宇宙に想う!  

 
   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象につい
         ての感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書い
         ていきたいと思います。

    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。

    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。


UFOと核との関連・・・

 月刊ムー(学研)4月号に「UFOと核兵器 原発問題の宇宙的深層」と題し、並木伸一郎氏による記事が掲載されました。
 並木氏は、私が子供のころからUFO問題を探求し、取材記事など広く活躍をされた方で、今でも第一線でご活躍されていることに敬意を表するも
 のです。

 さて、内容のポイントは、人類が核エネルギーという神の火≠手に入れたが、放射性物質という悪魔の力を内包しているもので、世界各地でU
 FOは、核施設を監視をするかのように飛来しているというものです。

 2011年3月11日、午後、突然激震が襲った東日本大震災では、福島第一原発上空や海岸付近でUFOの目撃や写真等に撮影されたものが多く
 存在しています。これらは、ネット上にアップされ、テレビ番組にも取り上げられています。
 記事では、1986年4月26日に起きたロシアのチェルノブイリ原発事故の際も、UFOの目撃者が多く、現在でもUFOが出現してるというこ
 とです。

 これらのUFOは、明らかに原発を目的とするように出現していると並木氏は指摘します。
 この二つの目撃だけでも、UFOが原子力施設にことさら興味を示していることは、想像に難くないと書いています。

 この後、原発大国フランスでのUFO目撃が多いことを踏まえ、1940年代の核兵器開発とUFO目撃の急増の因果関係に触れ、軍事施設におけ
 るUFO出現では、UFOから何らかの光線が発せられ地下までスキャンしているようなことが何度も起こっているようです。
 そのことに何の抵抗もできないことから、「彼らは自らのテクノロジーを示すことで、警告したのだ!」と言っています。

 結語として、「われわれが再び誤った選択(核兵器使用)をしてしまったときには・・・UFOは警告だけではすませまい。核の脅威によって、人
 類が地球そのものを滅ぼしてしまう前に、審判を下すであろう。」と書き、そうならないために、「核開発を止める、すなわち粛清すればよいの
 だ。」とし、過去の経験から、それを未来に提言できるのは、日本人であると書いています。

 客観的かつ、事例の多い内容であり、数多い考え方が存在する中で、並木氏の洞察力は素晴らしいものがあると思います。

 アダムスキーは、オーソン(金星人の仮名)から原子爆弾は危険であることを伝えられ、こんなことを繰り返していては地球上の生命は危険である
 ことを最初のコンタクトで伝えられています。

 アダムスキー自身も、放射能は軽いけれども宇宙自体よりも重いので、ゆっくりと宇宙空間へ広がっていることを語っています。
 また、1960年代、アメリカが打ち上げたロケットにUFOが接近し、多くの関係者等が見守る中、その先端部分を持ち去るという事件が発生し
 ました。その先端部分には、核弾頭が搭載されていて、宇宙空間での大変危険な実験をUFOが阻止したのだということです。
 
 UFOが強制的行動することは、先の事例を含めアダムスキーも肯定していることで、たまには、時と場所の警告を発するため、軍事施設を攻撃す
 ることもあったようです。

 これらのことから、並木氏が推察していることは、正鵠を得ているのではないかと考えます。
 
 UFOは、未だにいるかいないかという議論をしている人々も存在しますが、今回の事例のように、各国政府の上層部では、その存在は疑いえない
 ものとなっています。しかし、各国政府あるいは各国を操る側としては、UFO問題は最大の脅威となることから、容易に真相が公表されることは
 ないと考えられます。
 
 

                                                2015.4.14  K・W

 
◇ 1 + 1 = 3 の法則
 これは、アダムスキーが伝えたことで、数学的には1+1=2となるところ、自然界では1+1=3であると説明しています。
 例えば、女性+男性=子供というように、男女のほか新たなものを生み出すということです。これは、子供が双子であっても1プラスと考えます。
 
 このことで、人間社会においてもこのような例に該当することがあります。
 それは、他人へのプレゼントです。

 日本の社会においては、お中元やお歳暮など様々な機会に他人に対してプレゼントを行います。儀礼的と思われるものもありますが、基本的には他
 者への感謝の気持ちとして行われていますが、その意義は何のでしょうか?

 お歳暮として、お世話になっている人へ調味料等のセットをプレゼントする場合を考えてみましょう。
 この調味料を自分のために利用することもできますが、それを普段お世話になっている人へプレゼントするのです。自分のためにではなく、他人の
 ために感謝の気持ちとして差し上げるのです。
 
 一方、その受け手も、そのようなことはないよ、こちらこそ色々ありがとうと言って、ジュースのセットを返礼したとしましょう。
 これも、自分で利用できるものをお返しとして差し出したのです。
 合理的に考えれば、差し引きゼロで、無駄な労力と見えなくもありません。

 確かに、お互い、自分で使ってしまえば、1+1=2で終わってしまいます。しかし、それを他者に差し出したことによって、1+1=3となった
 のです。
 加えられた1は何かと言えば、感謝≠ニいうことです。自分のために自分で買って消費したのでは、他者への感謝の気持ちは湧きません。しか
 し、お互い他者からプレゼントされたことで、感謝の念を持つようになるのです。この辺は、素直に感謝できなければなりません。

 同じ素材、同じ量でも、活用の仕方によっては、新たなものを生み出すことができるということです。
 これが、自然界にある原理と同じような行為であると解釈できるのです。

 日本の社会では、営業と結びつきながら、儀礼的なものとして行われている行為は、その意義を考えると、「その真意にそって行うことで、お互
 い、良い意味を生み出すことができるのだ!」、ということを理解しておくのも大切なことだと思います。


                                                                     2015.4.25  K・W