巨峰 Ver 2.12

 

 

「少しはビタミンも取らなくちゃね」

すでに仕事帰りの客もピークを過ぎ、酔っぱらいが駅の到着に気がついて慌てて電車を降りていく。そんな遅い時間にやっと帰途につく協田三紗の手には、駅ビルの隅っこで細々と営業している果物屋の袋が下げられていた。別に誰かに送ると言うわけではない。自分で食べるためである。朝から晩までめいっぱいこき使われては、余裕のある優雅な食事というのは夢のまた夢。毎朝パンにチーズとトマトを挟み、牛乳で流し込んで飛び出す毎日である。果物でもあれば少しは優雅な食事にみえるだろうか。それにしたって、まだ目覚めていない頭を働かせるためのブドウ糖の補給に使えるかと欲を出した結果でしかない。ビタミンでも余計に採れれば少しはマシというものである。

改札口を抜け、人の流れが続く住宅地とは逆の方向に曲がる。殆どのサラリーマンは駅の西にある新興住宅地に向かっている。協田はその人の流れから外れて、東側に歩を向けた。こちらは古くからの物流エリアで、この時間では人気は殆ど無い。

「ふう」

古びた街灯がぼんやりと道を照らしている。寿命を迎えて点灯出来なくなった蛍光灯が時折ぱっと光ってはまた消える。

「そろそろ引っ越ししようかな」

無機質な協田のマンションが見えてきた。空き室の目立つ賃貸マンションの住人は年を追って減っていき、現在は半数程度が空き家になっている。協田がそんな場所に住んでいるのにはある理由があった。

協田がイソジマ電工に在籍してから、まだそう長くはない。以前はいわゆるブラック企業で非合法の義体改造を請け負っていたのである。しかし、そのブラック企業は警察の手入れを受けて解散となった。また、改造義体の顧客の殆どは行方をくらましており、義体者全員を捜すことは事実上不可能であった。

しかしそのまま義体者を放っておけば、いずれ命の危険がある。いくつかの非合法組織が改造義体を食い物にして利益を上げており、その費用はとんでもなく高額である。それでもそういう非合法組織とコンタクトを取り、金さえあれば義体を維持できるが、コネなどがなければそう簡単にコンタクトできるわけもなく、また、多くの場合、裏家業とはいえ、そう荒稼ぎが出来る人間ばかりでもない。

実刑の可能性さえあった協田が執行猶予でイソジマ電工に引き取られたのは、そういう義体者との関係を残して、生存の道を確保するためという目的もあったのである。その目論見はおおむね当たっており、ひっそりと非合法義体者が協田の元へ現れたのも一度や二度ではなかった。だが、最近はギガテックスやイソジマ電工の裏窓口の存在が知られてきたのか、その数はめっきり減っていた。

 

遠くからは車の音が聞こえるが、このあたりはひっそりとしている。古びたマンションのドアを開け、郵便物をのぞく。エレベータを待っている間にどこからとも無く聞こえてくる物音に気づく。

「?」

何となく聞き覚えのある機械音。ごくかすかなその物音は、異音を伴って近づいてくる。

「………」

「………」

なにか話しているようである。

「誰か来たのかな」

ごくたまに以前改造を手がけた義体者が、義体の消耗品を求めてやってくることがある。やってきた義体者にはギガテックスやイソジマの例の裏窓口を教えることにしている。そこにコンタクトしてきた義体者の情報は、実は警察も把握している。ただ凶悪な事件でない限り表沙汰になることはない。ただ単に違法改造と言うだけなら、殆ど逮捕されることはない。

協田も万が一のためにいくらかの在庫は持っているが、薬品や栄養剤には期限があり、切れていることも多い。

「ねえ、誰かいるの?」

協田は気配のする方に声をかけた。わずかにあった気配も今はなくなっている。警戒しているのだろうか。

「心配しないで、警察に連絡したりはしない、私に用なら出てきて」

「………」

「ふん」

静寂がその場を支配する。しばらく待って反応がないのを確認すると、改めてエレベータのボタンを押した。

「きゃっ」

ドアが開いて一歩前に踏み出したとたん、一陣の風が舞った。

そんなこともあるだろうと注意はしていたのだが、ホールの入り口からエレベータまでは10メートルはある。そんな距離を一瞬で飛び込んでくるのは予想外であった。それも二人。

「あなたたち、何?」

ドアが閉じて行くのも気づかずに、協田はその二人を見つめた。

「あーあ」

驚いたはずみに落としてしまった巨峰が、転がった義体者の体の下でつぶれ、紫色の果汁で染まっている。

もう一人は口に指を当てて、協田に静かにするよう求めていた。真剣な目つきで懇願する姿に、協田はこくりとうなずくとそれっきり黙りこむ。もう一人が異音を立てながらのろのろと体を起こす。その背中にはいくつかの毛羽立ちがあった。

(銃痕?)

転がった女性の、動くたびに聞こえる異音が義体であることを伝えている。協田も義体設計者の端くれである。その音を聞くだけで、脊椎の部分に損傷があることは見当が付いた。

エレベータが4階に到着する。損傷していないほうの義体者がドアの影に隠れるように立った。どこからか取り出した拳銃をそっと構える。

銃を持った義体者の庇うような手つきに気づいて、協田と損傷した義体者が彼女の後ろに隠れた。

「震えてる?」

開いたエレベータの先を警戒しているのを見ていて、ふと後ろの損傷している義体者が震えているのに気づいた。その振動数が義体の固有振動数とかけ離れている。ということは、彼女自身が震えていると言うことである。故障による振動ならば義体が持つ固有振動数に近くなるのである。

「はやく。急いで」

銃を持った義体者が二人を急かせた。

損傷のある義体者がその声を聞くとはじけるように飛び出した。協田も遅れないように走り出す。つぶれた巨峰はエレベータに残したまま。

 

「入っていいわよ」

銃を持っているような相手を家に入れたくもなかったが、この警戒具合からして何かに追われているらしいことはわかる。外にいたままではさらに新しいトラブルに巻き込まれかねないと判断した協田は二人を部屋に入れた。

ドアを閉じ、キーをロックして、チェーンをかける。銃を持っている義体者が耳を澄ませながら気配を探り、のぞき窓をしばらく確認したあとで、やっと銃を降ろした。

「どうぞ」

仕事場として使っているかつては応接間だった部屋に二人を通す。部屋の空きスペースには莫大な本や資料が積み上げられている。また、段ボールに入ったままの義体向け各種消耗品も無造作に置かれていた。

二人は周りを見回しながら、一歩ずつ部屋に入っていく。ひとしきり部屋の調査も終わったであろうことを見越して、協田は二人に声をかけた。

「さて」

一人が少し驚いた顔で協田を見つめ、もう一人が苦しそうに座り込む。協田は座り込んだ義体者に視線を向けた。

「なんのご用かを聞かせてもらいましょうか?、とりあえず名前聞かせてもらえるかしら」

銃を持った義体者が目を伏せ、小さく首を振って話し出す。

「私はアガワ、彼女がソウダです」

協田はアガワと名乗った義体者の目を見つめた。

「ふーん、さしずめ偽名ってところ?」

「………」

その沈黙が偽名であることを肯定していた。どうやら堂々と名乗れる仕事ではないらしい。まあ、拳銃なんかを当たり前に扱うような仕事は、警察や自衛官以外では、裏の世界の人間しかいない。

沈黙のままではらちがあかない。黙ったままの二人を見て、協田は先を促す。

「まあいいわ、それで私に何のご用かしら、義体の形式を教えてもらえると、消耗品が探しやすいんだけど」

「いえ」

アガワと名乗った義体者が首を振った。

「実は非常に難しいお願いで、お願いするのもはばかられるのですが…」

「なによ」

「実はですね」

不意にアガワが協田の前で手を付いた。

「彼女の爆弾を解除して欲しいのです」

「ば、爆弾?」

 

「………」

「ああ、もう、早い話が、あなたたちはスパイみたいなもので、秘密が漏れた時のための自爆装置が付いているということね。それが撃たれて故障で動き出してしまったと」

「………」

「黙っているのはYESと解釈するわよ」

事情を聞くが、協田にとってさして重要でなさそうなところまで秘密にしようとするので会話が進まない。いくら話しても要領を得ないため、協田は勝手に解釈して進めた。沈黙の具合から見てそう外れてはいないのだろう。

「まったく………」

協田はため息をついた。

「それで、そんな物騒な改造をしたあなたたちの組織に解除できないの?」

「いえ」

アガワが頭を振る。

「まだ、敵の送り狼が付いてきています。足が付いたままで戻ると、我々の組織が把握されてしまう」

「やれやれ、バックは秘密ですか」

肩をすくめると協田は愛用のオフィスチェアから立ち上がった。協田を目で追っていたアガワとソウダを指さした。

「だいたい事情はわかった、でもね」

「はい」

「はっきり言ってね、何一つ情報がない状況で、そんなやっかいな作業は無理、だいたいあなたたちを開けたとたんに、ドッカン来ちゃう可能性だってあるのよ、そんな作業まっぴら御免、私だって死にたくないもの」

「それが…」

「なによ」

ソウダが腹部を押さえた。服を伸ばすとはじけて毛羽立った服の穴が見える。

「撃たれたときに起爆装置を停止させている機械が壊れてしまったみたいなんです」

「停止させている機械?」

ソウダが頷いた。

「死亡したときや敵に解体されてしまった場合を想定して、停止信号が一定時間入ってこないと自爆するようになっています。生命維持信号が停止の場合はすぐに、そして特定の機能が働かないときには数時間後に爆発するようになっています」

「すぐ爆発しなかっただけマシだったわね」

「そう思います」

「そして、その残り時間が先ほど表示されてしまいました。あと4時間で爆発します」

「あと4時間?」

ソウダが静かに頷いた。小さく震えながら服をたくし上げて、銃痕の空いた腹を見せる。

「冗談でしょ」

協田の声がかすれた。

 

「まあ、しかたないわ、見るだけは見てみるから服を脱いで食卓に寝てくれる?」

「わかりました」

ベッドでは柔らか過ぎて固定できないし低すぎる。立って作業するにはある程度の高さが必要だが、義体者を乗せられるほどの大きさをもつテーブルは食卓くらいしかない。

ソウダが利かない体で、服を脱ぐ。イソジマ電工やギガテックスの義体を見慣れた協田は少し違和感を感じた。

「ちょっとハッチの付き方が違うのね」

胴体の中心線から観音開きになるようにハッチが配置されている。カモフラージュシールは貼られていないが、体の中心線のくぼみにうまく治まるような形でハッチの境目が処理されている。横向きの境目はさすがに消しようもないが、中心線はしわがなければわからない位にうまく溶け込んでいた。

「それじゃ、この上にどうぞ」

「失礼します」

ソウダが両手をついて引きずりながら、食卓の上に体を横たえる。

「あけていいのかしら」

「はい、すくなくともこことここは大丈夫です」

ソウダが仰向けになって腹側の2カ所のハッチを指さした。

協田はおそるおそるハッチに手をかける。爆弾が仕込まれていると聞いては、うかつに開けたくても開けられない。

「プシュ」

エアダンパーが利いているのか、静かにハッチが開いた。

「ふむ、これだけじゃ見えないか」

ハッチが開いても、さらに内部にはいくつかのシールドがある。シールドは簡単な爪で留められており、爪をドライバーの先で押さえると、頼りない音を出して外れた。

「突然爆発なんてしないでよね、うわっ」

そっとシールドを取り外す。シールドの裏側に破壊検出のためかセンサーが貼り付けられていて、どきっとする。

「土嚢かなんか積んで作業したくなってきたわ」

いくつかのシールドを取り外すとやっと内部が見えてくる。しかしその内部は見慣れたものではなかった。様々な機器が隙間無く詰め込まれて、見通しが悪い。

「パワーワン、パワーツー、メインコントロール、サブコントロール?、え?どうなってるの?」

内部構造を把握するために基本構造を探していく。だが、あるべきところにものが無く、目の前にどう見ても違うものが収まっている。あせって線を辿りながらシステムを把握するが、その先は隙間の奥に消えていて先が見えない。

「ああ、畜生め」

しばらく悪戦苦闘したものの、ついに唇を噛んで協田は両手を挙げた。その手を挙げるときそのこぶしが少し震えた。

「ジ、エンド」

「え、?」

アガワとソウダが協田の方に目を向ける。相変わらず不機嫌そうな表情を崩さない協田は少し悔しそうに言った。

「あんた達なにもんよ」

「それはどういう意味ですか」

ため息をつく。

「はあ、あなたたち何者って聞いたの」

「それは……」

協田が面倒くさそうに手を振った。

「ああ、わかったわかった、秘密なんでしょ、でもね、この義体はイソジマでもなければギガテックスでもない。はっきり言って見たことない義体ね。これじゃ手を出せない」

「そんな」

「簡単に説明すると、日本での義体のルーツは帝東大−理科研の標準義体から始まってるの」

協田はぎこちなく椅子に腰を下ろした。その手の震えはまだ止まっていない。

「それがなにか…」

かすかな返事に協田はあきらめたような笑みを浮かべる。

「その標準義体をベースにして、ギガテックスが義体を発展させて、さらにその流れはイソジマ電工も汲んでるわ、だから基本的な構成は同じなの。それぞれの部品は天と地ほどに違っていてもね」

「はい」

「でも、あなたたちは違う、少なくとも私が知らない義体構成になってる。これではよほど詳しい技術者でも予想がつけられない」

「そうでしたか」

「………」

「もうどうにもならないのですか?」

「悔しいけど無理、これを逆解析するくらいでないと内部構造はわからない」

アガワとソウダは黙り込んだ。

あと4時間以内であることは間違いない。爆弾の暴発を別にしても、手をつけられないことがはっきりしてしまった今としては敗北感だけが残った。

「………」

「………」

誰も何も話せなかった。しばらくして、ソウダの口から嗚咽が漏れた。

アガワがソウダの体を優しくなでる。

「すまなかった」

ソウダの両手がはっきりわかるように震えた。そして、嗚咽のあとで途切れ途切れにつぶやく。

「いえ、覚悟はしていましたから、でも、くやしい」

「そうだな、初仕事だったのに」

「初仕事?、ふーん」

協田が虚空をにらんだ。片手をポケットに入れ、もう一方の手であごを支える。

二人が協田の顔を見る。その顔は突き放したような顔ではなかった。

やがて心が決まったのか、静かに諭すように口を開いた。

 

「聞いてくれるかな」

「は、はい」

4時間でどこまで出来るかわからない。タイムリミットまではやってみる。そして…」

「はい」

「一人知り合いを呼びたい。私は義体ボディの設計が専門、もちろんある程度は他のこともわかるけど逆解析となると、制御系の専門が必要」

アガワが頭を振った。

「おそらくここも目をつけられているはずです。あなたが非合法義体の修理をやっていることは、少し調べればわかります。現に我々はその情報であなたを頼ってきたわけですから」

「でも、逆解析は莫大な制御系の知識が要る。外部の配線から内部が何をやっているかわかるような人材がね。それは新しいものを作る作業とそんなに変わらない。外部配線と言う条件から、自分ならこのように創るというイメージを描ける人材」

「それで私は聞きたい。外から人を呼んで、発見されるリスク、そして、発見されたときに守り抜くリスク、それを乗り越える覚悟と力量があるかをあなたに訪ねたい」

「………」

アガワは顔をしかめた。想像するだけで恐ろしいほどのリスクであった。常識的にはソウダをそのまま終わらせてしまう方が、あらゆるリスクは小さく治まるだろう。

協田は考え込んでいるアガワを見ながら立ち上がった。

「さて、やるだけはやりますか、連れてくるかどうかはどうかはあなた次第よ。判断は任せるわ、時間がない。すぐに始めよう」

気持ちが決まるともう躊躇しなかった。小振りの工具箱を運んできて、並べ始める。

「ソウダさんだっけ、私は医者じゃないから、生命維持装置の取り扱い資格はない。ちょっと手を入れるけどいいね?」

こくり

ソウダは真剣な顔で頷く。

「よろしい」

仕事場であれば高機能な計測機器も使えるが、自宅には簡単な波形テスターくらいしかない。必要最小限の電子回路を扱うくらいしかできない。それでも

「全く無いよりはマシ」

なのである。この簡単な計測機器一つで、手を出せるところは飛躍的に増える。だが、それも協田の技術があってこそ生きる。

 

もう協田はアガワを意識していなかった。完全に意識の外に置き、目の前の義体に集中している。今まで手がけてきた違法改造義体の中には、想像を絶するほどずさんな改造もあった。必要以上に装甲を強化し、回路や駆動部に負担をかけたもの。よくわからずに機器の一部を取り外し、生命維持装置に支障があったもの。馬鹿な改造組織のせいで不具合を抱えたものはいくらでも見てきたのである。

全体のシステムを見通さなければ、本当は装甲一枚だって取り外すのは難しいのだ。イソジマやギガテックスで設計されている義体は、その時代の技術の限界に近いバランスで設計されている。構成部品は装甲だけでなく、電磁波シールドの役目を持っていたり、構造強度を受け持っていたりする。つまり、何の考えもなく取り外すと、ノイズでコンピュータやセンサが誤動作したり、無理な力がかかって義体の構造が壊れてしまう可能性もある。それを見極めて、改造を施すには、設計者がどのような意図の元に、その設計が行われているかを見極める必要があった。一見どうでも良いような部品でも、外すと思わぬトラブルを起こすのはよくあることなのである。

協田はそっと信号を辿っていく。

「右上腕位置決め信号線、パルス、これが肩のDSP(デジタルシグナルプロセッサ)で結合、ここからは駆動部の信号出力、ここでフィードバック、まとめられてサポートコンピュータに接続」

「これか、爆弾への信号線、SSR(ソリッドステートリレー)からでている。ということはあとから付け加えられたと言うこと?部品番号が削られていてわからない。ローアクティブかハイアクティブか、でもこの線は何?」

 

集中している協田を見つめていたアガワは、協田がメモ用紙に走り書きした名前を見た。

「イソジマ電工開発部2課長、小出、TKXXYYZZZZ

「協田さん」

「ん」

「写真か何かありますか?」

「ごめん、多分無い」

「そうですか、それでは行ってきます」

「よろしく」

素っ気ない返事に、アガワは一瞬だけ敬礼して背を向ける。

「あの、申し訳ありません」

ソウダが気づいて声をかけたとき、アガワはすでに立ち去っていた。

 

一般的な義体と比べると、アガワの義体はどちらかと言えば軽量機に属する。ただ、全てが軽いわけではなく、脚部だけは普通の義体よりも強化された専用機である。強化された足は、高い減速比を持ったギヤを使わずに直接駆動となっている。ギヤを使えば小型アクチュエータでも必要なトルクを出せるのだが応答速度が遅くなる。そのため、ギヤ使用時に相当するトルクを直接出せる大型で強力なアクチュエータが搭載されていた。それは、非常に微妙な歩行コントロールを可能にし、強力なダッシュ力と音を立てない歩行を両立していた。

 

「さて」

隠れて監視できる場所は限られている。協田の部屋を監視でき、さらに狙撃されないような場所でなければならない。敵が狙撃できるような場所にのほほんと突っ立っているのなら、アガワの仕事は楽なものなのだが。

隠れているとしたら車内や近くのビルの明かりが消えた室内、または木陰。こちらに顔を出しているのなら赤外線で見える。生身の追っ手なら体温がよく見えるはずである。まあ、相手が義体者で体温対策をしているのなら、見えにくいのだが、それでも通常の景色を見ているのと同じ程度には見えるわけで、全く見えなくなることはない。

さすがにマンションの入り口だけは通らざるをえない。当然そこを監視している可能性は高く、逆に言えばそこをうまく通れさえすれば、あとは非常に楽になる。

「ロッドカメラ、オン」

腕からごく細い棒状のものが伸びてくる。直径5ミリ程度の赤外線カメラである。

その先端を曲げ、入り口の壁に張り付いたまま、そのカメラをほんの少し外に向けた。こちらから顔を出せば当然発見されてしまう。黒いカメラが見えにくいような暗がりからレンズの大きさの分だけほんのちょっと頭を出す。その映像はそのまま視界に送られてくる。相手はどんな装備なのかわからない。大口径のレンズなら5ミリの小型カメラでさえ発見されてしまうかもしれない。別の方向へ視線を外しているのを祈るだけである。無数のビルの暗い窓、車の中、監視者がいないか慎重に探す。狙撃でやられるのは一瞬である。腕のいい狙撃者なら本人が気づく前に、脳に穴が開いているだろう。

監視者を探すのと同時に、脱出ルートを計画する。脱出して、まず手前の木陰に隠れる。木陰から発見されそうな場所はどこか、どのように隠れるのか、隠れるまでの足の運びと姿勢までシミュレーションする。

「よし」

見える範囲にはそれらしい監視者はいない。監視していないか、いても少ないのかもしれない。どちらにしても見つからないことが最優先だ。見つかってしまえば、アガワがいない間に協田の部屋は強襲されてしまうだろう。そうなったらアガワが人を連れてくるまで保つとは思えない。

「3,2,1,GO

ダッシュの瞬間だけわずかに足音を立てた。そのまま30mほどの距離を駆け抜けて木陰の中へ飛び込む。

 

 

「ずずっ」

ここは小出の実家、自室でコーヒーをすすりながら眠る前のひとときをくつろいでいる時間である。そんな時間にソファに体を横たえながら、技術書を開いているのはご愛敬。女性誌や女性漫画もあることはあるのだが、彼女にとっては同じようなものらしい。

「ん?」

ぴんぽーんとインターホンが鳴った。ぱたぱたと母親の足音が聞こえる。しばらくの間があって、街段を上る足音が聞こえてきた。

「真里子、ちょっときて」

母親が小出を呼んだ。

「なに?」

「アガワさんって方が見えてるんだけど、知り合い?、女の人なんだけど」

小出は頭をひねった。聞いたことがない名前だ。

「んー、覚えてない、誰かしら」

「帰ってもらう?」

「そうね、女の人でしょ、いいわ、会ってみて変なのだったら追い返すから」

「そう?」

心配そうな母親が付いてくる。玄関のドアを開けると精悍な女性の姿があった。ドアの隙間からおずおずと顔を出すと向こうから声をかけられる。

「イソジマ電工開発部2課長の小出さんですか?」

「何の用でしょうか」

ちょっと引きながら聞いてみる。その返事で本人だとわかったのか、相手は声を潜めた。

「協田さんからの使いで来ました。あなたを協田さんの家までお連れするように言われています」

「え?」

「非常に困難な義体修理が行われています、その手助けをして欲しいとのことです」

「協田さんが?」

「はい」

小出はしばらく考えた。協田ならこんな呼び出しもやりかねないとは思った。しかし彼女の家に呼ぶというのには少し不信感があった。義体の修理であれば社でやればよいのである。

「協田さんに連絡してみていい?」

「はい、ただ、連絡は携帯電話かIP電話でお願いします。アナログは盗聴されている可能性がありますので」

「ああ」

盗聴という言葉でぴんと来た。彼女は違法改造義体の面倒をまだ見続けているはずだった。

「わかった、詳しい状況を聞かせて」

小出はサンダルを履いて外に出た。

 

アガワから話を聞くと、小出は協田に連絡を入れた。相変わらず素っ気ないものの言い方をする人間だが、必要最小限の情報はきちんと伝えてきた。慌ててとって返すと、必要と思われる道具をそれほど大きくない手提げに詰め込んだ。目立つような格好は厳禁らしい。

「まったく、お連れするとか言いながら自分はどっかに行っちゃうなんて」

小出は一人で協田のマンションまでの道を急いでいた。こういっては何だが協田の住んでいる辺りは深夜は気味が悪い。不審者が出てきてもどうすることも出来ないような場所である。アガワが付いてきてくれると思っていたから行こうという気にもなったのだが、アガワが去ってしまうと、とたんに不安になっていた。

 

「もうしわけありません、ここからは一人でお願いします。私はまた別の場所に向かわなければなりません」

しばらく同行したアガワは協田のマンションが見えてくると、そういって頭を下げ、次の瞬間には立ち去っていた。

 

「来た?」

「うん、来たみたい」

ビルの屋上に2つの人影があった。

「そんなに頭を出すと気づかれるよ」

「あ、いけない、でもこんなに距離があっても分かるものなの?」

二人はアガワが古びたビルに向かうのを見ていた。視界を考えているのか、ふっと見えなくなって位置を把握するのに苦労する。

「とんでもない凄腕らしいぜ、なにせ海外諜報部で数々の実績を上げ続けてるらしい」

「大先輩か、助けの必要あるのかな」

「隊長によるとかなりのピンチらしい、でも今のままじゃ私達も敵と見られて蜂の巣だ」

「わかった、でも仲間なのにIFF(敵味方識別装置)も効かないなんてね」

「今隊長がIFFのコードを問い合わせているはずだ、問い合わせなのかハッキングしてるのか知らないけど」

アガワの気配が無くなった。相手の動きがわからないときが一番恐ろしい。麻薬密輸の容疑者と見られる見張りはたいして警戒していないのか動きが丸わかりだが、アガワがどこに隠れたかわからない。突然背後に現れて銃を向けられそうな恐怖がなかなか消えない。

「………」

「びくっ」

敵よりもアガワの方が恐ろしかった。ほんのわずかの物音が響くたびに、心臓が止まるような思いがする。

「別働隊の状況は?」

「敵国の関係するアジトを片っ端から調べてるはず、もともと麻薬の密輸でブラックリスト入りしてたから、主要なところは網羅しているはずだけど」

「始まったら片っ端から逮捕ですね」

「ああ、実働部隊を逮捕できれば、一気に芋づる式に検挙できる」

 

「ここでいいか」

ある人気のない建物を背景にしてつぶやいた。このビルなら、連れが隠れていると思わせるのにふさわしいだろう。そうして、いかにもここで仲間を守っていると錯覚させればいいのである。

そのビルはソウダが狙撃された場所からそう離れていない。ひとり血祭りに上げればここに集まってくるに違いない。

つまりは陽動作戦である。なんとしてでも修理中の協田の家に敵を行かせてはならなかった。ここに隠れていると思わせて派手に戦い、敵をここに集めればいいのである。ただし陽動作戦と見抜かれてはならない。そのため、あくまでも見つからないように敵を倒すことが必要になる。

すでに最初の相手は見つけていた。狙撃可能な場所へ静かに移動する。

服の下に下げていた拳銃に、長距離狙撃用のバレルを取り付け、強装弾を装填する。

普通バレルを変えると照準がずれる。アガワはバレルの癖をかなり精密に記録していた。だが、それで試射もせずに正確に弾着するかはある程度運任せでもある。

「サイトコントロール」

腹ばいになり、両肘を地面につけ、右手で銃を構え、左手で手首を固定する。これで三角形に固定される。そもそも義体は射撃で百発百中になるほど精密な制御は出来ない。もちろん必要最小限の訓練しか受けていないような人間よりは遙かにマシではある。しかし、非常に熟練した狙撃手と比べれば、まだまだ精度は足りなかった。

だいたい、腕をまっすぐ前に出した状態で、そのまま銃を持てば5ミリくらいは下がってしまうのである。それで照準を合わせたつもりで撃てばろくな結果にはならない。実際にはその変位を見越して少し上に向けて射撃することになる。腕のような多関節型のアームはどうしてもたわむことから、構造上精度は高くなかった。

地につけた肘を支点にして、出来るだけ動かないように固定する。長距離の狙撃にはそれだけ精度がいる。

照準用に設計された手首のアクチュエータが、日常生活モードから照準モードにかわり、動きの精度を高める。

 

「………」

今から文字通り殺し合いの引き金を引くことになる。今サイトに浮かぶ人影を狙撃すれば、失敗すればもちろんのこと、成功しても連絡が付かないことに気づいた仲間がここに集まってくることになるだろう。

この戦いの基本は各個撃破、相手が生身であってもそれなりの手練れであればそう簡単に倒すことなど出来はしない。まして装甲まで装備した義体者なら互角が普通。せいぜい準備してもわずかに有利というだけのことである。二人を一度に相手することになれば、アガワの死はほぼ確実であろう。

しかしゆっくりすることは出来なかった。小出と別れてまで、先に始めるのは小出の監視を反らすためである。小出が監視者の目にとまり、協田の家に目をつけられてはならないのである。

「大丈夫、きっと今度もうまくいく」

意識がかすむほど、敵との戦いを考える。どこから現れるか、戦いになったらどこに身を潜め、どのように狙撃するか。複数現れた場合はどこに撤退するか………そして、負けが決定したときに自らを葬るのはどのような場合か………

頭脳の中に考えられる限りの選択肢を描き、その全てを辿ってみる。どうしても偶然の要素を消し去ることは出来ない。否、常に流動する状況ではあらかじめ予測しておく方が間違いなのかもしれない。しかし出来うる限り偶然の可能性を減らし、出来うる限りの対策を考慮しておくことこそが、生存の可能性を高める。

GO?NOGO?

自分に問いかける。一瞬あらゆる映像が脳裏を駆け巡った。いくつもの選択肢がGONOGOで埋め尽くされる。最終的にGOの割合が多いと確信したアガワは決断する。

 

GO!」

アガワは引き金を引き絞った。このサイズの拳銃にしては強すぎる反動が拳銃を大きく跳ね上げさせる。押さえるのは引き絞る時の一瞬だけでよい。むしろ反動を脱がすためにある程度力を抜かなくてはならない。

敵の監視者が潜んでいた窓が白く粉々に飛び散った。残念ながら成果があったかどうかはわからないが、アガワを探しに来るであろう仲間を狙撃できる場所へ駆け抜ける。

「チッ」

どこかで遊底を引く気配がする。そのくらいは予測の範囲内である。車の影に飛び込みざま、音の方へ撃ち込んだ。

「反撃無し、くそっ」

正確に狙ってもいないのに当たるなどとは思っていない。撃ち込むことによって隙を作らせたのである。しかし反撃もしなければ反応もしない。それは隙を作らない、つまり相当な腕であることを意味する。そうなればかなり手こずることになる。

そんな相手とは距離を取らなければならなかった。いずれ集まってくる敵にも備えなければならない。狙撃者の位置と新たに現れる敵の位置から撤退場所を決める。

「!」

不意に視界を照らすものがある。それはすばやく辺りを照らして、一回りすると消えた。

「赤外線サーチライト?」

赤外線は人間には見えない。だがアガワの視覚センサは赤外線を見ることが出来る。こういう仕事ではどちらかと言えば当たり前の仕様に過ぎない。敵は赤外線サーチライトで辺りを照らした。それはわずかな時間の点灯であったが日常的には赤外線を見ていないと言うこと。つまり生身だ。そして、赤外線暗視装置を使っているであろうこともわかる。倒せるものなら新手が現れる前に倒しておく方が都合がいい。

「それなら」

アガワは不意に車の影から飛び出す。おそらくこちらを凝視しているであろう相手に発光手榴弾を投げつける。

鋭い破裂音と共に激しい光が辺りを刺した。

「ぱしゅっ」

おそらく暗視装置が見えなくなって、予測で射撃している。耳元をかすめる風切り音が相手の場所を示した。

「この」

予測した場所に数発を撃ち込む。そのまま相手に肉薄して銃を向けた。だが目の前に現れたのは小銃。拳銃ではない。

「しまった」

とっさに右足を一杯に蹴って銃口を避ける。拳銃なら1発、多くてもせいぜい2〜3発だが、小銃では連続して打ち出せる弾の数が違う。

アガワは小銃の先にある狙撃者に銃を向けた。いまだ跳んでいるアガワの体を小銃の弾が掠める。それと同時にアガワの拳銃も火を噴く。一度、二度、三度。しかし腹部に激しい衝撃が当たった。そのままアガワは地に落ちてバウンドする。

何度か転がって何とか立て直そうとする。警告が出るのは当然だが、今は動ける部分がどこかわかればそれでいい。

「一人目射殺」

頭が飛び散った敵を凝視して静かにつぶやく。まだ長い戦いの始まりでしかない。アガワの腹部から背中にかけて小銃弾が貫通し、バッテリーの一つが動作不能になっている。まだ始まったばかりだというのに、この負傷の影響は大きかった。

 

「突然呼びつけないでよね」

ドアを開けたとたんに飛び出してきた言葉がこれであった。協田は苦笑して小出を迎え入れた。アガワがいない今、この家は殆ど無防備である。何度ものぞき窓をのぞいて、恐怖を感じながら慎重に鍵を開けた緊張感と比べて、あまりにも平和な文句は協田の緊張をゆるめる作用しかなかった。

「まあまあ、文句はあとで聞くから、すぐ掛かれる?」

ちょっとした外出の時にでも使うような布の手提げ袋、小出の自宅には計測機器などないから、とりあえず他社や外国の義体の情報が載っている技術雑誌や資料を詰め込んである。その中身を開いてみせると、手提げごと協田に渡した。

「とりあえず今あるのはこれだけ。小さい情報なら他の本にもあるかもしれないけど、ある程度ちゃんと書かれているのだけ持ってきた」

「使えそう?」

「わかんない、それより患者さんを見せてもらっていい?」

「こっち」

協田はダイニングのドアを開けた。ソウダが体をねじらせてこちらを見ていた。

「彼女が例の義体者、あなたと一緒だったアガワさんも多分同型義体」

「あ、どうも初めまして、イソジマ電工の小出です」

小出がいつもの癖で患者さんに頭を下げる。これはケアサポーター、営業、技術者を問わず、イソジマ電工に入社したときに絶対にたたき込まれる項目の一つである。

「ど、どうも」

ソウダもそれを受けて頭を下げた。

「えー今から患者さんの内部構造を拝見させていただきます。よろしいですか?」

「時間がない、早くして」

いらいらした協田が小出を引っ張った。小出はソウダに頭を下げると義体に向かう。

「どう、わかる?」

小出は指先で配線を辿っていく。いくつかの配線の先が大きめの基盤に繋がっているのをみて、小出の目つきが変わった。

「ここまではアナログ、カレントミラー、このシールドの下がアンプとADCか、ここから先がデジタル、ああ、この基盤が丸ごとI/Oなんだ」

「こっちはコンピュータよね」

「うん、ちょっとマジック貸して、あと紙と鉛筆も」

仕事部屋に戻って筆記用具を取ってくる。

小出は殆ど何も書いていない基盤に、A,B,Cと書き込んでいく。

「ちょっと見てみる」

ICの型番がわからなくても、電源ピンやアナログピン、デジタルピンの区別くらいは見ればわかる。シールドが施され、慎重に接続されているのはアナログ信号線だ。クロックが供給されているのはパラレルデジタルからシリアルデジタルへ変更するためのICだろう。義体の中では大量の配線を引き回すことが出来ない。複数の信号線は可能な限り一本の複合シリアル線にまとめられ配線の増大を防ぐ。

「結構アナログのまま引いてるのね」

メモを取りながら小出が基盤に印をつけていく。

アナログ信号は他の信号線などのノイズの影響を受けやすい。そのため、小出が関わった義体ではアナログセンサの信号は出来るだけ近くでデジタル変換され、シリアルメタリックや光ファイバーでサポートコンピュータに送られるようになっている。

Aが胴体部I/O、たぶん殆どがInput、脳のサポートコンピュータに相当するものは頭にあるのかな。Bが身体制御用コンピュータと信号変換関係と思う」

「ここから爆弾の信号線が出ているわ」

「ホット?」

「多分ホット、うかつにテスター当てないでね。インピーダンスが高かったら信号が暴れてドッカン行っちゃうかもしれない」

「うん………いや、高いはず無いわ」

小出は基盤を見ながらつぶやいた。その言葉に協田が反応した。

「なんでそうわかるの?」

「うん、だって自爆装置よ、ノイズ拾って爆発したら死ぬの、そんな重要な回路がノイズを拾いやすくなっているはずなんかない」

「馬鹿な設計者が馬鹿な設計する可能性もあるわ、だいたい自爆装置つけるなんてすでに馬鹿げたことでしょう」

「うん、それは否定しない。でも私の所見からすると、これは多分試作に近い少量生産、それもかなり丁寧に作られてる。出来る範囲で精一杯頑健に作られているように見える。あ、そうだ、私が持ってきた“義体技術”の8月号の特集を開いてみて、EUの義体解説が載っていたはず」

「これね」

手提げの中から一冊の雑誌を取り出す。協田自身も社では目を通したことがあるはずだった。

「ブロック図しか載っていないと思うけど、近いブロック図があったと思う、ポイントはInputOutputが分かれていること。脳サポートコンピュータだけじゃなく、腹部に制御サポートコンピュータがあること」

「これかしら」

「みせて」

協田は雑誌を開いたまま小出に渡した。

「ドイツMCH、うん多分これに近い、でもそうするとこのパワーデバイスの組み方が変なんだよね」

「ふふ、それはわかる。あとから改造するときの定番でよくあること」

協田がにやりとした。

「簡単に言えば熱対策よ」

「熱?」

「ええ、このデバイスの上に放熱板が付く。この機体は水冷だけど、ここで熱対策をやるのは同じ」

「うん」

「ほら、大出力の足のパワーコントローラが場所取っているでしょ、これは熱を平均化するためよ」

「そういうことか」

「そう、発熱の高いデバイスと発熱の小さいデバイスが交互に並んでいるの。熱を平均化しないとあとでダメになる。あとから取り付けるときもそれを考慮しないと肝心なときに使えない義体になる」

「なるほど、じゃドイツ系でいいのかな」

「うーん」

協田は少し考え込んだ。ドイツ系と言い切っていいものなのかどうかわからない。義体の構造そのものは日本製の雰囲気が強い。場所によっては日本のXX社の部品と言い切れるところもある。

「ドイツMCHなら国の工業技術総合研究所がつるんでいるかもね、あそこよくドイツといろいろやってるから」

「それだ」

当たり前のようにつぶやいた小出の一言に、協田は驚いた。それならつじつまが合う。

「よし、だいたい構造つかんだ、爆弾の信号線は観測出来るよ」

「わかった、爆弾の信号線を調べてみましょう」

「了解」

 

「これが電源で、これがGND(グラウンド)なのはわかった。あとの3本が鍵よね」

「これはアナログだから、爆弾が解体されたかどうかを調べるセンシングラインだと思うんだけど」

「つまり抜いたら?」

「どっかん」

間髪入れずに答える小出に、協田がうんざりする。

「特にやっかいなのがこれ、この線はコンピュータから一本ずつ出てる。しかもシリアル」

「どういうこと?」

「多分爆弾内部にもマイコンかなにか入ってる。暗号か何か送られてるんじゃないかしら」

「暗号が違っていたり暗号が送られてこなくなるとドッカンか…」

「多分ね」

「代わりの暗号を送れない?」

「わからないけど無理っぽい。テスタで波形見る限りでは暗号は毎回変わってる。何か法則性があるんでしょう、ソフトウェアを解析すれば何とかなるかもしれないけど。解析する時間ないでしょ」

「そうね」

協田はため息をついた。

 

 

「きたか」

ある間隔を置いて行われる定時連絡、その定時連絡がなかったり、応答しなかったりすれば、それを確認するためにやってくるのは当然である。

二人を始末してから10分余り。敵も気配を殺しているのだろうが、人気のないビルの一角から、センサの感度を最大限に高めているアガワにはその気配はむしろわかりやすいものだった。

「やっかいだな」

最初に現れた2名、さらに2名が現れた。計4名、彼らの動きからはまだ待っている人間がいそうな気配である。

「全員始末することになるのか…」

考えて見れば、今回の仕事は一つのミスから始まった。アガワとソウダの仕事は、諜報を司るある敵国の高官を暗殺することであった。その高官の私生活を調べ、ソウダが高官の身辺に近づいた。だが、ソウダが外と連絡を取っていることに気づかれたのである。そのため急いで脱出したのだが、その高官はソウダの背景を探るため追っ手を差し向けてきた。今更ながら日本ではなく友好国に逃げ出すべきであった。そうすれば背景の組織が割れる危険は大きく減っただろう。しかし、実際の脱出のためのルートはすでに日本へのルートで組んでおり、早急に脱出するためにはそのルートを使わざるをえなかった。そのため、絶対に証拠を向こうに握らせてはならなかったのである。

「いざというときは使うかもね」

自爆装置の操作手順を確認する。いまどき自白や精神誘導の手法などいくらでもある。正直言って拘束されたあとで、完全に秘密を守れる自信など無い。気が狂うまで、いや気が狂ったあとも生きている限り拷問じみたことをされる可能性もあれば、コンピュータを解析される可能性もある。心が壊れれば簡単に自分からしゃべってしまうかもしれない。そう考えると、敵に捕まる前に自爆できるのはむしろありがたいことである。

「何人かサイボーグがいる」

たとえ彼らに日本国内に協力者がいるとしても、普通手に入るのはせいぜい拳銃止まりのはずだった。しかし何人かは軍隊で使用するレベルの小銃を持っていた。これは密輸ができるテロ組織がすでに国内に入り込んでいることを意味する。

敵は6人に増えていた。彼らは近くを手分けして探し回っている。やがてここにもやってくるだろう。手分けしているのは幸いである。最初の一人は注意していれば十分に倒せるだろう。だか、そのあとはこちらの場所が割れる。そうなると複数がチームを組む。そして、もう隙は見せてくれないだろう。

「くるか」

一人が小銃を抱えたまま、アガワのビルを見上げる。アガワは中で、男が動くのを待った。やがて男は歩き出す。

「ひゅっ」

廊下に入り、一つの部屋をのぞこうとしたところで、出てきた頭をひょいとつかんだ。声を出す前に首を絞める。

「ぐぶ」

男が事切れるまえに、小銃をつかむ。そのまま自分の獲物にすることも考えられるが、どのように設定しているのかわからない。また絶対に弾が出るかはよく確認しないとわからない。いざというときには使えない。

銃弾を取り外したいが、そうすると音を立ててしまう。そのまま男の遺体の横に置いた。残り5人。

 

アガワの拳銃は8発、隠れている間に再装填している。倒した男に気づく前にこちらから反撃に出る方が有利である。だが5名を同時に相手にするのは難しい。

それぞれの敵の動きを見て、都合の良い位置へ歩くのをじっと待つ。二人は別のビルへ、一人は最初に倒した遺体を見ている。ゆっくり歩いて周囲を警戒している二人がターゲット。その一人が路地の裏に消えた。

「3、2、1」

アガワの銃が火を噴いた。ターゲットから火花と服の切れ端が宙に舞う。

「装甲義体か?」

火花が散るのは、それだけ目標が堅い証拠である。一瞬姿勢を崩した敵は、すぐさま体を低くして銃を構える。

「くっ」

3方からアガワに向かって銃弾が跳んだ。

第一撃が失敗した以上そのまま隠れることは出来ない。銃弾の跳ぶ中、ビルの死角を駆け抜ける。

「ううっ」

アガワの目の前に小銃の弾がばらまかれ、砕かれたコンクリートのかけらと火花が壁を作った。銃撃の止まった一瞬の隙を突いて、敵に向かって撃ち込む。

ほぼ同時に、パン、と言う乾いた音がアガワの胸を抉った。

「ぐはっ」

何かが割れる音でもなければ、曲がる音でもない。ただ一瞬の衝撃がアガワを吹き飛ばす。

胸は重要な部分であると同時に装甲が施されているところでもある。だが、強力な弾をただ一度受けただけで、ほぼ装甲としての機能を失った。

「このお」

まだ、義体としての機能は停止していない。装甲が破壊されただけ。だがもう次はない。常に位置を変え駆け抜けながら、再度引き金を引いた。悲鳴と共に途切れなく打ち出される小銃弾が空へ逸れた。あと4人。

いったん距離を置く。向こうも警戒しているだろうが、それでも稼げる時間はそう長くもない。

「もう無理か?」

拳銃にさらに弾を再装填。だが4人を相手にするのは絶望的だった。しかもサイボーグ体はまだ倒せていない。

「どうするか」

考える。考える。

「ふ」

拳銃で倒せる相手でないことは先ほどはっきりした。何とかして、近接格闘戦に持ち込み、相手の懐に飛び込んで直接倒すしかないのだ。アガワの強さはそこにあった。近接格闘戦はどこでもあまり重視されていない。そのため相手にとっての死角となる場合が多い。

だが、それが出来るのは一対一の場合。何とかして減らしていくしかない。

「行くぞ」

士気を鼓舞するように自分につぶやいた。格闘戦に持ち込めば何発かは食らうだろう。それが先ほど壊れた装甲板でないことを祈るだけだ。正確に駆け抜け、首を狙うタイミングを計る。

「なに?」

敵の一人から悲鳴が上がった。こちらに集中していた敵が散開する。

「IFF(敵味方識別装置)をオンにして、ちょっとお手伝いするよ」

不意に義体に無線が入ってきた。

 

 

「爆弾に入っている信号線を整理するわね」

「うん」

VddGND、アナログトリガ、シリアル信号、あと一本は不明」

「考えられる爆発局面は、自爆、死亡、解体」

「解体がやっかいよね」

「どう解体されるかわからないから」

「脳側と腹側のサポコンはバスで繋がってる。解析は無理」

「やっぱり爆弾そのものを処理するしか無いのかしら」

「腹側のサポコンの不明信号は辿れる?」

「辿れるけどすぐにコンピュータに入ってる。処理しようがない」

「うーむ」

二人は矢継ぎ早に信号をまとめていく。時間がかかるが結局構造を解析しなければいつまでも手段は見えてこない。

 

「まったくやっかいよね、どうやっても解除する方法が見つからない」

「うーん、ちょっとタオル貸して」

小出が水で冷やして絞ったタオルを目の上にのせる。じっと回路を見続けたせいで、視界がくらくらする。冷えたタオルが充血した目を心地よく冷やした。

「最悪脳だけ持って逃げ出したいくらいだわ」

「残念だけど無理、脳はずした瞬間にドッカンね」

「わかっているわよ」

もう時間が残り少なくなっている。苦労しているのにこともなげにドッカンなんて言う小出に協田はいらいらしていた。

「配線だけ残して他は全部切り離して、最後に配線を切り離して脳みそ一式抱えてダッシュするというのは?」

「原始的だけど、あなたダッシュできる?」

「自信ない」

「でしょうね」

協田は肩をすくめた。

「あ」

「今度は何よ」

「配線を張り替えて伸ばす、うん、10メートルくらい伸ばして、そこで切り離す」

10メートル×5本、50メートルの配線は」

「あ、そっか、………じゃない、ある」

「どこに?」

小出は協田の家の中を見回した。

「探してくる」

「ちょ、ちょっとどこに行くのよ」

まだ目の疲れは消えていない。目をこすりながらふらふらと小出は家の中をうろつき始める。

2本はあった、他には」

「あーそういうことね」

小出が持ってきたのは古くさい卓上の蛍光灯だった。その中には安定器というコイルが入っている。最近の蛍光灯はインバータ式なのでコイルは余り入っていない。

「やっぱりね」

いやな予感がして見に行くと、今度は協田秘蔵の高級ステレオセットを物色していた。高級メインアンプには巨大なトランスがごっそり入っている。

「わかったわよ、あとで報酬しっかりもらわなきゃ…もう」

高級メインアンプはずっしりと重い。音質を追求するアンプには、電源を安定化させるための高品質なトランスを使用している。うまくばらせば、これだけで必要とする電線を確保出来るはずだ。

「時間がないわ、急いで」

「わかった」

小出がメインアンプを分解し始めた。だが、以外と作業が遅い。

「ああ、もう、ドライバ貸して、私がするから」

小出はイソジマ電工で彼女の仕事の範囲の作業を行うだけだが、違法改造義体をやっていた協田は事実上何でも出来ないとやっていけなかった。メインアンプの分解にしても、協田は手際よく進めることが出来る。

たちまちカバーをはずし、トランスを取り出した。コイルと鋼鉄の固まりであるこの部品は、片手で持ち上げられないほどずっしりと重い。

「これは、こうすればいいか」

取り出したトランスのねじをはずし、鋼鉄の固まりの一角を金槌で力一杯叩く。ねじが取り外されて、かろうじて樹脂で付いていた鋼鉄の固まりは、その一撃であっさりと剥がれた。そのあとからコイルの巻かれたボビンが顔を出す。

「線は私が用意するから、爆弾の取り外しの用意を」

「わかった」

小出がソウダの爆弾の作業を始める。

 

「切れたらおしまいよ」

「わかってるったら」

協田は殆ど使ったことがない半田ごてで、爆弾の配線を繋いだまま、新たに長い線をつなぎ直す。腹部コンピュータから出てきた爆弾への配線に新たに長い配線を繋いで、繋がったことを確認してから、短い線を切り離すのだ。そうすれば、爆弾だけを線の長さ分だけ遠くに置くことが出来る。

「ふーっ、ふーっ」

間違えて別の線に繋いだらどうなるかは想像したくない。それどころか、長い配線が接触しただけで、瞬間的には信号が乱れるのである。多くの場合瞬間的に信号が乱れても補正する機能があるのが普通である。しかしソウダのシステムがそうなっているかはまるで保証がない。

「小出さんは向こうの部屋にいていいわよ」

額に玉の汗を浮かべて、協田が言った。だが、小出は協田の汗を拭きながら文句を言う。

「一人で出来ると思わないでよね、こっちだってソウダさんを見ているんだからね」

「ふ」

協田は小さく息を漏らすと、また集中した。独り言のようにソウダに話しかける。

「もうすこしよ、大丈夫だから」

「はい」

ソウダはじっと仰向けになって耐えている。食いしばった口元がかすかに震えている彼女の心中はどういうものなのだろうか。

手先を篩わせながら、半田付けを進めていく協田。取り付けた配線のハンダが固まって、接続されていることを確認すると小さく息をつく。

「できた」

「ご苦労様」

「信号確認」

「了解」

小出が配線に流れる信号を確認する。新たに取り付けられた10メートルあまりの導線。その線に同じ信号が流れているのを確認すると、小出は大きく頷いた。

「よし、取りだそう…いいね」

小出もソウダも息を詰めてうなずいた。それを見た協田もうなずき返して手元に視線を戻す。

「失敗したらごめんね」

「いえ、よろしく」

ソウダが目を閉じ、両手を握り締める。

「小出、配線を見てて、引っ張ったり抜けたりしないように」

「わかった」

爆弾を抑えている構造材や金具を無理がないようにはずしていく。装甲版を緩め、ネジをはずし、配線を寄せる。やがて爆弾はただそっとそこに収まっているだけの存在になる。 

爆弾に変な衝撃を加えないように両側の隙間にそっと指を入れる。指を完全に入れるには隙間が足りない。そっと力を入れると爆弾のケースがわずかに変形した。外側は薄いプラスチックのようで、以外と柔らかい。

「はあ」

手が汗でじっとりと濡れた。滑って落とさないようにゆっくりと掴み上げて、底に手を添える。

「大丈夫?」

「話しかけないで」

協田は万が一にも汗で滑り落ちないように、左腕全体で抱えるようにして、指の先を爆弾の凹凸に添って抱えた。

すこし手が震える。ふるふると揺れながら、爆弾はソウダの体内から取り出されていく。

「取れた」

「うん」

長い配線が横に伸び、本来の配線が引っ張られてぴんと張った。もう、協田も小出も、そしてソウダも爆弾から目を離さない。協田の右手のニッパーが古い配線を挟んだ。

「切るよ」

「うん」

ほんのちょっと間があった。しかし、協田は小さく頷くと。その線を力強く切断した。

 

「下は?」

「空き屋、上下左右空き屋だから気にしなくていいわ」

「消防来ない?」

「爆発の程度によっては来るかもね、むしろ警察かな、来るのは」

「大変じゃないの」

「たいしたことないわよ、事情話して、場合によっては何日か留置場でお泊まりするだけのことよ」

「そんな」

長い配線で繋いだ爆弾をそっとベランダまで運び出す。配線を切らないように注意しながら、外にぶら下げてそろそろと降ろした。

「いいかな」

「いいんじゃない」

「いまのうちに言っておく、爆弾を始末したら、ソウダさんも小出さんもすぐにこのうちを出ること、いいね」

協田は爆弾を降ろしながら二人に言った。

「いやだ」

「ソウダさんは秘密の仕事があるんでしょ、すぐに脱出すること」

「は、はい、でも」

「でもは無し、多分アガワさんはいろいろやってるはず、こちらの始末はそれが終わってから考えなさい」

「は、わ、わかりました、申し訳ありません」

「よろしい」

「小出、あんたもさっさと帰れ、たまってる仕事あるでしょ、そうだ、私がおつとめしている間、私の分の仕事も片付けていてくれると助かる」

不機嫌だった小出が、協田の目をのぞき込む。しばらくじっとみて、ふっと表情をゆるめた。

「わかった、やっとく、でもそのまま退社は無しだぞ」

「それは古堅部長に言って」

「部長にはわたしから説得しておくね」

「ありがと」

爆弾はベランダのコンクリートの向こう側にぶら下がっている。

「それじゃやろう」

「うん」

「ほら」

協田はニッパーを小出に投げた。

「わわっ」

鋭い先端が小出に刺さりそうになる。

「まったく、もう少し渡しようがあるでしょ」

ぶつぶつ文句を言いながら、配線の一本を取った。もうだれも言葉を交わさない。

「………」

小出がニッパーに力を込める。その直後、激しい爆発が起こった。

 

 

アガワがIFFをオンにする。近距離通信装置がいくつかの暗号化済みの信号をやりとりして、味方を識別する。

「本当に味方なの?」

「それを聞いている余裕がある?」

身軽に小屋の屋根から飛び降りてきた女性はそういって、再び飛び上がる。

「いや、信じるわ」

「コードネームは私がツクモ、相棒がユリでよろしく」

「アガワ、了解」

敵味方識別装置(IFF)はハッキングされにくいように、かなり高度の暗号で通信する。その暗号での通信が可能であるのなら、味方であると信じても良いだろう。そもそも、関係者でなければアガワの設定では通常会話すら繋がらないはずなのである。

アガワが再び、走り出した。

「敵がこちらに来ました。逮捕します」

ユリと表示された人影が建物の影から現れる。白い服に薄いグレーの髪。そしてアガワの目に映し出される味方の表示。雪を思わせる女性は、そっと向かってくる敵に対して銃を構えた。

鋭い銃声が響く。

いくつかの弾がユリをかすめた。だが、彼女は目を細くしたまま、身じろぎもせずに、正確に射撃を続ける。彼女の目前で赤い霧が広がった。だが、二人のサイボーグ体は当たっているはずの銃弾を気にもせずにユリに迫る。

「あぶない」

アガワがとっさに走り出す。パワーにものを言わせた加速は人の速度ではない。加速しながら、サイボーグ体に銃を構えた。

「え?、早い」

ツクモと名乗った義体者はアガワよりも早かった。速度が上がると足音が独特の風切り音に変わり、次の瞬間には敵の上へ飛び上がっていく。敵のサイボーグ体の頭上から、銃弾が降り注いだ。ひるんだ一瞬の間を付いて、ツクモが、屋根の上から飛び降りざま敵の頭を蹴り飛ばした。

「奴には銃が効かない、気をつけろ」

銃を構えていた二人はそれを聞いて、あとに下がる。敵2体のサイボーグ体と二人が対峙する形になる。

「こっちにもいるぞ」

二人のサイボーグ体を3人で囲む。新手を警戒していた敵は、たいしたことはないと判断したのか、再び走り出した。

「近接格闘戦」

相手の銃はこちらを倒すことが出来る。こちらの銃は相手には効かない。

身軽なツクモはアガワより早いかもしれないが、加速ならそう負ける相手はいない。銃弾をかいくぐって一人の敵に体当たりする。振り払おうとした敵の銃が顔にめり込んだ。

「がつん」

目に近いところに当たり、一瞬ブラックアウトする。しかし擬似的な痛み以外には何もない。抱きついたような姿勢になりながら、そのまま脇の下に手を入れて足を掛けた。体を密着させて重心を崩し、動くべき方向に足を出す。その足を払った瞬間、敵とアガワは一瞬空中を跳んで地面に転がった。

転がるタイミングを見越して、そのまま相手の体の上に乗る。それと同時に片腕を関節技で決めた。

ゴキリという不気味な感触で敵の肩が変形した。そのまま容赦なく曲げて、そのまま破壊する。

「くっ」

もう一つの手が、恐ろしいほどの力でアガワを締め上げる。アガワの重量は敵より遙かに軽い。

「新藤五国光」

隠し持っていた短刀を取り出す。これは格闘戦の時の最後の武器だった。鞘を抜くと銘のある白刃が現れる。

「やあっ」

アガワを締め上げていたもう一つの腕に切りつけた。外部装甲板を切り裂いた白刃は何層か下の鉄の層で止まった。敵がその刃を横から叩き折ろうとする。アガワの顔の前に風が舞った。紙一重の差でその攻撃をかわしたアガワは、今度は胸の真ん中へ気合いを入れて打ち込む。

「中打ち!」

真っ直ぐに胸の真ん中へ差し込まれた白刃は、何層にもなる装甲板を貫いた。全身全霊の気合いは、その白刃を根本まで叩き込む。

「!」

敵が激しい悲鳴を上げた。アガワは敵にとどめを刺すために再び短刀を振り上げる。

「ずしゅっ」

次の瞬間、短刀は敵の首を切り裂いていた。

 

「ぐはっ!!」

短刀を首から抜いた瞬間に、アガワの体に2発の銃弾がめり込んだ。それは二人の味方が相手にしていたもう一つのサイボーグからであった。ツクモとユリ、その二人はいくらかの損傷を負っていながら、必死でそのサイボーグを押さえ込もうとしている。

「しまった」

いくつもの警告が流れ出す。その中には稼働不能を示すものがいくつかあった。その中には義体を制御するための機器も含まれている。力技の格闘戦はもう難しい。

ユリが全力でサイボーグを押さえつけている。かなり彼女のパワーは高いようだが、大柄の男性タイプと小柄の女性タイプでは、力の差ははっきりしている。それをツクモが助けて、なんとか敵の動きを止めているのである。

アガワは短刀をしっかりと握って立ち上がった。大出力のモーターを制御する装置に支障が生じている。すでにいくつかの素子が動かなくなっており、かろうじて歩けるだけだった。力の全く入らない左肘、変な状態で固着している足首、ぎくしゃくした状態で敵に向かって歩き続ける。

「早くやって」

ユリが振り回されている。ツクモは敵の足にとりついて蹴り飛ばされた。

「このお」

蹴り飛ばされた反動を利用してツクモが空を舞い、再び蹴りを入れる。ツクモの疾風はユリへの攻撃を許さない。しかし、わずかの隙を突かれて、ユリに小銃の床が叩き込まれた。その銃床はまともに彼女の胸をえぐった。

「げふっ」

そのまま崩れ落ちるユリ。敵の足下にうずくまり、力なくうつぶせに倒れる。

「しまった、やらせるか」

再び疾風が敵を襲う。だが、ツクモは空中で打ち払われ、地面に激しくぶつかった。動けなくなったユリの頭に、小銃の銃口が当てられる。

「逃げろ」

それを見たツクモは、脳震盪でも起こしたのか、片目をつぶりふらふらの姿勢のまま敵に突進しながら叫んだ。だが、間に合わない。

「うふふ」

まさに引き金が引かれようとした瞬間、機械の腕が自らの頭に据えられている銃身をがっしりとつかむ。

「ただじゃやられない」

銃身を握りしめたままつぶやいた。ユリの腕はその銃身をぎりぎりと頭からはずしていく。

銃声が響いた。頭のすぐ脇に小さな穴が開く。飛び散ったアスファルトは人工皮膚に穴を開け、グレーの髪の一部を削った。

「ガッ」

敵がユリを蹴り飛ばす。二度、三度、破壊するような勢いで蹴り上げられるたびにからだが上下に撥ねる。

激しい蹴りにも、ユリは銃身を話さなかった。ぼろ切れのように動けなくなっても、銃身を持つ右腕だけは鋼のように硬い。

アガワはそれを見ながら、一歩ずつ歩いていた。損傷を負った制御装置、どんな動きなら可能なのか、どのように戦うべきなのか。敵、そして自らの体をじっと観察している。

「こちらの相手をしてもらおうか」

右手で短刀を握ったアガワは、ユリを蹴り続ける敵に殺気を向ける。

アガワに気づいた敵は、ユリの腕をかかとで踏み折った。

「くっ」

うつぶせになったまま小さく声を上げる。だが顔を上げる力すら残っていない。

ツクモがユリを庇い、肩を抱えて撤退する。

敵が銃を持ち上げる。ユリの折れた腕が力を無くし、銃から離れて落ちた。どさっと落ちた腕が、一度撥ねて転がる。

敵はかなりの手練れらしい。これほどの殺気を示せば、一度撤退して体制を整え直すことを考えるものだが、アガワの挑発に正面から対峙する。隊長クラスなのだろうか。距離は5メートルほど。今のアガワでは相手を自分の間合いに入れることはかなり難しい。

「いくぞ」

裂帛の気合いと共にアガワは突進した。小銃が火を噴く。重低音の轟音がアガワを包み、いくつかの銃弾が突き抜けた。

肩に当たった銃弾がアガワの姿勢を崩す。だが、アガワはその衝撃すらも利用して体をなめらかにねじり、その衝撃を短刀の叩きつける力に変える。

「やあっ」

叩きつける短刀が銃身で受け止められる。激しく火花を散らした短刀は、小銃の照準器を削った。

短刀の刃先が逸れる。その力を失わないように手首を回転させ、間合いの空いた瞬間に、再び刃先を向けて、今度は真っすくに突き込んだ。

「ずしゅ」

堅い装甲が刃先に当たる。銃弾を止めるだけの装甲は、残った腕の力だけでは切り開けない。叩き降ろそうとする銃身を避け、素早く抜き取って、今度は敵の喉に向けて突き出した。

「ガン」

振り払う敵の腕がアガワの脇腹に食い込む。体を持って行かれそうになりながら、喉もとに刺し込まれた短刀を押し込み、そこを通る重要な接続を抉り切る。

「ぐああああ」

始めて命の危険を感じた敵は、手の届く限りアガワをたたきつぶそうとした。

激しい衝撃が、右から左からアガワに叩きつけられる。それでも、アガワは首に刺し込まれた短刀を離そうとはしなかった。

鉄を切り裂くはがね、軽金属で構成される義体ならば、その骨組みまでもを切り裂くだけの強さを持っていた。

サンドバッグのようにたたきのめされながら、アガワは首の装甲ごと、じりじりと切り裂いていく。

「ブツリ」

何かが切れる手応えを感じたとたん、敵の動きが止まる。

多くの場合、それは致命傷となる。だが、それが敵の欺瞞でないとは誰が言えようか。

薄れゆく意識の中で、なおも力を込め続ける。

動く可能性がないと確信したときには、もう、殆ど意識は残っていなかった。

 

「大丈夫かい」

「え、ええ」

ユリは放心状態になっていた。ユリはぼろぼろになった体をツクモに起こしてもらいながら、周りを見渡す。ユリが小さくつぶやいた。

「逮捕出来なかった」

「ああ」

「私が撃ち殺した」

「気にするな、休んだ方がいいよ」

ふらふらと射殺した容疑者の方へ歩いていこうとする。ツクモはユリを止めた。

「あとは処理班にまかせよう、ユリは見ない方がいい」

「いえ」

ツクモを振り払って死体の元に歩いていく。ツクモはあわててユリに肩を貸して一緒に歩いた。

「………」

「………」

二人は死体の前で、目を瞑った。少しの間を置いて小さく頭を下げる。

「いいかい」

「ええ」

まだ納得はしていないようだが、少しは落ち着いたらしい。

 

「ん、ちょっとまって」

アガワを起こそうとしたとき、不意にツクモが顔を上げた。視線を宙にさまよわせ、しばらく無言になる。やがて、ツクモは大きく頷いて言った。

「彼女の相棒が向かってるってさ、私たちはこの辺で消えよう」

二人は、倒れたアガワを見た。全身銃痕だらけだが、まだ生きている。

「ご苦労さまです、追っ手は全員始末したんだから帰れますね」

そう声を掛けてから、二人はそっと去っていく。まだ周囲は暗闇だが、かすかに東の空が明るくなってきたようにも感じる。だがまだ早いから気のせいかもしれない。

 

もう、深夜に近い終電直前のある時間。アガワは偽装した特急便の車両の運転席である人物を待っていた。助手席ではソウダが無機質なマンションを見上げている。

「まだ帰らないのでしょうか」

「情報だと、時々会社への泊まり込みもあるそうね、また出直しかな」

二人は時折思い出したように短く会話をしては、また静かに待ち続けた。二人の顔は以前の顔ではなかった。すでに顔が割れてしまった以上、そのままで仕事を続けることは出来ない。幸いなのか不幸なのか、全身義体者である以上、顔を変えるのは比較的容易であった。

「これでコンビは解散だな」

「はい、お世話になりました」

本来諜報員は単独で行動する。よほど複数の方が有利でない限りこのような編成は取らない。新しい任務では、また単独で行うことになるだろう。だが、このミッションをクリアしない限り、この仕事は終わらない。

「きた…かな…」

疲れた足音が聞こえた。相変わらず不機嫌そうな顔つきで、マンションに入っていく。相手を確認したところで、アガワは素早くクルマを降りた。

「協田さんですか?」

「え、ええ」

不意を突かれたような顔で協田が振り向く。その協田にアガワは一つの段ボール箱を差し出した。

「特急便です、サインを」

「あ、どうも」

段ボール箱を抱えたまま、アガワは器用に伝票とボールペンを差し出した。伝票を見た協田の表情が変わるのをアガワは見逃さなかった。

「あの人達ね」

伝票には差出人として、アガワの名前が書いてある。それをみて協田の顔がほころんだ。

なんども伝票をひっくり返す協田に、さりげなく声を掛ける。

「ここにサインをお願いします」

協田の興味は段ボール箱と伝票に集中していた。あわててサインをして手渡すが、目の前のアガワには興味を向けようとしなかった。

「ありがとうございました」

協田の明るい表情に救われる思いがする。だが、それと同時に自分に興味を向けないことにわずかの寂しさも残った。

届け物を渡した以上、さっぱりと離れなければならない。

「それでは」

アガワがきびすを返してクルマに戻る。マンションの入り口を出て、ごく普通を装って当たり前のようにクルマに乗った。

「よし、いこう」

振り切るような思いで、エンジンを掛け、アクセルを踏む。クルマはうなり声を上げて走り出した。最後にもう一度協田の方に視線を向ける。

「!」

それはただの知らない運送屋に向ける表情ではなかった。協田は少しゆがんだ笑顔で、力強く手を振っていた。

 

 

Fin

 

 

 

 

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