 寛文06                  
町田嘉右衛門 附役 1666 寛文06 万治2年にも附役として下島?                
高崎清右衛門 附役 1666 寛文06                  
染川源左衛門 附役 1666 寛文06                  
小城助左衛門 附役 1666 寛文06                  
蒲生正左衛門 代官 1668 寛文08       タメ寿ジュ(1653, 1669 ウラフデ          
木藤宇宇衛門 附役 1668 寛文08                
内田治左衛門 附役 1668 寛文08                
椎原助左衛門 附役 1668 寛文08                
臼井貞右衛門 附役 1668 寛文08                
赤地用右衛門 附役 1668 寛文08                
鎌田勘兵衛 代官 1670 寛文10 寛文5年にも下島、名瀬にて死去。仮屋は大熊にあり。                
福島新右衛門 附役 1670 寛文10                  
岩崎喜兵衛 附役 1670 寛文10                  
益満清右衛門 附役 1670 寛文10                  
遠矢新兵衛 附役 1670 寛文10                  
相良六右衛門 附役 1670 寛文10                  
永田吉左衛門 代官 1671 寛文11 病気ニ付寛文12年に上国                
東郷喜兵衛 代官 1671 寛文11 永田氏の後任として下島                
伊地知太右衛門 附役 1671 寛文11                  
有馬源兵衛 附役 1671 寛文11                  
梁瀬善兵衛 附役 1671 寛文11 明暦3年にも下島。名瀬の大熊にて死去。                
伊東権右衛門 附役 1671 寛文11                  
貴島甚右衛門 附役 1671 寛文11                  
松田三右衛門 附役 1671 寛文11 梁瀬氏の後任として下島                
東郷喜兵衛 代官 1672 寛文12 仮屋は赤木名へ移転                
三原孫右衛門 附役 1672 寛文12 任期満了直前に死去。                
野村吉左衛門 附役 1672 寛文12                  
曽木甚左衛門 附役 1672 寛文12                  
永田五郎兵衛 附役 1672 寛文12                  
武松権兵衛 附役 1672 寛文12                  
町田嘉右衛門 代官 1675 延宝03 川越新左衛門・鎌田勘兵衛代にも下島             タメ寿ジュ(1676 大和ヤマトハマホウ用人ヨウニンツカサ 1716ボツ  
小倉佐左衛門 附役 1675 延宝03                
四元半之丞 附役 1675 延宝03                
藤山友富 附役 1675 延宝03                
高崎清左衛門 附役 1675 延宝03                
大迫圓清院 附役 1675 延宝03 鎌田勘兵衛代に附役として下島、大島で死去              
左近允八右衛門 代官 1677 延宝05                  
木場七郎兵衛 附役 1677 延宝05                  
蓑田四郎右衛門 附役 1677 延宝05                  
武下宗右衛門 附役 1677 延宝05                  
税所新助 附役 1677 延宝05                  
別府五左衛門 附役 1677 延宝05                  
黒田嘉兵衛 代官 1679 延宝07                  
野村吉左衛門 附役 1679 延宝07 東郷喜兵衛代に附役として下島                
蓑田七郎兵衛 附役 1679 延宝07                  
内藤軍左衛門 附役 1679 延宝07 大島で死去                
中郷與左衛門 附役 1679 延宝07                  
有富八右衛門 附役 1679 延宝07                  
家村勘左衛門 代官 1681 延宝09                  
横山慶左衛門 附役 1681 延宝09 鎌田五太夫代に附役として下島                
野村藤右衛門 附役 1681 延宝09 鎌田五太夫代に附役として下島                
藤井三右衛門 附役 1681 延宝09                  
税所新助 附役 1681 延宝09 左近允八右衛門代に附役として下島                
黒木清右衛門 附役 1681 延宝09                  
猿渡喜右衛門 代官 1682 天和02                  
松山與左衛門 附役 1682 天和02                  
赤崎七左衛門 附役 1682 天和02                  
坂元善右衛門 附役 1682 天和02                  
山口貞右衛門 附役 1682 天和02                  
川口與兵衛 附役 1682 天和02 死去                
伊地知清右衛門 附役 1682 天和02 川口氏の後任として下島                
渋江平内左衛門 代官 1685 貞享02                  
西五郎左衛門 附役 1685 貞享02 死去                
酒匂弥左衛門 附役 1685 貞享02                  
松田七右衛門 附役 1685 貞享02                  
西新左衛門 附役 1685 貞享02                  
薗田源兵衛 附役 1685 貞享02                  
鮫島清左衛門 代官 1687 貞享04                  
森萬之丞 附役 1687 貞享04                  
武元藤左衛門 附役 1687 貞享04                  
森山堅助 附役 1687 貞享04                  
久保平内 附役 1687 貞享04                  
門松喜左衛門 附役 1687 貞享04 死去                
満尾弥左衛門 附役 1687 貞享04 門松氏の後任として下島                
海江田諸右衛門 代官 1689 元禄02                  
税所新助 附役 1689 元禄02 左近允八右衛門代・家村勘左衛門代に附役として下島                
肝付三右衛門 附役 1689 元禄02                  
伊地知彦左衛門 附役 1689 元禄02                  
山下萬右衛門 附役 1689 元禄02                  
池端六右衛門 附役 1689 元禄02                  
猪俣休右衛門 代官 1691 元禄04 喜界島キカイジマヤクニンクワわる。          宿シュクオオオヤイエ,1691 与人ヨヒト ジョウコクのはじまり)               (1691、ヒト
宮下次郎左衛門 附役 1691 元禄04                
福永與左衛門 附役 1691 元禄04                
川上七左衛門 附役 1691 元禄04                
帖佐七郎兵衛 附役 1691 元禄04 東間切嘉鉄村へ詰居              
赤崎治助 附役 1691 元禄04 屋喜内間切宇検村へ詰居              
平瀬彦左衛門 附役 1691 元禄04 喜界島へ詰居              
東郷五兵衛 附役 1691 元禄04 喜界島へ詰居              
村田半助 代官 1693 元禄06 元禄七年に死去。喜界島代官伊地知五兵衛が兼任。 タイトミ(1694 笠利カサリ横目ヨコメ   タメタツ田畑タバタブンジンのこと,1678,1693 ウラフデ)      マエミネ(1694 ウラ与人ヨヒト          
有馬勘助 附役 1693 元禄06              
川村休右衛門 附役 1693 元禄06              
大迫八兵衛 附役 1693 元禄06              
松山與左衛門 附役 1693 元禄06 猿渡喜右衛門代に附役として下島            
愛甲治右衛門 代官 1695 元禄08 元禄九年に死去に付、喜界島代官長谷場源助が兼任 ノウタミ(1695 喜瀬キセ与人ヨヒト   オクカツ(1695 名瀬ナゼ横目ヨコメ         タメタツ(1696、大島オオシマナカキビ横目ヨコメ
有馬十兵衛 附役 1695 元禄08            
蓑田喜左衛門 附役 1695 元禄08            
竹崎玄三 附役 1695 元禄08            
吉井市右衛門 附役 1695 元禄08            
帖佐七郎兵衛 附役 1695 元禄08 猪俣休右衛門代に附役として下島          
野村四郎右衛門 黍検者 1695 元禄08 喜界島・大島の黍検者の初め、但し任期途中で死去          
木場主右衛門 黍検者 1696 元禄09 野村四郎右衛門の後任として下島            
為辰 黍横目 1696 元禄09 大島中黍横目,田畑佐文仁のこと,1678生            
土岐半助 代官 1697 元禄10 諸横目が次第に任命された                
川上七左衛門 附役 1697 元禄10                  
谷山次郎右衛門 附役 1697 元禄10                  
平野休左衛門 附役 1697 元禄10                  
児玉治兵衛 附役 1697 元禄10                  
川越権右衛門 附役 1697 元禄10                  
上別府半六 黍検者 1697 元禄10                  
廣瀬次郎兵衛 代官 1699 元禄12     タメ(1681, 1699 古見コミホウフデ)  タメタツ(1700 ウラ用人ヨウニンツカサ          
海老原市右衛門 附役 1699 元禄12              
精松六兵衛 附役 1699 元禄12              
肝付三右衛門 附役 1699 元禄12 海江田諸右衛門代に附役として下島            
久永堅哲 附役 1699 元禄12              
内田才右衛門 附役 1699 元禄12              
川上平五左衛門 黍検者 1699 元禄12              
中村勘右衛門 代官 1701 元禄14                  
内藤源右衛門 附役 1701 元禄14                  
久保田平左衛門 附役 1701 元禄14                  
西田弥兵衛 附役 1701 元禄14                  
森平右衛門 附役 1701 元禄14                  
神田曽兵衛 附役 1701 元禄14                  
田中孝右衛門 黍検者 1701 元禄14                  
小倉市郎左衛門 代官 1703 元禄16 町田嘉右衛門代に附役として下島(当初は佐左衛門)                
町田権右衛門 附役 1703 元禄16                  
華田玄喜 附役 1703 元禄16                  
精松六郎兵衛 附役 1703 元禄16 廣瀬次郎兵衛代に附役として下島                
上村仲兵衛 附役 1703 元禄16                  
前田藤右衛門 附役 1703 元禄16                  
高崎甚五左衛門 黍検者 1703 元禄16                  
川上孫左衛門 代官 1705 宝永02       タメ(1706 間切マギリ与人ヨヒト 1756ボツ          
鎌田善六左衛門 附役 1705 宝永02                
山下六郎兵衛 附役 1705 宝永02                
塚田五兵衛 附役 1705 宝永02                
川崎勘助 附役 1705 宝永02                
吉見新左衛門 附役 1705 宝永02                
亀澤源兵衛 黍検者 1705 宝永02                
藤田孝右衛門 代官 1707 宝永04 マエ(1707 ハゼカイ       タメタツ(1708 間切マギリ与人ヨヒト       マエ(1707、ハゼウエマワ
二宮太右衛門 附役 1707 宝永04              
牧野孫右衛門 附役 1707 宝永04              
佐土原郷右衛門 附役 1707 宝永04              
永田軍右衛門 附役 1707 宝永04              
黒木三右衛門 附役 1707 宝永04              
松元伊右衛門 黍検者 1707 宝永04              
富山傳内左衛門 代官 1709 宝永06 宝永九年に死去。喜界島代官阿多太仲が兼任                
田代傳兵衛 附役 1709 宝永06                  
八木五郎兵衛 附役 1709 宝永06                  
山崎清左衛門 附役 1709 宝永06 死去                
湯田主右衛門 附役 1709 宝永06                  
川野猪右衛門 附役 1709 宝永06                  
崎元伊左衛門 黍検者 1709 宝永06                  
村田茂兵衛 代官 1711 宝永08 この年,正徳と改元   タメタツ(1711 古見コミホウ与人ヨヒトヤク   タメタツ(1712 間切マギリ与人ヨヒト 1764ボツ        
山崎次兵衛 附役 1711 宝永08              
山之内八兵衛 附役 1711 宝永08              
平田三左衛門 附役 1711 宝永08              
濱田民右衛門 附役 1711 宝永08              
前田覚右衛門 附役 1711 宝永08              
山崎勘左衛門 黍検者 1711 宝永08              
酒匂太郎左衛門 代官 1713 正徳03             シャ(1713 間切マギリ横目ヨコメ    
榎元新左衛門 附役 1713 正徳03                
野村勘七 附役 1713 正徳03                
但馬市兵衛 附役 1713 正徳03                
肝付源兵衛 附役 1713 正徳03                
時任七右衛門 附役 1713 正徳03                
野村新助 黍検者 1713 正徳03                
富山傳内左衛門 代官 1715 正徳05 宝永六年下島の富山傳内左衛門の養子                
押川六郎右衛門 附役 1715 正徳05                  
有川與右衛門 附役 1715 正徳05                  
丸野六兵衛 附役 1715 正徳05                  
堀太郎右衛門 附役 1715 正徳05                  
蘆谷市左衛門 附役 1715 正徳05 正徳五年に死去                
川上源助 附役 1715 正徳05 蘆谷市左衛門の後任                
時任武右衛門 黍検者 1715 正徳05                  
碇山仲左衛門 代官 1717 享保02                  
川上源助 附役 1717 享保02 詰通                
須田孝左衛門 附役 1717 享保02                  
神田五郎右衛門 附役 1717 享保02                  
検見崎市右衛門 附役 1717 享保02                  
折田七郎左衛門 附役 1717 享保02                  
八木渡右衛門 黍検者 1717 享保02 黍検者はこの代で終り、以降は附役の兼務となる。                
植村半左衛門 代官 1719 享保04                  
児玉善助 附役 1719 享保04                  
伊集院孫市 附役 1719 享保04                  
中村半助 附役 1719 享保04                  
磯永三之丞 附役 1719 享保04                  
別府次助 附役 1719 享保04                  
土持権兵衛 代官 1721 享保06   ジツ(與々世戸見家 1722 間切マギリ横目ヨコメ              
押川喜右衛門 附役 1721 享保06                
久保田十左衛門 附役 1721 享保06                
大窪甚五左衛門 附役 1721 享保06                
執印傳内 附役 1721 享保06                
矢野軍平 附役 1721 享保06                
町田権右衛門 代官 1723 享保08 小倉市郎左衛門代に附役として下島   ジツ(1724 瀬名セナホウ与人ヨヒト 1752ボツ タメトオ(1684間切マギリ与人ヨヒト         タメテル(1723、フデ
貴島新右衛門 附役 1723 享保08            
小濱諸右衛門 附役 1723 享保08            
相良金右衛門 附役 1723 享保08            
二宮四郎右衛門 附役 1723 享保08            
山口早右衛門 附役 1723 享保08            
今井六右衛門 代官 1725 享保10                  
川南仁助 附役 1725 享保10                  
石神早右衛門 附役 1725 享保10                  
吉井新右衛門 附役 1725 享保10                  
池田孝右衛門 附役 1725 享保10                  
郡山茂左衛門 附役 1725 享保10                  
永井六左衛門 代官 1727 享保12       タメテル(1728 龍郷タツゴウホウ与人ヨヒト 1782ボツ          
崎元正右衛門 附役 1727 享保12                
椎原休左衛門 附役 1727 享保12                
山下傳兵衛 附役 1727 享保12                
渋谷善之丞 附役 1727 享保12                
西田団右衛門 附役 1727 享保12                
伊集院弥八郎 代官 1729 享保14                  
河野安右衛門 附役 1729 享保14                  
野崎善兵衛 附役 1729 享保14                  
川元市左衛門 附役 1729 享保14                  
郡山次郎兵衛 附役 1729 享保14                  
川崎典悦坊 附役 1729 享保14 修験者                
伊地知八四郎 代官 1731 享保16 享保17年に死去                
東郷喜兵衛 附役 1731 享保16 文仁演事件により、任期途中で失脚。                
矢野宗兵衛 附役 1731 享保16                  
岩元與恵兵衛 附役 1731 享保16                  
税所十内 附役 1731 享保16 文仁演事件により、任期途中で失脚。                
鎌田藤左衛門 附役 1731 享保16                  
北郷傳太夫 代官 1732 享保17 文仁演事件により、任期途中で失脚。         ブンジン(1732 間切マギリ横目ヨコメブンジン(1732 間切マギリフデトモに文仁演事件により、免職、遠島) ブンジンエン(1732 渡連トレンホウ与人ヨヒト,文仁演事件により、免職、遠島) ジツ(1733 宇検ウケンホウキビ横目ヨコメ  
時任慶右衛門 附役 1732 享保17 ジツB(與々世戸見家,1714生 トウフネホウ          
伊東茂兵衛 附役 1732 享保17            
折田次郎左衛門 附役 1732 享保17            
山田友碩 附役 1732 享保17            
谷元與右衛門 附役 1732 享保17            
酒匂次郎左衛門 代官 1734 享保19 先の代官酒匂次郎左衛門の子息           トウサイ(1711 ダマイエ 1735 間切マギリ横目ヨコメ タメトオ(1734 間切マギリ与人ヨヒト 1750ボツ  
谷元六兵衛 附役 1734 享保19              
早崎七右衛門 附役 1734 享保19              
有馬八蔵 附役 1734 享保19              
五代覚右衛門 附役 1734 享保19              
桐野七郎左衛門 附役 1734 享保19              
赤松甚右衛門 代官 1737 元文02                  
日高甚兵衛 附役 1737 元文02                  
早崎七郎右衛門 附役 1737 元文02                  
伊集院七左衛門 附役 1737 元文02                  
色紙六左衛門 附役 1737 元文02                  
伊勢市之進 附役 1737 元文02                  
石黒戸後左衛門 代官 1739 元文04               ミチヤミ(1740 宇検ウケンホウ与人ヨヒト  
愛甲次右衛門 附役 1739 元文04                
国分喜右衛門 附役 1739 元文04                
南郷孫七 附役 1739 元文04                
有馬弥五右衛門 附役 1739 元文04                
亀山理兵衛 附役 1739 元文04                
里村藤太夫 代官 1741 寛保01                  
永井源太左衛門 附役 1741 寛保01                  
篠原覚右衛門 附役 1741 寛保01                  
中馬甚右衛門 附役 1741 寛保01                  
弟子丸半右衛門 附役 1741 寛保01                  
相良新九郎 附役 1741 寛保01                  
日高次左衛門 代官 1743 寛保03               サンリョウ(1710, 1744 大和浜ヤマトハマホウ田地デンチ横目ヨコメ 宇検ウケンホウ与人ヨヒトエイオサムウエコクにつき宇検ウケンカタクミジンヤクテンヤク  
阿多六郎兵衛 附役 1743 寛保03                
田中伊右衛門 附役 1743 寛保03                
渋谷次郎太 附役 1743 寛保03                
伊勢地半左衛門 附役 1743 寛保03                
中村九兵衛 附役 1743 寛保03                
山口伴内 代官 1745 延享02               サンリョウ(1746 佐栄統の帰役につき,宇検方与人寄役から大和浜ヤマトハマホウ田地デンチ横目ヨコメに帰役)  
三島千助 附役 1745 延享02                
今井角太郎 附役 1745 延享02                
大野治右衛門 附役 1745 延享02                
丸田金左衛門 附役 1745 延享02                
東郷與三次 附役 1745 延享02                
中馬休左衛門 横目 1745 延享02                
鎌田角太夫 横目 1745 延享02                
和田次右衛門 代官 1747 延享04                  
大野次右衛門 附役 1747 延享04 先の代官廣瀬次兵衛の子息                
野村源兵衛 附役 1747 延享04                  
岩元傳左衛門 附役 1747 延享04                  
西田三太夫 附役 1747 延享04                  
伊東藤五郎 附役 1747 延享04                  
伊東孫右衛門 附役 1747 延享04                  
長崎伊右衛門 代官 1749 寛延02   トウサイ(1749 赤木アカキホウ与人ヨヒト              
汾陽茂右衛門 附役 1749 寛延02                
竹之内次兵衛 附役 1749 寛延02                
伊地知九右衛門 附役 1749 寛延02                
田尻次助 附役 1749 寛延02                
中馬嘉左衛門 附役 1749 寛延02 死去              
市来壽伯 附役 中馬嘉左衛門の後任              
川村四郎左衛門 座横目 1750 寛延03                
山崎藤左衛門 座横目 1750 寛延03                
伊佐岡伊右衛門 代官 1751 寛延04 この代より任期1年となる                
早崎六左衛門 附役 1751 寛延04                  
岩切藤右衛門 大和仕合 1751 寛延04                  
白尾藤右衛門 仕登方大和兼役横目 1751 寛延04                  
平田長右衛門 仕登方 1751 寛延04                  
牧仁兵衛 田地黍方 1751 寛延04                  
中馬甚右衛門 表横目 1751 寛延04                  
中郷弥左衛門 座横目 1751 寛延04                  
野々山平八 代官 1752 宝暦02                  
梅田孝之丞 附役 1752 宝暦02                  
種子島伊右衛門 附役 1752 宝暦02                  
松山五右衛門 附役 1752 宝暦02                  
山元次右衛門 附役 1752 宝暦02                  
堀喜平次 附役 1752 宝暦02                  
萩原龍右衛門 横目 1752 宝暦02                  
渋江九右衛門 横目 1752 宝暦02                  
山田権兵衛 代官 1752 宝暦02   ノウトミ間切マギリ横目ヨコメジョウヤク, 間切マギリ横目ヨコメが2ニンセイとなる)              
宮内藤助 附役 1752 宝暦02                
大野休太夫 附役 1752 宝暦02                
吉田五郎八 附役 1752 宝暦02                
中村平右衛門 附役 1752 宝暦02                
仁禮喜右衛門 附役 1752 宝暦02                
家村清右衛門 横目 1752 宝暦02                
伊地知清右衛門 横目 1752 宝暦02                
南雲新左衛門 代官 1754 宝暦04                  
西田慶左衛門 附役 1754 宝暦04                  
鮫島市郎右衛門 附役 1754 宝暦04                  
植村仁蔵 附役 1754 宝暦04                  
山口平左衛門 附役 1754 宝暦04                  
谷山次郎右衛門 横目 1754 宝暦04                  
相良嘉兵衛 横目 1754 宝暦04                  
松岡彦右衛門 横目 1754 宝暦04                  
家村杢太郎 代官 1755 宝暦05       タメ(1755 西方ニシホウキビ横目ヨコメヤクから転役テンヤク   タメ(1731, 1755 西ニシホウキビ横目ヨコメヤク 名瀬ナゼホウキビ横目ヨコメヤク転役テンヤク      
法元太郎左衛門 附役 1755 宝暦05              
榎元新助 附役 1755 宝暦05              
崎山休左衛門 横目 1755 宝暦05              
白濱八太夫 横目 1755 宝暦05              
坂元作右衛門 横目 1755 宝暦05              
有馬六右衛門 横目 1755 宝暦05              
伊地知長左衛門 代官 1756 宝暦06 ジツ(1757 田地デンチホウ与人ヨヒト   タメ(1756 古見コミホウキビ横目ヨコメヤクから定役ジョウヤク昇進ショウシン キヨ(1756 間切マギリ横目ヨコメビョウヨウにつき退役タイエキ)/サンリョウ(1756 キヨアトヤクとして間切マギリ横目ヨコメヤクとなる)          
森安右衛門 附役 1756 宝暦06              
中村四郎助 附役 1756 宝暦06              
野田勘兵衛 附役 1756 宝暦06              
河野三左衛門 附役 1756 宝暦06              
田向市助 附役 1756 宝暦06              
妻屋仲右衛門 横目 1756 宝暦06              
田中四郎右衛門 横目 1756 宝暦06              
山田喜三右衛門 代官 1757 宝暦07 この代より3年詰となる。               (1757、田地デンチホウヒト)/タメナガ(1758、間切マギ横目ヨコメ
薗田次郎右衛門 附役 1757 宝暦07                
有川源蔵 附役 1757 宝暦07                
石原佐次右衛門 附役 1757 宝暦07                
長倉七郎右衛門 附役 1757 宝暦07                
白尾戸後左衛門 附役 1757 宝暦07                
黒田市左衛門 横目 1757 宝暦07                
門松源太夫 横目 1757 宝暦07                
野添善内 横目 1758 宝暦08 樽の取調が任務              
和田平右衛門 横目 1758 宝暦08 樽の取調が任務              
家村杢太郎 代官 1759 宝暦09       タメゼン(1760 龍郷タツゴウホウキビ横目ヨコメヤク)        オサム(1760 宇検ウケンカタクミジン)/タスクサカエハジメ(1760 アイダキリ横目ヨコメ、まもなくベツツトム)/三和サンワリョウ(1760 アイダキリ横目ヨコメヤク タスクサカエハジメアトヤク  
岩元市郎兵衛 附役 1759 宝暦09              
鎌田杢左衛門 附役 1759 宝暦09              
川添彦兵衛 附役 1759 宝暦09              
崎元悦右衛門 附役 1759 宝暦09              
堀次郎右衛門 附役 1759 宝暦09              
桑波田勘兵衛 横目 1759 宝暦09              
新納九八 横目 1759 宝暦09              
萩原源蔵 横目 1760 宝暦10              
法元太郎左衛門 横目 1760 宝暦10              
伊藤長左衛門 代官 1761 宝暦11             タメ(1761 ヒガシホウ与人ヨヒトヤク サンリョウ(1761 間切マギリ横目ヨコメヤクから大和浜ヤマトハマホウ田地デンチ横目ヨコメとなる)  
永谷藤助 附役 1761 宝暦11              
鎌田八左衛門 附役 1761 宝暦11              
平山平之丞 附役 1761 宝暦11              
松崎平六 附役 1761 宝暦11              
白濱八太夫 附役 1761 宝暦11 家村杢太郎代官の代に附役として下島            
樺山孝右衛門 横目 1761 宝暦11              
山口五郎兵衛 横目 1761 宝暦11              
押川市之助 横目 1762 宝暦12              
伊地知筑右衛門 横目 1762 宝暦12              
中野駒右衛門 代官 1763 宝暦13       ジツ(1763 間切マギリ与人ヨヒト       トウサイ(1764 宇検ウケンホウ与人ヨヒト  
森八太郎 附役 1763 宝暦13              
植村長蔵 附役 1763 宝暦13              
児玉長左衛門 附役 1763 宝暦13              
愛甲嘉兵衛 附役 1763 宝暦13 宝暦12年に死去            
武宮伊角 附役 1763 宝暦13              
松山休太夫 横目 1763 宝暦13              
有馬主右衛門 横目 1763 宝暦13              
萩原半助 横目 1764 宝暦14                
岩切正九郎 横目 1764 宝暦14                
本田新右衛門 代官 1765 明和02                  
畠山孫平太 附役 1765 明和02                  
伊地知越右衛門 附役 1765 明和02                  
米良固右衛門 附役 1765 明和02                  
三原濱右衛門 附役 1765 明和02                  
田中茂八 附役 1765 明和02                  
大河平源太左衛門 横目 1765 明和02                  
押川市之助 横目 1765 明和02 宝暦12年にも下島                
落合段兵衛 横目 1766 明和03                  
山口五太夫 横目 1766 明和03 南雲新左衛門代官の代に附役として下島した山口平左衛門のこと。                
伊集院四郎 代官 1767 明和04                  
宇宿藤九郎 附役 1767 明和04                  
圓師崎源右衛門 附役 1767 明和04                  
新納大右衛門 附役 1767 明和04                  
馬場孝兵衛 附役 1767 明和04                  
圓師八左衛門 附役 1767 明和04                  
白石孝左衛門 横目 1767 明和04                  
川上郷次郎 横目 1767 明和04                  
猪俣休右衛門 横目 1768 明和05                  
伊地知筑右衛門 横目 1768 明和05 宝暦12年にも下島                
大田金兵衛 代官 1769 明和06                  
石原鉄之丞 附役 1769 明和06                  
伊集院休八 附役 1769 明和06                  
赤松新之丞 附役 1769 明和06 先年下島した赤松甚右衛門代官の子息                
河野仲太夫 附役 1769 明和06 先年下島した河野安右衛門の子息                
日高六右衛門 附役 1769 明和06                  
若松庄左衛門 横目 1769 明和06                  
吉田千兵衛 横目 1769 明和06                  
谷山次郎右衛門 横目 1770 明和07                  
種子島宇右衛門 横目 1770 明和07                  
新納浦右衛門 代官 1771 明和08 代官本田新右衛門の代に附役として下島、安永2年に死去。      山田ヤマダ貞助テイスケ先年センネントウした山田ヤマダ三右衛門サンウエモン子息シソク。           タメ(1771 龍郷タツゴウホウ与人ヨヒトヤク   ジツ(1772 西方ニシホウ与人ヨヒト     クニキヨシマサキヨシゴウハジエイ(1771、トモキビホウ田地デンチホウ横目ヨコメ
伊集院長兵衛 附役 1771 明和08            
米良固右衛門 附役 1771 明和08            
本田濱右衛門 附役 1771 明和08            
木脇三左衛門 附役 1771 明和08            
山田貞助 附役 1771 明和08            
渋江権左衛門 横目 1771 明和08            
相良覚右衛門 横目 1771 明和08            
田中治右衛門 横目 1772 明和09              
黒江権之丞 横目 1772 明和09              
渋谷次郎太 代官 1773 安永02 代官日高次左衛門の代に附役として下島                
伊地知八郎兵衛 附役 1773 安永02                  
佐多彦太郎 附役 1773 安永02                  
永長藤助 附役 1773 安永02 先年にも下島                
松崎十郎左衛門 附役 1773 安永02 死去                
森喜藤太 附役 1773 安永02                  
池田仲左衛門 横目 1773 安永02                  
樺山孫右衛門 横目 1773 安永02                  
池田八左衛門 横目 1774 安永03                  
町田彦左衛門 横目 1774 安永03                  
平田孫次郎 代官 1775 安永04   タメナガ(1775 笠利カサリホウ与人ヨヒト              
竹下六左衛門 附役 1775 安永04                
町田次郎八 附役 1775 安永04                
前田四郎右衛門 附役 1775 安永04                
小倉與右衛門 附役 1775 安永04                
吉田與右衛門 附役 1775 安永04                
川上仲右衛門 座横目 1775 安永04                
安藤主右衛門 表横目 1775 安永04                
荒武伊右衛門 横目 1776 安永05 先年にも下島                
種子島宇宇衛門 横目 1776 安永05                  
新納用之進 代官 1777 安永06   祖父ソフ(1755。 ミナミイエ 1777 宇検ウケンホウドンムラオキテから、ヨウムラオキテ転役テンヤク)/タイ(1777 笠利カサリホウ与人ヨヒト)/祖父ソフ(1778 笠利カサリホウフデ   ジンマキイエ。1777 大和浜ヤマトハマホウ与人ヨヒトケンヤク       祖父ソフ(1755生,南家,この年に屋鈍村掟から笠利間切マギリヨウムラオキテヤクに転役)/ジン大和浜ヤマトハマホウ与人ヨヒト名瀬ナゼ間切マギリ与人ヨヒト兼役ケンヤク  
山本助右衛門 附役 1777 安永06            
大山清太夫 附役 1777 安永06            
葛西伊右衛門 附役 1777 安永06            
白尾五郎左衛門 附役 1777 安永06            
吉田千兵衛 附役 1777 安永06            
河野仲太夫 座横目 1777 安永06 明和6年(大田金兵衛代官)に附役として下島          
本田次郎右衛門 表横目 1777 安永06            
皆吉五郎左衛門 座横目 1778 安永07              
大河平源太左衛門 表横目 1778 安永07              
得能佐平次 御徒目付 1778 安永07 御仕向替として下島            
梅田九左衛門 代官 1779 安永08                  
右松五右衛門 附役 1779 安永08 死去                
猪俣伊右衛門 附役 1779 安永08                  
川上休兵衛 附役 1779 安永08                  
川上嘉善 附役 1779 安永08                  
長谷川藤兵衛 附役 1779 安永08                  
鎌田次郎右衛門 横目 1779 安永08                  
得能佐平次 横目 1779 安永08 先年にも下島                
和田平太 横目 1780 安永09                  
黒江権之丞 横目 1780 安永09 先年にも下島                
岩切賀藤次 代官 1781 天明01 樺山左京の舎弟 ヒロシ(1782 赤木アカギメイガタクミジン     クニ(1781 間切マギリ横目ヨコメ     クニジュン(1781 宇検ウケンホウ与人ヨヒト  
東條孝之丞 附役 1781 天明01            
平山七郎右衛門 附役 1781 天明01            
東郷喜三次 附役 1781 天明01            
萩原佐次右衛門 附役 1781 天明01            
東郷勘右衛門 附役 1781 天明01            
皆吉五郎左衛門 附役 1781 天明01 先年にも下島          
奈良原助左衛門 附役 1781 天明01            
大田四郎兵衛 横目 1782 天明02                  
黒田市左衛門 横目 1782 天明02                  
長沼嘉兵衛 代官 1783 天明03                  
武清太 附役 1783 天明03                  
喜入休兵衛 附役 1783 天明03                  
久留半五左衛門 附役 1783 天明03                  
本城仲治 附役 1783 天明03                  
郡山喜藤太 附役 1783 天明03                  
市来猪之八 横目 1783 天明03                  
中村四郎兵衛 横目 1783 天明03                  
木藤彦七 横目 1784 天明04                  
森岡善助 横目 1784 天明04                  
有川與左衛門 代官 1785 天明05                  
市来兵衛 附役 1785 天明05                  
仁禮喜角 附役 1785 天明05                  
寺師次郎八 附役 1785 天明05                  
有川平太 附役 1785 天明05                  
藤井才次郎 附役 1785 天明05                  
法元六左衛門 横目 1785 天明05                  
川上十左衛門 横目 1785 天明05                  
川上八次郎 横目 1786 天明06                  
猪俣六十郎 横目 1786 天明06                  
三原善兵衛 代官 1787 天明07       タメ(1787 龍郷タツゴウホウ機微キビ横目ヨコメヤク          
井手籠十郎右衛門 附役 1787 天明07                
向井源五左衛門 附役 1787 天明07                
谷山長右衛門 附役 1787 天明07                
小久保孫七 附役 1787 天明07                
大河平源藤 附役 1787 天明07                
市来新左衛門 蔵方目付 1787 天明07 座横目を蔵方目付と改称              
色紙六左衛門 蔵方目付 1787 天明07                
桑波田傳右衛門 横目 1788 天明08                  
新納宅右衛門 蔵方目付? 1788 天明08                  
武清太 代官 1789 寛政01 隠居仮屋を龍郷方に置く。仮屋を龍郷に移す。         イネメグ(1789 オキテ   シバオサム(1789、宇検ウケンカタクミジン。若殿入国につき祝儀として上国) (1790、間切マギ横目ヨコメカク
岩城林八 附役 1789 寛政01            
和田半蔵 附役 1789 寛政01 在任中自殺未遂につき遠島          
八木助八 附役 1789 寛政01 在任中に精神異常となる          
川上千左衛門 附役 1789 寛政01            
諏訪市右衛門 附役 1789 寛政01            
中江栄左衛門 横目 1789 寛政01                
税所太郎右衛門 横目 1789 寛政01 在任中に殺人事件を起こす              
阿多源之丞 横目 1790 寛政02                
左近允嘉右衛門 蔵方目付 1790 寛政02                
南雲新左衛門 代官 1791 寛政03 先に下島した新左衛門の子息 當済(1791 赤木アカキホウヒト 慶事ケイジジョウコク)/祖父ソフ(1791 タケ横目ヨコメ         (1792 アイダキリオキテエキ   (1792、トウホン通事ツウジヒトカク)/オウ(1792、トウ通事ツウジ稽古ケイコ間切マギ横目ヨコメカク))
米良仲之丞 附役 1791 寛政03 先に下島した米良固右衛門の子息          
野津次左衛門 附役 1791 寛政03            
郡山貞右衛門 附役 1791 寛政03 任期終了後寛政05年上国中に遭難、行方不明。          
種ケ島猪右衛門 附役 1791 寛政03            
肥後十平次 附役 1791 寛政03 任期終了後寛政05年上国中に遭難、行方不明。          
山田覚太夫 横目 1791 寛政03 蔵方目付?              
国分平次郎 横目 1791 寛政03                
長谷場喜左衛門 横目 1792 寛政04 蔵方目付?。任期終了後寛政05年帰国中に遭難。行方不明。              
黒江小兵衛 横目 1792 寛政04 先年下島した黒江権之丞の養子。任期終了後、帰国中に遭難、行方不明。              
図師崎良助 代官 1793 寛政05 代官伊集院四郎の代に附役として下島。 (1793 間切マギ横目ヨコメ)/メグオサム(1794 ヨウムラオキテ       アサメグ(1793 黍見廻) (1794 ワタリレンガタフデ 武美タケミ(1794 宇検ウケンカタタケ横目ヨコメ オウ(1794、トウホン通事ツウジヒトカク
道嶋源五郎 附役 1793 寛政05        
伊集院嘉兵衛 附役 1793 寛政05        
後醍院半左衛門 附役 1793 寛政05        
和田半左衛門 附役 1793 寛政05        
本田助之丞 附役 1793 寛政05        
志岐正左衛門 横目 1793 寛政05 蔵方目付?      
大山五郎右衛門 横目 1793 寛政05        
川越市左衛門 横目 1794 寛政06 蔵方目付?              
赤崎長蔵 横目 1794 寛政06                
福山平太夫 代官 1795 寛政07 任期終了後、帰国して罪に服す。 ダイサイ(1796 赤木アカギメイガタクミジン。このトシ慶事ケイジ上国ジョウコク)/祖父ソフ(1796 アイダキリ横目ヨコメ             トミ(1795、田地デンチホウヒト
牧助八 附役 1795 寛政07              
種子島伊蔵 附役 1795 寛政07              
伊集院弥右衛門 附役 1795 寛政07 任期終了後、帰国して罪に服す。            
森蔵太 附役 1795 寛政07 在任中に龍郷方で死去            
大山清太夫 附役 1795 寛政07 代官新納用之進の代に附役として下島。            
田中治右衛門 横目 1795 寛政07 蔵方目付              
山路長兵衛 横目 1795 寛政07                
加藤七左衛門 横目 1796 寛政08                
柏原善助 横目 1796 寛政08                
遠矢金右衛門 代官 1797 寛政09 寛政10年、在任中に死去。小田九左衛門とのトラブル? トモケイ(1798 キビ横目ヨコメ、このトシ間切マギ横目ヨコメとなる。)/トミヒロシ(1798 トモケイアトエキとしてキビ横目ヨコメとなる) 當磨(1798 古見コミホウグチ横目ヨコメ     ケイオサム(1798 田地デンチ横目ヨコメ)/イネメグミ(1798 クチ横目ヨコメ   トミ(1779。 宿シュクダイオヤイエ。 1791 大和ヤマトハマホウ田地デンチ横目ヨコメヤク)/オサム(1798 宇検ウケンカタクミジン トウ(1797、田地デンチヒトヤク)/エイ(1798、津口ツグチ横目ヨコメ
平山新助 附役 1797 寛政09        
東郷次郎太郎 附役 1797 寛政09        
児玉甚左衛門 附役 1797 寛政09        
鮫島林右衛門 附役 1797 寛政09        
伊勢平之進 附役 1797 寛政09        
坂本平右衛門 横目 1797 寛政09        
新納宅右衛門 横目 1797 寛政09 蔵方目付?。以前にも下島      
田中藤右衛門 横目 1798 寛政10                
奥山藤後左衛門 横目 1798 寛政10 蔵方目付?              
藤島民之丞 御吟味役 1798 寛政10                
山田覚太夫 蔵方目付 1798 寛政10 在島中に死去。              
大場市左衛門 代官 1799 寛政11 仮屋を伊津部に移す ウラキチ(1799 笠利カサリホウタケ横目ヨコメ)/當磨(1800 笠利カサリホウキビ横目ヨコメ (1799 メイガタタケ横目ヨコメサダムエキ)/(1800 メイガタタケ横目ヨコメ一往イチオウエキ タメ(1781ショウミナミイエ。 1799 龍郷タツゴウカタアシハナムラオキテ   アサケイ(1799 フデ)/祖父ソフ(1800 西ニシホウヒト)/イネケイ(1800 間切マギ横目ヨコメ)/タメ(1800 西方セイホウクチ横目ヨコメ   キヨシ(1799 宇検ウケンホウ田地デンチ横目ヨコメ、このトシベツツトムにつき退役タイエキ。)/冨雄(1799 キヨシアトエキとして田地デンチ横目ヨコメエキとなる) ハギケン(1799、津口ツグチ横目ヨコメ) トウ(1799、フデダイ。このトシ慶事ケイジウエクニ)/タメ(1800、慶事ケイジオキテ。このトシ西方ニシホウ津口ツグチ横目ヨコメテンヤク
種子島猪右衛門 附役 1799 寛政11      
伊地知越右衛門 附役 1799 寛政11      
木脇賀左衛門 附役 1799 寛政11      
飯牟礼新右衛門 附役 1799 寛政11      
高城六右衛門 附役 1799 寛政11      
谷元與右衛門 横目 1799 寛政11      
児玉新左衛門 蔵方目付 1799 寛政11      
中村源助 地方検者 1799 寛政11      
稲留良右衛門 地方検者 1799 寛政11      
福田彦八 地方検者 1799 寛政11      
宮原郷兵衛 地方検者 1799 寛政11      
田中五兵衛 表横目 1800 寛政12                
門司萬角 蔵方横目 1800 寛政12                
荒武蔵右衛門 地方検者 1800 寛政12                
伊藤休右衛門 地方検者 1800 寛政12                
和田新吾 代官 1801 寛政13             (1801 渡連トレンホウヒト ケイカワ(1801 大和ヤマトハマホウキビ横目ヨコメ)/(1801 ケイカワアトキビ横目ヨコメとなる) マエ(1801、ヒト)/アサケイ(1801、シロ砂糖サトウホウキビ横目ヨコメ)/ミヤ(1801、津口ツグチ横目ヨコメ
平山新助 附役 1801 寛政13 東仮屋          
川上作右衛門 附役 1801 寛政13 瀬名仮屋          
伊藤與右衛門 附役 1801 寛政13            
岩正次郎右衛門 附役 1801 寛政13            
土橋孝右衛門 附役 1801 寛政13            
宇宿正右衛門 表方横目 1801 寛政13            
中村源之丞 蔵方横目 1801 寛政13            
村田正九郎 白砂糖方横目 1801 寛政13            
黒江正右衛門 地方検者 1801 寛政13            
長崎正九郎 地方検者 1801 寛政13            
有川治右衛門 白砂糖掛 1801 享和01 横目仮屋              
川越市左衛門 白砂糖掛 1801 享和01 外仮屋              
村上善蔵 白砂糖掛 1801 享和01 砂糖方横目              
米良藤右衛門 代官 1802 享和02   ケイオサム(1803 笠利カサリカタキビ横目ヨコメ コタジョ(1804 フル見方ミカタクチ横目ヨコメ (1802 名瀬ナゼホウヒト)/イズミナガ武美タケミ(1804 名瀬ナセカタキビマワエキ   (1803 キビ横目ヨコメ)/アサケイ(1803 西方ニシホウキビ横目ヨコメ)/ハク(1804  西方ニシホウキビ横目ヨコメ マエトクタケ横目ヨコメ)/イク大和ヤマトハマホウヒトビョウヤシナトシ退役タイエキ)/(1804 イクアトエキとして大和ヤマトハマガタクミジンエキとなる) (1802 宇検ウケンホウキビ横目ヨコメジョウヤク)/コタアイダキリ横目ヨコメヤマイマモルツキ退役タイエキ)/冨雄トミオ(1804 モリコタアトエキとしてアイダキリ横目ヨコメエキとなる。その大和ヤマトハマガタクミジンヤクテンエキ オウ(1803、トウホン通事ツウジ)/ミヤ(1803、田地デンチ横目ヨコメ
伊藤長兵衛 附役 1802 享和02 笠利仮屋  
村田孝十郎 附役 1802 享和02 瀬名仮屋  
最上孫左衛門 附役 1802 享和02 東仮屋  
諏訪八郎次 附役 1802 享和02 西仮屋  
川元市左衛門 附役 1802 享和02 屋喜内仮屋  
湯地主左衛門 横目仮屋 1802 享和02    
薗田七郎次 横目仮屋 1802 享和02    
吉原助市 横目仮屋 1802 享和02 蔵方目付、外仮屋  
田邊七左衛門 横目 1804 文化01 外仮屋            
折田彦左衛門 横目 1804 文化01 蔵方目付。大熊にて死去            
平田彦左衛門 横目 1804 文化01              
本田孫九郎 代官 1805 文化02   當磨(1805 間切マギ横目ヨコメヤク)/祖父ソフ(1806 笠利カサリホウヒト。このトシビョウマモルツキ退役タイエキ)/タメ(1806 祖父ソフアトエキとして笠利カサリカタクミジンヤクとなる)     イズミナガ武美タケミ(1805 キビマワ)  アサケイ(1805 西ニシホウキビ横目ヨコメ (1805 大和ヤマトハマホウヒトヤク (1805 宇検ウケンホウヒト)/イズミナガ武美タケミ(1805 宇検ウケンカタキビマワ イク(1805、ヒト)/ツネジン(1805、トモマワ)/トウ(1806、田地デンチヒトヤク)/モリテイ(1806、マワ
小久保孫七 附役 1805 文化02 三原善兵衛代官の代に下島。    
伊地知猪兵衛 附役 1805 文化02      
千田龍右衛門 附役 1805 文化02      
土橋孝右衛門 附役 1805 文化02      
田中八郎左衛門 附役 1805 文化02 和田新吾代官の代にも下島。    
内山新五左衛門 横目 1805 文化02      
黒田作左衛門 横目 1805 文化02 外仮屋    
嶺崎三右衛門 横目 1805 文化02 蔵方目付、外仮屋    
永江伊三左衛門 横目 1806 文化03 蔵方目付、仮屋            
富山市兵衛 横目 1806 文化03 蔵方目付、内仮屋            
肝付半平 代官 1807 文化04   ミナミオサム(1789ショウ。 1807、笠利カサリカタフデ)/ツネ(1808 笠利カサリホウフデ)/サンノウアツシ(1808、赤木アカギメイガタキビ横目ヨコメエキ 武美タケミ(1808、宇検ウケンカタ間切マギ横目ヨコメジョウヤクからフル見方ミカタカンキリ横目ヨコメテンヤク (1808、龍郷タツゴウホウヒト イネケイ(1807、間切マギ横目ヨコメ)/タメムネ(1752、1808ボツ。1808、間切マギヒト     イズミナガ武美タケミ(1808、宇検ウケンカタオキテ)/モリコタ(1808、ベツツトムにつき退役タイエキ)/マコト武美タケミ(1808、モリコタアトエキとして間切マギ横目ヨコメジョウヤクとなるが、ノチ古見コミホウテンエキ  
新納長右衛門 附役 1807 文化04 笠利仮屋      
内山吉左衛門 附役 1807 文化04 瀬名仮屋      
今井藤次郎 附役 1807 文化04 東仮屋      
本田休左衛門 附役 1807 文化04 西仮屋      
西江庄助 附役 1807 文化04 屋喜内仮屋      
牧野喜平次 横目 1807 文化04 外仮屋      
鎌田七左衛門 横目 1807 文化04 蔵方目付      
古後七郎右衛門 蔵方目付 1808 文化05        
中村孫右衛門 横目 1808 文化05        
肥後翁助 代官 1809 文化06   ツネ(1810、笠利カサリホウ津口ツグチ横目ヨコメ (1810、古見コミ間切マギ横目ヨコメ   寿ジュオサム(1810、トモアイダキリクミジン喜美キミ寿コトブキ慶事ケイジジョウクニ     3ノウオン(1809、宇検ウケンホウキビ横目ヨコメ)/ノボ(1810、宇検ウケンホウフデ途中トチュウメンエキ)/ミヤアキラノボルアトヤクとして、宇検ウケンカタフデアトエキとなる) セキフクエツ(1810、キビマワ
永江伊三左衛門 附役 1809 文化06 東仮屋。本田孫九郎代にも下島      
黒田次右衛門 附役 1809 文化06 瀬名仮屋      
植村半左衛門 附役 1809 文化06 西仮屋      
鮫島佐吉 附役 1809 文化06 屋喜内仮屋      
飯牟礼良之進 附役 1809 文化06 笠利仮屋      
南郷覚右衛門 横目 1809 文化06 外仮屋      
淵辺直右衛門 蔵方目付 1809 文化06 内仮屋      
村田猪平次 横目 1810 文化07 外仮屋            
市来清左衛門 蔵方目付 1810 文化07 内仮屋。清右衛門?。文化07、廻島中に住用間切にて死去。            
二階堂與右衛門 代官 1811 文化08     コタジョ(1811、フル見方ミカタキビ横目ヨコメ)/佐和子サワコ(1811、フル見方ミカタカンキリ横目ヨコメ。1812、ベツツトムにつき退役タイエキ)/(1812、アトエキとして古見コミ間切マギ横目ヨコメとなるが、ノチテンエキ)/アタリミガ(1811、メイガタクミジンヤク ジン(1811、龍郷タツゴウホウキビマワ)/タスクネンアツシ(1811、名瀬ナセカタカンキリ横目ヨコメアトツトムカタ遠慮エンリョとなる。)/冨雄トミオ(1811、タスクネンアツシアトエキとして、名瀬ナセカタカンキリ横目ヨコメヤクとなる) サチジュン(1811、間切マギヒトヒガシホウヒトケンヤク?。このトシ病没ビョウボツ)/武美タケミ(1811、サチジュンアトエキとしてアイダキリクミジンとなる)   サチジュン(1811、ヒガシホウヒト住用スミヨウ間切マギヒトケンヤク?。このトシビョウボツ)/(1811、サチジュンビョウボツアトエキとしてヒガシホウヒトとなる)/マエトク(1811、キビ横目ヨコメ モリテイ(1811、宇検ウケンホウオキテ)/オクミヤヒサジン(1811、宇検ウケンホウタケ横目ヨコメ)/オカ(1811、間切マギ横目ヨコメノチベツ勤)/冨雄(1811、都與岡の後役として間切横目寄役となるが、その後名瀬間切横目寄役に転役。1812、古見コミ間切マギ横目ヨコメツトめるが、應の後役として大和浜方与人寄役となる)/ケイ(1812、間切横目)/浦吉(1812、大和浜方黍横目)/杜喜應(1812、大和浜方与人。その後病養退役) ジントク(1811、マワ。1812、オキテ)/アサメグミ(1811、アイダキリ横目ヨコメカク)/ミナミオサム(1812、キビ横目ヨコメ) 
平田孝助 附役 1811 文化08 瀬名仮屋    
川邊平八 附役 1811 文化08 東仮屋    
毛利善左衛門 附役 1811 文化08 西仮屋    
日置半右衛門 附役 1811 文化08 屋喜内仮屋    
木脇権一兵衛 附役 1811 文化08 大場市座衛門代に附役として下島した賀左衛門と同一人物    
和田源太夫 横目 1811 文化08 外仮屋    
新納次郎九郎 蔵方目付 1811 文化08 内仮屋    
本田七左衛門 横目 1812 文化09 外仮屋        
蓑田傳太郎 蔵方目付 1812 文化09 内仮屋        
新納次郎九郎 代官 1813 文化10   ミナミオサム(1813、笠利カサリカタクチ横目ヨコメエキ)/ツネ(1814、赤木アカキホウキビ横目ヨコメヤク ケイ(1813、瀬名セナホウヒト。このトシ慶事ケイジウエクニ)/タメ(1813、古見コミホウ田地デンチ横目ヨコメ)/ミナミオサムメイカタクチ横目ヨコメエキケンキビ横目ヨコメエキ) ムネ(1814、古見コミホウヒトノチビョウ養につき退役)/冨雄(冨宗退役の後役として、古見方与人寄役となる) トウ(1813、間切マギ横目ヨコメヤク。1814、ジョウヤクとなる)   ハギケン(1814、西ニシホウヒト)/イネケイ(1814、宇検ウケンホウヒトからテンエキし、サネホウヒトとなる) (1814、間切マギ横目ヨコメジョウヤク (1813、大和ヤマトハマホウヒトヤクから間切マギ横目ヨコメとなる)/ノウ(1813、大和ヤマトハマホウ田地デンチ横目ヨコメ)/イネケイ(1814、宇検ウケンホウヒトノチサネホウヒトテンエキ ハギケン(1813、キビ横目ヨコメ)/ジントク(1813、オキテケン勘定カンジョウ。1814、ツカノボルカタフデ)/(1813、津口ツグチ横目ヨコメ。このトシベツツトム退役タイエキ)/セキフクエツ(1813、津口ツグチ横目ヨコメジョウヤク。14、津口ツグチ横目ヨコメ定役ジョウヤク昇進ショウシン)/キヨシ(1814、タケ横目ヨコメ。このトシベツ勤退役)/林前織(1814、清喜久の後役として竹木横目寄役となる)
古後七郎右衛門 附役 1813 文化10 笠利仮屋  
染川伊兵衛 附役 1813 文化10 瀬名仮屋  
江川金六郎 附役 1813 文化10 東仮屋  
伊集院清右衛門 附役 1813 文化10 西仮屋  
税所長左衛門 附役 1813 文化10 屋喜内仮屋  
日置源左衛門 横目 1813 文化10    
松元十郎兵衛 蔵方目付 1813 文化10    
有川與左衛門 横目 1814 文化11 外仮屋          
弟子丸六郎 蔵方目付 1814 文化11 内仮屋          
肥後翁助 代官 1815 文化12   (1815、赤木アカキホウヒト。このトシ慶事ケイジウエクニ)/タメ(1815、キビ横目ヨコメ)/アサケイ(1815、間切マギ横目ヨコメ)/トウ(1816、瀬名セナホウからテンエキし、間切マギ横目ヨコメとなる) ミヤジン(1816、瀬名セナホウヒト。このトシ慶事ケイジウエクニ)/ジン(1816、瀬名セナホウフデ)/トウ(1816、瀬名セナホウ間切マギ横目ヨコメノチ笠利カサリ間切マギ横目ヨコメテンエキ       (1815、間切マギ横目ヨコメ オウオサム(1815、大和ヤマトハマガタフデエキ)/ミヤ(1816、宇検ウケンホウ田地デンチ横目ヨコメ)/ノウ(1816、大和ヤマトハマホウ田地デンチ横目ヨコメ)/ソウ(1816、宇検ウケンホウオキテノチビョウヨウ退役タイエキ)/チンオウ(1816、實荘子の後役として宇検方掟寄役となる)/大和ヤマトハマホウヒトノチベツ勤退役)  冨雄(1816、佐渡智の後役として大和浜方与人寄役となる) オウ(1815、宗門シュウモン手札テフダアラタホウ横目ヨコメ)/ハヤシマエ(1815、タケ横目ヨコメジョウヤク)/シズオウオウトウ(1815、トモ宗門シュウモン手札テフダアラタホウフデ)/タメ(1816、キビ横目ヨコメ
植村半左衛門 附役 1815 文化12 笠利仮屋      
和田源太兵衛 附役 1815 文化12 東仮屋      
隈元太市左衛門 附役 1815 文化12 西仮屋      
黒田次右衛門 附役 1815 文化12 屋喜内仮屋      
日置源左衛門 附役 1815 文化12 瀬名仮屋      
春山休兵衛 表横目 1815 文化12        
土岐藤左衛門 蔵方目付 1815 文化12        
奥勇蔵 表横目 1816 文化13          
益満善右衛門 蔵方目付 1816 文化13          
喜入休右衛門 代官 1817 文化14   ハギケン(1817、赤木アカキホウヒト)/(1817、トウ通事ツウジから笠利カサリホウヒトとなるが、その上国ジョウコクにつき退役タイエキ)/トウ(1817、アトヤクとして笠利カサリホウヒトヤクとなる)/タメ(1817、笠利カサリアイダキリヒト)/ツネ(1817、笠利カサリホウキビ横目ヨコメ イネケイ(1817、瀬名セナホウヒト)/ミヤジン(1818、瀬名セナホウヒト。このトシ退役タイエキ)/ミヤ(1818、ミヤジン退役タイエキアトヤクとして瀬名セナホウヒトとなるが、まもなく名瀬ナゼホウヒトテンエキ)/トウ(1818、龍郷タツゴウホウヒトヤクから瀬名セナホウヒトヤクテンエキ アサケイ(1817、龍郷タツゴウホウヒトから渡連トレンホウヒトテンヤク)/ミヤ(1818、瀬名セナホウヒトから名瀬ナゼホウヒトテンエキ)/トウ(1818、龍郷タツゴウホウヒトヤクから瀬名セナホウヒトヤクテンエキ)/西ニシケイ(1817、龍郷タツゴウホウキビ廻重役。後に別勤退役)/佐応子(1817、西恵喜の後役として、龍郷方黍見廻重役となる。このトシ龍郷タツゴウホウ津口ツグチ横目ヨコメツトめる。1818、龍郷タツゴウホウタケ横目ヨコメ一往重役となる)   ミヤジン(1817、西ニシホウキビ横目ヨコメ。このトシベツツトムにつき退役タイエキ)/ミヤアキラ(1817、ミヤヒサシジンアトヤクとして西方セイホウキビ横目ヨコメとなる) アサケイ(1817、龍郷タツゴウホウヒトから渡連トレンホウヒトテンエキ (1817、大和ヤマトハマホウヒトヤクから宇検ウケンホウヒトヤクテンエキ)/イズミナガ武美(1817、宇検方黍横目)/屋實久仁(1817、西方黍横目から宇検法黍横目に転役)/浦吉(1817、間切横目)/森尋美(1817、宇検方掟。後に病養退役) 鎮佐和央(1817、森尋美退役につき宇検方掟寄役となる。1818、宇検ウケンホウフデヤクとなる) ハヤシマエ(1817、タケ横目ヨコメ)/ミヤ(1817、津口横目寄役。この後、西方黍横目に転役)/喜美行(1817、唐通事掛。この後、笠利方与人に転役)/喜仁義(1818、津口横目)/南喜祖統(1818、黍方取締掛)/為勝(龍佐文仁。1818、間切横目)
有馬甚兵衛 附役 1817 文化14 笠利仮屋  
西郷庄助 附役 1817 文化14 瀬名仮屋。これまで二度下島。  
田中庄左衛門 附役 1817 文化14 東仮屋。先年下島した田中治右衛門の養子、肥後翁助の弟。  
谷元六兵衛 附役 1817 文化14 内仮屋。大熊移仮屋にて病死。  
弟子丸六郎 附役 1817 文化14 文化11にも、蔵方目付として下島。  
橋口権太夫 表横目 1817 文化14    
伊東喜右衛門 蔵方目付 1817 文化14    
四本甚兵衛 表方横目 1818 文政01        
餅原正右衛門 蔵方目付 1818 文政01        
奥勇蔵 重見聞役 1818 文政01 重横目?。肥後翁助代官の代にも表横目として下島。      
最上孫左衛門 代官 1819 文政02 最上孫左衛門の嫡子。喜入休右衛門の弟。 アサケイ(1820、笠利カサリホウヒト ミナミオサム(1819、メイガタジュウキビ横目ヨコメケンカンキリ横目ヨコメエキ)/ヨミメグミオサム(1819、東方トウホウクミジンからメイガタクミジンテンエキ ムネ(1819、龍郷タツゴウホウヒト。1820、退役タイエキ)/タメカツリュウブンジン。1819、龍郷タツゴウホウ間切マギ横目ヨコメカク。1820、龍郷タツゴウホウ間切マギ横目ヨコメとなる)/オウ(1819、龍郷タツゴウホウ津口ツグチ横目ヨコメオモヤク)/ミチ世(1819、龍郷方津口横目重役)/ノウ(1820、ムネ退役タイエキアトをうけて龍郷タツゴウホウヒトとなる)   ハギケン(1820、龍郷タツゴウホウヒト マエ(1819、住用スミヨウヒト。このトシ退役タイエキ)/マエトク(1819、マエアトエキとして住用スミヨウヒトとなる) トウ(1819、間切マギヒト。このトシ病死ビョウシ)/タメ(1819、トウ病死ビョウシにつきアトエキとして間切マギヒトとなる)/(1820、西ニシホウヒト)/イネケイノウエツ(1820、トモサネホウヒト ケイトウ(1819、ヒガシホウヒトから瀬名セナホウヒトテンエキ (1819、宇検ウケンホウヒトヤクからジョウヤクとなる。1820、大和ヤマトハマホウヒト)/シズオウ(1819、宇検ウケンホウフデ。1820、テイツヨアトヤクとして宇検ウケンホウ田地デンチ横目ヨコメヤクとなる) モリテイ(1819、宇検ウケンホウ津口ツグチ横目ヨコメヤク)/ミヤ(1820、宇検ウケンホウヒト)/テイキョウ(1820、宇検ウケンホウ田地デンチ横目ヨコメ。このトシジョウコクにつき退役タイエキ)/トウ(1820、大和ヤマトハマホウオモ田地デンチ横目ヨコメ ケイ(1819、キビマワ。1820、ココロザシノボルカタフデエキ)/ジン貴志タカシ(1819、クチ横目ヨコメカク)/サンノウオン(1820、間切マギ横目ヨコメカクからヒトカク昇進ショウシン)/ジン(1820、間切マギ横目ヨコメカク
重久主右衛門 附役 1819 文政02 笠利仮屋
植村幸右衛門 附役 1819 文政02 瀬名仮屋
中馬幸之丞 附役 1819 文政02 東仮屋。これまでに喜界島と徳之島の附役としても下島
川上東九郎 附役 1819 文政02 西仮屋
丸田孫市 附役 1819 文政02 屋喜内仮屋。永江三左衛門の弟。
田邊七左衛門 表横目 1819 文政02 米良藤左衛門代官の代に表横目として下島
別府平八 蔵方目付 1819 文政02  
堀仁右衛門 見聞役 1819 文政02 重横目?
市来勘兵衛 表横目 1820 文政03            
有馬四郎次 蔵方目付 1820 文政03            
淵邊直右衛門 重見聞役 1820 文政03 文化06、肥後翁助代官代に蔵方目付として下島          
赤松新之丞 代官 1821 文政04   ツネ(1821、笠利カサリ間切マギ横目ヨコメ)/西ニシノウエツアサケイ(1821、トモ間切マギヒト)/ウラ(1822、赤木アカキホウ津口ツグチ横目ヨコメヤク ツネクモ(1821、古見コミホウヒト。このトシジョウコクにつき退役タイエキ)/ハク(1821、ツネクモ退役タイエキにつきアトヤクとして古見コミホウヒトヤクとなる。1826ボツ ジン(1821、龍郷タツゴウホウ田地デンチ横目ヨコメ)/(1821、名瀬ナゼホウヒト)/ケイ(1822、名瀬ナゼホウフデ コタジョ(1821、アイダキリ横目ヨコメ。この年別ネンベツツトムにつき退役タイエキモリヒサシ(1821、ジュウコタジョ退役タイエキアトエキとして間切マギ横目ヨコメとなる)/イネケイ(1822、住用スミヨウヒト)/コタジョ(1822、間切マギ横目ヨコメ タメ(1821、間切マギヒト)/ミヤケイ(1822、間切マギ横目ヨコメ   シズオウ(1821、宇検ウケンホウ田地デンチ横目ヨコメ)/イズミナガ(1822、宇検ウケンホウ間切マギ横目ヨコメジョウヤク)/オウトウ(1822、大和ヤマトハマホウ津口ツグチ横目ヨコメヤク)/モリテイ(1822、宇検ウケンホウ津口ツグチ横目ヨコメ ケイ(1821、仕登方筆子)/甚徳(1821、津口横目格)/前貞(1821、田地与人。この年退役)/林前織(前貞の後役として、1821、田地与人定寄役)/都與祖(1822、黍横目。この年退役)/積福悦(1822、都與祖の後役として黍横目定寄役となる)/宮世喜(1822、間切横目)/林前織(1822、田地与人)/南喜祖統(1822、間切横目格)/甚徳(1822、黍横目格)
新納仙左衛門 附役 1821 文政04 笠利仮屋  
福崎平右衛門 附役 1821 文政04 瀬名仮屋  
植村新助 附役 1821 文政04 東仮屋  
岩城次郎右衛門 附役 1821 文政04 屋喜内仮屋  
大久保勘兵衛 附役 1821 文政04 西仮屋。文政04,西村にて病死  
平田直之進 見聞役 1821 文政04 外仮屋  
帖佐彦左衛門 見聞役 1821 文政04 内仮屋  
伊東喜右衛門 重見聞役 1821 文政04    
有馬四郎次 附役 1822 文政05 附役、大久保勘兵衛の代役。文政05、伊津部村にて死去          
田代次兵衛 横目 1822 文政05 外仮屋          
堀與三右衛門 横目 1822 文政05 内仮屋          
阿多仲右衛門 重横目 1822 文政05            
矢野市兵衛 西仮屋 1822 文政05 有馬四郎次の代役          
税所長左衛門 代官 1823 文政06 新納次郎九郎代官の代にも附役として下島 西ニシノウエツ(1824、赤木アカキホウヒト上国ジョウコクにつき退役タイエキ)/ツネ(1824、西ニシノウエツ退役タイエキにつきアトヤクとして赤木アカキホウヒトとなる)   ハギケン(1823、龍郷タツゴウヒト。このトシジョウクニにつき退役タイエキ)/タメカツリュウブンジン。1823、ハギケン退役タイエキにつき龍郷タツゴウホウヒトヤクとなる)/ジントク(1823、名瀬ナゼホウキビ横目ヨコメヤク)/(1824、龍郷タツゴウホウヒト ヒガシ間切マギ横目ヨコメから間切マギヒトヤクテンヤク ミヤアキラ(1823、西方セイホウキビ横目ヨコメアイダキリ横目ヨコメカク))/アサメグミ(1824、西方セイホウクミジン)/ミヤギョウ(1824、久方ヒサカタクミジン)/ミヤアキラ(1824、西方セイホウキビ横目ヨコメクミ人格ジンカク)) ノウ(1824、ヒガシホウヒト)  コタジョ(1824、ワタリレンガタクミヒト)/(1824、東間アズマキリ横目ヨコメ。このトシ住用スミヨウアイダキリテンエキ)/イズミチョウ武美タケミテンエキアトエキとして東間アズマキリ横目ヨコメエキとなる) オウトウ(1823、宇検ウケンホウ津口ツグチ横目ヨコメジョウヤク)/(1824、大和ヤマトハマホウヒト。このトシベツ勤につき退役)/前徳(1824、冨雄の後役として大和浜方与人となる)/佐央統(1824、大和浜方津口横目定寄役から定役に昇進)/真武美(1824、宇検方与人)                 ミナミトウ(1823、ヒトカク)/セキフクエツ(1823、キビ横目ヨコメ)/アツ(1823、マワ)/サンノウアツシ(1824、アイダキリ横目ヨコメサダムエキから定役テイエキ昇進ショウシン)/ジントク(1824、宗門シュウモン手札テフダアラタカタ横目ヨコメケンキビ横目ヨコメ
家村新七 附役 1823 文政06 笠利仮屋
宮之原源之丞 附役 1823 文政06 瀬名仮屋
植村直次郎 附役 1823 文政06 東仮屋
吉見良助 附役 1823 文政06 西仮屋
寺尾新右衛門 附役 1823 文政06 屋喜内仮屋
向井源蔵 横目 1823 文政06 外仮屋
折田彦左衛門 横目 1823 文政06 内仮屋
肱岡伊左衛門 横目 1823 文政06 重仮屋
和田源太兵衛 横目ヨコメ 1823 文政06  
鎌田與左衛門 横目 1823 文政06  
高島善兵衛 横目 1824 文政07        
竹内彦六 横目 1824 文政07        
岩元矢右衛門 横目 1824 文政07        
中馬宗九郎 代官 1825 文政08   ツネ(1825、赤木アカキホウヒト)/タメ(1825、笠利カサリホウヒト ハギケン(1825、瀬名セナホウヒト)/ケイトウ(1825、古見コミホウヒト イネケイ(1825、名瀬ナゼホウヒト)/トウ(1825、名瀬ナゼホウヒトヤク)/(1825、龍郷タツゴウホウヒト。1826ウエクニにつき退役タイエキ)/ツネ(1826、退役タイエキトモナ龍郷タツゴウホウヒトヤクとなる)/タメカツリュウブンジン。1826、龍郷タツゴウホウ員外インガイヒトとなる) ノウ(1825、間切マギヒト アサケイ(1826、西ニシホウヒト。このトシ渡連トレンホウテンエキになる)/(1825、アサケイ退役タイエキにより西方ニシホウヒトヤクとなる)/ミヤ(1825、サネホウヒト アサケイ(1825、西方ニシホウヒトからテンエキし、渡連トレンホウヒトとなるが、まもなく慶事ケイジジョウクニにつき退役タイエキ)/コタジョ(1825、アサメグミ退役タイエキによりワタリレンガタクミジンとなる)/イズミチョウ武美タケミ(1826、キビ横目ヨコメ 武美(1825、宇検方与人)/前徳(1825、大和浜方与人)/佐央統(1825、大和浜方間切横目)/森貞和子(1826、宇検方黍横目。この年上国により退役)/鎮佐和央(1826、森貞和子の退役により宇検方黍横目寄役となる)/真武美(1826、宇検方与人) ケイ(1825、代官ダイカンジョジョウヤク)/セキフクエツ(1826、シロ砂糖サトウ製法セイホウ
野元仲左衛門 附役 1825 文政08 屋喜内仮屋
曽木新蔵 附役 1825 文政08 西仮屋
樺山孫右衛門 附役 1825 文政08 東仮屋
向井源八 附役 1825 文政08 瀬名仮屋
今井仲兵衛 附役 1825 文政08 笠利仮屋
迫田勇右衛門 横目 1825 文政08 外仮屋。文政09に島にて死去。
野元嘉三次 横目 1825 文政08 内仮屋。後任の到着が遅れたために文政10年に上国。
重久主右衛門 代官 1827 文政10 最上孫右衛門代官の代にも下島 オクジン(1827、サネホウヒトヤクから笠利カサリホウヒトヤクテンエキ)/ミヤ(1828、笠利カサリホウヒト。このトシ退役タイエキ)/實久仁(1828、ミヤ退役タイエキトモナい、笠利カサリホウヒト昇進ショウシン (1827、瀬名セナホウヒト。1828に退役タイエキ)/ケイトウ(1827、古見コミホウヒト)/ツネ(1828、退役タイエキにより瀬名セナホウヒトとなる) コタジョ(1827、龍郷タツゴウカタクミジン。このトシアタリミガ交代コウタイし、住用スミヨウアイダキリクミジンとなる)/ハギケン(1827、名瀬ナセカタクミジン)/ジン貴志タカシ(1827、龍郷タツゴウカタクミジン)/ジントク(1827、アイダキリ横目ヨコメエキ)/ケイトミ(1828、名瀬ナゼホウ田地デンチ横目ヨコメジョウヤクケン代官ダイカンジョジョウヤク)/タメカツリュウブンジン。1828、龍郷タツゴウホウヒトヤク トウ(1827、間切マギヒト。このトシ龍郷タツゴウホウヒト應恕と交代し、龍郷方与人となる)/住喜應恕(1827、龍郷方与人から住用間切与人に転役)/冨納(1827、住用間切与人)/當磨(1828、住用間切与人) モリテイ(1827、西ニシホウヒト。まもなくヒガシホウヒトテンエキマエトク(1827、西ニシホウヒト)/ミヤ(1827、サネホウヒト。このトシジョウクニツキ退役タイエキ)/オクジン(1827、ミヤ退役タイエキアトヤクとしてサネホウヒトヤクとなるが、まもなく笠利カサリホウテンエキ。1828、笠利カサリホウからテンエキし、西ニシホウヒトとなる)/イネケイ(1828、サネホウヒト モリテイ(1827、西方ニシホウヒトからヒガシホウヒトテンエキ)/(1827、ヒガシホウヒトヤク)/サンノウオン(1827、渡連トレンホウヒトヤク。1828にヒトジョウヤク昇進ショウシン)/セキフクエツ(1827、間切マギ横目ヨコメヤク)/オウ(1828、ヒガシホウヒトヤクからジョウヤク昇進ショウシン)/(1828、ヒガシホウヒトヤク モリテイ(1827、宇検ウケンホウキビ横目ヨコメ。このトシ西ニシホウヒトテンエキ)/シズオウ(1827、テイテンエキにより宇検ウケンホウキビ横目ヨコメとなる)/(1827、宇検ウケンホウヒト)/マエトク(1827、大和ヤマトハマホウヒト)/(1827、マエトクアトヤクとして大和ヤマトハマホウヒトとなる)/(1828、宇検ウケンホウヒト。このトシビョウヨウ退役タイエキ)/シズオウ(1828、の後役として宇検方与人寄役となる)/浦吉(1828、宇検方間切横目) トミアツ(1827、オキテ)/ミヤモリヒサシ(1828、トモに、トウセンガタカカリクミジン
平田十郎太 附役 1827 文政10 笠利仮屋
向井源五左衛門   1827 文政10 瀬名仮屋
森岡萬左衛門   1827 文政10 東仮屋
新納二郎   1827 文政10 西仮屋。赤松新之丞代官の代にも下島。
田代宗右衛門   1827 文政10 屋喜内仮屋。樺山孫右衛門(中馬宗九郎代官の代の附役)の弟。
種子田源左衛門 表方横目 1827 文政10  
平田與三次 蔵方目付 1827 文政10  
税所太右衛門 表横目 1828 文政11 先の代官税所長左衛門の嫡子。    
肥田良右衛門 蔵方目付 1828 文政11      
武與次郎 代官 1829 文政12       トウ(1829、龍郷タツゴウホウヒト)/ケイ(1829、名瀬ナゼホウ田地デンチ横目ヨコメ)/ジントク(1829、間切マギ横目ヨコメジョウヤクヒトカク))/タメゼン(1829、龍郷タツゴウホウオモキビ横目ヨコメ)  ウラキチ(1829、宇検ウケンホウ間切マギ横目ヨコメからテンエキし、住用スミヨウ間切マギヒトとなる)      ウラキチ(1829、宇検ウケンホウ間切マギ横目ヨコメ。このトシ住用スミヨウ間切マギヒトテンエキ)/ミヤ(1829、浦吉の転役により宇検方間切横目となる)/佐和統(1829、大和浜方田地横目定寄役)/為勝(龍佐文仁。1829、宇検方与人)/鎮佐和央(1829、宇検方与人寄役)      オウ(1829、トウフネオウホウヒト
野元八郎次 附役 1829 文政12 笠利仮屋。中馬代官の代の蔵方目付野元嘉三次の弟。  
家村新七 附役 1829 文政12 瀬名仮屋。税所長左衛門代官の代にも下島。  
坂元彦八 附役 1829 文政12 東仮屋  
種子田源左衛門 附役 1829 文政12 西仮屋。重久主右衛門代官の代にも表横目として下島。  
伊地知六郎 附役 1829 文政12 屋喜内仮屋。中馬宗九郎代官の代にも表横目として下島。  
伊藤助左衛門 附役 1829 文政12 外仮屋  
新納小右衛門 附役 1829 文政12 内仮屋。重久代官の代の附役新納二郎の兄。  
宮之原源之丞 代官 1830 文政13 この代より附役は5人,3年詰めとなる。 伊喜美恒(1830、赤木名方与人)/南喜祖統(1830、赤木名方与人寄役)/コタジョ(1831、笠利カサリカタクミジン ミナミトウ(1831、瀬名セナホウテイシキキビ横目ヨコメヤク 為勝(龍佐文仁。1830、龍郷方与人。この年嘉恵統の後役として名瀬方与人となる)/嘉恵統(1830、名瀬方与人。この年退役)/甚徳(1830、間切横目定役)/ジン(1831、龍郷タツゴウホウヒト)/タメカツリュウブンジン。1831、名瀬ナゼホウヒト 保浦吉(1830、住用間切与人。この年退役)/林前織(1830、浦吉の後役として住用間切与人となる)/森貞和子(1830、東方与人から住用間切与人に転役)   森貞和子(1830、東方与人。この年病養退役)/林前織(1830、森貞和子退役の後役として東方与人寄役となる)/鎮佐和央(1830、渡連方間切横目) 佐和統(1830、大和浜方田地横目定役兼大和浜方黍横目。1831、大和ヤマトハマホウキビ横目ヨコメ)                ケイ(1831、宗門シュウモン手札テフダアラタホウフダホウホンツウ横目ヨコメ
内山嘉右衛門 附役 1830 文政13 笠利仮屋
橋口杢左衛門 附役 1830 文政13 瀬名仮屋
田中休蔵 附役 1830 文政13 東仮屋
今井一兵衛 附役 1830 文政13 屋喜内仮屋。外横目仮屋となる。
新納清左衛門 附役 1830 文政13 西仮屋。内横目仮屋となる。
森川利右衛門 代官 1832 天保03   ウラ(1832、赤木アカキホウオモ津口ツグチ横目ヨコメ)/浦實(1833、赤木名方重津口横目)  (1832、古見コミホウヒト。このトシ病没ビョウボツ)/ジントク(1832、アトエキとして古見コミホウヒトジョウヤク)/ミナミトウ(1832、瀬名セナホウ定式テイシキキビ横目ヨコメ タメカツ(1832、リュウブンジン名瀬ナゼホウヒト。このトシベツツトム退役タイエキ)/ジントク(1832、タメカツアトヤクとして名瀬ナゼホウヒトジョウヤクとなる) オウ(1833、内村ウチムラオキテ)/モリテイ(1833、間切マギヒト コタジョ(1832、西方セイホウクミジン。1833、メンヤク)/(1832、ヒガシホウ間切マギ横目ヨコメからサネホウヒトジョウヤクテンヤク)/ミヤアキラ(1833、ジュウコタジョアトエキとして、西方セイホウクミ人定ジンテイエキとなる)   マエトク(1832、渡連トレンホウヒト。このトシジョウコク退役タイエキ)/シズオウ(1832、マエトクアトエキとして渡連トレンホウヒトエキとなる)/(1832、ヒガシホウ間切マギ横目ヨコメ。このトシサネホウテンエキ)/セキフクエツ(1832、アトヤクとしてヒガシホウ間切マギ横目ヨコメヤク。1833にジョウヤク昇進ショウシン   ケイ(1832、慶事ケイジヒトから間切マギ横目ヨコメカクとなる)/タメゼン(1833、キビ横目ヨコメヤク
河野甚兵衛 附役 1832 天保03 東仮屋
加納新六 附役 1832 天保03 瀬名仮屋
武井善兵衛 附役 1832 天保03 笠利仮屋
大山彦兵衛 表方横目 1832 天保03 外仮屋
町田善助 蔵方横目 1832 天保03 代官格
肥後八右衛門 代官 1834 天保05   ウラ(1834、赤木アカキホウオモ津口ツグチ横目ヨコメ)/浦實(1835、赤木名方重津口横目)  當磨(1835、瀬名セナホウヒト。このトシジョウクニにつき退役タイエキ)/イズミナガトウアトヤクとして瀬名セナホウヒトとなる)/ケイ(1835、古見コミホウ間切マギ横目ヨコメジョウヤクからジョウヤク昇進ショウシン ジントク(1834、名瀬ナゼホウヒトジョウヤク)/ケイ(1835、名瀬ナゼホウ間切マギ横目ヨコメヤク。このトシ住用スミヨウ間切マギテンエキ シズオウ(1834、間切マギヒト)/オウ(1835、オモ津口ツグチ横目ヨコメ)/ケイ(1835、名瀬ナゼホウからテンエキし、住用スミヨウ間切マギ横目ヨコメジョウヤクとなる) ミヤアキラ(1834、西方セイホウクミジン。1835にサネホウヒト)     イズミナガ(1834、渡連トレンホウヒトジョウヤク。1835、渡連トレンホウヒト。このトシ瀬名セナホウヒトテンエキ)/ハヤシマエ(1835、イズミナガアトヤクとして渡連トレンホウヒトとなる) シズオウ(1835、大和ヤマトハマホウヒト)/ジントク(1835、宇検ウケンホウヒト オウ(1835、住用スミヨウ間切マギオモ津口ツグチ横目ヨコメから田地デンチ横目ヨコメジョウヤクとなる)/タメゼン(1835、田地デンチ横目ヨコメ
牧仲左衛門 附役 1834 天保05 笠利仮屋
河野七郎右衛門 附役 1834 天保05 瀬名仮屋
吉川源右衛門 附役 1834 天保05 東仮屋
黒岩庄左衛門 表横目 1834 天保05 外仮屋
四本八郎左衛門 表横目 1834 天保05 内仮屋
大山彦兵衛 代官 1836 天保07 森川利右衛門代官の代にも附役として下島 ツネ(1836、赤木アカキホウヒト)/ジン(1836、赤木アカキホウヒト。このトシ笠利カサリホウヒトとなる)    コタジョ(1836と37、フル見方ミカタシゲルクチ横目ヨコメ ジンリョウ(1836、名瀬ナセホウヒト     ウラ(1836、間切マギ横目ヨコメ)/ハヤシマエ(1837、渡連トレンホウヒト。このトシメンヤク)/セキフクエツ(1837、ハヤシマエアトヤクとして渡連トレンホウヒトジョウヤクとなる) オウトウ(1836、大和ヤマトハマホウ間切マギ横目ヨコメヤク オウ(1836、田地デンチ横目ヨコメ)/タメゼン(1836、間切マギ横目ヨコメヤク。37に定役ジョウヤク昇進ショウシン)/トミアツ(1837、津口ツグチ横目ヨコメ
内山嘉右衛門 横目 1836 天保07 宮之原源之丞代官の代にも附役として下島
大山郷十郎 御徒目付 1836 天保07  
肝付九兵衛 附役 1836 天保07 代官勤書役
吉村九助 附役 1836 天保07 地方検者
武井善兵衛 附役 1836 天保07 郡方書役
迫水善左衛門 代官 1838 天保09   オウトウ(1838、赤木アカキホウ間切マギ横目ヨコメ。このトシヒガシホウテンヤク。1839に笠利カサリホウ間切マギ横目ヨコメヤクからジョウヤク昇進ショウシン)/ウラ(1838、赤木アカキホウキビ横目ヨコメヤク。1839、笠利カサリホウ田地デンチ横目ヨコメケンキビ横目ヨコメ コタジョ(1838、フル見方ミカタシゲルクチ横目ヨコメからフル見方ミカタクチ横目ヨコメとなる) ツネ(1839、名瀬ナセホウヒト。このトシジョウコクにつき退役タイエキ)/ジントク(1839、ツネアトヤクとして名瀬ナゼホウヒトとなる)   ミヤアキラ(1838、久方ヒサカタクミジン)/佐和サワココロザシ(1838、久方ヒサカタカンキリ横目ヨコメ。この年別ネンベツツトム退役タイエキ)/佐和サワオサム(1838、佐和サワココロザシアトヤクとして、赤木アカギメイガタからテンエキし、久方ヒサカタカンキリ横目ヨコメエキとなる) セキフクエツ(1838、渡連トレンホウヒトからヒガシホウヒトテンエキ シズオウ(1838、宇検ウケンホウヒト)/ウラ(1838、赤木アカキホウからテンエキし、大和ヤマトハマホウキビ横目ヨコメヤクとなる)  
福島半次郎 横目 1838 天保09    
市後崎長左衛門 横目 1838 天保09 在島中に死去  
矢野喜三次 附役 1838 天保09    
山下彦右衛門 附役 1838 天保09    
有馬十蔵 附役 1838 天保09    
大山彦兵衛 代官 1840 天保11 天保03、森川利右衛門代官の代にも横目として下島。天保07年には代官として下島 ウラミノル1840、笠利カサリカタキビ横目ヨコメ。1841、アイダキリ横目ヨコメエキから笠利カサリカタキビ横目ヨコメとなる。1842、アイダキリ横目ヨコメエキ)/ジントク(1840、赤木アカギメイガタクミジン   ツネ(1840、名瀬ナゼホウヒト) ジントク(1841、名瀬ナゼホウヒト)/ケイ(1841、名瀬ナゼホウ間切マギ横目ヨコメ   オウトウ(1842、サネホウヒトヤク。このトシ大和ヤマトハマホウヒトヤクテンエキ))   サンリョウ(1840、宇検ウケンホウヒト。1841、大和ヤマトハマホウヒト。このトシネガいのにつきジョウクニ退役タイエキ。1842、宇検ウケンホウヒトとなる)/オウトウ(1841、大和ヤマトハマホウヒトヤクから宇検ウケンホウヒトヤクテンヤク。1843、サネホウヒトヤクからテンヤクし、大和ヤマトハマホウヒトヤクとなる) リュウハラカ)(1840、トモヒト
四本八郎左衛門 横目 1840 天保11 天保05、肥後八右衛門代官の代にも横目役として下島
安田助左衛門 蔵方横目 1840 天保11  
武井善兵衛 附役 1840 天保11 天保03、森川利右衛門代官の代にも附役として下島。天保07、大山彦兵衛代官の代にも附役として下島。
薗田彦左衛門 附役 1840 天保11  
小川三左衛門 附役 1840 天保11  
町田平覚 代官 1843 天保14 天保14、在島中に死去 タメゼン(1843、赤木アカキホウヒトヤク)/ウラ(1844、笠利カサリホウ間切マギ横目ヨコメジョウヤクからジョウヤク昇進ショウシン。さらに赤木アカキホウ間切マギ横目ヨコメテンヤク   ケイ(1844、龍郷タツゴウホウヒトヤク   セキフクエツ(1844、サネホウヒト)/西ニシナオタミ(1844、西ニシホウヒト)/マサ(1844、サネホウ間切マギダツカ)横目ヨコメナオシズ(1844、西ニシホウ間切マギダツカ)横目ヨコメ リュウ(1844、渡連トレンホウヒト)/(1844、ヒガシホウヒト)/ウラ(1844、渡連トレンホウ間切マギダツカ)横目ヨコメ)/テイ(1844、ヒガシホウ間切マギダツカ)横目ヨコメ フトサンリョウ(1844、宇検ウケンホウヒト。このトシビョウヨウにつき退役タイエキ)/トウ(1844、フトサンリョウアトヤクとして宇検ウケンホウヒトヤクになり、さらにジョウヤク昇進ショウシン。その大和ヤマトハマホウヒトテンエキ)/ジントク(1844、宇検ウケンホウヒト)/トミ(1844、大和ヤマトハマホウオモタケ横目ヨコメ)         トウ(1844、ヒト)/テイマキジン(1844、トモキビ横目ヨコメ)/オウ(1844、田地デンチ横目ヨコメケンキビ横目ヨコメ
吉田七郎 横目 1843 天保14  
薬丸半左衛門 蔵方目付 1843 天保14  
山下喜三次 附役 1843 天保14 地方検者。天保09、迫水善右衛門代官の代にも附役として下島
山下戸右衛門 附役 1843 天保14  
大野彦四郎 附役 1843 天保14  
四本八郎左衛門 代官勤 1844 天保15 前任の代官町田平覚が在島中に死去したため、後任として赴任
河野甚兵衛 代官 1845 弘化02 森川利右衛門代官の代にも附役として下島 ウラ(1846、赤木アカキホウヒトヤク   ケイ(1845、名瀬ナセホウヒトジョウヤク、さらにジョウヤク昇進ショウシン コタジョ(1845、アイダキリ横目ヨコメ     ダイツネ(1845、大和ヤマトハマホウオモキビ横目ヨコメ)/トミ(1845、大和ヤマトハマホウオモタケ横目ヨコメ。このトシ3ダイツネベツキンにつきアトテイヤクとなる) オウ(1845、キビ横目ヨコメジョウヤク。46に定役ジョウヤク昇進ショウシン)/アツ(1845、キビホウ
小倉四郎太 見聞役 1845 弘化02  
有村仁右衛門   1845 弘化02  
今井覚太郎 附役 1845 弘化02  
中山甚五兵衛 附役 1845 弘化02  
小川三左衛門 附役 1845 弘化02 天保11、大山彦兵衛代官の代にも附役として下島
四本八郎左衛門 代官 1847 弘化04     ウラ(1847、古見コミホウヒトヤク         ジントク(1847、大和ヤマトハマホウヒト)/ケイ(1847、宇検ウケンホウヒト)/マエジン(1847、大和ヤマトハマホウキビ横目ヨコメ、このトシ退役タイエキ)/トミ(1847、マエジンアトヤクとして大和ヤマトハマホウオモキビ横目ヨコメとなる)/モトリョウ(1847、大和ヤマトハマホウ田地デンチ横目ヨコメ)/3(1847、大和ヤマトハマホウオモ田地デンチ横目ヨコメ)/ナカアツ(1847、大和ヤマトハマホウグチ横目ヨコメ フモトジンリョウ(1847、ヒト)/アツ(1847、キビ横目ヨコメ
折田平八 見聞役 1847 弘化04          
松崎定太郎   1847 弘化04          
有馬六之進 附役 1847 弘化04          
近藤勘助 附役 1847 弘化04          
山口吉五郎 附役 1847 弘化04          
中山甚五兵衛 代官 1849 嘉永02       マキジン(1850、名瀬ナゼホウヒト。このトシベツツトム退役タイエキ)/ジントク(1850、ジンアトヤクとして名瀬ナゼホウヒトとなる)          
伊地知八右衛門 横目 1849 嘉永02    
中山才之丞 横目 1849 嘉永02    
大野彦四郎 附役 1849 嘉永02 天保09、四本八郎左衛門代官の代にも下島  
川上釜八 附役 1849 嘉永02    
藺牟田利兵衛 附役 1849 嘉永02 先年、徳之島へ下島  
福島半次郎 代官 1851 嘉永04 天保09、迫水善左衛門代官の代にも横目薬として下島。その後喜界島代官にもなった。 エツ(1852、赤木アカキホウヒト)/カシワジントウ(1852、笠利カサリホウヒト マキジン(1851・52、古見コミホウヒト。52、慶事ケイジウエクニ)/圖佐和志(1852、瀬名セナホウヒト フモトジンリョウ(1852、名瀬ナゼホウヒト)/トウ(1852、龍郷タツゴウホウヒト コタジョ(1852、住用スミヨウカタクミジン フクナオシズ(1852、西ニシホウヒト)/イカリヒトシ(1852、久方ヒサカタクミジン。このトシボツ セキフクエツ(1852、渡連トレンホウヒト)/リュウウン(1852、ヒガシホウヒト 西ニシナオタミ(1852、大和ヤマトハマホウヒト)/シズオウ(1852、宇検ウケンホウヒト  
吉田七郎 見聞役 1851 嘉永04 天保14、町田平覚代官の代にも横目として下島  
貴島新左衛門 見聞役 1851 嘉永04    
坂本猪之助 附役 1851 嘉永04    
永山源兵衛 附役 1851 嘉永04    
大迫新之丞 附役 1851 嘉永04    
中山甚五兵衛 代官 1853 嘉永06