◇「終末時計」残り2分半!?
シカゴに本部を置く米科学雑誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」が、1月末に地球最後の日の残り時間を示す「終末時
計」を30秒進め、残り2分半としたようです。
終末時計は、1947年に核を持つようになった世界の指導者に自覚を促す目的で、ノーベル賞受賞者15人が参加して設置されたものです。
1953年が世界終末まで2分とカウントされて最も短かったようですが、今回はそれに次いで短くなったようです。
短くなった要因は、いくつかありますがアメリカのトランプ大統領の発言がその一つであるようです。
1月に就任したトランプ大統領は、「核のボタン」を持つ最高司令官でありながら、不適切な言動が多く見られます。
2月に安倍首相とフロリダでゴルフをした際、「フットボール」と呼ばれる核のボタンを無造作に置いていたことで騒がれるほど自覚がないのです
が、プーチン大統領との協議で、プーチン大統領からSTART条約が失効する話をだされ、STARTを知らなかったことが大統領として怠惰で
あると言われています。
その彼が、就任を控えた昨年12月、「世界が核に関して良識を取り戻すまで、アメリカは核戦力を大幅に強化、拡大する必要がある。」とか、
「どの国も核を持たないのが理想だが、核保有国があるなら我々は先頭にいたい。」などと語り、2017年度予算教書で、前年度比9%(540
億ドル)も増額し核兵器近代化計画を盛り込み、一方で国務省などの外交予算は35%も削減しているようです。
ロシアのプーチン大統領も、世界終末までの時間を縮めています。
彼も昨年の12月に国防省の演説で、「アメリカが整備するミサイル防衛システムから迎撃されないようなミサイルを開発し、核戦力を強化する必
要がある。」と言っているようです。
常に、実力行使を行うロシアの動きも目を離すことはできません。
更に、北朝鮮がそこに加わります。
金正恩体制の5年間で、ミサイル発射は70回以上、核実験も3回を実施しています。
去る3月6日には、弾道ミサイルを同時に4発を連続発射するという威嚇行動を続けています。
主に、上述3か国の本年1月中旬ころまでの動きから、終末時計が残り2分半となっているようです。
現在は、もっと短くなっても良いような状況だと思われます。
北朝鮮とアメリカが、このままいがみ合い、北朝鮮が弾道ミサイルを打ち続け核実験を行うようなことになれば、アメリカが何を行うかわからない
状況と言えます。
そうなれば、北朝鮮は、まずは日本を攻撃することになるでしょう。
場合によると、核を打ち込むことも否定できないというのが専門家の見方です。
他者を疑わない日本人は、そんなことはないと考えていますが、実は、大変危険な状況にあるのだと認識しておく必要があります。
終末時計の設置と最短時間の時期などは、スペースピープルが関係しているのではないかと考えられますが、彼らの願いも空しくエゴを主体とした
人間の行く末は、常にこのようなものであると考えられます。
地球人とは、何と愚かな人の集まりなのか!
しかし、私たちは、この現状をよく理解しておかなければなりません。
2017.6.1日(木) K・W
◇知る≠ニは何だろうか?
会話の中で、「分かっているけどやめられない」とか「知っていてもなかなかできない」、などと言う場合があります。
しかし、果たして、本当に知っていて実践できないのでしょうか?
私が若いころ、このようなことについて色々と考えました。、
そこで導いた答えは、「知らないからできないのだ!」というものでした。
その後、ギリシャの哲人ソクラテスや中国の王陽明が、知行合一≠語り、あるいは実践していたことを知りました。
日本では、王陽明に影響を受けた江戸時代の貝原益軒が、「知って行わざれば知らざるに同じ」と語っています。
このようなことから、人間の考えと行動の間は不可分であり、ほぼ間違いなく、その人の理解に応じた行動になっているものと思われます。
ですから、出来ないとなれば、それは、理解されていないということになります。
例えば、アダムスキーの「生命の科学」が、書かれているとおりに理解されて読み進められれば、通常の地球人では考えられないような、生きることについての
知識と知恵の集積となるでしょう。
そして、その結果、その人の行動は人から信用されるようになり、語る言葉は一般人を共感させることとなり、自らは喜び多い人生となり、運も味方になるように
変化していくことでしょう。
世の中の動きについても、表面だけではなくその背後に思いを巡らすようになり、移り気の人間の本性が、いかに不安定な社会を作っているのかに気づくように
なってゆきます。
当然に、顔つきも変わってきます。
いい顔になってゆくのです。
美男や美女になるというのではないのですが、柔和でいてきりっとしたした顔つきというのか、その人本来の天性に沿った顔となってゆくのです。
「生命の科学」を続けていて、ある時点まで進んで行くとそのようなことが分かってきます。
この辺のところは、長年続けているならば、実感として感じておいて欲しいところです。
知る≠ニは、肉体の心が、脳を使いながら意識を感じ取ったことを言うように思います。
つまり、意識的意識だということもできます。だから、知ることは生きる上で極めて重要なことなのです。
私たちは、曖昧ではなく常に正しく知ることが大切なのだと思います。
2017.6.19日(月) K・W