◇人はそれぞれ役割が違う!
十人十色と言いますが、人はそれぞれ外見も魂も異なります。それは、一万人いようと百万人いようと、宇宙の中の人類種をすべて集めてもそれぞ
れ異なっています。
魂が違う分けですから、役割は異なっていると考えた方が良いと思います。近接している人はいる分けですが、少しずつ異なっているのです。それ
はあたかも、0から100までの進歩の途上に、隙間なくグラデーションのように魂が存在しているように思います。
0から100までの間を均等に1万に分けたとして、その1万分の1の中にも無数の魂があり、類似性はあるもののすべて異なる魂が存在している
のでしょう。
宇宙の意識は、自己を表現する場所として宇宙(1つではない・・)を創造し、そこに自己の分身である魂を人体へ送りこみ、宇宙の意識の意志を
体した人間たちによって、宇宙を完成させたいとしているようです。
地球上に存在する魂は、人体からはそれほど差が無いように見えても、その歴史や進歩のレベル、役割は、それぞれ大きく異なっています。
ある魂は、さまよえる人々を支援するため高潔な想いにより創造されたかも知れませんし、人々に進歩を示していく役割を持っているかも知れませ
ん。
その役をせずに、他の人々と同じような喜怒哀楽に左右されて生き続けていると、他人と比べ見劣りする生き方ではないとしても、そして、他人は
それで転生し続けているとしても、役割を果たさない魂は、リセットされてしまうかも知れないのです。
つまり、創造主たる宇宙の意識は、それぞれの存在理由、そのための能力を生かさない魂は容赦しないということです。
他人と同じように生きていれば問題ないと考えるとすれば、それは先の理由から、大いに問題なのだと思います。
他人にない才能も力に含めて考えると、10の力を持っている人が7を行うのと、30の力を持つ人が10を行うのでは、結果では30の力の人の
方が良いように思いますが、10の力を持つ人の方が30の力を持つ人より、宇宙の意識に対して忠実に生きていることになります。
私たちは、自分の魂の正しい生き方、つまり、生まれてきた目的を達成するように生きなければ、生まれてきた意味がないのだと強く感じます。人
それぞれが、自分の使命や役割に気づき、その達成のために全力を挙げて生き続けてくれることを願うものです。
2017.8.8日(火) K・W
◇なぜ世界は平和にならないのか?!
私は、何度もこのことについて書いてきました。
アダムスキー問題に関わると、自然とこのことについて考えるようになりますので、昔から考えていて、その結論は、人々は平和を本当に求めていない!≠ニ
いうものでした。これは今も、真理であると思います。
ただ、補足が必要のようです。
私がそう思うのは、求めていながら実現しないはずはないと考えているからです。
しかし、実現しないとなれば、実現しない理由が存在すると考えられるのです。
理由として思いつくのは次のことです。
1 人々は、平和を求めていない。
2 平和を過半数の人々は求めているが、そうさせない何らかの力が働いている。
3 平和が、何であるかを知らない。
このどれもが、理由として存在しているのではないかと思います。
現在の社会は、2番目のことが原因で、3のように、何が平和か分からなく人もいるし、もともと平和を求めない人に加え、2の理由により、1のように平和を求め
ない人が出てくるのではないかと思うのです。
2のような何らかの勢力があるとしても、平和を希求するのが人間としての当然な生き方であり、妨害を言い訳にできないと考えられますが、しかしながら、その
影響は大きいことからその勢力自体が問題であると考えない分けにはいきません。この勢力は、きっとアダムスキーがサイレンスグループ≠ニ呼んでいた勢
力と同じようなものであると思われます。
人類の多くは、その影響下で正しい判断ができなくなっているものと思われます。
例えば、核&コ器問題です。
核兵器が、日本で使用されて以降、核を開発した国と戦っても勝てないことから、更に精度を高めようとするアメリカを中心とする超大国や技術立国は、核兵器
の高度化競争や新たな開発を行い、先行した中心国が成功してからは、他国がそれを開発することを禁止する核拡散禁止条約(1970年)等を発令しました。
こうすることで、核が広く拡散する恐怖を減少させると見せかけて所有を少数国で独占し、核を持つ国同士で、核を持つことによる有利性を確保しつつ、戦争に
対する抑止力であると都合よく詭弁を言っているのです。
国連における「核兵器禁止条約」交渉のための会議の開催に、唯一の被爆国である日本は、核廃絶で世界をリードしなければならないところ、国民の意に反して
反対の立場とした事実一つをとっても、国が国民にたいする大いなる欺瞞があると考えなくてはなりません。
世界から、戦争をなくすためには、まず、核を抑止力として所有するのではなく、核を持たない世界を実現する≠アとが論理的に妥当であるはずです。核を必
要悪であるとするような論理は、明らかにおかしいのです。
2001年9月11日のツインタワーへのテロ以降、アメリカは対テロ戦争を開始しました。
しかし、世界でのテロは減るどころか増え続けているのです。
テロ犠牲者数は、2000年405人、2001年3,547人(ほとんどがツインタワーテロ)、2002年725人、2005年14,602人と高くなりほぼその数値前後で推
移して、2014年は32,727人と増え続けているのがわかります。
また、2001年からのアフガニスタン戦争で、戦争に関連して36万人が死亡し、2003年からのイラク戦争では、15万人から100万人が死んだと推定されてい
ます。
いかにも、ツインタワーのテロを口実に、計画的に弾薬の在庫整理をしながら恐怖をあおり、人命を喪失している様に見えます。
かつて、アメリカの軍事的な英雄であるアイゼンハワー大統領は、「われわれは産軍共同体が不当な影響力を持つことに警戒しなければならない。 ・・・・・ 産
軍複合体が自由と民主的動向を危険にさらすようにさせてはならない。」(1961年1月17日)などと、大統領を離任する3日前に演説で語ったということです。彼
は、真実を語り、今のアメリカは、彼が危惧したとおりになっているのだと思います。
多くの犠牲を生じたとしても、ビジネスを重視する考え方が存在しているということです。
日本の安全保障関係は、戦後、常にアメリカの意向で動いていると考えなくてはならず、その点では、常に国民に対して詭弁と欺瞞が渦巻いているのだと留意し
ておかなくてはなりません。よく調べればわかることですが、国が言っていることなど、ほとんど信用できないのです!
残念ながら、これが、現実の地球上の姿なのです!
世界が平和にならない理由も、上述の事柄から理解できるとい思います。
2017.8.28日(月) K・W