愛川自然観察会情報


自然観察 見どころスポット

 

・ 愛川町及び近在の観察コースや見どころスポットを順次紹介していきます。

・ 新しい情報や、「マイ・フィールド」がありましたら、ぜひご紹介ください。

 絶滅が危惧されている動植物は勿論、環境保全地域、風致地区、国定公園内、私有地内での動植物の採集捕獲は禁止や制限があり、法的な処罰もあります。自然保護の観点から許される範囲の観察に留め、貴重な自然が失われないよう注意を払い、モラルも含め、自然保護に努めていきましょう。




 (1)   「三栗山ハイキングコース 」
 愛川町の北東部に位置する三栗山はその尾根筋が相模原市との境界となっている。愛川町側は比較的緩い傾斜が続き、山裾の畑作農地、その上は里山的景観となっている。尾根道はアップダウンがあるものの比較的緩やかで、スギ、ヒノキの植林地やコナラを中心とした2次林の鬱蒼とした林が続いている。

 相模メモリアルパーク(霊園)から登るのが定番コースで、尾根道からは愛川町側の展望はほとんど望めませんが、途中の休憩ポイントでは相模原側に視界が開け、眼下に相模川や田名地区、さらに相模原台地、関東平野を視野に入れることができます。天気の良い日は、スカイツリーも遠望できます。

 植物相は豊かで四季折々の草花に出合うことができ、春のスミレ、秋のノギクは種類も多く、自然観察の楽しさを堪能できる。尾根道をさらに西に進むと大相模カントリークラブのクラブハウス前に到着する。ここから三増のバス停方面に下ることができますが、カート道に沿ってさらに進むと牛松山や三増運動公園方面に行くハイキングコースとなっている。約5q



 (2)  「 三増牛松山 」
 愛川町三増の三増公園運動場脇から登り、山頂までは15分ほどの行程である。山頂は東から南方面に視界が開け、相模湾、湘南平、江ノ島、ランドマークタワー、新宿高層ビル群などが遠望できる。また、北東眼下には相模川が流れ、この川の働きによって形成された河岸段丘が相模原台地に階段状に4段眺望でき、数十万年に及ぶ大地の変化や地質時代の出来事に思いを馳せるのも一興である。
 山頂付近では四季を彩る植物や昆虫が観察できる。中でも、ほとんど姿を消してしまったハルゼミ(5月ころ)の声を聞くことができ、植物ではスズサイコ、コバノタツナミソウ、アリノトウグサなどが観られる。
 丘陵性の山地で山頂には牛松山のいわれを解説した石碑が建てられていて、ガーデンテーブルもあり、景色を眺めながらのお弁当は格別である。気楽に行くことができ、自然を満喫できる変化に富んだspotである。

さらにハイキングコースを進むと、相模野霊園の外周の尾根を回る形で三増公園運動場に戻ることができます。尾根沿いにはオケラ(キク科)、タムラソウ、ワレモコウなどの珍しい植物が出現する。


 


(3)
  「 塩川添と南沢、塩川滝 」
 中津川との合流地点を「塩川添」、合流する沢の名前は「南沢」、この沢の500m程上流にある滝を「塩川滝」、周辺の山林地帯を「滝の沢」、上流部は「南山」と呼んでいる。何やらややっこしいが、この一帯が自然観察スポット。

馬渡橋から中津川の右岸の堤防沿いを下流に向かうと、河川敷には流れに沿ってヤナギが帯状に河畔林を形成し、早春にはタチヤナギ、オノエヤナギ、イヌコリヤナギ、ネコヤナギなどの花が水辺を彩る。ヤナギはいずれも雌雄異株の単性の尾状花序で、苞や子房にビロード状の絹白毛を密生していて、朝日を浴びてきらきらと輝くさまは早春の風物詩である。塩川添いから南沢沿いに足を伸ばして塩川滝まで進むと、途中渓畔植物やスミレ類など観られる。
 塩川滝手前の広場には、夏になるとオオムラサキやクワガタの集まるカエデの巨木があり、メ―プルシロップを舐めに来ているまた、滝つぼの斜面にはクリハラン、コケシノブ、サジラン、アリドウシなどの県下でも分布の稀な植物が着生している。イワタバコやカンスゲなども群生する谷地形独特の自然が織りなす貴重なspotである。

塩川滝は愛川−藤野木構造線の断層面に沿って出来た滝で、近くには燭光の滝や飛竜の滝などもある。滝の上流には弁財天信仰の伝説が伝わる「江ノ島淵」と呼ばれる場所がある。



 

 

(4)   「 角田大橋からの眺望 」
 角田大橋は中津川の中流域に位置しているが、海底山(おぞこうやま)が中津川に突き出るように迫り、川幅が狭くくびれた場所に架けられ橋である。この橋から上流を眺めると、右岸の海底(おぞこう)から左岸の戸倉耕地に広がる沖積地とその真ん中に帯状に伸びる流路が眺められ、河岸や中洲には河畔林が点在し、広い空間をつくっています。そして、何よりなのは、この空間の延長上に見える仏果山・経ヶ岳の山容です。山裾である河床から仏果山頂上部までの標高差650mの山体全容が一つの視野にすっぽりと納まる様は、絵葉書の世界のような絶景である。通りすがりに立ち寄れるspotです。早春の晴天の日の午前中が適時。橋上は駐停車禁止、交通事故にはくれぐれもご注意。
 この流域はアオハダトンボの県内でも数少ない生息地としても知られている。


 

(5)   「 大岩(おおいわ)と崖の植物 」
  中津川は愛川町半原の日向橋下流で大岩と呼ばれる岸壁にぶつかりほぼ直角に右に流れを変えている。この大岩から続く下流100m程の左岸は急峻なため岩肌がむき出しになっている個所がある。南向きのため陽当たりがよく乾燥した崖となっている。このため、こうした環境に適応できる植物しか生えることが出来ません。岩の割れ目に体を固着して生活するイワヒバとツメレンゲがここの植生の主となっている。

 イワヒバは雨が降らず乾燥が続くと葉を丸め干からびた状態で休眠し、次の雨を何週間でも待つかたちで適応している。ツメレンゲは多肉質の葉をうろこ状に重ねあわせ、体内に保持した水分を蒸散させずに保つことの出来る性質を持って適応している。以前、押し葉標本をつくるのに1ヶ月かけて乾燥しても生体のままで困惑したことがありました。

なお、ツメレンゲは珍蝶クロツバメシジミの食草で、マニアのコレクターが時々訪れているようだが、群落の規模が小さいためクロツバメシジミの生息は確認できません。ツメレンゲは県内では愛川町の他は津久井町の早戸川の渓岸に見られるだけの稀産植物である。
 特異な環境とそこに適応する珍しい植物を見ることの出来るspotである。 水量の多い時の川越しにはご注意。


(6)
  「 道の入沢の貝化石と滝 」
  国道412号線の愛川町田代地区の平山坂大曲から「経ヶ岳登山口」と表示された「動の入沢」沿いの道を進むとやがて砂防堰堤に突き当たるが、左岸側に迂回用の階段が付いている。2つ目の堰堤を登りきると登山道は「動の入沢」から別れ、対岸の山腹の勾配の急な山道になる。が、お目当てのspotは山道へは進まず沢の河床をそのまま進む。注意して観ていくとすでに河床の転石には貝の化石が散見される。
 この化石を含む地層は1000万年以上前に火山島や海底火山の噴火がもとになった火山礫や火山灰が堆積したもので愛川層群中津狭層と呼ばれている。貝化石はカネハラニシキといい、寒流域の海底に生息した種類で、堆積当時は今より寒冷な気候だったことを物語るものである。
 堰堤から30mほど上流に進むと沢は2手に別れどちらも勾配が大きくなるが、右手に折れ沢を登るように進むとやがて目的の滝が見えてくる。滝は途中に小さな段を持つ落差15m程のものです。渇水期には水量も少なくなりますが、降雨期には豪快で迫力のある大滝に変身します。この滝は愛川層群と相模湖層群との接触面である愛川―藤野木構造線の断層面に沿って出来たと考えることができ、愛川町域には他に、畑の沢、南沢、中津渓谷を結ぶ直線上にも大小同じような滝が見られる。
 大地が語る地質時代の出来事や、今日までの大地の変遷の過程を垣間見せてくれるspotの一つである。フールドワークをされる方はヤマビルに注意。晩秋から春先までの間が適期。



(7)   「 幣山(へいやま)耕地の中津川堤防 」
  観察を続けていると、同じ場所に何回となく足を運ぶ場所が出来てくる。幣山耕地の堤防や畦道は何回でも行きたくなるような場所の一つである。この周辺の田んぼを耕作されている人たちが、共同でシバ焼や草刈をされているようで、堤防は約500mにわたって日当たりのよい良く管理された草地になっています。春はオヘビイチゴやネジバナ、カントウタンポポ、ミヤコグサ、オオジシバリ、ムラサキサギコケなどが咲き乱れ、お花畑のようになる。
 かつてはどこでも普通に見られた陽当たりのよい土手や草地は、昨今では手入れが行われなくなった場所も多く、荒廃地を好む高茎なオオブタクサやセイタカアワダチソウ、セイバンモロコシなどの帰化植物に覆われ、背が低く地面を這うコマツナギやクサボケ等の在来植物は日光を十分に浴びることができなくなりいつの間にか駆逐されてしまっている。
 この場所は、人の手が加わることによって多様な植物相が維持され、日本の田舎の原風景が残っていて貴重なspot言える場所である。5月の連休の時期が観察の適期。花に囲まれてお弁当を広げるのも幸せのひと時かも。


(8)
  「 三増金山の栗沢沿い 」
 県道愛川・津久井線の上三増バス停の150m程手前で山王坂を下ると栗沢沿いの道に合流します。この合流地点を挟んだ周辺10mほどの道端がhot spot。季節は春限定。イチリンソウ、ニリンソウ、ジロボウエンゴグサ、ユリワサビ、セントウソウ、ヤマネコノメソウなど早春植物が群生するところである。また、神奈川県下では稀にしか見られないレンプクソウの自生地でもある。レンプクソウは派手な植物ではないが、こうした植物が息づいていることは貴重な自然が現存する数少ない場所であると言える。狭い場所ですが、春にはお花畑のような一角が出現するspot

早春植物は「スプリングエフェメラル」とも言われ、春早い時期に花を咲かせ、春の終わりとともに消えてしまう春の妖精のような植物のことを指しています。上記の植物の他、スミレやカタクリ、ヤマルリソウなどが知られている。



(9)   「 小沢相模川右岸河川敷 」
 相模川右岸に広がる小沢グランドから六倉までの河川敷には、ヤナギやニセアカシヤに覆われている場所の他、フナの釣り場となっているワンドが続いている場所がある、堤防から離れた本流沿いに広がる河原(玉石、礫からなる場所)は、植生がまばらで一年草を中心とした植物が生えている。これは豪雨時に増水し、河原の植生が剥ぎ取られることによって石ころだらけの土地になりやすく植物が定住できないため、一年で一生を完結する一年草の方が生活に有利なことから生じる植生の一タイプなのである。

植物にとっては厳しい環境にもかかわらず、オフロード車の輪立ちに沿って歩くと、カワラニガナ、カワラハハコ、カワラヨモギなどの多年草が観られるが、これらの植物は近年における河原環境の変化で絶滅危が惧種されるようになった植物である。他、にテリハノイバラ等の河原植生を構成する植物やビロードモウズイカ、クララ、シナダレスズメガヤ、アメリカネナシカズラ、ムシトリナデシコ等の乾燥地に強い帰化植物も見られる。川の作用によってリフレッシュされた土地がどのような植物を育むか面白い観察テーマになるspotである。


(10
)   「 向山尾根ハイキングコース 」
 半原地区の北方に東西に連なる山を向山(むこうやま)と呼んでいる。東の端の富士居山(愛川中学校の裏山)から西の端の大峰(津久井町韮尾根寄りの峰)まで尾根続きにおよそ3kmのハイキングコースが整備されている。昔のような山仕事が行われなくなって歩く人も途絶え長い間消滅寸前だった山道を、愛川山岳会の尽力により、ハイキングコースとして整備し、新たな案内板も設置していただいたものである。 
 木々の間から半原地区の集落や仏果山山地が一つの視野で捉えられ、また、宮ケ瀬ダムサイトや県立あいかわ公園も全容が精巧なジオラマを視ているように眺められる。大峰付近には半原地区のテレビ電波受信施設の鉄塔3基が建てられている。 
 この尾根コースまでの登り口は半原側に3つ、反対側の志田峠側に2つ、富士居山と津久井の清正光(朝日寺)のそれぞれにもありますが、いずれも急な傾斜を登らなくてはならず、やや健脚者向きと言ったところである。市街地とは隔絶した多様な森林が続き、明るい陽の注ぐ空間もあり、小鳥の鳴き声や動物の生活痕が観察され、森林浴としてフィット
チッド(生物活性物質)が発散しているコースで、一度は歩いてみたいコースである。清正光朝日寺から韮尾根地区を回って半原地区や県立あいかわ公園に向かうことができる。


11)  「 半原高取山山頂付近 」
 愛川ふれあいの村と宮沢林道から登るルートがあります。何れも変化に富んだ自然が楽しめる登山道である。山頂近くなったところで、鬱蒼としたスギの植林地(下草がほとんど見られず、表土が雨水に流されて樹根がむき出しになっている)を抜けると急に明るく開けた雑木林になりここを登りきったところが山頂(海抜704m)になる。この山頂の手前(海抜690mくらい)が魅力のspotです。以前は手入れの行われないジャングルのようなボサ山で、アブラチャンなど株立ち植物が繁茂した下草も生えない林でしたが、潅木類が刈り払われ明るい疎林に変わったところ、たちまちに様々な林床植物が出現し始めた所です。山頂付近にもかかわらず肥沃な黒土の緩やかな斜面にはオオバダケブキやシモバシラ、スミレ類やテンナンショウ類などが見られるようになった場所である。一気に山頂を目指さず、ここでは山地性の植物の観察をお勧めできる。ここにはハルニレ(仏果山山地では唯一本確認)もある。
 高取山山頂は、360°の視界が開け、展望台からは東に関東平野、南に大山・湘南方面、西に丹沢山塊、北に高尾山や小仏山地、また、眼下には宮ケ瀬ダムや愛川町域が眺められる胸のすくような絶景が堪能できる。秋晴れ、冬ばれの日が適時。

高取山へのルートは、宮ケ瀬ダムサイトから登るルート、仏果山を通るルート、宮ケ瀬側の仏果山登山口ルートがある。



(12)   「 仏果山T」    
 仏果山は丹沢山塊の東縁部を走る
2つの断層(牧馬―煤ヶ谷構造線と藤野木―愛川構造線)の間に形成された中津山地の最高峰である。中津山地は北西から南東に高取山(705m)、仏果山(747m)、経ヶ岳(633m)と連なり、丹沢の前山として、東京都心や横浜方面からも遠望することができる。東京スカイツリーから視線を富士山に向けると、手前に丹沢の最高峰蛭ヶ岳があり、さらにその手前に仏果山が見え、4地点が一直線状にあることが分かる。
 高取山と仏果山山頂には展望台があり、雄大な丹沢の山並みや眼下には宮ケ瀬湖が望め、晴れた日には関東平野が一望でき、新宿副都心や霞が関の高層ビル群をはじめ、スカイツリーや横浜ランドマークタワーが眺められる。また、遠く、房総半島、伊豆大島や日光男体山、筑波山、甲斐駒ケ岳を眺めることもできる。ぜひ、一度仏果山山頂に立っていただきたい。



(13)
  「 仏果山U」
 尾根の北側は愛川町、南側は清川村で、尾根筋は境界線となっています。両地区は古い時代から人の交流がありましたが、中津川沿いは急峻な谷地形と急流で知られる中津渓谷に阻まれているため、仏果山と高取山の間の鞍部である「宮ケ瀬越」か、仏果山の南に位置する「半原越」と呼ばれる何れも難渋な山道を行き来していたと伝えられている。また、この山地一帯は山岳修験の聖地で、山伏の行きかう修行道でもあった。周辺にはこうした歴史に云われを持つ地名も多くある。
 近年では、首都圏からの日帰り登山コースとして人気があり、また「関東ふれあいの道」にもなっていて、休日には大勢のハイカーで賑わいを見せている。
 仏果山山頂から南東に向かう尾根道のうち標高700m前後の0.5kmの区間は岩場が続き、起伏が激しい上に両側が急傾斜で狭く、転落の危険を避けるためにハイカーの交差時には遠くから道を譲り合っている。急斜面を吹き上げる風は強く風衝地特有の背の低い樹形となっているところもある。

植物にとっては厳しい環境にもかかわらず、長い時をかけてこの土地に適応して来たものも多く、周辺には見られないオオバマンサク、ザイフリボク、シナノキ、イヌブナ、アズキナシ、オオウラジロノキ、ツルキンバイ等の貴重種植物があり、多様な自然の残るspotとなっています。中でも、ザイフリボクは県内では非常にまれな植物で絶滅危惧種に指定されている。ハイカーの往来による踏み圧で枯死に瀕している株もある。


(14)
  「 八菅山いこいの森 」
 八菅山一帯は、神奈川県指定の自然環境保全地域並びに風致地区に指定されている。八菅神社の社叢林は神奈川県から「天然記念物」として指定されている。
 愛川町が整備した「八菅山いこいの森」は、自然を保全しつつ自然景観と調和のある広場や施設をつくり、人と歴史と自然とが触れ合う場所として、また自然学習の場として、さらには人々の心身の健康にとっても尊い空間として維持されることを目的にした公園である。八菅山いこいの森は神奈川県公園50選にも選ばれるなど、自然環境が良好な場所として知られているspotである。
 標高100m170mの南東斜面は「八菅神社の森」と称される樹高15m以上のスダジイ林が自然植生として発達している。参道周辺では高木層にスダジイが優先し、亜高木層はヒサカキ、アラカシ、ヤブツバキなどが、低木層はツルグミやアオキなどが、草本層にはベニシダ、ヤブラン、フユイチゴなどが生育する重層構造の林となっている。相模平野の内陸部にあって原生の自然植生が現存する貴重な樹林であることが指定理由となっている。植生学では「ヤブコウジ―スダジイ群集」という分類群に位置付けられている。
 植物相においては県内でも分布の稀なコクラン、マヤラン、キンラン、クロヤツシロラン、シュンラン、オオバノトンボソウなどのラン科植物や、アリドオシ、ハイチゴザサ、オオダイコンソウ、ウラジロ、ウチワゴケ等の貴重植物が自生している。また、豊かな自然は多様な昆虫相や野鳥なども育んでいる。


(15)  登山道案内板

 愛川・清川周辺は、丹沢・大山から続く急峻な尾根筋と大小の谷が大地を刻む変化に富んだ地形が多く見られる。それは山岳美、渓谷美として多くの人々を魅了するとともに、水源や森林資源など自然の恵みをもたらす源ともなっている。

 自然の魅力にひかれて山道を歩く人や、市街地の喧騒を逃れ渓谷の清らかな流れに浸る人など、この地を訪れる人は多い。特に仏果山や経ヶ岳は首都圏からの日帰り登山のコースとして各種のガイドブックにも紹介され、初・中級登山者で賑わいを見せている。様々な年齢層に人気があるようで、ファミリーにも結構出会う。

 山頂に立てば、急斜面を登り切った成就感を実感でき、周辺の山々や遠方のビルやタワーが展望できる。大地と空からなる広い空間を眺めながらのお弁当は格別な味がする。夏のフィトンチッド(自然が発する癒し物質)の溢れる森林浴は気持ちを穏やかにし、冬の雪上に残る動物たちのフィールドサインには自然の豊かさが実感できる。写真は愛川山岳会が建てた案内板。登山者の道しるべとして安心をもたらしている。

 


(16)
  「 経ヶ岳への尾根道 」
 両脇の斜面が谷に下る地形は山地の尾根によく見られるが、ここは経ヶ岳に通じる登山道で、法論堂林道の半原越から10分ほど登った標高600mほどの南向きの雑木林である。落葉の終わった初冬の時期には明るい陽射しが差し込み、踏みしめる落ち葉の甘い香りに心身が癒される場所で、山歩きを通して健康的なセラピー体験のできる尾根道ルートである。
 その昔、山伏姿の修験者が山岳信仰の行所を目指して往来する修験道であったと伝えられている。さらに10分ほど登ると、やせ尾根に登山道をふさぐように鎮座する大石がある。弘法大師空海がこの石の穴に経文を収めたと伝わっている「経石」で、この山の名前のいわれにもなっている。ほどなく進むと経ヶ岳山頂になる。山頂からはパノラマを見るように雄大な丹沢山塊が一望でき、眼下には清川村の中心街が見える。
 一帯は山岳修験の聖地であったことから、経ヶ岳をはじめ、仏果山、法華峰、華厳山、法論堂など信仰にかかわった地名が多くある。現在は「関東ふれあいの道」としてハイカーの行き来する登山道となっている。途中の急斜面には鎖場もある。1時間ほどで往復できる山歩きの楽しさを教えてくれるspotである。


(17)
  「 関東ふれあいの道 」

 ハイキングコースを歩いていると「関東ふれあいの道」と書かれた標柱に出会うことがある。どんな趣旨でつくられ、どこからどこへ続く道なのでしょうか。
 「ふれあい」とは美しい自然とそこで育まれた歴史や文化遺産に触れようというものである。「関東」とは関東一円を結ぶ自然遊歩道のことで、首都圏自然歩道とも言われている。
 神奈川県などから出ている資料によれば、10km前後に区切った日帰りコースが144コースあり、16県を1周すると総延長1.665kmになるとのことです。各コースの起点と終点はバスや鉄道と連絡ができるようになっている。
 清川・愛川には、伊勢原市の日向薬師から厚木市の白山を通り清川村の御門橋バス停までの「巡礼峠のみち」(8.8q、3時間15分)と、坂尻バス停から法論堂林道を登り半原越から仏果山山頂を通って愛川ふれあいの村に降り、半原バス停までの「丹沢山塊東辺のみち」(11.3km3時間20分)、半原越から経ヶ岳山頂を通って愛川町の半僧坊に降り、三増合戦場跡から志田峠、韮尾根バス停までの「北条武田合戦場のみち」(16.2km4時間30分)の3コースが設定されている。
踏破する場合は、コースの下調べと安全対策にご留意を。複数人で歩くのがいい。



(18)   「 宮ケ瀬湖とジャケツイバラ 」
 山地の日当たりのよい斜面に生えていることが多く、房状の大きな花序が枝葉の上に立ち上がっています。鮮やかな黄色い花は渓谷を挟んだ向い側にあってもよく目立ちます。特に宮ケ瀬ダム周辺に多く自生していて、近年、口コミで広まったのであろうか、花の時期になるとこの花を眺めに訪れる人も見かけるようになりました。湖岸道路沿いで至近距離に見られる場所が何spotかありますが、交通安全上くれぐれもわき見運転は遠慮願うところです。
 ジャケツイバラの2つ目の注目点は、
太い蔓となっている幹や枝に、鷲の嘴のような鉤型に曲がった鋭いトゲがビッシリ並んでいて、その蔓が重なり合っているため人の侵入をはばむ鉄条網のようになっていることです。また、落葉した後でもトゲのある葉柄や葉軸は枯れ枝として残っていて、トゲによる自己防衛能力は植物界随一と言えるかもしれません。
 もう一つ感心することは、春の出芽に備えた冬芽が数個一列に行儀良く並んでいるが、一番上を主芽と言い、普通はこの芽だけが出芽するが、主芽に事故があったときには二番以下に控えていた副芽が伸びて新しい枝となります。用心深く予備の冬芽を備えていて事故時に対応する自己管理能力の高さにも感心させられます。マメ科の落葉蔓低木。


(19)   「 八菅山いこいの森 」
 八菅山一帯は、神奈川県指定の自然環境保全地域並びに風致地区に指定されている。八菅神社の社叢林は神奈川県から「天然記念物」として指定されている。
 愛川町が整備した「八菅山いこいの森」は、自然を保全しつつ自然景観と調和のある広場や施設をつくり、人と歴史と自然とが触れ合う場所として、また自然学習の場として、さらには人々の心身の健康にとっても尊い空間として維持されることを目的にした公園である。八菅山いこいの森は神奈川県公園50選にも選ばれるなど、自然環境が良好な場所として知られているspotである。
 標高100m170mの南東斜面は「八菅神社の森」と称される樹高15m以上のスダジイ林が自然植生として発達している。参道周辺では高木層にスダジイが優先し、亜高木層はヒサカキ、アラカシ、ヤブツバキなどが、低木層はツルグミやアオキなどが、草本層にはベニシダ、ヤブラン、フユイチゴなどが生育する重層構造の林となっている。相模平野の内陸部にあって原生の自然植生が現存する貴重な樹林であることが指定理由となっている。植生学では「ヤブコウジ―スダジイ群集」という分類群に位置付けられている。
 植物相においては県内でも分布の稀なコクラン、マヤラン、キンラン、クロヤツシロラン、シュンラン、オオバノトンボソウなどのラン科植物や、アリドオシ、ハイチゴザサ、オオダイコンソウ、ウラジロ、ウチワゴケ等の貴重植物が自生している。また、豊かな自然は多様な昆虫相や野鳥なども育んでいる。


(20)   「 海底(おぞこう)から打越峠(おっこしとうげ)へ 」

打越峠から南側は厚木市荻野である。峠の手前の中津川添いに愛川町海底(おぞこう)地区の集落がある。この峠が2つの地区の境界となっている。坂の名前は「馬坂」と言い、古くは東海道と中山道を結ぶ街道筋として多くの人の往来があった古道である。現在はハイカー以外に通る人も少ない峠道である。海底地区には石仏群や、金毘羅宮、愛宕神社、日月神社が地域の守り神として鎮座している。昔の旅は難渋で、海底地区からの中津川の渡しでは増水で足止めもあったであろう。旅の安全への祈願や、地域の人々の様々な信仰の聖地となっていたことが偲ばれる。また、戦国時代には小田原の北条軍と甲斐の武田軍が激戦を繰り広げた「三増合戦」の主戦場も近く、峠の南側には北条軍の戦死者を悼んだ慰霊碑も建られている。

勝楽寺を起点に海底地区を通り、馬坂を上り、打越峠から上荻野田尻地区を通って平山坂上から平山坂を下って勝楽寺にもどるコースは、里山的自然が織りなす四季の変化を味わえるspotで、神社仏閣への寄り道をしながらの古道歩きは変化に富んだ自然探訪になることと思われる。約6q、春にはスミレ、イチリンソウ、カタクリなども観察できる。



 

(21)   「 喧騒を離れて熊谷沢林道へ 」

仏果山には大小様々なの沢があって、そのため山地全体が複雑な地形をとなっている。仏果山に降った雨はそのまま低い所へ流れ谷川となりますが、地中にしみ込んだ雨水が谷筋で地中から湧き出し源流となる場合もありある。傾斜の急な仏果山では谷は深く斜面に刻み込まれている。

そうした谷の一つに「熊谷沢」がある。尾根近くに源流を発する急傾斜な谷の一つである。この谷をまたぎ造られた林道が「熊谷沢林道」である。

林業としての利用を目的に造られ、標高500m前後の等高線に沿って仏果山山腹を東西に横切っています。東の基点は南沢林道、西に4qほど伸びた地点で終点となっています。基点にはゲートがあって関係車両以外は通行できないことと、ガイドブックも記載されていないため、訪れるハイカーはほとんどなく、知る人ぞ知る林道である。

林道は明るく開けた空間が続き、小鳥の鳴声こそすれ市街地の喧騒からは隔絶した世界で、山地性の植物や昆虫などと出会うことができ、自然を満喫できるハイキングコースである。途中、眺望が効くところもあり、相模平野や東京方面がながめられる。



(22)   「伝説の三増峠 」
 
 三増峠は中世のころ、甲斐(山梨)から鎌倉や小田原へ向かう街道が通る峠であった。山麓の三増地区は、永禄12年(156910に、甲斐の武田信玄と小田原の北条氏康の両軍が戦った三増合戦場で有名である。記録によると両軍合わせて5千名以上が戦死した戦国時代での最大規模の山岳戦と言われている。戦に勝利した武田軍は三増峠を超えて甲斐の国に向かったと伝えられている。現在、三増峠下をトンネルで貫き県道65号線が愛川町と緑区津久井町を結んでいる。昔も今もなくてはならない交通路となっている。

三増トンネルのすぐ手前に右に折れる旧三増峠への入り口があり、案内板に従って沢沿いに進むとやがて登り坂になり、入り口からは15分ほどで峠に着く。峠には大きな石仏があり、峠を登り切った人々がいろいろな思いを込めて手を合わせ、休憩場所としたに違いない。峠の先の旧街道はこの先で一部分廃道となっていて斜面の茂みに消えている。現在、峠には旧街道を横切るように林業管理のための小倉林道が走り、津久井町小倉地区と根小屋地区を結んでいる。

伝説に彩られたこのコースは様々な動・植物が観察されるところでもあり、時にはイノシシのぬた場やタヌキの溜め糞に出会うこともある。アサギマダラの食草であるギジョランやツルリンドウ、ヒメフタバランなどの珍しい植物も観察できるspotである。




(23)   法華峰林道を歩く」
 清川村の法論堂林道から愛川町へ通じる峠を半原越(標高500m)と呼んでいる。この峠から分かれ、法華峰の中腹を等高線に沿って取り巻いている林道が法華峰林道である。谷と尾根が交互に入り組み複雑な地形なため道は曲がりの連続である。人通りは少なく平坦で、のんびり自然散策を楽しむには格好のコースである。半原越に車を置いて歩くこともできるが、愛川町の勝楽寺裏の道の入沢から経ヶ岳に向かう登山道の途中で出会うこともできる。このコースの見どころは多く、愛川町の全域が眺められる眺望の良さとともに、自生のカスミザクラや、愛川町近在ではここしかないタニジャコウソウとアオチカラシバの群落があり、オオルリソウ、オニルリソウ、ハタザオもこのコースならではの植物である。道の入りからの登山道と合流地点の崖(愛川層群中津狭層)には貝化石のカネハラニシキが観察できる。また、厚木市方面に進んだところでは岩から清水が湧き出るきれいな石清水を口にできるところもあり、見どころ満載のコースである。



(24)  「古道志田峠を歩く」
 志田峠は、愛川町から津久井町根小屋方面に抜ける3つの古道のうちの一番西にある峠である。かつては厚木市荻野の打越峠を下り、海底(おぞこう)地区で中津川を渡って、上野原の台地に上って、志田沢沿いに志田峠まで登って、津久井の韮尾根地区から北を目指す巡検道があったと謂れている。この道沿いには街道筋ならではの道祖神や馬頭観音など小さな神仏を祀った石像や御堂が多くあって、現在でも地元の人たちによって信仰されているものもある。

かつての古道は一部で道路として拡幅され付け替えられているが地形的には昔の面影を残していて。峠一帯は濃い緑に包まれている。植物観察や野鳥観察など自然に親しみながら手軽に歩けるハイキングコースとしておすすめのspotである。また、このコースのほとんどの区間は「関東ふれあいの道」ともなっている。三増地区から県立あいかわ公園などに行く場合の近道でもある。道路は降雨時に荒れた個所もあり、車での通行は避けた方がいい。

 


(25)
  「信玄旗立松からの見晴らし」
 三増合戦の折、武田軍が大将旗を立てたと伝わる大松があったが、大正期に火災で焼けてしまった。その旨を伝える碑文を刻んだ石碑が地元青年会の人たちによって昭和3年に建てられ、周辺が小公園として整備されている。三増合戦の出来事を後世に伝えるものである。

場所は志田山の中峠に近い尾根がせり出た標高300mほどの高所にある。現在は周囲が東名カントリークラブのゴルフコースに囲まれるように位置している。この地に立つと合戦が行われた一帯全体が視野に入り、信玄がここに大将旗を翻し鶴翼の陣を張り、武田軍を指揮し北条軍を迎え撃ったと伝わっている。
 ゴルフ場の駐車場脇からカート道沿いに進み小さな案内板を見て階段を上り、ツズラ折りの山道を5分ほど登ると視界が開け旗立松公園である。眼下に合戦場が見え、遠く相模湾や横浜方面、東京都心も見える眺望と、受ける風のさわやかさは、急坂を上り詰めた人だけが味わえる気分である。西に目を向けると宮ヶ瀬ダムのダムサイトが見える。周辺にはワレモコウやワラビ、ツリガネニンジンなどが生えている。小遠足として気楽に行けるspotである。



(26)
  「中央林道・大沢林道で森林浴を」
 仏果山の中腹には宮沢林道、中央林道、大沢林道、扨子(さすこ)林道、熊谷沢林道がある。各林道に通じる道にはゲートがあって、地元や林業関係者以外は車では通行できない。また、面白いことに何れの林道も行き止まりになっていて他の地区に通り抜けることはできない。さらに、ハイキングマップに載ってない林道もあって、ハイキングで仏果山山頂を目指そうとするとこれらの林道を横切ることになり、地元の事情を知らないハイカーにとっては不安に感じることもあるようだ。

仏果山の中腹の標高500前後の等高線に沿っているのが中央林道と大沢林道である。昭和の終わりごろに相次いで作られた林道であるため、地元の人でも知らない事情もあってか歩く人は少なく、山歩きの人はほとんど見かけないのは残念である。春の萌黄色、夏の青葉、秋の紅葉、冬の佇まいと、四季折々の風景の中を歩けば、癒し物質のフィトンチッドがあふれていて心身の健康の面からもおすすめである。市街地では見られない自然の営みの新たな発見もあるかもしれない。

 

 

(27)  「幣山から八菅山へ」
 幣山地区の裏山にあたる急峻な斜面の上部に、高圧線の通る鉄塔がある。幣山からはシカ策のゲートをくぐり、鬱蒼とした木立の中の傾斜のきつい登山道をよじ登ると、15分ほどで鉄塔が立っているところに出る。鉄塔は中津川カントリークラブの一角にあって周辺は平坦な場所である。この鉄塔は愛川町の広い方面から眺められて、夜間に航空機に対して高い建築物の存在を示すため「航空障害灯」を点滅させている。登山道には様々なつる植物が周囲の大木に絡んでいてジャングル化している。つる植物の一つであるギジョランがある。ギジョランは珍しく、長旅をするアサギマダラという蝶の食草として名の知られた植物である。

 鉄塔から八菅山方面に向かう尾根の道路は平坦で道幅は広く歩きやすい。道路の右側は厚木市で左側が愛川町の境界線となっている。八菅山に向かう途中の右側には神奈川県が設置した雨量観測電波送信所がある。植物や昆虫の観察の他、車の通行がなく静かなため野鳥の観察にも適したspotである。ゴルフコースを右下に見ながら進み左に折れると八菅山の尾根道に続いていく。ほどなく行くと八菅山いこいの森の展望台になる。

なお、八菅山方面から歩く人も多いと思われるが、鉄塔のところで幣山地区への下り口は鉄塔前の道の向かい側の小さな案内板を見落とさないように。また、冬季以外はヤマビル対策も必要。


(28)  「ダムサイトから高取山へ」
宮ヶ瀬ダムサイトの駐車場の向かいに高取山への登山道登り口がある。登り始めると階段がつづら折りに続く。途中何度か足の張りを休めながら登ると、ダムサイトの延長上で、ダムサイトを見下ろす場所に出る。ここはかつてダムの建設に関わって夜間工事用の照明灯を吊るしたワイヤーを対岸との間に張った場所である。現在はハイカーのためのテーブルが設置されていて休憩できるようになっている。

ここから先しばらくは急な登りはなく登山道も整備されていて歩きやすい。しばらく登ると視界が開けダム湖が見下ろせる場所に出る。高圧線下で草木が刈払われているためである。ベンチもあり、ダム湖を眺めながらの休憩は気持ちがよく時間の過ぎるのを忘れるほどである。

 鉄塔を過ぎると再び林内の道となり、シカによる樹木の食害跡などを見ながら登っていくと植物相も変化し始め、標高700m近くではオオウラジロノキ、シナノキ、イヌブナ、アズキナシなどが出現するようになる。山地性の植物の観察spotである。最後の岩場をよじ登ると高取山山頂である。山頂の展望台からはダムサイトや宮ヶ瀬湖を眼下に、好天の日には筑波山、日光男体山、大菩薩陵、甲斐駒ヶ岳、丹沢蛭ヶ岳、伊豆大島など数百キロ先までを遠望できる凄いspotでもある。

 

(29)  「ホットスポット尾山耕地」

田植えが終わった田んぼでは様々な生き物が生育する稲の傍らを棲みかとして集まり、忽ちのうちに賑やかになる。カエル類やそのオタマジャクシ、ドジョウ、ゲンゴロウ類、アメンボ、トンボ類とヤゴなどである。これらを餌とするクモ類や甲虫類、イモリもやってくる。盛夏のころの出穂期にヤマカガシなども田んぼの常連となる。

近年の耕地は区画整理が進み、用水掘りは三面ンクリート化している。また、稲作は機械化され、病害虫防除も浸透性の農薬の使用が進み確実な収穫量が見込めるようになった。その反面で、多くの生き物にとって住みにくい環境になった。田んぼでしか生きられない生き物は姿を消した。絶滅の危機におちいった種類も多い。川と田んぼが行き来できない。産卵や隠れ場所としての畔がない。殺虫剤や除草剤の直接的な被害を被る。生き物同士の関係が断ち切られ、生態系がゆがめられる。田んぼの生き物のための心配は尽きない

尾山耕地は神奈川県自然保護協会が生物多様性ホットスポットに選定している。その根拠は、他の多くの耕地では見られなくなった田んぼの生き物の生息する場所として貴重な場所との認定されていることにある。神奈川県では絶滅したとされていたものや絶滅危惧種の昆虫10数種類発見されたり、本州での絶滅種が生息していることが確認されたりした。
定期的に調査活動をしている人の報告では、田んぼによって生物相が違う。トンボ類の幼虫が激減している。ザリガニの影響は大きい。その後姿が確認できない生き物もいる。とのことである。

 

 (30)   深沢源流部を訪ねて

仏果山山腹に流れを発し半原細野地区を下る深沢(ふかさわ)がある。名前の通り半原台地を深く刻み込んだ沢で、深沢尻で中津川本流に合流している。わずか数qの谷川である。

山麓部の新久林道が深沢に架かる橋から西に10mほどのところに深沢に沿った山道の入口がある。この山道を進んだところが観察コースである。山道に入ると間もなく、かつては耕作地であったと思われる平坦地や、墓地、道跡がある。公共上水道が普及するまでの生活用水として昭和の30年代まで使われていたと思われる、沢水を利用した簡易水道施設なども現存していて人の生活跡を偲ぶことができる場所である。周辺は樹齢数十年のスギ、ヒノキの植林地が続いている。人の往来はほとんどなく、道は荒れているが踏圧ははっきりしていて道に迷うことはない。

さらに上流に進むと、他ではほとんど見かけないフタバアオイやトチバニンジン、タチガシワなどの群生地があり、貴重種の自生するホットスポットとなっている。

深沢に沿った山道はここで終わり、西側の尾根を走る中央林道と、東側の尾根を走る扨子(さすこ)林道とを徒歩で結ぶ山道に出会う。どちらに行くにしても急斜面を上ることになるが、東側に進むと、沢に露出する岩石中に貝化石が散見され、斜面には仏果山山中では珍しいツガの巨木が数本あり、自然観察愛好家には魅力が多い一帯となっている。地理に明るい人との行動が望ましい。ヤマビル注意。携帯電話は圏外。

 

(31)   「 藤野木―愛川構造線 」
 丹沢山地は、はるか南の火山島として生まれ、フィリピン海プレートの移動によって5600万年前に本州に衝突し、さらにその後の伊豆半島の追突により隆起したものと言われている。経ヶ岳や仏果山の山麓を走る「藤野木−愛川構造線」や、清川村を縦断して走る「牧馬−煤ヶ谷構造線」は、衝突の圧力で生じた逆断層で、津久井方面に続いている。構造線とは、地質にずれを生じ地震を起こす可能性のある大規模な断層のこととであるが、愛川・清川に走る2つの断層は古い構造であることから一部を除いて活断層との認定はされていませんが、規模の大きさから、大昔には何回もの大地震の発生源となったことと思われる。
 写真の露頭は、浸食によって露出した「藤野木―愛川構造線」の断層面の一部で、愛川層群(経ヶ岳や仏果山を造っている地層=左側)と相模湖層群(本州側の地層=右側)と呼ばれる地層が接している断層面である。場所は愛川町の塩川滝の近くで、塩川滝手前の清瀧橋を渡り滝神社から右手の沢に進み大きな砂防ダムを超え、100mほど沢を登ったところの燭光の滝と呼ばれる断崖の東側にある露頭である。地質図を手に大地の成り立ちに思いをはせるのも一興ですが、ヤマビルやマムシの危険のない冬季が適期。転落注意、落石注意、携帯電話は圏外、単独行動はご法度である。(参照:愛川町の地質 愛川町郷土博物館展示基礎調査報告書他)



(32)  貝化石カネハラニシキ

フィリピン海プレートの移動速度はおよそ5cm/年と言われている。この速さは人の感覚からするとあまりにもゆっくりですが、500万年間には250qの距離を移動する計算になる。移動するプレートが本州に近づくと地下深く沈み込んでいきますが、このくぼみをトラフ(大規模なものは海溝)と言う。プレートに乗った丹沢山塊が本州に衝突する前(と言っても1000万年以上昔)には両者の間には海峡のような海があったと考えられている。カネハラニシキはこの時の海に生息していた貝とみられている。

丹沢山塊が基になった地層から産出する唯一の貝化石でしかも寒流系の貝とのこと。親潮(寒流)は現在とは違った流れであったことを裏付けるもので、学術的にも特筆されている。

丹沢山塊は600万年程前に本州に接近し、沈み込まずに衝突したと言われている。大きな圧力を受けた地層は高くせり上がり仏果山を含む山地を形成した。「藤野木−愛川構造線」はその時生じた逆断層である。カネハラニシキを産する地層はこの構造線に接する南側の地層で、愛川層群中津峡層と呼ばれていて、法論堂林道や動の入沢等で見ることができる。

 



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