宇宙に想う!  

 
   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象につい
         ての感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書い
         ていきたいと思います。

    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。

    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。


愛の法則の一つ・・・?

 日本では、夏にはお中元、冬にはお歳暮という習慣があります。これは、日ごろお世話になった人に対する感謝の気持ちから、日用品などをお贈り
 するものです。

 これが形骸化して、面倒ながら慣習として行うとすれば、古くさい悪習慣であり、アダムスキーの指摘する良くないものとなるでしょう。しかし、
 そこには、何か、良き法則性が隠されている様にも思うのです。

 そもそも、その行為の真意は、感謝の意を表現することです。その行為を少し分かりやすく説明してみましょう。
 まず、Aという人が、いつもお世話になっている、あるいは、何かのことでお世話になったBという人に3,000円の調味料セットをプレゼント
 したとしましょう。

 Aは、感謝の気持ちで、そのようなことを行い、Bは、遠慮しながらもご厚意としてありがたく受け取ったとしましょう。
 この場合、Aは、感謝という気持ちを込めて、言葉に発しながらプレゼントしました。感謝の気持ちを持つということは、自己の負であった部分を
 解消しリセットする行為であり、受け手の方は、それを素直に受け入れることで、他人から感謝されたという徳を積むことになります。要するに、
 双方にとって良きことにつながるということです。

 受け手であったBが、お世話になっているCに、3,000円のコーヒーセットをお贈りしたとしましょう。そうすると、それをCが素直に受けた
 とすれば、先と同じような良きことに繋がることになるでしょう。

 もし、Cが、あることでお世話になったAに、感謝の気持ちから、贈り物をしたとすれば、またそこに、先と同じような良きことが発生するかもし
 れません。これは、Cが、別のDに行ったとしても、結局同じなのですが、人の生活では、巡り巡って、自分に戻ってくるということを示すための
 例えであったと理解してください。

 さて、A、B、Cの3人が、贈呈した品物を自分で購入し、自分で消費した場合を考えてみましょう。ここでは、必要のために購入し、自己の生命
 を維持するために消費したにすぎません。つまり、購入1+消費1=2のようなものです。しかし、感謝の念をもって、他者に贈呈したことで、購
 入1+消費1+負の解消1=3となるのです。受け手の場合は、負の解消のところが、徳が1となるでしょう。

 このことは、例えば、リンゴは人間に食べられることによって、人間の中で新しい体験をしますが、それがなければ、腐って落ちるだけの体験で終
 わるかも知れないことと同じようなものです。
 
 感謝の気持ちで何かを差し上げるという行為は、その根底に愛≠ニ通じる精神があるのだと思います。
 そのように考え、様々な行為を行うならば、この世界は、平和にならざるを得ないのだと考えています。

 誤解なきように付け加えると、品物を用いて感謝することを推奨している分けではありません。お返しの品物を持たずに感謝をする場合であって
 も、何もないところに、負の解消1+徳1=2となって、新たな価値を生み出したことになるでしょう。この方が、より宇宙的でしょう。
 ここでは、地球的な経済行為(実際には、販売者も儲かっている。)を絡めて説明したということです。


                                               
2015.6.8  K・W


障害者の社会進出を思うとき・・・。
 地球上には、肉体的あるいは精神的に障害があると判断される障害者が存在します。
 障害者といっても、一般人とそれほど変わらない人から、重度の人までそれぞれ存在しています。彼らの社会参加が昔から課題でしたが、今日で
 は、その阻害要因を改善する様々な取り組みにより、一人で外出できるようになったり、少し支えがあれば遠方まで行けるようになってきました。

 特に、働いて収入を得るという取り組みが、最も困難なものの一つでしたが、収入の額の面でも段々と改善されてきているようです。
 健常者であろうが、障害者であろうが同じ人間として、同じ権利を持つのですから、誰もが、安心して暮らせる社会の実現を願うばかりです。
 
 しかし、健常者といわれる人であっても、宇宙の意識を理解できず、それによる強欲、妬み、恨み、暴力、善し悪しが分からない等々の生き方をし
 ています。つまり、無知なるゆえに、宇宙の意識から来るメッセ―ジを無視続けているのです。

 一方、この件については、障害者といわれる人の方が、むしろ宇宙の意識に忠実な人が多いと感じています。

 地球上では、様々な因果関係により、障害を持った肉体が、必要な場所に生まれて来なければならないのです。
 その肉体に入る魂は、精神性の高い魂が多いように感じています。
 そうでなければ、自他ともに救われる方向へ向かうことは困難だと思われるからです。

 このように見ると、地球上に健常者と呼ばれる人など、実は、いないのではないかと考えてしまいます。
 健常者と呼ばれる人たちも、宇宙の意識を理解できないという障害を持っているのだと思われるからです。

 しかし、この地球にも、誰によっても否定できない宇宙の真理が存在し、それは宇宙に普遍的に存在する意識的な力、英知であり、それを知り従う
 ことが、自他ともに幸福になる手段であると理解できる日が来ることを大いに期待しているところです。


                                                2015.6.21  K・W


◇宇宙は一つ、人類は皆兄弟!
 現代の宇宙創造についての考え方、その主流であるインフレーション理論に従えば、およそ137億年前、原子より小さな宇宙が誕生し、そこから
 1秒もしないうちに数ミリメートルへと急に膨らむインフレーションを起こし、その後、ビッグ・バンとなって宇宙が膨張し続けているということ
 です。

 私たちの太陽系は、宇宙創造から3分の2が経過した約46億年前に誕生したと考えられています。
 人間の先祖を50代前まで遡ると、計算上、総ての人類は親戚関係にあるということです。

 これらのことが分かっているなら、人類は、皆兄弟であり、疑ったり、欺いたり、怒ったり、嫉妬したり、本気の喧嘩などする理由はないと思われ
 ます。確かに、兄弟も喧嘩をしますが、身内で助け合わなくてどうやって荒波を生きてゆくのでしょうか? 

 このような事実、視点が大切なのだと思います。
 アダムスキーは、「一つだ。すべてが一つなのだ。どこもかしこも! 分離はない!」と記していますが、正に、宇宙は、一つから始まっているの
 です。同じ一点からスタートし、千差万別に分化していったのです。
 
 その点では、有機物だとか無機物だとか関係がなく、また、動物や植物というレベルでもなく、それを支える太陽や惑星自体が同じところから始ま
 っているということです。

 アダムスキーは、惑星間の違いは大したことではないと語っていましたが、それは、このような考え方に基づいていたものと思われます。
 
 素粒子論等、宇宙解明につながる科学が進むことによって、人類の始まりや人類を取り巻く存在との関係など、様々なことが分かってくるのだと思
 います。いずれ、宇宙は一つ、人類は皆兄弟≠ニいう昔からのフレーズが、心底から感じられ、そのように生きる社会が来ることを強く願うもの
 です。
 
 
                                                2015.6.23  K・W