◇ローマ法王ヨハネ23世とスペースピープル
ローマ法王ヨハネ23世といえば、アダムスキーが謁見した法王として知られています。
1963年5月31日金曜日の午前11時。アダムスキーは、スイスのルウ・チンスターク女史とベルギーのメイ・モルレ夫人(当時)をつれてサンピエトロ
大寺院へ行きました。
そこで、アダムスキーは、大聖堂の入口前の石段のところまで来て、右手の通用門の奥にいる僧侶を見て「私の友人があそこにいる!」と言って、1時
後に出てくると約束し、2人を残して中へ入って行ったようです。その際、アダムスキーは、長い僧服を着せられたということです。
この僧侶は、スペースピープルであったと伝えられています。 つまり、サンピエトロ大寺院の中にスペースピープルがいるということです。
この流れは、アダムスキーが事前に、どこで誰が待っているかを知らされていたのか、あるいは、テレパシーによる支援をキャッチしていたものと思わ
れます。恐らく、ここでは前者であると考えられます。
また、アダムスキーは、単に法王に謁見するために行ったのではなく、スペースピープルから託された白い封筒を渡すために招かれたようです。
言うまでもなく、この事実は、アダムスキーが本物であったことを証明するものです。
1時間後、喜色満面のアダムスキーが出て来て、「ローマ法王に会ったぞ!」と少年のように嬉しそうだったと伝えられています。
アダムスキーによれば、病に伏していたヨハネ23世に封筒を差し出すと、「これこそ私の待ち望んでいたものだ!」と語ったということです。
このセリフから、法王には事前に封筒の中身が伝えられていたものと思われます。
封筒に何が入ったいたかについてアダムスキーは知らない≠ニしていますが、一説では、スペースピープルからのメッセージ、あるいは、病気を治
す薬であったなどと推測されています。もしこれが薬であった場合は、飲むことが許されなかったということになります。
会見の日の午後、アダムスキーが宿泊していたホテルに寺院から高官が来て、ヨハネ23世の記念のメダルが贈られます。このメダルについては、よ
く知られているところです。
しかし、法王は、その翌日逝去されます。
アダムスキーは、法王について言われているより元気であると語っていましたから、この情報には大変驚いたようです。アダムスキーの友人で、アダ
ムスキーの最初の書物「Flying Saucers Have Landed(空飛ぶ円盤実見記)」の前半を書いたデズモンド・レスリー氏(英ウイストン・チャーチル
の甥)によると、アダムスキーは、「あいつら! 法王を殺した。」と叫んだということです。あいつらとは誰なのか、色々推測できるところです。
ヨハネ23世は、逝去する2年前、歴代法王の別荘カステル・ガンドルフォにおいて、特別秘書のロリス・フランチェスコ・カボビィッラと歩いていたとき、
スペースピープルと会見しているということです。
1961年7月のある午後、散歩している2人の上空に光が見え、青、オレンジ、琥珀色と変化し、それが突然いくつかの宇宙船となって出現し、そのう
ちの1機が庭園の南側に着陸したということです。
そこから、「完全に人間」が出てきたのだが、違うのは光に包まれていたということです。その光は、優しく繊細で、心を貫くような光であったということ
です。
その人に2人はひざまずき、法王は歩み寄って約20分間話をされたということです。会見を終了した法王は、秘書のところへ来て、お泣きになった
ということです。このことは、会見から20年もたった後、立ち会った特別秘書(後のキエテの大司教)が伝えていることです。
この会見で、多くのことが理解できます。
スペースピープルは、奇怪な身体ではなく地球的で天使のようであるということ。ローマ法王の多くは、スペースピープルと会っているのではないかと
いうこと。
事実、ピウス12世についても、バチカンの庭園で天使のような金星人と会見していることが伝えられています。
このほか、スペースピープルは、地球へ色々なメッセージを届けているという事実等々です。
また、疑問も残ります。そこで何が話し合われたのか? なぜ、ヨハネ23世はお泣きになったのか?
ヨハネ23世の場合、恐らく自分が最後を迎えるまでのシナリオと地球の今後についての情報が伝えられたのではないかと思います。この時代、アダ
ムスキーがスペースピープルとコンタクトをし、スペースプログラムを推進していくことと大いに関係する事件であったと思われます。
なぜ、ローマ法王なのかということもありますが、これは、人類の2割にも達する宗教の長としてということや、そもそもイエス・キリストがスペースプロ
グラムを推進していたからなのだと思われます。
いずれにせよ、このようなスペースピープルと地球人との会見は、スペースピープル側から地球人が真に生きるための指針を伝えるために行われて
きたものであり、人間が、地球に住み着いてからずっと継続していることを意味しているのです。
アダムスキーのコンタクトも、その延長線上にあると理解することができます。
2013.10.2 K
・W
◇きじ鳩 part3
きじ鳩について、追加の報告をします。
part2でご報告したきじ鳩が自宅に来なくなった翌日、新たに別のきじ鳩のつがいが巣を作り始めました。
今回は、中から見ると窓の左側(東側)で、前回の右側(西側)とは異なり初めての場所です。
このきじ鳩は、恐らく、昨年巣だった鳩の片方ではないかと思います。巣は、雄が細い枝を運んできて、雌が口ばしで円形の巣にしていきます。この作
業は、3日程度で終わります。
巣ができて3日後には、卵を1つ産んでいました。
今回、知ったのですが、雌は初めの卵は抱かず、じっと見つめているのです。初めは、どうしたのだろうと思っていました。卵を生んだことを驚いている
のかとも思いましたが、そうでないことに気づきました。
卵が2つになるまで、鳩は卵を抱かないということを知っているということです。
雛は、1日でも大変な大きさになります。卵は、毎回2個産みますが、1日に1個しか生みません。2個そろってから温めないと先に孵った雛がえさを独
占してしまうのです。このため親鳩は、卵が2個になってから抱え、偏ることなく平均して温めるよう、たびたび卵をくちばしで回転させるのです。
2013.8.10撮影 卵が1つ見える 2013.8.11撮影 卵が2つとなった
上の左の写真は、初めは卵から離れていたが、少し近づき隠すようにしているところ。この時も、卵を抱いているのではないのです。次の卵を産む準
備の姿勢のようです。右の写真は、翌11日のもので、卵は2つになっていました。いよいよ、卵を抱くところのようです。
2013.8.31撮影 雛が2羽いる 2013.9.9朝撮影 巣立ち寸前
8月26日ころには、雛が孵っていたと思います。そのころは、親が雛を隠してしまうので写真は撮っていません。上の左の写真は、雛がかえって5日
ころの写真だと思われます。ずいぶんと大きくなっています。よく見ると片方の雛の方がやや大きいのです。これは、毎回のことで、恐らく先に孵った
というより、大きい方が雄なのではないかと思っています。上の右の写真は、巣だちそうな朝に撮影したものです。
2013.9.9夕方撮影 巣だって電線に 2013.9.11朝撮影 2羽して戻ってきた
帰宅して巣をのぞくと巣だっていて、よく見ると前の電線に2羽して止まっていました。翌朝見てみると、既に旅立っていました。ところが、2日後の11
日の早朝、2羽して巣に戻って来ました。今回で4回目の巣立ちとなりますが、このようなことは今までなかったと思われます。上の右の写真は、そ
の1羽を捉えたものです。
巣立ってからも、しばらくは、親からえさをもらいながら、生活や習慣というものを学んでいくようです。
2013.10.14 K ・W