宇宙に想う!  


 
全国被害者支援ネットワークを知っていますか
 先日、仕事の関係から、被害者支援に関するお話を講演のような形式でお聞きしました。
 
 被害者支援というのは、1967年に「殺人犯罪を撲滅する遺族会」というのを皮切りに動き出したもので、1974年の三菱重工ビル爆破事件に
 より多数の死傷者を生んだことを契機に重要性を増してきたようです。

 しかし、まだ民を中心に細々と活動を継続していたようですが、1980年に「犯罪被害者等給付金支給法」の制定により、官も動き出してきたと
 いうことのようです。

 そして、1991年「犯罪被害者等給付金支給法制定10周年記念シンポジウム」の開催の際に、出席していた大久保惠美子さんから次のような発
 言があったということです。

 「私の息子は、昨年の10月12日、飲酒運転者に殺されました。殺された後の数か月間、私はどうやって生きていけばいいか分からず、本当に無我夢中で、日本
 には何か私を精神的に助けてくれるところがないのかと必死になって探しましたけれども何もありませんでした。先ほどパネリストの先生からも、『日本では、被害
 者の声として出て来ない、被害者のそれがニーズなのか』という発言もありました。でも被害者の立場になりますと、はい、私が被害に遭いましたと大きな声で言
   って、大きな声で泣ける、そういう社会ではありません。今の日本は、大きな声で泣きたくても泣けないんです。ただじっと自分で我慢しなければならないのが今
 の日本における被害者の姿だと思います。」 そしてさらに、具体的な提言なども行っています。

 この被害者側の悲痛な発言を受け、日本の被害者支援が具体的に動き出してきたということのようです。

 現在では、各自治体の警察署に「〇〇警察署被害者支援連絡協議会」等という組織が結成され、民間の警察関係団体の長や医師会、あるいは公共関係団体な
 どがメンバーとなり、それらを県警察本部の被害者支援室等が統括し、それが全国的な組織となって表題の全国被害者支援ネットワークとなって活動していると
 いうことです。

 犯罪等の被害者にあわれた家族は、泣いていると、被害者ずらして・・・。黙っていると、むっつりしている。ニヤッとするものなら、こんな時に笑って。などと、映像
 で写されるたびに批判を受けるということです。また、被害者として執拗な取り調べも受けることから、精神的にズタズタとなる被害者も少なくないということです。
 このようなことから、警察は犯人を逮捕するだけではなく、被害者の将来も考える被害者支援も業務の一つとなって来たということです。

 犯罪被害者は、直接的な取り調べも耐えがたい場合があるほか、一般社会における他人からの無神経な批判は、上述のようなものであるのかと・・・、あまりにも
 人間的、エゴそのものの正体を見たように感じました。一部の人とはいえ、正に、これが人間の感情(エゴ)なのだと改めて感じた次第です。

 これら被害者支援の運営経費の多くは寄付金によること、また、まだまだ被害者の苦痛を理解されない方がいるなど課題も少なくないようです。そもそも犯罪その
 ものが無くならないことが問題ですが、それが二次的な被害をもたらし、その被害も大きく、しかも、長く継続することを知る必要があるようです。 


                                                                2018.11.12(月) K・W



人が真に進歩するためには?
  人≠フ進歩とは何を基準に言うのだろうか? と考えるときがあります。

  身体的には足が長くなる。身体能力が高まる。病気を克服する治療が発見される。寿命が長くなる。多言語に対応できるようになる。遠方へ早くは行けるように
  なる。肉体労働が機械や人工知能搭載ロボットへ変わる。小さな集団から国家へ移行する。億を超える人口でもどうにか良好に生活できる。情報処理が大規模
  で高速となる。身近なことから世界の出来事まで知ることができる。個人の不満や意見も反映できる仕組みを持っている。などなど進歩に関すことは沢山あるで
  しょう。

  以上は、ほぼ日本において実現している、まはた実現段階にあるものばかりです。
  しかし、これらのことは、科学技術の進歩に負うところが大きく、科学者や技術者あるいは医師等の努力の結果と見ることができます。

  科学者等は、問題の解決や新技術の発見のために純粋に研究に没頭し、意識≠ニ繋がりながらより良きものを生み出そうとしています。
  一方、それを享受する側の人々は、決して純粋ではない個人的利得のために活用することも少なくありません。
  生み出された成果物の利用という面では、邪念等を入れることができるということです。

  ここに大な違いが存在することになります。
  一つは、純粋に意識の助けによって生み出されたもの(新技術等)であり、もう一方は、意識を制限するなど人の心を軸とする活用という側面です。
  これでは、大変歪んだ進歩による世界となっているということです。 

  特に、産業革命以降、科学技術等は進歩する一方で、人々の意識はほとんど進歩していないと思われます。
  それが端的に現れているのは、ICTの進歩に伴い、様々な情報が容易にやり取りできる便利な社会になる一方、他者のシステム妨害や情報を不正に入手しよう
  とするなどセキュリティの問題が大きくなり、そのために莫大な経費が掛かるようになっているということです。

  また、他国を攻め落とすための兵器も進歩するなど、社会が進めば進むほど、不安感は増大しているように思います。このように見ると、人は決して進歩してい
  るとは考えられないのです。

  ちなみに、兵器の開発は、純粋に科学的な探求の成果を応用するばかりではなく、兵器として大量殺戮を目指した開発も行われ、それも意識の支援により成功
  するのではないかと思われますが、おそらくそのような意識の活用が一番、神を冒涜する行為ではないかと思われます。

  人々は、意識により創造され、人が作り出す進歩的な機器も意識の支援により生み出されるのであれば、人々の生活も意識の指導の下に成立しなければなら
  ないはずです。しかし、この部分だけが、気まぐれな心(エゴ)を軸足に行われていることが問題なのだということです。
 
  これは、大変危険な社会であり、今後、どんなことを仕出かすか分からない子供のような状況です。

  この社会が真に進歩し続けるとすれば、おそらく人の意識の大改革が必要であり、損や得で動く心を軸とする生き方から、宇宙の普遍的な基準である「宇宙の意
  識」を指針とする生き方が、がぜん注目されてくるのではないか、そんなパラダイムシフトを期待しないわけにはいきません。

 
                                                                 2018.11.26(月) K・W



       

 
   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象につい
         ての感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書い
         ていきたいと思います。

    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。
    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。