電池の話
第2章
イソジマ電工開発部、いくつかある実験室の一つで小出女史が居眠りをしている。白衣についたよれよれのしわを見る限り、徹夜明けらしい。壁一面に設置されたラックの中には、一抱えもある義体用バッテリーが数十機、ある物は充電され、ある物は放電されて、その性能を試験されていた。
バッテリーのカタログ上の性能はメーカーからの資料で分かっているが、通常使用でどのくらいの寿命があるか、またどのくらい劣化するのか、過充電、過放電した場合にはどのような特性になるのか、様々な試験を行わなくては実際の安全性を確認することは出来ない。それぞれのバッテリーの容量は120PSの最大出力を想定されるだけあって、かなり大きな物である。そのため、試験に必要な充電や放電の時間もかなりのものになる。またバッテリーはガラス一枚隔てた恒温室で温度管理をされ、ダクトで直接外に放熱されているにもかかわらず、うとうとしている小出女史のところにもかなりの熱気が当たっていた。
「ふわあ」
細目を開けて、ディスプレイに表示されている各バッテリーの充電状況を見渡す。ざっと見て、充電が終わっている物は、設定を変えて今度は放電に切り替える。そうそう、過度特性をバッテリー番号とサイクル回数を記載して、保存しておかなければならない。
とりあえず、制御はマウスクリック一発で出来るようにはしている。注意しなければならないのは、寿命限界が来て、充電できなくなったり過熱したバッテリーの処理である。物によっては発火する恐れすらある。単純な充放電なら自動で進んでいくのだが、危険が伴うため、誰か一人くらいは試験につきあわなくてはならない。
「8時か」
実験台の上の腕時計を見て、小出はつぶやいた。もうじき、他の部員も出勤してくるはずだ。いすの上でうたた寝したくらいでは寝た気がしない。背もたれに体を預けて、再度夢の中に入り込む。
「くう」
また静かな寝息を立て始めた頃、ごとり、とドアが開いた。
「あ、」
見慣れた上司が現れたのに気づいて、慌てて体を起こす。
「そのままでいい」
古堅部長は恒温室に並ぶバッテリーを見ながら、小さく手を振る。いすに腰掛け直した小出は、部長を目で追った。
「徹夜か?、あまり無理をせんようにな」
「はい、すみません」
「いや、責めているわけではない。よく頑張っている、と言いたかったのだ」
「ありがとうございます」
「進捗状況はどうかね」
「はい、最初のロットが30サイクル目に入りました。特性の分析はこれからですが、加速試験のグループがそろそろ故障してくるかも知れません」
昨晩ファイルした資料を部長に渡す。部長はそのファイルをぱらぱらとめくった。
「加速試験の倍率は?」
「今までの実績では50倍くらいに相当しますが、東北メタルのものは、どれくらいになるのか実績がありません」
「向こうではどう言っている?」
「同じく50倍で想定しているようです」
「わかった、ありがとう」
元々無口の部長は、必要なことだけを聞くと、しばらく無言で、ディスプレイをのぞき込んだ。ほとんど動かないそれをじっと見つめ続けている。目の前の上司の無言に耐えきれなくなった小出はおずおずと、部長に話しかける。
「あ、あの、リーダーはもうじき出社してくると思いますが」
「いや、今日は出張だ。東北、仙台に」
(ぴく)
「仙台?」
「ああ、出張申請が出ている。テスターさんのバッテリー交換に付き添いだそうだ」
(ぴく)
「じゃ、東北メタルへ?」
「うむ」
小出は、以前の打ち合わせを思い出した。たしか、換装試験はこちらでやるのでは無かっただろうか。テスターさんにお願いして換装試験をする場合、二つの選択肢がある。一つは、東北メタルからバッテリーをこちらに送ってもらって、その他の部品はこちらで準備して行う。もう一つは、東北メタルに部品と人を持って行って、向こうでバッテリーを換装する。の二つが考えられる。
実際にはすでにこの部屋に並んでいるように、バッテリーを送ってもらうのはたやすいことであり、大きい物とはいえ輸送費くらいしかかからない。一方向こうで換装を行う場合は、換装する技術者と部品、工具を向こうまで運ばなければならず、お金も時間もかかる。だから、こちらでやるはずと聞いていたのだが...
いや、分からないふりをすることもあるまい。理由は明確である。
小出女史はいきなり立ち上がって、大きく息を吸った。古堅部長が異様な雰囲気の彼女を見て、一歩後ろに下がる。
「裏切ってえええ、東北旅行だとおお!!!」
小出女史の叫びは開発部のあるフロアいっぱいに響き渡った。
しばらくして、それを聞いた開発室の部員の一人が、柏木リーダーに一本のメールを送ったそうな。
そして、そのお土産は、とっても豪華だったということじゃ。 えーっと、何の話だっけ。
蛇足
恒温室に並んでいるバッテリーの半分は東北メタルの試作品である。従来のバッテリーは液体電解質を封止したシールドバッテリーである。義体は様々な姿勢を取るため、液体が漏れ出るような構造では使えない。ただ、特殊公務員装備で必要な大出力を実現するためには、化学反応性の高い物質を使用する必要があり、液体電解質から離れることは難しかった。
電池は電解質のイオンの移動によって電力を発生させる。液体の方がイオンの移動が容易である。しかし、液体である以上、漏れを防ぐためのシールドを強固にする必要があり、電極がショートしないように分けるセパレーターも厚みを持たせる必要があった。
充電をすると電子を運ぶ金属イオンが元の金属に戻る。金属は電気をよく流すので、金属の状態で、両電極に繋がってしまうと、ショートしてしまうのである。その電極が繋がらないようにするのがセパレーターと呼ばれるフィルムである。これはイオンは通すが、それ以上大きい金属の結晶は通さない。しかし、金属の結晶は鋭い場合があり、激しい動きをするとセパレータフィルムを突き破ってしまう可能性がある。そのため、セパレータも厚くせざるを得ないのである。
これらの問題を解決しようとしているのが、東北メタルの固体電解質型プロトンバッテリーであった。イオンの移動できる高分子ポリマーを使用し、電解質を固体化することで、強固なシールドをなくし、セパレータをなくす。高分子ポリマー自身がセパレータと同様にイオンしか通さず、金属結晶は通過できないからである。また、液体を使っていないから漏れ出る心配もない。ただ、問題もあった。電極に直接ポリマーを塗布すると、金属イオンが結晶化できない。金属イオンの量が、充電容量であるため、多くの金属イオンを蓄えられないポリマー型は容量が少なかったのである。
そこで開発されたのが、炭素材料を使用した、金属イオン吸着物質である。炭素は電気を通すので、そのまま電極として使用できる。多孔質炭素材料の表面に金属結晶ではなく、金属原子レベルで吸着させることで容量を増やした。しかし、まだ液体式ほどには容量は多くなかった。そこで、限界まで、電極間の距離を薄くした。そして、その分面積を飛躍的に増加させることで、容量と出力を増加させることに成功したのである。
ただ、良い点だけというわけではない。ショートについては、炭素材料に原子レベルで吸着していることと、高分子ポリマーが間にしっかりと挟まっていることから、可能性は少ない。しかし厚みがミクロン単位となるため、ポリマー製造工程で、微細な穴でもあれば、ショートの危険は発生する。つまり、生産はそれだけ難しくなるのである。
生産のばらつきがバッテリーの信頼性を左右する。また、瞬間的に大電流が流れると、その部分が高温になり、ポリマーを溶損させてしまう可能性がある。そのような可能性も含めて、試験が続けられている。
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