◇人の知能は何のためにあるのか?
人間は、生物界のトップに君臨し、好きなように生きて来た歴史があります。そこでは、成功と失敗を繰り返してきましたが、物理的にはどうにか
発展してきているようです。
そんな中、良く想うことですが、人の知能は何のために活用するのか?≠ニいう疑問です。あまりにも、おかしな事件や行動が目についているか
らです。
理科系に強い人は、病気の苦痛を和らげる薬や機器を発明するかも知れませんし、大量破壊兵器や人を殺傷するための毒ガスを開発するかも知れま
せん。
また、正しい生き方を行動で示したり、悲痛にくれる他者を元気づける言葉を発信する人や、働かずに大金を得ようと詐欺や窃盗を考え出す人もい
るでしょう。
それぞれに、賢く知能を活用しているものと思います。これらのどれが良くてどれが悪いのか、当然のように思われるものの、ハッキリ言わない人
々が増えているように感じています。
恐らくそれは、何でも有り≠ニか自由≠ニいう、変に真理の反面しか見ないような論理が世間に広がっていること、中には利害に関係する場合
があるからかも知れません。
しかし、知能によるどのような成果も、利他的なもの世界平和に繋がるものでなければ、意味がないのだと理解する必要があるのだと思います。現
代の人間社会において、常にこの点が欠落しているように思えてなりません。この点を貫いて、歴史を刻んでいれば、同じ過失を繰り返すことはな
いはずです。
このように、建設的に考えたとしても、自国ファーストを唱える国や、軍事力を背景に他国に迫ろうとする国が存在する世界ではあります。その背
景には、広く経済的要因があるようですが、経済的なことより人が正しく生きることが上位になくてはならず、そうでなければ人類は滅んでしまう
可能性があることを、そろそろ日本が世界へ示していく必要があるでしょう。
この辺は、人はなぜ生きるのか?≠ノ関係することであり、そこは未知のことのように、答えを出さないところも問題です。
いずれにせよ、人の知能は、世界が永遠に平和となるためには何が必要か、どう行動すればよいかというように、その方向に向けて使わなければな
らず、そのことを明言していくことも必要であると考えています。
2019.8.10(土) K・W
◇縄文人は優れた人々だった!
近年、縄文時代についての様々な遺跡や遺品が出土するようになり、縄文人についての認識が大きく変わろうとしています。
縄文人とは、約13,000年前に氷河期が終了し、海の水位が上昇するに伴い大陸から孤立した日本列島に生活した人々で、約1万年続いたと考
えられています。
縄文人といえば、ざんばら髪で、大した生活の知恵や技術も無いように教わりましたが、髪はまとめて団子状にしたり、飾りをつけたり、土器製造
の技術や家屋の建設にも優れていました。
縄文時代は、草創期(前1万1000〜前7000年)、早期(前7000〜前4000年)、前期(前4000〜前3000年)、中期(前30
00〜前2000年)、後期(前2000〜前1000年)、晩期(前1000〜前400年)とされていますが、草創期の土器などは、弥生時代
の土器のようにシンプルです。良く知られているゴツゴツした土器は、中期に入ってからのもので、芸術的に装飾を複雑に行っているものです。
驚くのは、縄文人が10mもの丸木舟を作って近海で漁をしたこと、大物のイルカなどを獲るためにモリの先に返しを付て抜けにくくしていたこ
と、多様で精密な耳飾りを作って飾っていたこと、かなり広域に交流して物々交換をしたいたことなどがります。
また、縄文人は、一部で作物を栽培していたと言われていますが、そのほとんどを自然採取に頼り、数家族がまとまって住んで、争いなどはなかっ
たと考えられています。
しかし、弥生時代に入り、大陸から作物栽培中心の時代へ変化する中で、他者との争いを起こすようになったようです。
ざっと、このように見てくると、縄文人の知能は、おそらく現代人と変わらず、大自然で生きる生活の知恵は現代人より勝っていたと思われます。
このように解釈すると、彼らは、何らかの理由で文化的機器を持つ生活から原野へ追いやられた人々であり、知恵を使って、自然から採取されるも
のを利用して、生き続けて来たのではないかと想像されます。
今後も、様々な遺跡や遺品が表出して、過去の真の歴史が明らかになることを期待したいと思います。
2019.8.21(水) K・W