宇宙に想う!  



◇「はやぶさ2」カプセル帰還!!  
  宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」の投下したカプセルが、12月6日オーストラリア南部の砂漠地帯に無事着陸しました。
  このカプセルには、小惑星りゅうぐうから採取した砂(岩石)が入っているとみられ、打ち上げから約6年間に当たる2195日で52億4千万kmを飛行しての期間
  でした。

  小惑星からの砂採取の目的は、地球の水はどこから来たのか? 生命を構成する有機物はどこでできたのか? などの疑問を解明するためです。
  また、最初にできたと考えられる微惑星の衝突、破壊、合体を通じて、惑星がどのように生まれたのかを調べるためでもあります。

  現在、小惑星の中には、無水のものと、水を多く含んでいる小惑星が存在することがわかっていて、それらが、水のある惑星を形成していると考えられています。
  日本の探査機は、純粋に科学的探求心から実施されているものであり、戦後の飛行体研究への圧力や、研究費が少ないことを考えれば、大変な成果であり歓
  迎すべきことです。

  一方、広く宇宙開発という視点で見ると、軍事関係や資源収奪などを狙う目的もあり、単純に喜べないものがあります。
  また、各国が、高額な国費を掛けて行われた成果を、すべて世界へさらけ出すとは思われず、多くの部分で秘匿されていると考えられます。

  振り返れば、アメリカのアポロ11号から始まる有人による月面着陸、ソビエト連邦時代の探査機ベネラ7号の金星着陸、そして火星に初めて着陸したアメリカの
  バイキング1号、2号など、それらの成果はほんの一部しか公開されず、従来からの推測を肯定するばかりで大変残念な思いをしてきました。

  私は、これらのことから、宇宙自体には強い興味を持つものの、各国の宇宙開発等による成果の公表は、期待していないというパターンで過ごしてきました。
  しかし、前回の「はやぶさ」から始まる日本の小惑星探査には、各国に先駆けるものであり期待するところ大なるものがあります。

  こうした純粋に科学的成果を少しづつ積み重ね、宇宙誕生のメカニズムやそこから推測される各惑星のあり様など、アダムスキーの主張を肯定するような、大き
  な発見につながることを期待したいと思います。


                                      2020.12.12(土) K・W



 ◇「悟る」ことからすべては始まる
  〝悟る〟という言葉がります。
  〝悟る〟ことが、人間にとって重要であるのは、人物伝や歴史によって明らかであると思います。

  〝悟る〟の一般的な意味としては、「物事の真の意味を知る。はっきり理解する。」ということです。
  仏語としては、「迷い・煩悩(ぼんのう)を去って生死を超えた永遠の真理を会得する。悟りを開く。」ということです。

  思想や哲学の分野では、仏語からの意味が中心となって語られることが多いようです。アダムスキーの支持者の多くが、仏語的意味で解釈している
  ものと思います。

  この仏語の「迷い・煩悩を去って生死を超えた永遠の真理」という状態を、多くの人々が、人間の究極の状態、最後の到達点と考えているようで
  す。果たしてそうなのでしょうか?

  仏語のもとである仏陀の人生を見てみると、人生の「生・老・死」などで悩み出家して、苦行すること6年、35歳の時に悟りを得たとされていま
  す。
  しかし、仏陀は、そこが到達点ではなく、そこから人々に教えを説く仏陀本来の生がスタートしたと考えられます。
 
  言い換えれば、〝悟り〟を得てからが本来の生となったということです。
  この視点で、今日の地球上の人々を見てみると、本来の生を生きる前段階、人としてスタートする以前であると理解することができます。

  これが理解しがたいのは、〝悟る〟となんでも理解できると考えているからではないでしょうか?
  〝悟る〟ことによって、何でも分かるということではなく、「何でも分かる領域とつながっている〝自覚〟を意味する」と思われます。

  こうなれば、生死を超え、迷いも無くなるわけですから、永遠の真理を会得したことになります。
  仏陀は、この領域とつながりながら、人生の様々なことを判断し、学び、考えを整理して、人間の摂理とも言うべき教えを人々に説いていったのだ
  と思われます。

  これらは、真実に生きるための教えであり、普遍的な哲学で、決して、今日のような宗教ではなかったと考えられます。
  仏陀の真の教えは、今日でも「ダンマパダ」とか、「スッタニパータ」などの仏典として残っています。

  しかし、私たちにとっては、「生命の科学」が、この真理を教えてくれるものとなっています。
  〝宇宙の意識〟の存在を理解し、そこに軸足を置いて歩もうとする人は、〝悟り〟を得ていると考えられます。

  この理解が、〝悟り〟の王道、幹となる中心ですが、幹につながる枝、葉であっても、物事の真理であり、〝悟り〟となるものです。
  これらのいくつかを〝悟って〟いるものの、幹の部分を理解していない人も少なくありません。

  しかし、私たちは、〝悟り〟の王道をしっかり見つめ理解し、そこを軸足に、歩んで行くことが大切ではないでしょうか。


                          2020.12.23(水) K・W



 
   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象につい
         ての感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書い
         ていきたいと思います。
    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。
    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。