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007は三度死ぬ
〈原題:СРЕЩУ 007〉
1966年度作品
アンドレイ・グリャシキ著
英国情報部のスパイ、007がブルガリアに潜入した。
特殊なレーザー光線を発見したソ連の科学者を誘拐する為だ。
この事を知ったブルガリア情報部は、優秀な情報部員アヴァクーム・ザーホフを派遣した。
やがて相見える二人のスパイ。
果たして、東西のNo.1スパイ同士の戦いの結末は……?
1960年代初期、西側での007ブームに業を煮やしたKGBが、東側諸国の作家達に「君らも、あんなん書いたらどや」と呼びかけて出来たのがこの作品だとか。
で、登場する007は、頭が切れ、腕が立ち、女好きで美食家な享楽主義者であるという点こそオリジナル通りですが、力ずくで科学者を誘拐しようとしたり、協力者を口封じの為に殺したり(それも、ローザ・クレッブのような毒を塗った刃が付いた靴で!)、敵のスパイを拷問した上で殺してニヤついていたりと、極悪非道な悪人に描かれています。
ちなみに、ボナシスやらルフェーブルやらデックスやらの偽名を使い、ジェームズ・ボンドという名前はいっさい登場しない(さすがに許可が下りなかったのでしょうが)ので、ボンド本人ではないのかも知れませんな(笑)
一方、この物語の主人公、アヴァクーム・ザーホフですが、優秀な情報部員である傍ら、考古学者でもある物静かな男という、まるでマスター・キートンの様な人物なのですが、考古学者である点が全く活かされないのがキートンと違う所です(笑)
数学の問題を解いたり、クラシックを聞いたり、ピアノを弾いたりするのが趣味なインテリって所が、またいかにも社会主義国のヒーローという感じです。
プロット面での最大の問題点は、読者に知らせておくべき事が知らされないままだったり、ザーホフの(根拠の無い)推測でしかない事が、(別の可能性が考えられたり、推測とは違う事が起こる、という事がいっさい無く)既成事実として物語が進んでしまう点でしょう。
そう言った論理性・客観性を欠く構成が全編通して見受けられるせいで、ザーホフの活躍が活躍に見えないんですよね。