◇地球人は進化ではなく退化していたのか!  
  今日、地球上では、月や火星へ人工衛星を飛ばし、着陸させ、地球上からそれらを操作することができます。また、インターネットの普及によっ
 て、国外の人々とも顔を見ながら会話ができ、疑問に感じたことは何でも検索をすることができます。

 かつては、死の病と言われたペストや結核も克服し、風邪で亡くなる人はほとんどいなくなりました。
 これらは、すごいことで、ここ数千年間においては大変な進歩であり、身体的にも進化したとも言うことができるでしょう。

 しかし、よくよく考えてみれば、おそらく私たちは、大変な退化(歩)をして来たのかもしれません。
  
 知り得るところからすれば、かつて、この太陽系の人々を中心に、この地球へ連れて来られた人々が、今日の人類につながっているということで
 す。それはおそらく、数十万年、いやもっと桁違いに昔の話です。

 この地に連れて来られた人々は、この太陽系内外を飛行できる科学力や、それを支える社会システムの知識を持っていました。
 しかし、この人々は、大自然の中で人として生きるための基礎を学び直す必要があることから、それぞれ裸一貫であり、便利な道具などは持ち合わ
 せませんでした。

 裸一貫ということは、自己の知り得る知識、能力を活用して生きなければなりません。
 正に、エデンの園のアダムとイブの話そのままです。

 ここで問題なのは、寓話に記されたように〝知恵〟の木の実を食べたということです。これで、目が開いたということです。
 それで、裸であることが恥ずかしくなったのです。
 
 要するに〝心〟の目の存在に気づいたということです。
 自由を謳歌したがる〝心〟、つまり、エゴの楽しみを知って自己の中心に据えたということです。

 実際には、そのような人々を連れて来たのだと思われます。
 仮に、そうだとしても、アダムとイブ時代の人々は、かなり知的な生活ができたはずです。

 しかし、単独や少数の生活では、発展は見込めず、家族やグループ、さらに時を経て集団が大きくなるにつれて、争いや病気、自然の読み違いなど
 が増えたものと思われます。

 その後、人類の存亡に関わるような大変化を万年単位で何度か経て、今日の人類につながっているのだと考えられます。
 ということになれば、異星人を引き合いに出さなくとも、大きな石の研磨技術や運搬方法を知っていたり、天体の運行や磁気の流れ知っていたと考
 えられる遺跡等があるのは不思議ではないはずです。

 今日、以上のような歴史を推察できる伝承等は少なくなっていますが、人類は、当初の時より科学的にはもちろんのこと、精神的にも全体としてま
 だまだ退化しているのかもしれません。
 
               
                                         2021.3.15(月) K・W



偉人は「天」を敬う!  
 地球上には、常人を超えた多くの偉大な人々が出現しています。
 仏陀、孔子、老子、ソクラテス、イエスなど世界的な人でなくとも偉人や英傑は存在しています。

 その一人に西郷隆盛(号は南洲)がいます。彼は、江戸末期に活躍し明治政府側として陸軍大将になりましたが、新政府の閣僚の贅沢などの体たら
 くを批判し、政府を離れてからも多くの人々に慕われ、自分の書籍はないもののその生きざまが残されています。

 その一つが、庄内藩の人々によって記されています。
 庄内藩は、江戸末期に幕府側として、西郷側の薩摩藩邸を焼き討ちしたり、江戸城無血開城後も政府軍と戦っていましたが、ついに負けを認めまし
 た。

 その後、厳しい処分が下るものと思われたところ、西郷南洲の寛大な処置を受け、藩士の態度も素晴らしいと感銘し、その後、庄内藩士70人余り
 が薩摩藩へ滞在して交流を続けたということです。

 その際、西郷から教えられた事柄を文字に残し、西郷亡き後汚名が返上されてからは、なお一層継承する活動を続けてきました。
 それが今日、「西郷南洲遺訓」として発行されています。

 そこで語られる事柄は、人々の心を大切にしながら、大局的に考え、最善の生き方を教えるものです。彼の心底には、孔子や老子などの教えがあ
 り、それを実践したことを踏まえて、自分の言葉で完成したものだと思われます。

 西郷南洲の生き方の中心は、「敬天愛人」として表されています。
 これは、「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とする。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以
 て人を愛するなり。」ということです。

 この「敬天」、天を敬うということろは、偉人のすべてに共通している部分であると考えています。
 自分より偉大なもの、全幅の信頼を寄せられる存在、大自然の英知とも呼べる存在を認めているということです。
 ここが、偉大な人々に共通しているところです。
 
 孔子は、「天」を究極の存在として「徳」にお墨付きを与えるものとして認め、老子は、「天」の道は無為自然でありすべてを動かすものとして、
 イエスは、「天」を父とし神として、その御心に従うことを教えています。

 このような存在を、村上和雄筑波大学名誉教授などは、以前からサムシング・グレートと呼んでいます。
 NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一氏やJALの立て直しなどを行った稲盛和夫氏もそのような存在を信じ、自分の利己的動機を
 抑制し、常に人々の利益や国の将来を優先し、自分を正しく表現しようと努力された偉人であると見ています。

 私たち、アダムスキー派にとって、これは、「宇宙の意識」と言われるものと理解されます。
 結局、言い方が異なるものの、古代から偉大な人々は、そのことを伝え実践してきたのだと思います。
 いわんや、われわれは・・ということでしょうか。


                                        2021.3.24(水) K・W




宇宙に想う!  

 
   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象につい
         ての感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書い
         ていきたいと思います。

    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。

    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。