山仕事の思い出1(下草刈り編)ー前編 人生は苦悩の連続です。皆さんもそうだと思いますが、ある時期その苦悩もピークを迎えるものです。私も仕事や人生について悩み29歳でそのピークを迎えました。渓流釣りへ行く途中、国道439号線のどこから車で飛び込もうか考えたほどでした。 1か月ほとんど眠れず、頭がもうろうとしている中でふとひらめきました。「そんなに今の仕事が苦しければやめればいい。」と。それが私を非常に楽にしました。すぐに転職を考え、求人情報誌で見つけた林業の仕事を求め当時の長尾森林組合の事務所に飛び込みました。担当の方は、しばらくうつ状態で青白くやせ細った私を見て「きついけど、大丈夫か?」と言いましたが、若さをかってくれて即採用してくれました。最初は午前8時から午後3時半までのアルバイトとして、次年度から塾をやめたら正作業員として雇用するという条件でした。
2ヶ月ほど丸太柵工や土木工事的な作業をやり、7月がやってきました。それまでの作業でも慣れない力仕事で大変だったのですが、今度はさらに過酷な「下草刈り」が待っていました。「下草刈り」とはスギやヒノキの苗を植えた後の5・6年間、苗に日当たりを良くするため、周りの雑草を刈る作業です。なぜ過酷かと言うと、雑草が繁茂する真夏の酷暑に行う作業だからです。 まずは、刈払機に慣れるまで、林道沿いの草刈りからはじめましたが、初めは怖くてビクビクしながらやりました。刈り刃はたびたび岩やガードレールに当たり15分もすればすぐに切れなくなります。そのたびに棒ヤスリで研ぐのですが、研ぐのにもコツがいり、最初は研げば研ぐほど切れなくなりました。ヤスリも往復で使ったりしてすぐに痛んでしまいました。最初は恰好つけて3万円もする皮ブーツを履いてやっていましたが、手元が狂い見事にざっくりと切って台無しにしてしまいました。
7月後半から8月中旬までは塾の仕事が忙しく、午前中だけの作業にしてもらいました。アルバイトなのである程度自由が利いたのがよかったと思います。あんな仕事を毎日真夏の炎天下で丸1日やっていたら、早々にぶっ倒れていたところです。でも、二股かけていたのでせいぜいきつかったですけどね。 1ヶ月ほどやると、少しずつ慣れてきて、8月後半には相方が私1人で1町(約10000㎡)を10日以内でやれと言い捨てて別の場所に作業に行き、数日間姿を現しませんでした。初心者には相当大変な注文です。若いころです、「負けてたまるか!」と思って、意地になって必死にやりました。汗だくになり、ハチや虫に刺され、滑ったり転んだりしながらもくもくと頑張りました。もう、それは大変。特に私を恐怖に陥れたのは、マムシとスズメバチ。マムシは沢沿いの岩場で見つけました。さすがに刈払機の音に驚いて頭を岩隙に突っ込んでいましたが、尻尾が出ていてあまりいい気持ちはしなかったです。
また、植林しているクヌギにはたいていスズメバチがとまっています。クワガタもたまにいましたね。スズメバチがいると、いちいち刈払機で追い払い、頭の周りでしばらく回った後、どこかへ飛んでいくのですが、顔は網をかぶっていますが体はシャツ1枚なので刺されたら大変。刺されないように注意しながら草刈りをするのは本当に神経を使いました。樹液を吸いに来ているスズメバチはあまり攻撃はして来ませんでしたが、一番危ないのはやはり巣に近づいた時のようです。幸い、私は巣には遭遇しなかったのですが、相方は一度巣に足を突っ込んで2日ほど入院したそうです。当時は、スズメバチの大群に追われたり、マムシで埋め尽くされた山道を必死で駆けていく夢を見てよくうなされました。
伐採跡地の下草刈りも大変です。大きな切り株が残っていて、刈払機の刃が食い込んだり、跳ね返ったりして非常に危険です。腰丈ほどの草が生い茂っているので切り株の存在に気がつきません。予期せずに刃が当たると刈払機のエンジン部で横腹を打たれ、まさしくボクシングのボディーブロー状態。うなってしまいます。また、道路沿いでは空き缶を切るのはしばしば、たまに電子レンジやポット、ひどいときには冷蔵庫も切ってしまい、火花が飛び散り、刃がボロボロになったこともありました。 |
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後編へ続く |