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■■■ サンデー随想 |
2020年7月26日(日)〜
後期高齢者の仲間入りしてすでに久しく、あとはのんびり余生を過ごすだけと考えていましたが、突然新型コロナウィルスによるパンデミックが発生し、不安な日々を過ごしています。今回から「サンデー随想」として、思いつくままに書いてみたいと思います。
1.観光産業を窮地に追い込むか、新型コロナ禍
経済成長の追い風をうけて人の観光移動が激増しつつあった1976年、未来学者ハーマン・カーンは観光産業は遠からず世界最大の産業になると予言した。観光のすそ野の広さによる相乗効果は大きく、1988年版「世界旅行界の展望」は、観光はすでに世界最大の産業になったと宣言した。1990年には観光産業のアウトプットを算出する努力を続けて来た研究者や産業界によってWTTC
(世界旅行・観光産業会議)が正式に設立され、以来観光産業の重要性をアピールしてきた。その後も途上国経済の発展に支えられて、国際観光、国内観光を含む世界観光は適宜ギアチェンジをしつつ高速運転を続けて来た。
2010年台後半には、増え過ぎた観光のもたらす弊害が危惧されるようになり、2018年9月、UNWTO
(世界観光機関)が過剰観光への対策の必要性を世界に訴えるまでになっていた(Over Tourism? Understanding and managing urban tourism growth beyondo perception)。
2020年が明け、日本は半年後に開幕する予定の第32回オリンピック東京大会を目前にして沸いていた。そこへ降ってわいたのが新型コロナ禍である。突然のパンデミックで世界観光は惰性で走る時間的余裕もないまま、急激なエンジンブレーキがかかり、激しくきしみながら観光関連産業を窒息の危機に追い込んでいる。半年を経てもなお、アメリカや南半球などでは感染拡大が続いており、いったん収まったかに見えたヨーロッパや日本にも、再感染の波が押し寄せている。経済回復と防疫をいかに両立させるか、日本のGO
TOトラベルの観光促進施策も開始時期を誤って、かえって業界を混乱に陥れている。新ウィルスは無限に拡大していく人間の行動に歯止めをかけるべくもたらされたのだろうか。
旅行だけでなく、あらゆる人の交流を大幅に制限させてしまった今回の新型コロナ禍はいつどのように収束するのかまだ見えてこない。収束したとしてもコロナ以前に戻ることは難しいようだ。ここを何とか生き延び、必要なら計画的後退を含め、持続可能な観光を目標として、促進一本槍の方針は変更しなければならないだろう。 (7月29日)
2.コロナ禍に対処する為政者たち
手に負えない新型コロナ・ウィルスを前にして、各国の対応が分かれ、為政者の質と能力が問われている。日本では、中央政府と地方政府の足並みが乱れ、方針を定めるはずの国会は閉じられたまま、肝心のリーダーの存在感が失われている。
どうしていいかわからないからこそ人は迷う。
ふと思う。科学の知識が乏しかった古代の人たちは、今以上に天災、飢餓、疫病などを前にして無力だった。王たちは民の苦しみを救うために何をなすべきかを知ろうと、神託を求め、あるいは天体の示す予兆を読み取って、苦難脱出のために人知を尽くし、神に祈った。
ソフォクレスの名作ギリシャ悲劇「オイディプース」の冒頭の場面で、テーバイの王オイディプースは飢饉と疫病に苦しむ市民を前に、次のように語りかけている。
「テーバイの人々よ、テーバイが、かくも祭壇の煙と、祈りと、悲しみの声に満ち溢れている時、嘆願の小枝を手にして集まったのは何のためか。私はそのわけを、人をつかわして聞くのではもの足らず、みずから、いま、ここに現れた…。全体を見る (7月31日)
9月6日(日)
コロナ禍の中でふと手にした中山茂「西洋占星術」が後を引いている。どんなテーマでも、特定のキーワードをめぐって世界史を見直してみると発見が多い。私自身「旅と観光」をキーワードに世界史と日本史を見直してみて、政治経済文化などの大括りの通史では見えないものを見せてもらっている。時刻を、1日を、ひと月を、一年をどう共有するかは、原始の社会以来生活の基本であった。
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