石立山
  2016年11月17日(木)

石立山(1,707.7m)…徳島県那賀町・高知県香美市境
【時間】午前6:35~午前11:20  【天気】晴れ  【同行者】なし
【コースタイム】(時刻はすべて午前)
  6:35登山口発→7:00竜頭谷渡渉点→8:30西峰→8:45石立山山頂着→8:55石立山山頂発→9:10捨身嶽→
  9:25~9:35西峰で休憩→10:50竜頭谷渡渉点→11:15下山


 当ホームページ上で何度も周知していると思うが、私は来年3月で30年間やってきた学習塾を廃業し、4月から現在働いているパート先の障がい者支援施設勤務専業のサラリーマンとなる。
 今年4月からすでにフルタイムで勤務しているが、昨年度はそれを見越して、昨年度中に趣味の目標をある程度片付けておく予定であった。しかし、8月に糖尿病の伯父が熱中症で入院し、その後肺炎を併発し9月に亡くなった。入院中の世話や、死後の片付けなどに追われて8~10月は趣味どころではなくなった。その他にも里山整備交付金の申請や計画・実施、7~12月の介護職実務者研修、12~1月の介護福祉士試験の勉強と受験などが重なり、昨年度中に達成するきずであった目標がいくつか残ってしまった。
 しかし、今年の4月からパートが月20日、日勤7:30~16:15のフルタイムになり、18:30~20:00週3回(夏休み・冬休み、テスト期間中は補習授業が増える)の塾の授業と合わせて、これまでのようなハードな趣味は当分無理だろうと思っていた。確かに、蓋を開けてみると、休みや自由時間が大きく減ったのは当然だが、それ以上に、なにしろほぼ未経験の介護現場の仕事を覚えるのに必死で、気分的な余裕はなかった。
 それでも、パートの仕事にある程度慣れてくると、来年度からのさらに厳しい生活を見越して、なんとか今年度中に残った趣味の目標を片付けようという気になった。残った目標とは、渓流釣りに関しては『通算10匹目の尺物を釣り上げること』、登山に関しては去年、20年来の大きな目標であった『四国の1,800m以上峰登破』は達成したものの、あと『いくつか登り残している山を登ること』である。それは、『西赤石山』・『国見山』・『雲早山』・『石立山』である。
 さて、残された目標は生半可なものではない。ただでさえ休みが少ない中、仕事や山作業で疲労困憊の体に鞭を打って、無理に無理を重ねて出撃しなければならない目標ばかりであった。
 それでも、渓流釣りの目標は、禁漁直前の最終釣行の魚止め寸前で奇跡的に達成した。登山の目標は、最初の3座はさっさと達成したが、最後に残ったのが、最難関の『石立山』となった。
 『石立山』は、登山道のある山の中では四国で一番険しく、危険な山と言われており、私の知っている限りここ10年で数件の死亡事故や遭難事故が起こっている。今年の6月にも、44歳の女性が滑落死している。登山口から頂上までの標高差1,200m、登山地図における登りのコースタイム3時間半、そして登山道の大半が石灰岩の岩場のため、少しでも濡れるとヌルヌルして滑りやすくなるので雨後や雨中の登山はご法度。よって、事前の体力作りも必要であるし、とにかく時期・天候を厳選しなければならない。また、高松から登山口までのアプローチの不便さも相まって、ここ5年ほど毎年のように登山リストに載せてはいたが登れないままになっていた。今年も10月末から、天候不順ですでに3度延期している。
 しかし、とうとう本日『石立山』登山を実行に移した。本当は、パートの連休の初日に登り、翌日ゆっくり休養したかったのだが、冬の到来を目前にそんなことは言ってられない。
 今日は快晴の予報。登山ついでに、周辺の紅葉名所『べふ峡』・『高ノ瀬』も見学して帰ろう。特に『高ノ瀬峡』は西日本一の紅葉の名所と言われ、私にとっても約20年ぶりの訪問になり、こちらも非常に楽しみだ。
 さて、今日のスケジュールは、
4:00 自宅発→(高知道・南国インター~国道195号線経由)→7:00 べふ峡登山口→9:30 石立山山頂着→10:30 下山開始→12:00 下山→13:00 高ノ瀬峡で紅葉見物・昼食→(剣山スーパー林道~林道木屋平木沢線経由)→15:30 つるぎの湯大桜温泉で入浴→18:00 帰宅
で、登山時間は5時間を見込んでいる。
 いつものように前置きが長くなった。よって、登山記はいきなり登山口から。
 予定より40分早く、午前6時20分に『べふ峡登山口』に着いた。やはり、早朝は道がすいている分、早い。山間の谷あいはまだうす暗い。

 まだうす暗い駐車場。私の車のみ。

 しかし、時間に余裕があるにこしたことはないということで、午前6時35分、赤い鉄橋を渡って登山開始。

 石立山登山口の赤鉄橋。

 登山道はいきなり植林の中の九十九折れの急登だ。登山は、心拍が慣れるまでの最初の約30分がきつい。さらに、ゆっくり登れば何でもない登山でも、若い頃ハードなスポーツをやっていた私は、無意識のうちにガンガン行ってしまう。
 心拍が慣れてきたころ、『竜頭谷』を渡渉する。さまざまなサイトの石立山登山記でよく見かける『竜頭谷』ではあるが、あまりの水量の少なさに拍子抜けした。

 『竜頭谷』。水量乏しく、アマゴは居そうもない。

 『竜頭谷』渡渉後は石灰岩ガレガレの登山道。

 ここまでも相当な急登だったが、ここからさらに斜度を増し、石灰岩の岩場の難所が延々と続く。この登りはさすがにきつく、30~50m登っては1・2分の休みを繰り返しながらも、大休止することなく標高を稼いでいった。

 こんな岩場を1時間以上登らなければならない。

 登山半ばで陽が射し始め、空気はすがすがしく、気温・湿度とも登山には最適の状況。きつい登りではあるが、今日の登山で本当に良かった。

 登山途中、ヒノキの葉に写った私の影。

 相変わらず岩場が続く中、時々現れる両側が切れ落ちた細尾根では、かなり慎重を要するが、木に巻いた赤テープや岩に描いた赤ペンキの丸印や矢印がルートや足場を示しており、それらを忠実にたどれば道迷いや滑落の危険はない。

 赤テープあり。

 矢印あり。

 標高を上げるにしたがって天然林の割合が増えるが、驚くほどの大木は数えるほどであった。植林が切れた標高では、紅葉は完全に終わっていた。

 道しるべが立ち並ぶ『石立山』西峰。この先が『捨身嶽』。

 西峰を経て、そこから15分ほどの東峰の本ピーク(1707.7m)に午前8時45分、登頂成功。頂上は2aほどの平坦地で、北側のみ落葉した樹木やたぶんシカの食害であろう立枯れした樹木があるが、他の方向は見事な展望が広がっている。しかし、足元は裸地化が進み、一部シカ除けネットが張られている。見事な晴天と相まって周囲の展望は素晴らしいが、頂上自体はなんとなく雑然とし、美しいとは言い難い雰囲気だった。
 しかし、年来の念願がかなった至福の瞬間だ。思わず、「やったぞぉー!!」と叫んでしまった。

 『石立山』東峰山頂(本ピーク)。裸地化や樹木の立枯れ、シカ除けネットなど、最近の四国の山の環境問題を絵にかいたような頂上であった。

 本ピークで10分ほど休憩すると、すぐに引き返し西峰直下の『捨身嶽(しゃしんがたけ)』を見物に行った。これも、登山ガイド本やインターネットサイトでよく目にしていたが、実物は期待にたがわず壮観であった。

 『石立山』の東西峰間の鞍部からのぞむ『捨身嶽』の断崖絶壁。下の方は写り切らなかった。私は、写真中央の木が生えているところまで降りて行った。

 そして、『捨身嶽』上部に足を踏み入れた。ここは、『石立山』の登りの岩場より足場がもろく、左右が完全に切れ落ちており高度感が半端ではない。高所恐怖症の人は絶対に足がすくんで身動きが取れなくなるだろう。私は、「いま南海地震が起これば、転落必至だなぁ」なんて考えながら、行けるところまで降りてみたが、スリル満点だった。

 『捨身嶽』の真上で。

 『捨身嶽』から、北東の展望。

 『捨身嶽』から、北西の展望。去年歩いた縦走路が一望できる。 

 西峰に戻って、ゼリー飲料1本とおにぎり1個を飲み食いしてから午前9時35分、下山開始。普通の山なら下山は気楽なものだが、ここの岩場の下山道は登り以上に神経を使う。しかし、問題なく午前11時15分、車止めに帰還。これにて、長年の念願を成就した。
 下山すると、登山時とは打って変わって駐車場は満車で、大勢の紅葉見物の人で溢れかえっていた。

 鉄橋から駐車場をのぞむ。

 『べふ峡』の紅葉は終盤。

 『べふ峡』の紅葉は駐車場から見渡せる範囲にとどめ、さらなる名所の『高ノ瀬峡』へ移動だ。『べふ峡』から『高ノ瀬峡』へは、高知・徳島県境の『四ツ足峠トンネル』を抜けてわずか20分、午前11時45分に到着。しかし、意外にもこちらの方が紅葉は終わりかけており、ちょっと残念。

 20年ぶりに訪れた『高ノ瀬峡』。しかし、紅葉はほぼ終わっていた。

 駐車場の植栽された樹木の紅葉は最盛期。


 剣山スーパー林道は通行止め。
 このまま、『高ノ瀬峡』から続く『剣山スーパー林道』で帰る予定が、工事中のため通行止めになっていた。それなら、国道195号線~193号線経由の徳島ルートで帰ろうと思ったが、写真撮影中に話したおじさんに、「ここより『べふ峡』の紅葉の方が1週間ほど遅いので今が見頃のはずだ」と聞いたので、先ほどの駐車場よりもっと奥へ行けばすばらしい紅葉が見られるのではないかと思い、来た道を引き返し『べふ峡』を再訪。観光客を避けながら登山口の駐車場から3kmほど奥までドライブしたが、おじさんの言うほどではなく、『高ノ瀬峡』よりわずかにマシな程度で、見ごたえのある紅葉風景には出会えなかった。
 そんなわけで、結局往路と同様、高知経由で帰ることになったが、登山が予定より早く済んだのとスーパー林道経由がなくなったことで時間に余裕ができた。よって、高速で安易に帰るのはやめ、温泉は高松に帰ってからにし、大豊町の有名な食堂(店名は分らない)に寄った後、国道32号線で『大歩危(おおぼけ)』などの紅葉を見ながら帰ることにした。さらに、大豊町に行くのも、国道32号線ではなくナビで最短ルートを選択し、ナビ任せで向かうことにした。
 すると、ナビは土佐山田から大豊まで妙な山道を案内しだした。急がないので、「まぁ、いいや」とそのまま車を進めると、車同士の対向もままならないような狭い山道に至った。さらに進むと、温泉の道案内の派手な黄色いのぼりが車道沿いに延々と立ち始めた。しばらく行くと、その温泉のアプローチ道入り口に達したが、そこからは温泉の建物は見られず、私の直感でなんとなく怪しい雰囲気が感じられた。「変な宗教団体か暴力団経営の危ない温泉かもしれない」と躊躇していると、後続車が来たので、それに追い込まれるように、温泉のアプローチ道に入り込んだ。

 『ニューわかみや温泉』の入り口。左の看板が怪しい。

 駐車場の入り口には犬が3匹もつながれており、そのうち1匹は車の真横まで来て吠えている。駐車場には車が2台。それも、経営者か従業員のものかもしれない。しかし、意を決して車から降り、温泉の建物へ向かった。客に来てほしいのやら来てほしくないのやら、相変わらず例の犬は嚙みつきそうな勢いで吠えている。建物は道沿いののぼりと同様真っ黄色で、派手派手しい。古い建物とのぼりの「ニュー」の文字が違和感ありありだ。

 古い『ニューわかみや温泉』。意を決して入館。

 しかし、私の心配は杞憂に終わった。扉を開けると、人のよさそうな老夫婦と思われる二人が迎えてくれ、入浴料も800円と手ごろで、建物は古いが内部は小奇麗で、なかなか良い雰囲気であった。そして、浴場は普通のタイル張りで、15人も入れば満員になりそうな規模だが、きれいに清掃され、備品も整然と並べられており、何しろ客は私一人の貸切で、温度は若干低いがサウナ(7名定員)もあり、サウナで寝転んだり温泉や水風呂に浸かりながら、1時間かけてゆっくりと登山の疲れを癒すことができた。
 風呂から出て、例のお二人と話すと、夫婦ではなく女将さんと番頭さんであった。二人とも、そこそこの年齢だが、別の従業員の姿も見えなかったので、ほぼこの二人で切り盛りしているのだろう。

 「ニューわかみや温泉」の番頭さんと女将さん。女将さんは70代後半という。

 午後3時に温泉をあとにする。腹が異様にすいたが、登山のおやつの食べ残しでごまかしながら、ドライブを続ける。温泉からは15分ほどで国道32号線の根曳峠に出られ、そこから大豊町の食堂を目指す。その食堂はNHKの「グレート・トラバース」という登山番組にも出ていたが、ボリューム満点のカツ丼が有名ならしい。しかし、店名は印象になく、大豊町の中心街で「ひばり食堂」という看板は目についたが、まさかそんな店名とは思わなかったのと、後ろのスポーツカーにずっとあおられていたのとで、ゆっくり脇見しながら運転することはできず、そのまま通り過ぎてしまった。
 いったん止まって人に尋ねればよかったが、面倒くさくなってそのまま車を進めた。結局、車中にあったチョコレートやビスケットで空腹を満たしながら、さっさと帰って、ごちそうを食べながら祝杯を上げようと翻意し、そのまま帰路を急いだ。午後5時45分、帰宅。
 帰宅してから、ビールを飲みおいしいつまみを食べながら、今日の登山の成功と趣味にひと区切りついたことを回想しながら、ひとり悦に入っていた。
 最後に、『石立山』登山自体は、確かに急傾斜の難路が多く体力的にはきついが、渓流釣りに比べれば大した危険はない。よって、長年渓流釣りで鍛えられている私からすれば、正直なところ楽勝であった。しかし、登り甲斐のある男らしい山で、機会があれば再訪したい。
 これで、渓流釣り・登山ともにひと区切りがついた。日本百名山を目指したり、海外にまで登山しに行く人からすれば、私の目標なんてちっぽけなものかもしれないが、私のここ十数年の生活環境・経済状況からすれば、本当に無理に無理を重ねてここまでやってきたと思う。よって、私としては納得して、来年度からの未知の新生活に移れるような気がする。
 後日、約25年に渡る私の登山回想記をアップする予定ですので、乞うご期待。