◇地球人の宇宙の理解はまだまだ低い!
最近、太陽系から最も近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリが注目を集めています。
この星は、ケンタウルス座のα星を構成する三つの恒星の一つで、地球から約4.2光年と近いことから何かと関心がもたれていた星でした。
そこに今年8月、「プロキシマb」と名づけられた惑星の存在が確認されたことから、生物が存在しうる惑星である可能性が高いと注目されている
のです。
この惑星は、岩石型惑星で大きさも地球に近く、大量の水に包まれた惑星であるという。
「プロキシマb」と恒星(プロシキマ・ケンタウリ)との距離は、地球と太陽との距離の0.05パーセントと極めて近いのですが、この恒星は赤色
矮星であり、明るさは太陽の千分の一なので計算上は適度な温度であると考えているようです。
表面の様子は、惑星の大きさによって異なるということですが、水が地球よりも多く気体状の大気が存在する惑星であると考えられるということで
す。こうなって初めて、生命の存在の期待が高まるというのは、地球的な発想の典型でしょう。
生物学のある博士は、「液体の水で海があるなら生命の存在する可能性はありますね。もちろん私たちとは祖先を別とするまったく別の生物です
が、私たちとよく似た仕組みを持つ生物である可能性は高いです。・・・中略・・・。太古の地球で栄えた生物たちで、現行の生物とは異なった奇
妙な姿形をしたものがたくさん見つかっています。プロキシマbの海にも、見たことのないような姿のモンスターが溢れているかもしれません。」
ということです。
この生物学者の発言は、地球では、やや勇気ある発言の部類で柔軟な方だと思われます。
現在の宇宙についての理解は、良くてもこの程度のものだと思います。
生命の存在には、太陽(恒星)からの遠近の問題と岩石型惑星であることが必要です。
これが、クリアーされれば、水や大気の存在は高くなります。
しかし、太陽からのエネルギーは、太陽からの距離に関わらないことを私たちは知っています。
また、ガス型惑星と思われている木星や土星のような惑星は、実際には、ガスが主体でないことを私たちは知っているはずです。
これは、アダムスキーが伝えたことばかりではなく、木星に衝突したシューメーカー・レヴィ第9彗星(1994年)が木星に衝突した際、煙が立
ち昇り、その有様は雲に近い位置に地殻があることを示していましたし、金星探査機のベネラ(旧ソビエト連邦)は、地上の写真において地表が灼
熱地獄でないことを示していました。
いずれにせよ、現在の物理学を覆すことができない私たちは、地球人の宇宙に関する理解は低いと思いながらも、専門家と言われる学者の意見で一
喜一憂する分けですが、近年の様々な状況から、いずれ、アダムスキーが伝えたような真実が知らされる日が来ると強く感じているものです。
2016.11.2日(水) K・W
◇真実よりも目先の利益
地球上の法制度や社会システム、幸福の基準、政党政治あるいは選挙制度など、地球上において行われている基本的な仕組み等は、果たして人間の真の幸
福や真実の追求を目指しているのだろうか? ・・・と、疑いたくなります。
恐らく、目指していないのだと思います。
日本が、戦後大きく影響を受けたのがアメリカ合衆国です。
アメリカは、キリスト教圏に特有の契約を中心とする社会となっています。総ての業務で契約やそれに類する約束を交わし、そこに書かれていること以外は気が
付いたことであっても行わない事を徹底しいている国です。このような国では、ISOのように文書で何でも必要なことは書いておかなくてはなりません。
また、アメリカは、訴訟大国として知られています。
マクドナルドのハンバーガーを食べて太ってしまったのは、マクドナルドのせいであると訴えて裁判を起こす国なのです。
当然に、弁護士が多いことでも知られています。
アメリカの弁護士は、真実を追求するよりも言い負かした方が勝ちというような考え方を持っていて、勝てそうな事件には、当事者がその気がなくても焚き付け
て、 勝訴した分け前をいただくということをしているようです。
今日の日本は、残念ながら、このような影響を大きく受けている様に思います。
法科大学院を、大学教育の法学部で設けることが多くなったのも、これらのことを裏付けています。
しかし、まだ良識ある人間が多い日本では、幸いなことに今のところはうまく機能していないようです。
また、ある国々では、日本を陥れ、世界の人々を自らの支持者や仲間に引き込み、自国の利益をもくろむことから海外の報道機関を買収し、プロパガンダを展
開するなど、マスコミ操作を当然のように行っている国々もあるようです。
このような事実は、戦時中は当然のこと、今の平和と言われている時代にも沢山行われていることなのです。
何も知らない一般人は、このような偽善極まりない世界の中で、情報操作に影響を受けている人々なのです。
しかし、真偽入り混じる世界において、知らないということは、実は許されないのではないかと思います。
偽装された社会、真実が分かりにくい社会であっても真実は存在するわけですから、常に真実を追求していかなくてはならないからです。
以上のことは、ほんの一例にすぎません。
しかし、これらのことから、地球人は、真理の追究はもとより真実の追求さえ行わず、目先の利益を優先して人生を利己的に生きていることがわかると思うので
す。
2016.11.26日(土) K・W