渓流釣り回想記2016年10月13日(木)記 |
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今年のラスト釣行で、念願の通算10匹目の尺アマゴを釣り上げ、貪欲に釣果を求める釣りに一区切りついた。今年50歳になり、釣行回数も概算ではあるが350回を超えたので、この辺りで一度、私の24年に渡る渓流釣りキャリアを総括したい。 私の渓流釣りは28歳(1994年)で始めたのだが、最初の約10年は、年平均釣行数5・6回、それも道路沿いの激戦区で、仕掛けや釣り方の工夫・研究もせず、全くの自己流でわけも分からずむやみに竿を振っていた。釣果は3回に1回はボーズ、釣れても7寸まで、ただ気分転換や自然の中に身を置く喜びを求めて出掛けていたようなものだった。放流もされていないような里川、釣り人が異様に多い道沿いの川、渇水になると水が涸れるようなダムや取水堰の下流など、今思い返すと、絶対釣れない笑ってしまうような場所にも熱心に通っていた。 そのような渓流釣りキャリア前半にも、いろいろなエピソードがあったが、それらは割愛して、本格的に源流釣りを始めた38歳(2004年)からの思い出を中心にしたためていきたい。ただし、私の釣りは小谷・源流のエサ釣りで、穴吹川・祖谷川・貞光川などの本流は源流部を除いてはほとんどやらないし、最初の2年間フライフィッシングをやった以外はずっとエサ釣りで通していることも、あらかじめご了承いただきたい。なお、当回想記はベテランの方にも楽しんでいただきたいが、特に初心者の方に読んでいただければ、今後のレベルアップに少しでも寄与できるのではないかと思い、私の経験をできる限り盛り込みながら一生懸命書かせてもらった。通算10匹の尺アマゴと通算6匹の尺イワナ、お気に入りの滝の写真、そしてそれらの解説ともに、お楽しみください。
2006年、40代に突入すると、本業の塾が少子化や過当競争により少しずつ暇になり、さらに昼間のアルバイトもない時期が4年ほど続いた(20代・30代はずっと昼間に何らかのアルバイトをしていた)。時間ができたのもあるが、実は収入減や、本業の将来への不安、本意でない(私は若いころ子ども相手の教師になんかなりたくなかった)仕事を続けることへの不満などが重なり、とにかくストレス解消・気分転換を求めて、さらに渓流釣りに熱が入った。いわゆる現実逃避の行動である。
さて、これから私の40歳(2006年)以降の釣りの模様を項目別に回想・分析してみたい。
まず、河川別に私の釣り場を紹介したい。私の主な釣り場は徳島県の穴吹川・祖谷川・貞光川の各水系で、一時期(2009年)、那賀川水系(主に坂州木頭川)にも通った。祖谷川とは分けるが、深渕川も好きな渓のひとつだ。後述するIT師匠に誘われて高知や愛媛の渓にも数回出掛けたが、那賀川同様、忙しい私にはなにしろ遠くて、気分的に重荷になり続かなかった。 数えたわけではないが、穴吹川・祖谷川・貞光川・その他の渓への釣行回数の比は5:5:3:1くらいであろうか。
貞光川は、1.5時間前後で行ける渓が多いので、時間が限られる時や疲労がたまっている時に都合が良いのでよく通った。片川、明谷、瀬開谷の各本・支流と、だいたい釣り場は決まっている。こちらも釣り人が多いが、天候と場所を選べば7寸前後がそこそこ釣れて面白い。ただし、9寸は何度か出たが尺物は釣ったことがない。9寸と言えば一度だけ、堰堤下のプールでほぼ同じサイズのつがいを釣ったことがある。
この10年、最初の1年は、4m前後の短竿で釣っていたが、やはり支流の下流・中流ではポイントに近づきすぎて苦戦した。源流に入り魚がスレていなければ、見釣りができ、魚の近くにピンポイントでエサを投入できるし、掛かってからのやりとりもスムーズなので、釣果はそれほど悪くなかった。 2008年、5.3~6.1mの竿をメインに使うようになってから、ポイントから距離がとれるので魚に察知されにくくなり、支流の下流・中流域でも、多少釣れるようになった。しかし、6.1mともなると源流の小場所やボサ川では使いにくく、腕の疲労もはなはだしかった。 2009年からはIT師匠に柔らかいハエ竿を使った誘い釣りを教わり、釣りの幅が広がった。それまでは、主に源流の小場所でしか釣れなかったが、堰堤や大淵・深場でも釣れるようになり、狙うポイントが増えた。 2014年あたりから、ほぼ自分の釣り場・竿・仕掛け・釣法が定まったが、これは後述する。
2006~2009年は、釣り場は多少良くはなったものの、ただやみくもに出掛けていただけで、当たり外れがはっきりしていた。当時は、まだまだ経験不足のため核心ポイント・時期・天気・水量などの状況を無視して、とにかく行きたいという気持ちが先立つばかりで、釣技も拙かった。何度も何度も苦戦して、気分転換に行ったつもりが逆にストレスになったり、夢に出てくるほど悩んだりした時期があった。特に2009年後半から2010年前半が極端に貧果で、非常につらい時期であったが、ネットで知り合った高知のIT師匠の教えを受けてから、状況が変わった。この当時、たまに釣れた尺物や9寸は、今思えばただのまぐれで、釣行回数の恩恵を受けていたにすぎない。
そして、2014年以降のここ3年は、やっとこれまでの経験が生きてきたせいか、自分の釣り場や釣り方、仕掛けなどが確立し、迷いや後悔なく、ある程度満足のいく釣果が得られるようになった。 ◆自分の釣りが確立◆ ①釣り場 私の場合、釣果、特に大物釣りは、やはり遠方の穴吹川源流域や祖谷川上流域まで車で向かい、車止めからさらに苦労して遡行を重ねなければ結果が出ない。すなわち、釣果は釣行の苦労に比例する。 繰り返しになるが、ここ3・4年ほどは、谷の入り口や下流~中流域はほぼパスし、車止めから30分~1時間は歩いた上流域から釣り始めることにしている。
釣り竿は3本、ロッドケースに入れてたすき掛けに背負う。上流域では、5.2mの中硬の渓流竿、源流域では4.5mの硬調の渓流竿を主に使用する。大場所(私の釣り場にはあまりない)では6.2mの長竿を使用するが、大場所がないような谷には、長竿の代わりに5.4mのハエ竿を携行する。ハエ竿は、やたらと食いが悪かったり、バラしが多かったりする場合に有効である。今年、6.2mの長竿が折れて、部品も手に入らないのでお蔵入りさせ、来年は6m台のハエ竿を購入しようと思う。そうすれば、一石二鳥である。 ③仕掛け 天井糸(蛍光黄色の1.2号)・ハリス・ハリの順に自分で結んだ、2~4mを4・5セット糸巻きに巻いてベストのポケットに入れている。その中で2.5mをメインに使用する。目印は蛍光黄色とオレンジのフェルト毛糸を2・3か所つけている。恥ずかしながらハリスへの巻き方がわからず、水に濡れるとおもりまで落ちてくる可能性があるので、できるだけ天井糸に付けて、天井糸で巻き付けている。ハリスは平水時は0.6号、濁りがある場合は0.8号で、この太さ以外は使用しない。ゼロ釣法など細糸にこだわっている人もいるが、私の場合、源流のスレていない魚や濁り水相手にそこまでは必要なく、それより万が一の大物に備えた方が理にかなっている。よって、尺前後の大物にハリスを切られたという経験は、数えるほどしかない。
おもりは、ハリス切れを防ぐために切り口にゴムを挟んだヤマワ産業の「ゴム針ガン玉」を愛用している。3~2B号を用意しているが、主に1・2号を常用している。高価だが移動・取り外しが可能なので非常に便利である。また、それとは別に滝壷や激流用に大きな鮎シンカーを持ち合わせているが、それを使うような場所では釣れたためしがない(笑)。 正直、仕掛け全般にわたってほとんどこだわりはない。
川虫、テンカラ、フライ、ルアーをする釣り仲間は一通りいるが、ここ8年、私は一貫してミミズとブドウムシだけを使用している。川虫は採るのが、毛針やフライは巻くのが面倒くさい。ルアーは高価だしなんとなく若者向けのゲームっぽいので興味が出ない。イクラや市販のフライを試しに使ったこともあるが、たいした釣果は得られなかった。 さて、ミミズとブドウムシの使い分けは、初期の3~4月はミミズ、5月以降はブドウムシがメインだ。また、時期に関係なく水量や濁りの状況、魚の食い方次第で、使い分けることもあるが、個人的には、ブドウムシがいちばん釣れるエサだと思っている。ミミズは安価なため多くの釣り人が使うので、5月以降の釣り荒れした渓のスレ切ったアマゴは、エサとみなすどころか凶器とみなし逃げ散ってしまうこと多々ある。それは冗談としても、ブドウムシはミミズのように端だけ食われたり、つつかれたりすることが少なく、概して食い込みが良い。匂いがあるかないかは不明だが、白色は水中でよく目立つのではないだろうか。1匹20~30円(いま計算して驚いた)と非常に高価なのが難点だが、釣りに行くのだから釣れないよりは釣れた方がいいに決まっている。ブドウムシは食われても伸ばして使えば、1匹で3・4匹は釣れる(笑)。
釣り方や仕掛けの流し方も特に変わったテクニックはない。しいて言えば、あまりナチュラルドリフトにこだわっていないことくらいか。源流や小谷の小ポイントによくある落ち込みからの流れ出しでは、大きめのおもりをつけて、落ち込みに放り込み、流れ出た後、早めにエサを着底させてイトをたるませて食うのを待つというのが常套手段である。一般の渓流釣りのハウツー本には、とにかくナチュラルドリフトが肝心と念仏のように書いてあるが、魚がスレていない源流や小谷では、アマゴも意外とのんびり食いに来ることが多いし、食っても一目散に退散することも少ない。よって、私はアワセものんびりやっている。たぶん、私よりは初心者の方が、仕掛けの投入や流し方は慎重で丁寧だと思う。
2012年頃まで、寒い時期は腰上までのウエストハイウェーダー、暑い時期はネオプレーンの鮎タイツかウェットスーツの下半身をはいていたが、ウエストハイウェーダーは歩きにくいし少し気温が上がれば蒸れて非常に不快に感じる。鮎タイツやウェットスーツは水を通して涼しいのは良いが、水分を含むと厚い分かなり重くなるし、ぴったりフィットするおかげで足の曲げ伸ばしが窮屈なので、意外と疲れる。一時期、膝下を保護するゲーター(ガード)なるものをはいていたが、これも足を締め付けて疲労がはなはだしいので、10回ほどで使用中止。確かに初心者のころは、不用意にむこう脛を打ったり、毒蛇除けに必要性を感じたりするかもしれないが、川歩きに慣れてくると足の運びが無意識でも慎重になるし、マムシなんて24年間通して100回以上夏場の湿っぽい渓流や山腹を歩いてきたが、視認した限りではたった5匹しかお目にかからなかったので、めったやたらと心配することはない。 話を戻すが、最近は3~5月・9月後半は太もも上までのヒップウェーダー。私の釣り場は源流・小谷と相場が決まっているので、水深のある場所を渡ることはほぼないし、たとえあったとしてもいくらでも巻くルートはあるので、長いウェーダーは不要である。短ければ、膝・腰の曲げ伸ばしも容易でその分疲労が軽減される。6~9月前半は、スポーツ用のアンダータイツに登山用の速乾ズボンとフェルトスパイク底の渓流シューズ。アンダータイツもピチピチだが、これは膝・腰の曲げ伸ばしをサポートしてくれるようにできているので、疲労は少ない(はずだ!?)。登山用のズボンだけならさらに軽快だが、さすがに薄すぎて、怪我や毒蛇に対して心もとない気がする。上記の論に矛盾するが(笑)。
3・4年前までは、大きなビクにアイスパックとジュース・おにぎり2個を入れて、重々しく腰にぶら下げて動き回っていたが、たぶんそれが腰痛の原因のひとつだと気づき、それ以降、長距離・長時間釣行の場合はリュックに飲料や食料、ビク代わりのタッパー容器などを入れて携行している。ロッドケースは肩掛けベルトを最長にすればリュックの上からでも背負えるので問題ない。 自然の中では最悪の場合を想定して、着衣・足回り・携行品を厳重に装備せよとはよく言われるが、あまりに荷物が過多になると、身動きが鈍重になり、疲労が早くなれば逆に事故が起こる可能性があるので、そのあたりの判断は自己判断に委ねるよりほかはない。 老婆心で言わせてもらえば、登山やキャンプについても同様だが、道具好き、新製品好きの者が、余計な物、かさばる物などを入れた大きな荷物を担いで自然の中に入るのはとにかくやめた方がいい。 ◆怪我やトラブル◆ 私は中・高校生の時は野球部、大学生の時はトライアスロンとかなりハードなスポーツをやっていた。社会人になっても、20代は年に2・3回ランニング大会に出場していたし、25歳からは四国の山限定ではあるが年に5回前後は登山を続けている。29歳の時、1年間森林組合の現場作業のアルバイトを経験したことが、山に対する知識を最も増やした。また、37歳の時から、「枌所里山くらぶ」で週1回程度、山作業のボランティアをしている。さらに、40歳からは近所の里山で月に20日ほどトレーニングをしている。そのおかげで、山歩きや難所歩きにはある程度慣れており、渓流歩きもそれほど苦にはしなかった。
怪我以外のトラブルと言えば、道迷い。これは、何度も経験したが、私の山感は意外と頼れるので、大事になったことはない(例えば2008年6月4日や2013年4月28日)。また、遠回りや迂回の退渓もしばしば経験した。一番印象的だったのは、2014年9月6日の退渓だ。 また、私はどちらかといえば怖いもの知らずな方で、高所や危険な場所にあまり恐怖を感じないたちだ。そんな場所が立ちはだかれば、逆になんとか克服してやろうと燃える。そんな私でも、過去5回ほどは足がすくんだり、体が硬直したりするような難所を登ったことがある。例えば、2009年4月5日や2013年4月28日は、どちらも25mほどの垂直な崖を、まばらな立ち木を頼りに直登した。
私の友人・知人には、年間4・5匹の尺物を釣り、中には年間10匹以上の尺物を釣り上げる猛者や名人がいるが、彼らは渓流近くに住む地元の者やエサや水量の豊富な本流釣り師、よほど人の入らない秘密のポイントを知っている者、年間30回以上通える者などに限られる。私のリンク仲間は、毎年ポンポン尺アマゴを釣っているが、彼らは釣行回数がハンパでなく、人の入らない超奥地にまで足を延ばしたり、人が狙わない竿抜けポイントを転々と移動しながら釣ったり、とにかく一般の渓流釣り師に真似できるようなものではない。 そもそも釣り場から遠い街に住む渓流釣り師で、年間釣行回数が20回未満の者に限れば、生涯尺物を手にできる者は2割程度ではなかろうか。それも、通算10匹以上ともなると、100人に1人くらいの割合ではなかろうか。 私のこの10年での尺物の実績は、平均すると1年に1匹、20釣行に1匹の割合である。私は、基本的に自営業者であるが、本業の塾講師に加え昼間にも何らかのアルバイトをしていた時期が長いので、意外と釣行できる日が限られてきた。また、仕事柄連休がほとんどとれず、翌日に疲労を残すような無理な釣行がなかなかできない。そのような理由から、車で2.5時間以上かかるような遠方への釣行はなかなかできず、メジャーな谷、釣り人の多い谷、新規開拓よりは実績のある谷への釣行がメインとなり、それだけ大物に出くわす確率が低くなる。
私自身が尺アマゴを2匹(日付とポイントは違うが)釣った谷は穴吹川支流と祖谷川支流の2本ある。後者では、私の友人2人も同行中にそれぞれ1匹ずつ尺アマゴを釣っている。私ときゅう太郎が、尺アマゴをそれぞれ2匹ずつ釣った(日付は異なるが)ポイントは、穴吹川の名前もない小支流の連続した2ポイントだ。また、今年のラスト釣行で、私と弟子のタカが尺アマゴを釣ったポイントも魚止め直前の連続する2ポイントだ。通算6匹の尺イワナに至っては、すべて穴吹川源流部の1km区間である。 尺物を釣り上げる条件は、釣技や仕掛けよりも、とにかく回数通うことが一番だ。その中で、大物の居付く場所を見つけたり、釣行中・遡行中に見かけたりバラしたりした大物を狙って何度も通うことが大切だ。それでも、大物は賢いのでなかなか釣れないが、そんな大物でも雨中や雨後の細濁りの時であれば、警戒心が薄れて釣れる可能性が高まる。いや、好天の渇水の時でも、何かの拍子で簡単に釣れることがある。よって、とにかく釣り場に出向いて竿を回数振ることが、大物を釣り上げる確率を上げる最も有効な手段である。
◆釣友・師匠・弟子◆ 「四国の渓流釣り」の管理人・四国渓師会会長T氏と「香川のしんちゃん」のK氏とは、数回ご一緒させてもらったが、両氏とも渓流釣りに対する独自の見解や理論があるので、私のようないい加減な釣り人ではちょっと敷居が高くて、引け目を感じてしまい、釣行に関してはご無沙汰している。しかし、年に2・3回は飲み会でお会いして談笑している。とにかく、このお二人は香川県の渓流釣り師の中では別格の存在だ。
次に、私のサイトでのおなじみは銀次郎さんであろう。銀次郎さんはきゅう太郎と違い、温和で気さくな爺さん釣り師だ。数年前までは、何度か険しい源流に連行して、その度に「もう、懲り懲りだ」と言いながらも、その後も何度か私の釣り場に足を運んでもらった。しかし、さすがに70歳を超えるともうついてこなくなった(笑)。代わりに、私が銀次郎さんの釣り場についていくようになった。銀次郎さんは、いまだに釣りについて悩める初心(うぶ)なところがあり、本人はテンカラを極めたいという願望があるのに、年や季節ごとに移り気がしてミミズが出たり、川虫に浮気したり、フライフィッシングを試したりと、いろいろ試行錯誤を繰り返している。我々の間では、銀次郎さんのホームグランドにちなんで「川又の銀さん」とか、テンカラをやっていてもいつの間にかミミズに替わっているので「ミミズの銀さん」とか揶揄されながらも、各方面の釣り人から愛されている。きゅう太郎と銀次郎さんとは、釣り以外でも時々、昼食や飲み会、ドライブなどにも出掛ける親しい間柄だ。
他にも一時期よくご一緒した釣友が数名いるが、転勤や家庭の事情、仕事が忙しくなったりして、とにかく時間と体力の必要な渓流釣りから離れた方もいる。しかし、私とは喧嘩別れしたり、妙な離れ方をした人はいない。 ところで、私の最初の約15年は、師匠などおらず、全くの自己流でやっていた。それに釣行回数の少なさや研究不足が相まって、長年に渡って延々と貧果を積み重ねてきた。しかし、2004年頃から本格的に渓流釣りに取り組み、特に祖谷川に通い始めてからしばらくは右肩上がりで釣果は伸びていった。ところが、2008年から2009年に渡って、壁にぶち当たってしまった。8寸以上が釣れなくなったのだ。そこで、救世主となってくれたのが高知のIT師匠であった。師匠は、私のサイトの愛読者で、私が当時苦闘している様子を見て、声を掛けてくれたのだ。詳しくは、師匠と同行した釣行記をいくつか(2009年7月12日、2009年8月16日など)ご覧いただければよいのだが、師匠は釣りの腕前もハンパではないが、身軽なので遡行術にも優れ、地形の読みも鋭い。また、車の中や釣りの合間に、貴重な人生経験や人生論を語ってくれ、人間的にも尊敬できる。最近、私が忙しくて遠方まで出向くことができず、ご無沙汰しているが、師匠のおかげで釣りの腕が上がり、釣り方の幅も広がったのは間違いない。
この2人との釣りの模様も、釣行記(初同行マサ2012年4月15日、タカ2014年4月12日)を読んでいただければ分かるが、とにかく私は短期間である程度のレベルに達してもらえるよう、釣果の見込める釣り場、入退渓・遡行のポイントが凝縮されている渓を吟味して連れて行ったつもりだ。 マサは大ざっぱな性格で、あまり大物釣りへの欲はないが、私と出会う前は1日ボーズか3匹までしか釣れなかったものが、いまでは毎回7・8寸を含めた15匹は釣って帰るようになった。タカは幼い頃から釣り大好き人間で、あらゆる釣りの経験があり、特にバス釣りは相当の腕前だ。よって、渓流釣りも飲み込みが早く、3年目、わずか20釣行目にして早くも尺物を釣り上げた。 とにかく、2人とも武道経験者(マサは柔道、タカは剣道)らしく、礼儀正しく、純朴で表裏のない人間なので、私にとっては愛すべき弟子達であり、今後も長く付き合っていければよいと思っている。
さて、私自身、前述したように数・サイズを貪欲に求めたり、人と競ったりする気持ちが強かったりした時期がある。しかし、年齢、体力、居住地、経験、休日数、経済力の差、釣り場、釣り方の違いなど、釣りに行ける回数や精神的なゆとり、そもそも釣り場のような戦う土俵が違うので、よくよく考えてみれば人と競争することばかりにとらわれることはあまり意味がない。しかしながら、釣果を求めたり人と競ったりする時期はだれしも一度は通る過程であり、それはそれで無意味ではなく、場数を増やしたり、道具、仕掛け、釣り方を研究したり、魚の居場所を見つけたりするのには、やはり集中して通い詰める時期が必要だ。その時期をうまく切り抜け、早やかれ遅かれ自分なりの釣りを確立できれば、精神的に余裕が出て、本当にマイペースな癒しの釣りができるようになり、渓流釣りがその人の人生にとって本当に有意義な趣味となりうる。逆に、いつまでもそのような段階から抜け出せなければ、さまざまな弊害が待ち受ける。釣果を追い求めるあまり、よく釣れるホームグランドに連続して通い、貴重なアマゴを減らしてしまうかもしれない。納得いかない釣果が続いたり、競争相手に負け続けたりすると、本当は楽しいはずの渓流釣りが、逆にストレスになり精神衛生上よくない。イライラしながらやっていると、重大な事故にあう可能性も否めない。そして、さまざまな面で思い通りにいかないことが積み重なると、挙句の果てには、嫌になってやめてしまうかもしれない。
私も、ここ2・3年は少しずつ釣果を追求する段階を抜けようと意識してはいるが、どうしても自らの釣果や人の釣果が気になることもある。しかし、尺アマゴ10匹目を釣って「目録」を得たところで(笑)、今度は釣りに対する姿勢や釣りを通して人格を磨くことに力点を移していきたいと思う。 実は、今年中に通算10匹目の尺アマゴを釣り上げようとラストスパートに躍起になっていたのには、来年以降の個人的な事情もあった。来年の3月に塾を廃業し、4月から完全なサラリーマン生活となる。そして、最短2年がかりの社会福祉士の通信講座や受験勉強も始まる。よって、時間的にも経済的にもこれまでのように渓流釣りや登山のようなハードな趣味は難しくなる。一時は、これを機に2・3年渓流釣りを休もうかとも思ったが、来年のシーズンが始まれば、釣りの虫がうずいて絶対に行きたくなるのは目に見えている。そこで、回数は極端に減るであろうが、連休かつ天候・水量の条件が揃ったとき、本分の妨げにならない範囲で釣りに行きたいとは思っている。まぁ、来年の4・5月になってみないと先が全く見えないので、今とやかく言っても仕方がない。 どちらにせよ、体さえ元気であればあと25年は渓流釣りが可能なので、あと10匹尺アマゴを釣って「免許皆伝」をいただきたい。ははっ、やはり大物釣りへの邪念はそう簡単にはぬぐえないものだ(笑)。 |