◇他人は教師ということ!
この意味は、自分と異なる個体である他人は、当然ながら考え方も違うことから、意見や好みなど様々な点で異なるでしょうが、異なるということ
がかえって学ぶ事が多いと言える事になります。
そのように素直にとらえることで、他人は、すべて自分を学ばせる教師と言えるというものです。
しかし、ここでもう少し具体的に確認したいと思います。
人間は、すべてに優れた人は少なく、特に何か特定のことに強い人が多いものです。そのような人は、それ以外については、平均的かそれ以下の知
識しかない場合があります。
例えば、経済に強い人、政治に詳しい人、歴史を得意とする人、自治問題に精通している人、語学が得意な人、音楽に関心の高い人、芸術文化に頭
角を現す人、更には哲学や心理学に詳しい人もいるでしょう。
このような分野でなくとも、電車の時刻表に詳しい人、料理が得意な人、芸能界に精通する人、雑学を多く知る人などなど、あらゆる分野に他人よ
り強い人が存在しているのです。
その知識が、他人に何らかの良きことをもたらす可能性があります。
他人の命を救うとか、生き方を好転させるという大きな影響はないかもしれませんが、他人に便利さや喜びをもたらすことがあるということです。
人はそれぞれ、同じではなく身体や心など総てにおいて異なる存在です。
それだからこそ、意義があり、他人の知らないことや不得意なことを理解して磨いている人は、その点で他人の役に立てる存在なのだとのだと思い
ます。
これが、多くの人がともに生きる理由なのだと考えられます。
しかし、ともすると他人と意見が異なることから、それが強調され対立や喧嘩、戦争へと発展しかねない側面もあります。
人類は、正に人間が多様である側面を、負の部分として際立たせる生き方をしているのだと思われます。
人間は、常に諸刃の剣のように、天使(意識)と悪魔(エゴ)を共有しています。これは、あらゆるところで、宇宙の法則として機能しているので
す。
このことを私たちは、「生命の科学」を学びながら理解してゆかなくてはなりません。
しかし、残念ながら地球人は、この負の部分を強調して生きているようです。
これは事実なのですが、私たちはユダヤの格言にもあるとおり、他人はすべて教師であるとの思いで生きていきたいものす。
2017.5.12日(金) K・W
◇ルールを守ることは大切
一般生活の中で、最近、特に気になっていることは、交通ルールが守られず運転マナーも悪いということです。
法定速度を守らない、一時停止をしない、赤信号でも無理やり侵入する、すきあらば我先に行こうとする、車間距離が短すぎるなどです。
中には、道路をレース場だと勘違いしている人もいます。
出勤時間帯などは、特に血走っていますが、全体としてそのような傾向は強いようです。
私は、職場の安全運転管理者となっていますので、特に気になっているのかもしれません。
安全運転管理者とは、道路交通法において義務付けられているもので、事業者の車の保有台数等に合わせて決められた人数を設置することになっています。
役割としては、事業者における交通事故防止のための運転者への法令順守の指導や教育などを行うことになっています。
私の職場では、安全運転管理者が1名、副安全運転管理者が4名となっていて、出先の4施設では合わせて10名ほどを配置しています。
最近は、高齢者の事故が多発していますが、若い女性の運転もスピードの出しすぎが目につきます。
スピードの出しすぎの多くは、制限速度についての認識が甘く、標識をあまりよく見ていないことが原因にあるように思います。
地球上の生活で重要な学習の一つは、ルールを守るということです。
ルールが守られなければ、人間の生活は成り立ちません。
そのことができるかどうかということが、次のステップの指標の一つであるとも思われます。
ルール自体が、正しくないと思われるものもあるかも知れませんが、それでも従い、しかる後に改善を提案していくことが肝要です。
古代ギリシャの哲人ソクラテスは、国家が認めた神を信ぜず青少年を惑わしたとの罪で毒杯の刑に処さられました
弟子たちが、牢から逃がそうと画策するのですが、悪法であっても法は法であると言って死んでいったのです。
それほど、決められている法律というものは従うべきものであるという姿勢なのです。
これは極端な例かも知れませんが、ルールというものは、設定される理由をよく理解して、それを守り正しく生きていくことが、今の地球人には求められているの
ではないでしょうか。
2017.5.24日(水) K・W