◇見つからなければ何でもやる地球人!?
何度か書いていますが、地球人は、100パーセント見つからない保証があれば、何をするかわからない人々であるということです。
見つからないということは、人に知られないということであり、当然警察に知られることはなく、何の罰則も適応しないということです。
これが保証されるとすれば、恐らく相当の人間が何をするかわからないと思われます。
例えば、恨みを持つ相手に対して、殺人や傷害事件を起こさないまでも、相手が恥をかくようなことや仕事で失敗するような仕掛けをするでしょ
う。また、他人の成功を自分に帰すような仕組みを入れ込んだり、好意を持つ異性に対しても様々な人間的欲望の達成を目指すことでしょう。
何せ、見つからないのですから、当然そのようになるでしょう。
つまり、地球人は、他人に知られると恥ずかしいとか、罰則が嫌で不誠実なことをしないのであって、相手に申し訳ない等の理由から行わないので
はないということです。
勿論、そのような中であっても、少数ながら不道徳な行為を行わない人も存在するでしょう。
見つからない保証があっても、道徳に悖る行為を行う人と行わない人では何が違うのでしょうか?
これを、倫理観の違いということができます。
倫理観の高い人は、人に知られることはなくとも、相手を傷つけるような行為をしたくないということ、更に、人は見ていなくとも神が見ていると
いう感覚を強く持てる人なのだと思われます。
このような人は、人が見ていなくとも良い行為を行うことのできる人でもあるのです。
神が見ている=i=意識が見ている)と考え自己の行動をコントロールすることは、物理的な価値基準ではなく、普遍的な価値基準をその上位に
置いているということで、地球人が最も学ばなければならない基礎を持っているということなのです。
このような人々の将来、そして転生は明るいものになると思われます。
しかし、地球人の多くが、見つからなければ何をするかわからない人々だとすると、地球のレベルはかなり低いこととなり、とても地球より高い惑
星に転生できるレベルではないと思われます。
少なくとも、アダムスキーの「生命の科学」を学習する人々は、常に意識≠ヘ見ているとの理解のもとに生きてゆきたいものです。
2017.4.13日(木) K・W
◇意識に従うということ!
「生命の科学」がアダムスキーの書物の中で、特に重要であることは間違いありません。過去から現代にいたるも、地球人には最も欠落している部
分であり、最も必要な部分について体系的に書かれた唯一の書物と言ってよいと思います。
本書を学習している人の中には、「生命の科学は、宇宙の意識に従って生きることの重要性を伝えているもので、それが総てである。」と、言う人
もいます。
確かに、そうなのかもしれません。
しかし、そこがなかなか理解されていないのです。
「宇宙の意識(または意識)に従う」というのは、意識の意図を理解して行動するということで、言い方を変えると意識と一体となるということで
す。意識と一体となるというのは、何か特別の事であると考えて、特別の感覚があると考えたり、何でも分かると考えたり、声が聞こえるのだと思
っています。
しかし、これは違うのです。
よく考えてください。
意識と完全に分離した人間は存在しません。
誰でも意識に従っているのです。
少なくとも肉体の9割はそうだと思われます。
だから、生きていられるのです。
意識に大きく反しているのは、主に精神の部分であるといえます。
それは、意識で生きないで心で生きているということです。
それでも、意識に従っている部分が5パーセント程度は必ずあります。
しかし、それは感じていないはずです。
地球人は、「ここは、ひとつ意識的に生きて、この部分は、心で生きてやろう・・・。」と思えるほど自覚もコントロールもできないのです。
つまり、心と体が一体となっているのかどうか区別がつかないのです。
それは、意識的に生きている場合も、特別な感覚もなく自覚がないということなのです。
心と体が一体と言っても、瞬間的であり、長続きしていないことから、一体でなくなった心がそのことを記憶できない、理解できないということな
のだと思われます。
誰でも意識と一体なのです。
ただ、精神の部分で、一体である場合が極めて少ないだけなのです。
これらのことを理解出来れば、意識に従うということの意味や、自分が、意識的になって来たかどうか、緩やかな気持ちで感じることができるので
はないかと思います。
2017.4.28日(金) K・W